蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

猿でも分かる構造主義 8

2017年04月27日 | 小説
表題8回目の投稿(4月27日)

ネットは便利な道具で、メルロポンティが指摘したとおり「ビット」を媒介してくれる。前投稿で論じた旧石器が作成される確立(420万回に一回)は、これまででは計算機をアトム的に引き出して2を基数にとってこれをイチニサンシと数えながら22回累乗していたが、ネットのサイトではワンクリックでビットが答えてくれる。
420万は卓上の計算機でも答えるがシェークスピア、ハムレットの有名な一節;
To be or not to be (生きているのか死んでいるか、原文ではこれが問題だと続く)を弾き出すにはどれほどの確立なのかを計算していただいた。
条件としてアルファベットキーの選択は26通り、この一節はスペースを入れて18の語でできているので18回叩く。ここでいまだに構造主義を理解していない猿に出場を願う。猿はTo be …の成句を知らない。しかしナントカ努力してこの成句をタイプで打ち出して貰いたい。一匹では頼りないので一万匹をタイプの前に座らせて、パチパチと叩かせる。18回叩いて紙をソートしたらバナナを一本やる。これくらいのサービスを施さないと直に飽きてパニック(猿らっきょうとも伝わる)に陥る。一日で一匹100回の成文を作るのがノルマ。すると猿軍団は一日に1万枚のタイプ紙を叩く。これを1年続ける、休日も必要だから290日働き290万枚の紙が仕上がる。頼もしいな!
監督官のK氏が調べると「To be or」が出てきた、「猿だってやるじゃないか」とにんまり、しかしその後が「Tu es fou」となって訳が分からなくなった。(ネタを明かすと左記はフランス語で、お前はバカ、K氏はフランス語を知らないから怒らなかった)
こんな1年を幾歳重ねたら、猿シェークスピアが生まれるのか。26を18乗すると2.9に0が26続く組み合わせがあるとサイトが答えている。一年290万枚でやって10京年 (1に0が18桁連なる)経過すればTo be…が一枚だけできる、これは確立です。たとえ短い一節であろうと、頭に思想を持ってない猿では10京年かかる例です。
より複雑な例として芭蕉を取り上げると;
♪古池や蛙とびこむ水の音♪
猿に打たせるとして和文タイプの前に1万匹座らせた。見慣れぬキーボードに猿共は戸惑うが、バナナの誘惑には勝てず17回ひたすら叩く。しかし監督官のK氏の顔色は冴えない、すでにこれを10年やっているから、バナナ切れを起こしてきた。けれど一向に猿芭蕉が現れないのだ。そこでネットで計算させた。基数は17(俳句の字数)、指数は50(イロハニホヘト…)エイヤとクリックしたら数字が並んで最後にE+61とあるが、何が何だか分からない。きっとサイトのコンピュータでも放りなげる、とてつもない低い数字なのだろう。これでは♪古池…でなくとも♪旅にやんで…だって永遠に猿はモノにできない。シェークスピアに化けられなかった猿は、宇宙が終わるまで頑張っても、芭蕉には成れないが証明された。頭に思想を持たない猿の完敗である。

しかし友人のK氏が投稿子にクレームをつけてきた。「猿芭蕉の例は極端すぎる。メルロポンティは知覚が領域から信号を拾うのだから、芭蕉の頭に思想(表象)が備わって無くとも、芸術家としての知覚を発動すれば♪古池…の俳句はできる」と。K氏は構造主義に批判的らしい。
そこで投稿子は「古池の俳句を字数ではなく語数でとらえ、各語においての選択肢の数を推察する」を考えた。すなわち猿とヒトを比べるのではなく、知覚と表象を比べる。
この17字の俳句にはフルイケ、ヤ、カワズなど7の語が含まれる。目の前の「フルイケ」を芭蕉が選ぶときに、彼の知覚はミズタマリ、オオイケ、アライケ、ヤマノイケ、モリノカゲなどを選択する過程があり得た。見たものはカエル、それ故にカワズの代わりにトノサマ、ガマ、カジカ、ドングリを捻ったかもしれない。単純化して各語に6通りの代替語を知覚が教えたとすると、その可能性は11万7千の組み合わせとなる。芭蕉がひっそりの池、蛙ポッチャンの世界を目にしてその状景は
♪ミズタマリトノサマカエルガポッチャンミナゲ♪
だったかも知れない。しかし芭蕉の感興は、11万7千の可能性なかで他の可能性を一切排した♪古池…であり、他ではない。11万7千の組み合わせを知覚で吟味して抜き取った状況ではなく、そもそも頭のなかに表象として漂っている芭蕉の芸術を17字にしたものだと思う。
「池、蛙、静かな環境」などの見えている物、それが存在で、芭蕉の信念「静けさ、自然の永久性、自然との協和」これらが思想とすれば、存在と思想の二重性の対照としての俳句が浮かび上がります。♪古池…は自然の中にあったのではなく、芭蕉の心にあったわけです。

これまで構造主義の由来を考えてきましたが、次回からは悲しき熱帯TristesTropiquesにおいての構造主義の展開を述べます。乞うご期待!

