蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

イザベラは空を飛んだ 第3回

2010年10月29日 | 小説
イザベラは空を飛んだの3回目です。
前回までのあらすじは、
>ケイジとリサはバイパスのコーヒー店ステラリで待ち合わせる。二人の会話に闖入した老女は、ケイジに「お前の人生は何かもが未達成だ、人間の因果なんてテレビの料理番組程度の帰結しかない」と悪ついたうえ、赤いバラを奪って消える。リサはドライブスルーの出口でケイジを待つ。待つ間にも通り過ぎるドライバー達から誘いの声がかけられ、身のすくむ思い<

3回目は街灯の下でケイジを待つリサの描写で始まる。
>その男の誘いにまんざらでもなく、笑いを浮かべながら返答していた。傍目では女と男は知り合いで、ばったりあった嬉しさで二―三世間話を交わし「じゃあ、乗ってていこうかしら」と女がドアに手を掛けた所、そんな危なっかしい風情に見えた。=中略=嫉妬なのか怒りからか、ケイジは警笛を鳴らそうとホーンに掌を落とした<

危うく拉致されそうだったリサを何とか救い出した。次のシーンがバイパスで制限速度を大幅に超して走るケイジにリサがはやし立てる。

>「時間の光速スピードに追いつき追い越して、過ぎ去っていった昔を捕らえるのよ。千年くらいの時間を追いこせば、ケイジも私も、今の人間の誰も見たこともない遠くの場所を旅行できる。バビロンかチンブクツウか楼蘭か、千年の聖都市、神の繁栄と約束の城市を訪問できる」
「二人で遡るバイパスの行き着く果てに何が待つのか。生きた過去か、事故に巻き込まれて死んでの未来なのか。誰も知らない聖都市に辿り着くまで、スピードを上げるぞ、リサ覚悟はいいか」ケイジのだめ押しに、首を縦に頷いたリサ。そのとたんエンジンが轟音を立てた。クーペは車列をすり抜け、トラック商用バンセダンを抜いた。速度計は三桁の数字を示していた。
「このクーペは小さいけれど六気筒なんだ。アクセルをかけ続ければすぐに光速だ」
「ケイジ、想像して。時間を飛び越え見つける聖都市には何が住む。
話しかけるキリン、説教垂れる赤毛猿、青い満月、囁く雲、涙する風かしら。そして消えてしまった赤いバラ、あの盗まれた片割れバラを見つけられる」<

6気筒のクーペで速いのはB社の135当たりでしょうが、どんなにアクセル踏んでも光速に達するわけがない。さらに光速度をこえるのは(時間を遡る)絶対に不可能と、アインシュタイン博士が証明している。この2人はまるっきり錯覚しているのでした。ではバビロンには絶対たどり着かないで、いったいは何処を目指すのか?
全文を読みたい方は、左のブックマーク「部族民通信のHP」をクリックしてください。
全文47頁(原稿用紙換算)PDFにして18頁です。
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イザベラは空を飛んだ 第2回

2010年10月26日 | 小説
イザベラの第2回掲載をお知らせします。全文は左ブックマークの部族民通信のHPに入って下さい。
あらすじは、
リサとケイジはバイパスのコーヒー店ステラリで待ち合わせる。2人の話に立ち入ってきたのがアニエスと自称する老女。リサの贈り物のバラをケイジからひったくり、コップ水をぶっかけて姿をくらます。
リサはドライブスルーでケイジを待つが、通り過ぎるドライバー達から好気の視線を浴びせられ戸惑う。全体で15頁、43枚ほど。
以上よろしくご高覧を。
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イザベラは空を飛んだ 第一回

2010年10月21日 | 小説
先日予告したイザベラは空を飛んだのHP掲載開始しました。
全体で500枚を越すので、今だに読み直し校正中です、1回で30枚程度にして週に1-2回の掲載であればそれほど負担ではないので、連載を開始しました。12-3回の掲載、6-7週あれば完載できます。こういう計算は何時も上手く行きませんが、よろしくHPにブラウザしてください。