(これまでの出稿4月5,6,8,10,13,16,25日、次回予定は5月1日)
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猿でも分かる構造主義 7

2017年04月25日 | 小説
猿でも分かる構造主義 7

知性は存在=本質=を規定するとデカルトが語り、これが西洋哲学の底流となりました。存在も知性も神が創造した物(被創造物)なので、神の創造原理を語るのが哲学です。この考えはスピノザで特に顕著です。メルロポンティは領域と信号は共生=co-existance=すると規定し、神が創造した「領域」を神から与えられた知覚(perception)で解析し、信号=本質=を探る現象学を主唱した。
構造主義とはこれら伝統の哲学を一線を画します。
知性(idee)と存在(etre)を対立する二重性(dualite)としてとらえている。対立するとは互いが相手を必要としている相互性(reciprocite)を言います。よって本質は知性にも存在にもあるのでなく相互性に潜むとしています。
すなわちヒトは神から知性を授かったとの西洋哲学の根底を否定しています。レヴィストロースは無神論者ですから、これは当然の結論です。
ではヒトの知性はどこから来たのでしょうか。
歴史学者ミズンは「心の先史学」でオーストラロピテクス(人の系統とされる)がサル(チンパンジー系統)から分離した400~500万年前から、人は知性を獲得していたと主張している。この説を構造主義から説くと分かりやすい。イヌをイヌとして認識するにはイヌの存在があるだけでは成り立たない。イヌという思想(あるいは表象)を人が持たないとイヌはどこにもいない。これはイヌネコサルの話で前述したが、それを借用して「構造主義的」知性の起源を説明したい。
オーストラロピテクスはヒトの祖先とされる。彼らが住んでいたアフリカオルドバイ渓谷で発見されている石器をオルドワン式というが、その造りは後世の石器と比べて原始的である。これら石器の制作者をオーストラロピテクスとして(学説ではホモハビリス250万年前からとされるが)、どの様に石器を作ったかを省察したい。
ネットから写真を拝借した(著作権の問題があれば指摘してください)
この石器、握斧を完成するまでに至る行程は:
1まずオーストラロピテクスが洞窟をはい出して石がごろつく渓谷をうろつく、普段通っている草原や森林に行っては、餌は探せるけれど石が見つからないから駄目だ
2握るに手頃な大きさの石を探す、大き過ぎても小さくても駄目
3斧になるには砂岩系は柔らかすぎる、火成岩を選ばなくては
4打ち台となる平坦な石も探す、5打ち石も探す 6石を平坦台に7正しく乗せる 8打ち石を振り下ろす 9正しい箇所に10正しい角度 11正しい力で 何度か(おそらく10回以上だがとりあえず10とすると、21行程) 22刃先が使用に耐えられるか確認する
ざっと22の行程を経ている。22の各行程で0(OK)か1(NG)の選択を強要されている。NGを理解できず、たとえば握るのに大きすぎる石や柔らかい砂岩を選んで「何とかなる」で後工程に送ると、それは石器として役に立たない。
22の全行程は1日では終わらない、2日かかるか3日か。またがそれぞれ0か1の選択であれば、2の22乗、420万回の選択があり得る。それを3日かけて、どの一つにも誤った選択をしては石器とならない。
そこで想像するに、とっても暢気なオーストラロピテクスがオルドバイ渓谷で生きていた。暢気な訳は他のサルとは異なる行動をはじめたからだ。
「天気が良いから散歩するわ、石ころでも拾ってやるか、どんどん叩いてやるぞ」夜になったから洞窟に帰る。翌朝、腹が減っているが草原に立ち寄らず、また渓谷に出てきて「昨日の続きをして叩いてみるか、何かできたぞ、刃先が揃っている。獲物の皮を剥ぐのにぴったりだ。万歳~」
となるには420万匹の暢気なオーストラロピテクスが、500万年前のある日、一斉に3日間をかけて、うろつき探し叩いて、その内の一匹が石器をモノにして「こうやるんだ、一つでも間違えたら終わりだぞ」と皆に伝えるか、一匹が420万日の3倍1260万日、3万4520年かけてナントカ石器を作れるにいたるか、3万4520匹が3年の間、ひたすら石を探して叩き続けるかしかない。
いずれも不可能です。
石器は、たとえオルドワン式の加工度の粗いモノでも偶然では作成できない。
石器が世に出るためにはヒト(オーストラロピテクス)の頭に石器の「思想」が芽生えて、渓谷には都合の良い石ころがごろごろしているという「存在」があって、それらが相互に構造的依存が形成されていないと、石器はできない。これはイヌの思想と存在で考察したとおりで、構造主義です。
サルあるいはチンパンジーの知能についてヒトの幼児並みとの研究を一頃、聞きました。チンパンジーにない知恵は思想と存在の構造的依存です。あるいは原始的な思想は持っていて、まっすぐな棒をシロアリ塚にさして、アリ釣りする程度の「思想」を持つかも知れないが、石器を思い浮かべる思想は持たない。ヒトとサルとの差です。

猿でも分かる構造主義 7の了(4月25日)
(これまでの出稿4月5,6,8,10,13、16日、次回予定は30日)
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猿でも分かる構造主義 6

2017年04月19日 | 小説
表題6回目の投稿

前回はメルロポンティの現象学をさらりと述べた。
彼の限界とはデカルトの伝統に反発しているのだが、それでもデカルト的世界に論理の骨子を置く点に尽きる。領域(無秩序のかたまり)から信号(秩序)を引き出す力が知覚(perception)。デカルトが唱える理性主義とは存在(etre)に本質(essence)が隠れているが、それに迫るには属性(attribut)を知性(raison)の力で分離するとしています。メルロポンティの知覚とはデカルトの知性で、信号(例えば旋律や詩、絵画)はデカルトが語る本質、領域(音や色、行動が無意味に溢れる環境)は同じく存在の言い換え。そして、カソリック信者として、これら領域、信号、知覚はこの世界そのもので、それら全てを神が創造したと教えている、そう言い切れます。
A学院の哲学講師I女史は「メルロポンティの用語法、思考の仕組みはデカルトに近似する」と教えてくれた。となるとスピノザの決定論で行き詰まったデカルト哲学の再興、あるいは「焼き直し」かも知れません。これ以上は語りません。
シモーヌドゥボーヴォワールがメルロポンティの思い出を書いている(ある少女の思い出=ガリマール出版)。エコールノルマルで同級生だったメルロポンティ(本上ではPradelleと別名)とは信条などで離れているものの、個人の印象が強かったのだろう、もの静か、明晰、カソリック信者、上流志向の優秀な学生として前向きに描写されている。その一節A l’Ecole(高等師範校)on le(この代名詞がメルロポンティ) rangeait(分類されていた) parmi les talas。このtalaとはノルマリアン(高等師範校生)でカソリック信者を言う(と辞書にあった)
上流階級、知識階層の生まれ、カソリック、ノルマリアン。フランスでエリートの資格をかき集めている体を感じてしまいます。それが伝統とは決別できなかった彼の「限界」かもしれない。
ちなみに、
投稿子はI女史の現象学講義で「メルロポンティの考え方で、領域を無秩序(chaos)として信号を秩序(ordres)と規定する、謂わば対立構造、二元論として理解できないか」と質問した。I女史は「その解釈は成り立たない。そのようには書かれていない。彼の理論の根本はco-existance=共棲にある」との答えを受けた。
宜なるかな、フランス語に未熟なる投稿子が読んでもメルロポンティの文中に「対立構造」はない。同様の質問を投稿子は三度試みた。同じ趣旨で三回問い質す背景とは、頭の構造に欠陥が隠れる証拠なのだが、エレガントなI女史は「頭が悪いのでは」などの嫌悪表情など一切見せず、丁寧に、そのたびに「co-existance」と答えになられた。
「これほどにも美しい理論(知覚の現象学)なのに、混乱のかたまりの中に、曖昧モコと大事な信号が、何となく逼塞していると語るとは」投稿子は忸怩たる思いでI女史の指摘を聞いていたのです。
カソリック信仰者は、神が創造したこの世界、根源的に、対立が内包しているとは思いこみたくないかもしれない。さらに考えるとデカルトも本質と属性は物=etreに内包されているとしている。対立する二重構造を取り出すと、世界はそこに収斂してしまう。神が無くとも「物=etre」だけで完結する。
レヴィストロースが展開した構造主義がこれに当たります。「世界には対立構造が内包している、その構造の中から理性が生まれ、社会が形成された」と教える。
その彼は無神論者です。
6回の終了前に彼が無神論者である証拠を上げる。
Le monde a commence sans l’homme et il s’achevera sans lui. (Tristes tropiques 495頁)拙訳:この世界は人類無しで始まった、そして彼=人類=無しで終わるだろう)
天地創造も神の予定調和も完璧に否定してる。読み進め、この有名な一行に出あった時に、やっと来たかの達成感を覚えた。それと同時に、世界の終わりは「単純未来形」で語られていた。確実にその日がやって来る、猶予も条件も無し、彼の信念を現しています。
レヴィストロース思想の冷たさに身震いする思いで頁をそれ以上は開けなかった。

猿でも分かる構造主義 6の了
(これまでの出稿4月5,6,8,10,13、16日、次回予定は22日)
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猿でも分かる構造主義 5

2017年04月16日 | 小説
(表題のこれまでの出稿4月5,6,8,10,13日)

はじめてアクセスいただいた方へ案内。
構造主義とは1960年代に流行した思想で、その旗手となったレヴィストロース(2009年に死去)は文化人類学者です。当時は一世を風靡した感がありましたが、21世紀の今、世の人にもてはやされる主流思想からは外れている気がします。構造のじり貧構造を挽回すべく、レヴィストロースの著作をつまみ読みした学生の頃に戻る決意で、投稿子は「悲しき熱帯」を読み返しました。一人で読んでいても解釈にラチが明きません。フランス語の教育で歴史あるA学院(東京お茶の水)で哲学講座を受講すべく、50年振りに通い直して、1年余、それでも今だに理解していませんが、雑感として「猿でも構造」として投稿を決意した。

デカルトは「我考える」を中心にした。考える能力はヒトのみが神から受け受け継いでいる。神が創造した世の森羅万象、その本質を神の思考で解きほぐすが「我考える」の意味です。かく、上から観察し、物体(etre)を属性分解し再構成して本質(essence)に肉薄する、これがデカルトの哲学姿勢であるとすれば、レヴィストロースは人間、社会を観察するにあたり無神論の立場から「水平の視線」を取ります。この姿勢は、人口に膾炙されているとおり言語学者ソシュール(FerdinandDeSaussure1857~1913スイス)が唱えた記号論の水平構造に着目しつつ、人間の知性を「思想(意味されるものの置き換え)対存在(意味するものの置き換え)」の相互の構造とした。この対立例としてイヌ、タヌキ、ムジナ、さらにサルで試み、K氏の思想を分析した。サルについてはゴリラと原猿(キツネザル)を包括する「サル思想」を投稿子は持たないので、猿構造が成立しなかった。これもレヴィストロースは「構造が全て対等の相互性を持つとは限らない」と言っているから、構造主義的には正しい。