以下は今回分のさわりです。

その夜、北條リサは身体の火照りに悩ませれ、寝付かれず夜半すぎて寝息も整う頃に、現(うつつ)混じりの心地にさまよったのか、奇妙な夢を見た。

=中略=

中世のある日がリサの夢に迷い込んでいるのだ。以前に中世風俗の絵巻物などをどこかでかいま見て、その記憶が夢に再現してきたのだ。きっとその絵巻物には、リサが自分自身に擬せる「少女」が描かれていたのだろう。その少女も街道を一人で歩いていたのだ。
しかしリサがその夢のなかで試みた解釈はこれとは異なる。彼女の夢とは、
「遠い昔の記憶なのです。私はこの光景を見た、この光景の中で生きていた。実際に体験したこの景色、街道、人々を心にしまっていた私がいる。
別の生に生きた私が、その時の思い出と共にここに再生してきた。この夢は私の前世なのです」
人は自身の夢を見る。他者を主人公となす夢を見る人はいない。夢は必ず一人称で睡眠者に語りかける。夢とは自分自身を複刻することである。
「私、街道をとぼとぼと歩くこの少女が夢のヒロインなの。私はこの時代、中世に生きて、何かしらを体験してその思い出を記憶に持った。
だからずいぶんと前だけれど、この景色と人々を目撃している」と確信できた。デジャビューが夢に出現したのだ。
夢の舞台が変わった。少年が目の前にいた。
「イサラ、お前に与えた力をこの生(せい)で使おうとするな。この生で使うとは、儂の力を疑い、御利益と試そうとする疑い心を持つからだ。
疑いとは不信心である、神と仏の御利益を試そうとする。試したら御利益などもう現れない。お前イサナ、信心を持て、そして別の生でお前に与えた力を出すのだ」
少女の名がイサナ、リサの前世の名はイサナだった。イサナは問う、
「聖(ひじり)様、別の生とはいつのことでしょうか。その生で妾(わらわ)はどうのようにして、この生で賜りました力を出せるのですか」
=後略=

全体で30枚になるので全てを掲載できません。全文を読みたい方(時間と勇気が必須ですね)左のブックマークで部族民通信のHPに入って下さい。
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詩 夏は夜死ぬ 1

2010年10月19日 | 小説
昨日約束した長編詩 夏は夜死ぬ の全文掲載です。
注意:日付は本日19日が新しいですが、これが前半
です。昨日の投稿とほぼ同じ(一部推敲してる)
日付が古い昨日分を後半に入れ替えていますので、
そちらに移ってください。
全文を一気読みたい方はHP部族民通信へブラウザ。
左のブックマークをクリック。


夏は夜死ぬ  (前)
              蕃神 伊佐美
 
夏の夜には悲鳴が聞こえる
捨てられた寡婦が
置きざりを苦しみ、星の光を恨み
ささやく風に呪いを乗せた。
悲しみを風が運ぶのだから
丘を越し谷にまわり、この地にとどく。
街灯の下を漂う呟き声が黒いのは
寡婦の呪いが籠もるからだ

あの悲鳴を知ると女が言う
二十七㌔南の海浜には松林が茂り
砂浜に操車場が丸く囲われる。
環状レールの下に幾つもの死体が埋められた。
砂の底で亡者共は立ち上がり、
捨てられた気動車に乗り、夏を待つ。
砂浜を抜け、夜の海に向かうのだ
冷たい海流に身を投げ、白波に混じり、
光の届かぬ海底を探すのだ。
今、気動車が砂から抜け出た。
海に亡者を預けようと沖をめざす
レールがきしみ車輪は砂にめり込む
どう動こうにも、重い図体は進まない
風に笑われ波に阻まれ、泣いて砂に立ちつくす
潮におびえる気動車と浜を去れない亡者
海を逃した彼らの悔しさを夏に伝えよと、
あの悲鳴を風に託したのだ。

私はこたえる。
泣きじゃくる気動車を見た
裸に剥かれ、うち来る波に鉄の肌を犯され
赤錆の血が下腹部を濡らし、浜を穢した
海風が狂いの鞭を彼女の背に落とした。
彼女が泣いたのは鞭が骨をえぐるからでない
沖に去る波に亡者を捨てられず
みすぼらしいおのれ身が海に漂わず
砂に責められるその迷い姿を恥じたのだ。
亡者共は干からびて、砂に消えた。
悲鳴は、だから、砂浜からの叫びではない。

(前半の了、後半は10月18日投稿へ移ってください)
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詩 夏は夜死ぬ 2