現象学を主唱したメルロポンティMerleau-Pontyから影響受けているとの指摘もあります。投稿子はA学院でI女史の哲学講座を拝する栄に浴しました。
講義ではメルロポンティの(映画と新心理学=1945年発表)を通読した。知覚の対象を周囲(milieu)あるいは視野 (champs)とする。これは人が動き見て聞く、普段の世界です。この世界は乱雑でそれだけでは何の意味合い、方向性を認められないが、感覚(perception)を働かせることで一定の秩序を覚知出来る。例としてメルロポンティは旋律を上げる。周囲は不特定音の塊で、それらは雑音騒音、耳障り、うるさいと否定されるが、音楽家はそれらの洪水の中に旋律を聴き、それを譜面に書き出す。他にも言葉の洪水から詩人ランボーが詩を生み出す過程、色の氾濫を怜悧に透視して色調和の感性を得て、絵画作品に残すセザンヌを上げている。
この論文は映画博物館での講義から起こした本文なので、殿に映画の作成過程を上げている。日常の何気ない会話、動作、風景の流れには総体として方向性がない。しかし特定の場面の伝言に注目し、それらの重ね合わせて作者の感性で方向付けする。ここにも知覚と対向する「周囲」の意味づけがあらわれる。
メルロポンティの視線は水平に周囲を見渡します。そこにはデカルト的、知性による「上からの」分析はありません。そもそもこの論文自体が反デカルトの装飾に満ちあふれています。例えば、
<Les objets forment un systeme qui tend vers un certain niveau stable, non par l’operation de l’intelligence>(Le cinema et la nouvelle psychologieより、拙訳:それら観察されている物体はある一定方向をめざすシステムとしてまとまっていくが、それは見ている側の“知性”がまとめる方向性ではない、そのものが周囲に内包する構成体の力からである)
デカルトが蜜蝋を取り上げ、知性を働かせながら、匂い色形、熱を加えて溶けるなどの属性を分析して、最後に「この本質は蜜蝋とされるモノだ」と判断したが、その知性活動(分解と統合)を批判している一節です。
メルロポンティの現象学には対象(周囲、視野)と知覚の相互性が上げられます。レヴィストロースは構造主義の基礎の「思想と存在の二重性」(前述)にこの相互性を取り込みました。
ヒトが回りを見渡しながら行動する目的とは、現象学が伝える通りに、周囲に隠れるある種の方向性を知覚で探り当てる為です。メルロポンティは作曲家詩人画家を取り上げたが、どんなヒトでも日常的にこの手順で活動しています。K氏の隣人は「秋になってカキが実ると山が騒がしい、ハクビシンが狙っている」と語ります。彼は果樹栽培において現象学を実行している訳です。
しかしメルロポンティには限界がつきまといます。
構造主義にあってカソリック信者のメルロポンティに欠けているもの、別の言い方をすれば構造主義がそれから解放され、メルロポンティはその影響下でもがいていたもの、神です。
(猿でも分かる構造主義 5の了。次回の出稿は4月20日)
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猿でも分かる構造主義 4

2017年04月13日 | 小説

(写真を添付しました。上はブラジル調査中のレヴィストロース、ボロロ族少女から譲られたサルを肩に乗せています、構造主義サルの初代。
下は投稿子が読んだTristesTropiques悲しき熱帯 と LaPenseeSauvage野生の思考)

前回(3回目)は人がどんな過程でイヌを認識するかを語った。結語は思考回路というか、頭の中にイヌなる思想・表象を持たないと毛皮被りでワンと吠える四つ足を「イヌ」と認識できない。認識の仕組みとは二重性、相互性で、これはレヴィストロースが社会構造の説明で用いるところのdualite・reciprociteそのモノです。
もう一例をあげると、表題が猿なのでサルを例に上げたかったが、投稿子はサルとい動物が何かを知らない。思想・表象としてまとめ切れないから例に取り上げられなかった。
サルのsignifie・signifient=意味するされるもの=は一体何か?
エテ公の別称を持つ日本サルをサルとするまでは明瞭なのだが、ゴリラチンパンジーウータンはサルに入るのか?広辞苑を開くとゴリラとは「類人猿」だそうだ、大猩々とも言うとか。猩々とは何かをさらに調べると類人猿だと広辞苑は教える。堂々巡りだが、広辞苑は類人猿をサルに入れたくないようだ。類人猿に分類されるギボン=テナガザルは何モノか。投稿子は間近にクロテナガザルを観察する機会を得た。日本サルとは顔つき手足形状で異なるが、「サル」として捉えられる全体印象を持っていた。ギボンをサルの表象の仲間入りを許しても良さそうだ。
ゴリラとチンパンウータンには、あまりにも差異がはっきりしているから、サル仲間入りを許せない。それなら奴らをどう取り扱うのか。類人猿あるいは猩々という思想・表象を己の頭に、サルとは別個に創造するのか。そして思想・表象はゴリラチンパンウータンを救うけれどギボンを疎外するのか、しかしギボン=類人猿を知っているから、それは不可だ。原猿=キツネザル=を考えるとさらに混乱する。広辞苑では原猿はサルらしいが、投稿子の私的な認識では形態、行動でサルとはかけ離れる。
混乱の原因は、これら対象と接触がなく利害関係を持たない、すなわち関心のなさのなせる罪である。
K氏が浅川土手でタヌキを認識できず、隣人から叱責された不手際を計らずも投稿子が演じている訳です。
この「関心」の有りか無しかが認識に影響を与えます。

悲しき熱帯ではナンビクワラ族の自然界の認識について、毒草以外の草木にはほとんど名称がないと説明しています。身近であっても無用な草木に無関心を見せる態度は、宣教師一部の観察者から蒙昧と否定的に報告されています。それが巡り巡って未開人=分析できない=知能が劣るにつながってしまいます。
デカルトは森羅万象を「神が創造した被創造物」なのでその本質を探る行為とは「神並みの頭を持つ」知的人間の使命と考えていた。
故に全てを取り上げ「要素ごと解体、分解して中身を調べ」本質に迫った。
構造主義はデカルト的「本質に迫る要素分解」を取らない。個々の事象を横並びにまとめて、思想・表象として頭に入れておく。この水平展開的思考法が未開人とされる人の思考過程であり、サルの思想を持てない投稿子のそれであり、浅川土手で恥をかいたK氏の世界観でもあった。
次回はメルロポンティの現象論と構造主義の「関心のあり方」を取り上げます。

(猿でも分かる構造主義 4の了。次回の出稿は4月17日)
(これまでの出稿日は4月5,6,8,10日です)
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猿でも分かる構造主義 3

2017年04月10日 | 小説

ソシュールの記号論は二重性(Dualiteデュアリテ)と相互性(Reciprociteレシプロシテ)に分解される。二重性とは現象や状況が2の構成で成り立つ状態を意味する。相互性ではいずれも相手に依存している、相手がなければ自己も成り立たない。記号論での二重性とは「意味する・意味される」で、これはお分かりの通りです。相互性とはイヌはイヌという言葉に依存し、その言葉にしてもイヌがいなければ意味がない。あい寄りそう依存関係=相互性=が「記号」という状況に見られる。

この考え方の斬新さをレヴィストロースが取り上げた。
意味するものを存在する形(Foemed’existance)、とし、意味されるものを思想イデオロギー(Ideologie)と置き換えた。社会、文化をこの二重性の構造の仕組みで考えた。

イヌという状況を構造主義的にとらえてみよう:
イヌは人間生活に密接に関係している。イヌという動物をどんな人も知っている。街中、どこにも見られる。個別のイヌは見た目千差万別である。大きさ形態、ベルジュシェパード成体は50kgの巨体だがチワワは1kgをかろうじて越すていどの小粒。尻尾が曲がるか垂れるか、鼻が伸びるかむくれるか。形態のみならず、人間社会との関係でもいろいろある。人はその多様性を「イヌ」とひとまとめにしている。
投稿子の友人K氏が目の前に歩いた耳が垂れている四つ足の毛皮付きはイヌとしては大きく異形だったが、彼は果敢に「イヌだ」と判断して隣人に褒められた。これはイヌというイメージを彼が持っていて、イヌへの判別力を生まれてこの方、社会生活で培ったからだ。人の頭にあるイヌと言うもの、投稿子は表象とするが、これがレヴィストロースの教える思想である。その思想を持つからこそ50kgも1kgも、尻尾が長かろうが垂れていようが「あれはイヌだ」と判別できる。
思想が成立する過程とはイヌが社会に、うろちょろと徘徊しているに尽きる。生まれてこの方幾十年、イヌを見て教えられて、イヌなる思想を温める事が出来たから、ちょっと目は異形だけど「イヌだ」とし、間違いを犯さなかった。自慢気なK氏の前を別の四つ足毛皮付きの一匹が通った。大きさも形態もイヌの範疇として許容できる。しかしK氏はわずかな差異を認識した。
「なんと言うのか」と隣人は迫った。K氏は焦った、額に汗を滲ませて発した言葉は
「ネコだ」
K氏がその四つ足をイヌとせずネコと峻別できた理由はネコの思想・表象を持つからである。ネコはイヌほど個体差は少ないが、形態泣き声歩き様で、細かく観察すればやはり千差万別である。それら個体をネコとしてひとまとめにする思想・表象を、日本文化の中で育った一員として、K氏は抱いていた。
「よく知っているな」と再び褒められた。
しかし、思想・表象を持たない場合の言語的混乱をK氏はすぐに経験した。
浅川の土手を散歩すると目の前に人だかりが。幼い子が抜け出てK氏に、
「野生の動物がいる、あれは何ですか」と質した。
やはり四つ足毛皮付き、ネコほどの大きさ。遠目に見たK氏は「ハクビシン」と答えた。すると隣人が「間違ったな」今度は、けなした。隣人がポツリと伝えるには;
「タヌキ、幼い」
「ワーイ、子ダヌキだって。ねえ、ウチで飼おうよ」
子は喜んで親に頼んだ。

隣人は多摩丘陵のとある谷戸に住む。幾本かの果樹を育てている。
「夜な夜な獣が尾根からおりてくる。木に登れるのがハクビシン、カキが実ると手をつける害獣だ。前足が強くかぎ爪があるのがムジナ、土に埋めた魚のわたを掘り返す、迷惑獣だ。タヌキは木登りも掘り返しも出来ないから散らかり残飯をあさるだけ、ほっとけ獣」
隣人は尻尾、耳の形状で3獣を区別する要点を続けた。
ハクビシンとタヌキに、そしてムジナにも、かく思想を持ち、個体に遭遇していたから隣人は区別できた。一方K氏は言葉としてそれらを知るのみ、いわば貧弱な思想・表象しか持ち合わせない上、これら獣に遭遇していない。存在する形と思想の二重性の構造を持ち合わせていなかった。
しかしこれを持ってK氏の思想が貧弱だとは非難できない。思想の地平線が、隣人と比べ、近視眼的に狭かっただけである。

さて前回に記したレヴィストロースの疑問
1 目の前の四つ足をイヌではないかと疑い、認識した仕組みとは何だろうか? 
=>その答えは二重性、相互性であると分かった。
2 人の頭が抱くイヌという思想(=レヴィストロースはイデオロギーと語るTristesTropiquesポケット版169頁、投稿子はこれを理解の方便として「表象」としたい。)とは一体なにか?
==>それが人の認識方法そのものであると今回、説明した。
3として1と2を結びつける知性はどこから来たのか。
===>知性の由来は後に語ります。

(猿でも分かる構造主義 3の了。次回の出稿は4月13日)
(これまでの出稿日は4月5,6,8日です)
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猿でも分かる構造主義 2

2017年04月08日 | 小説

表題の1は4月5日、1の続きは6日に投稿

レヴィストロースが構造主義を展開する段階でソシュールの言語学・記号論に影響を受けているとは人口に膾炙している(アメリカで亡命生活だった1945年に同僚だった言語学者ヤコブソンを通して)。その理論は言語とは意味するもの=signifient,シニフィアン=と意味されるもの=sgnifieシニフィエ=に対立させ、この対立構造を記号(signeシーニュ)とした。ソシュールはフランス語地域のスイス人なのでフランス語で著作したからそのまま使います。
その関係はさる構造主義の解説書で縦に並べていたが、それが混乱のもと。横に並ばせると後々に、メルロポンティとの関連で理解がしやすくなる。下をご覧ください。
記号とは;
signifient=意味するものVS signifie=意味されるもの
目の前の現実の存在 VS 頭に浮かべる表象あるいは(思想)

たとえ話で説明する。多くの方がイヌを取るので投稿子も倣う。
ある人(K)の前を四つ足動物が歩いていた。Kは「イヌである」と隣人に告げた。隣人は「正しい」と答えた。Kはどの様にしてイヌと判断したのだろうか。四つ足、毛皮、とんがり鼻、尻尾(タレと巻きのいずれか)、歩き様、Kは鋭敏な嗅覚を持たぬが、そうした御仁なら臭いも材料だったろう。主に視覚で総合判断をして、目の前のsignifientとは己が頭に抱くイヌ(signifie=意味されるもの)と対照して紐つけし、この結合が成り立つと判断した。隣人も同じ言語と文化で育ったから、頭にイヌの表象を(Kとほとんど同じ形態で)持つので合意した。
記号論はこれで終わり、言語学者はハピー。しかしレヴィストロースは哲学志向を抱く社会人類学の徒、その上無神論者だったので終わらない。

ふと湧いたレヴィストロースの疑問とは:
1 目の前の四つ足をイヌではないかと疑い、認識した仕組みとは何だろうか? 
2 人の頭が抱くイヌという思想(=レヴィストロースはイデオロギーと語るTristesTropiquesポケット版169頁、投稿子はこれを理解の方便として「表象」としたい。)とは一体なにか?
3として1と2を結びつける知性はどこから来たのか。

デカルトならばこれら3問に即座、答えを出す。目の前の動物は神が創造したイヌだから(1の答え)。頭に描くイヌとはイヌ存在の本質エッセンス(2)。知性は神から授かった(3)。

一方反デカルトのレヴィストロースは以下に考えた(TristesTropiquesの各章から)
言語学ではまずsignifientありき。イヌがいるからそれらを取りまとめて「イヌ」と記号化した。しかしイヌがいてもそれらに記号をつけない民族だってあるから人類学的には記号論では不十分。

レヴィストロースは上記の論証としてブラジル中央部のナビクヴァラ族を上げている。彼らは物資を極端に切りつめた移動生活を営む。例えば南米では一般のハンモックを持たず地べたに寝る。一方で狩猟、時には隣の部族との闘争で使う毒薬の製造には長けている。毒薬に使える草木の知識は広範かつ精緻である。同じ種とレヴィストロースには見える形状でも年数、季節、生育場所などの差で名称を変える。しかし、それ以外の草木について知識は貧弱である。レヴィストロースが「この草の名は」と質したら大笑いされた。その理由は「役にも立たない草の名など無い」と。
狩猟に日々の糧をゆだねるナンビクヴァラ族にとり毒薬は必須である。毒草を見つけた途端どの動物、時には人間に効くかなど利用を決めている。毒薬というイデオロギーがあって、材料としての毒草が名称付けられる。朝鮮朝顔やらトリカブト(=これらはブラジルにも同属があるとか)はsignifientの地位を享受できるが、それ以外は名前を持たない。

昭和天皇のエピソードを思い出させる。侍従が「今年の夏は雑草が茂って」と申し上げたら天皇は「雑草と云う名の草はない」とお答えなされた。昭和天皇にとり道端の名の知られない草とて花を咲かせ、茂みを形成して時に人を楽しませている、草木の知識(=イデオロギー)の地平をこのように拡げているお方なので、雑草・役に立たないというおおざっぱな侍従イデオロギーには賛同出来なかったのではあるまいか。
物のsiginifieとは社会人類学では思想、イデオロギーである。そのイデオロギーがsignifientこと存在(=レヴィストロースでは存在する形態=formed’existance)と2重性の対立構造(dualite)を持っている。言い換えればまず理念、思想があって、それが物に具象化されている。構造主義に近づいてきた。

(猿でも分かる構造主義 2の了。次回3の出稿は4月11日)
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猿でも分かる構造主義 1の続き

2017年04月06日 | 小説


叢書「人間の大地」について若干のべる。故に1の続きです。
悲しき熱帯(TrisetesTropiques)は「人間の大地」(CollectionTerreHumaine)叢書の一冊として刊行された。叢書目録が巻末にあり数えたが40を越してやめた、60冊はあろうか、民族・歴史・地理学の一大叢書である。創始者が民族地理学の大家のJeanMalaurie、本人の取筆となるイヌイット紀行誌(=チュレ族、最後の王達)が叢書の第一巻を飾る。Malaurieは学者として実績も上げている(鯨の肋骨を海岸線に延々と並べた鯨回廊の報告はイヌイットの宗教観を表していると世界を驚かせた)そして辺境の地、種族達に暖かい目を注ぐ冒険家として名を馳せている。仏の雑誌「Les philosophes哲学者達」32号=2009年に登場しているが「私の埋葬の場所は決まっている、イヌイットの氷の大地だ」と発言するなど意気軒昂ぶりを見せている。(2017年で95歳)
彼は未開人の定義を「西洋文明から外れた人々=文明発展から取り残された蛮族」とする思潮に反対してイヌイットを報告した。その視点は文化人類学者が多くの場合に取る「冷たい」観察ではなく、観察する人間への尊厳に溢れる。デカルト哲学よりも古い伝統、権威(教会)を否定し個人確立したユマニスムは彷彿とさせる視線です。
イヌイット達の鯨漁の勇猛さを「アキレス、アガメンノンら英雄譚、ホメロスの叙事詩」に重ねた紀行文に(投稿子は)思えてしまう。
そのMalaurieがレヴィストロースに著述を依頼したのだが、両者には学問姿勢で相当の隔たりがある。「私はあらゆる旅が、そして全ての開拓者が嫌いだ=Je hais les voyages et les explorateurs」は悲しき熱帯で最初の第一行である。ブラジル現地調査旅行の他はビルマ(当時の名称)に調査旅行をしたのみ、人類学者としてフィールドワークは少ないレヴィストロース。一方Malaurieは「知的職業とは報告だ、それに値する生活なくして理論などありえない」とはばからず広言し、自身も極地の冒険旅行を幾度も敢行し、イヌイットを守る政治活動=アンガジュマン=を実践していた。
レヴィストロースにはこのアンガジュマン(=学者の政治への直接関与、サルトルの用法)は希薄です。
差異にもかかわらず依頼した背景についてMalaurieはかく語った(Les philosophesから)
1 守りで賛同した(未開民族の保護。当時はイヌイットの地をアメリカ軍が秘密基地の建設のため接収していた) 2原住民の「私」を主語にして未開民族を語らせる(口承民族誌、Malaurieのスタイル) 3他者をおもんばかる思考を否定する(学問)カーストを打ち壊す(レヴィストロースが民族博物館長とコレージュドフランス教授の就任を断られた経緯に発憤したようだ) 4行動する為には(アカデミーに籠もらず)書き物を出さなければと薦めた。一言でまとめれば、全てを「解きほぐす」行動に取りかかると一致した。
投稿子は2に注目する。
悲しき熱帯は口承文学ではない。構成は複雑ながら、底流は紀行文Recitで「私」は彼自身である。作中にも原住民の個人を「私」とした語りは出てこない。それにもかかわらずMalaurieはレヴィストロースを評価したのだが、接点は「未開民族」への評価が一致したからである。
未開民族を否定する一派とは彼らが攻撃した学問カーストで、それはノルマリアンでカルチアンに間違いない。
ノルマリアンとは高等師範学校を卒業した者を言う。悲しき熱帯では「ノルマリアンでない私に」サンパウロ大学の哲学教授職が舞い込んだ経緯、リセ卒業生が「学部=faculte」を選ぶ理由は「医学か法律」などと丁寧に書き込んで、ノルマリアンとの差異を写し出している。かの国ではノルマリアンでなければ高位の公職には就けない。アグレジェ(教授資格者)であってもノルマリアンでないからコレージュドフランスからは拒絶された。(投稿子の推察です)
そしてカルチアンとはデカルト主義者で、コレを日本語的に訳せば「理屈っぽい」に尽きる。すると早い話「フランス人は全員がデカルト主義者」との言葉も頷ける。デカルトの思考は「儂みたいな天才が神から授かった知性で、神が造った本質を曝く」に尽きる。その手法は物(あらゆるモノです、思考心情などもモノ)を要素分解して、各要素の様態を分離し、再結合する。換骨奪胎しているから、全てが見通せる。彼が解析幾何学で展開した思考を「本質の解析」に当てた訳です。
デカルト的思考をもたない未開人は知的発展が遅れているがカルチアンの認識。ノルマリアン(フランス政府)は未開人は定住させて教育を受けさせろしか答えがない。
これに対してMalaurieもレヴィストロースも「彼らは(デカルト的)思考を持たないが、別の思考形態を確立している。知的水準は欧州人におとらない」と主張した。心意気が合致したのだろう、肝胆相照らす交わり。人間の大地叢書の2巻目として同じ年に「悲しき熱帯」は刊行された。
(猿でも分かる構造主義 1の続きの了。1は4月5日に投稿、次回出稿は4月8日)

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猿でも分かる構造主義 その1

2017年04月05日 | 小説
=表題の第一回目の投稿です=2017年4月5日

社会人類学者、哲学者のレヴィストロースLevi-strauss(2009年10月死去)、訃報に接してから7年と半年が経過した。巨星墜ちる、一時代の終焉の感に打たれ寂しい思いにしばし、その数日、ひたった。そして、何故か、「いずれは著作を読破しよう」の意気込みに取り憑かれ、陰鬱とした気分を恢復する梃子とした。この感興を「意気込み」などとしたのは己の実力を知らないタワケ、そのなせる業であって、Levi-straussの読破はけっして実現出来ない。身の程知らずでしかないとは呟いた唇だって、これを寒々と知る。
著作(原語)のページを開かぬまま、気分だけが急かされる幾歳かが過ぎた。思いもかけない出会いが2015年に、これを偶然と伝えるのは出来過ぎ、降臨した。きっと何か、人の範囲を超越した「運命の力」が巡り会いを設定してくれたのだろう。
フランス語をやり直そうと決心して、昔、通ったA学院を訪れた、それが同年9月16日。学院の実名を出しても問題はないと思うが事務方と話をつけていないし、こんなブログを書いているの良からぬ評判が出ては通いずらいから黙っている。その学院はフランス語とフランス思想の教育、啓蒙では歴史があって評判も高い。東京お茶の水から歩いて8分と示せば、フランス語を嗜む方はたちどころに特定できる。故にあえてA学院とする。そして、ここの昔とは投稿子の学生時期なので50年前です。
久方振りの学舎を前にして外観は少しも変わっていない、これには感激した。一方、近隣に在ったはずの日仏会館(=MaisonFranco-Japonaise)が花屋の元締めに変わっているのに肩を落とした。50年の長さと重さか。
説明会にでると人類学・哲学の単科コースに「レヴィストロース悲しき熱帯TristesTropiques」を読むがありました。思わず「これだ」叫びました。X万円を「投資のつもり」、反対給付は期待しないで、ビンボー家計なけなしを、身を切り骨すら砕き、諭吉を握る腕の戸惑いを恣に震わせて、歯ぎしりガクガクを恥ずかしくも事務の少女に見せつけて、さっそくその場で払い込みました。
ちなみにXの単位は入学金とトリメストルTrimestre(3ヶ月の講習代)で4弱でした。
講師はアグレジェ資格を持つゴードー先生。ゴードー氏は(PierreGodo)、ご本人とは連絡が取れないのですが、A学院講師は経歴であり公の情報なので実名としました。
アグレジェとはリセの高学年と大学で教授に就任できる資格です。哲学のアグレジェとはかのレヴィストロースもサルトル、メルロポンティも取得しています。哲学人生の船出にアグレジェの肩書きがあったわけです。
ただし残念なことにゴードー氏は現在、A学院の講師ではありません。個人的事情で「退職なされた」と事務から聞きました。忙しい身の内と察します。
2016年10月からは別講師(エレガントな女性です)のメルロポンティ現象論の講義を受け、現象論と構造主義の考え方、世界観の比較を自分なりに取りまとめている処です。
ここまでが序論、本論にはいります。
1 悲しき熱帯で展開したレヴィストロースの思想を取り上げる。
同書の出版は1956年、構造人類学に次ぐ書であるが、代表作と評価が高い(=ネット上のいろいろ論評)未開の思考(PenseesSauvages)と比較されるが、後者は人類学の専門的考察を多く入れてあり、社会学系の学徒には必読かもしれないが、一般の読者には難しい。投稿子も読み始めたが「ニューヘブリデス諸島でのクラと呼ばれる習慣とは…」などは読み切れない。ゴードー氏も「哲学書として取り上げるに」前者が適しているとして教本に選んだと語った。
2 構造主義を方法論として取り上げるキライが最近ハバを効かせている。この「猿でも…」では哲学の思考として取り上げる。そこから入らないと何が何だか分からない。投稿子が学生の時、拾い読みして何も理解できなかった原因がこの「方法論」に空回りしたからである。構造を方法としたらこの世の中、全てが「構造」です。政治、会社、映画舞台劇も、山口組にもスパイ組織にすら構造は存在します。世界中が構造化して目出度しですが、これを思潮とも理解とも言いません。
哲学の思考とはデカルトとの相似、その発展と離反に尽きるわけですから、この伝統の思潮との比較によって構造主義を捉えたい。
3 彼は無神論者(ゴードー氏による)です。有神論は哲学の基礎です。デカルトは智の源泉を「神が人間に与えた」としている訳で「我考える」は「神の高みで考える」これは彼のような天才には楽です。考える対象の「本質」も「神が物を創造したから神に宿る」として辻褄が合います。単純明快でした。
無神論として構造を考える場合、人の「智」は誰が与えたのか、なぜ二重性(=Dualite)を基盤とするのか、その構造がかくも=頭の中から、親族構造、季節、神話にも=あまねく跳梁しているのかを考えます。
(1の了、2の出稿は7日を予定)
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