2010年10月18日 | 小説
夏は夜死ぬ 後半

白い太陽と乾いた風にうなされる私は、暑さに狂った記憶を惨めにも封印してしまった。
あの夏の夜と女、そしてあの行為を、もう思い出せない。
その夜、献げ物を受け取れと女に強要した。熱く勃起した私の一物は夏からの献げ物と
して、冷たい女の心に最適だった。
女は献げ物を拒み、褥に横たわるまま汗を滴りおとした。うつぶせの背と丸い尻、股間の
繁みに汗粒が流れる。裸身がいつの間にか冷たい汗の膜に覆われたではないか。
濡れた肌を苛む私は狂っていたのだ。私の抱擁から逃れようと、女は裸身をねじ曲げ褥
から逃げる。そして部屋の底でのたうつ私をさげすみ、一物の熱さをののしる。
女よ、なぜ暑さを受け入れないのか、お前は死者だと私は反論した。そして、部屋には
男と女の息がむせる。私はむさぼり、女は黙った。
熱いたぎりは冷たい汗と混じりあわなかった。汗が冷たく滲み肌が青く光るので、私は女
が死体と知った。夏の夜に狂ったのは女と私、死者と生者が死姦に迷った。
悲鳴が聞こえた。遠くから微かにブブブイーーン、ブイイブイーン

女よ、今あの声を聞いただろう。
黒い海原のはるか南からの叫び。
風の巻く夜の沖の冷たい波間に海獣が啼いて漂う。
彼は波間に隠れ現れ、力尽きて死ぬ。最期の叫びが、
今お前の部屋に届いたのだ。
夜の海流に死骸が流れ、沈み、海底に消えた。
女よ、死に路をさまような。悲鳴はお前の旅立ちの祝福なのだ。

いま夏が死んだ。          (了)

(長編詩です。これが最初の投稿ですが、後半です。前半は明日10月19日にブログに
出稿します。順序を逆にしたのは、日付の新しい投稿が先に読まれる為です。
全体を部族民通信のHP、左のブックマークから入る、で照覧下さい)
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予告「イザベラは空を飛んだ」のHP掲載

2010年10月15日 | 小説
久しぶりのブログ投稿です。私(渡来部)は本年初頭からある作品にかかりっきりで、ブログにも時間をさけられませんでした。ようやく完了へのメドがつき、本日ブログ更新になりました。以下はそれまでの経緯です。
  
神の子が現れ十字架に果て、昇天してから2000年が経過しました。しかし空を飛んだ人は報告されていません。
人力飛行機が飛び回りますがバルサ材と薄い合成膜を介してなので、ここでは該当しません。空を飛ぶとはあくまで自力、自身の身体で飛ぶのです。胸を広げ腕を羽ばたいて空を目指し、飛び上がるのです。イカロス神話は別として、人の飛翔は今だに聞いていません。

しかし筆者渡来部は今年(2010年)初頭に、ある噂を耳にしました。空を飛んだ女性がいるのだと。多摩地区(東京の西部)日野市の「A子が空を飛んだ」のだと。そして3月に、その事件をまことしやかに語る少年「タッチン」を探し出すことが出来ました。
彼女の飛行の姿、前後の経緯を彼の口から聞くにつれ、私は「A子はイザベラの生まれ変わりだ」と信じるまでになりました。
タッチンの語りには福音外伝にある「イザベラ、神の子と彼の約束、生まれ変わり転生」の一連の流れが隠されていました。その場に居合わせた他のちびっ子達、もう一人の女性B子、それにイザベラであるA子から聞き取りを終了したのは6月でした。
福音外伝にインスピレーションを受け、彼等の語り口の「隠された流れ」を筋立てにして、一つの物語が完成しつつあります。題して「イザベラは空を飛んだ」

物語の本格紹介を前にイザベラの逸話を紹介します。
外伝ではイザベラと予言者エシュア(神の子のイシュアとも言われる)の会話を伝えています。

城市エルサレムへの最後の旅路を前にしてエシュアは、ロバに乗りガリラヤ門を越すと決めました。ロバを選んだ理由については次のように伝わります。
―徒歩で入城するのは良い選択ではない。門を踏み越える時、柱と柱の狭間、あの挟撃で私は人々と混じりあい、袖や裾もが擦れあうだろう。至近での人との接触は避けなければならない。神の子は人に交わることもあるが、それは教訓を垂れるためだ。
馬に乗りながら門を越せば、人は私を見上げるだろう。しかし私も人を見下ろすのだ。馬の背から人を見下ろすのはローマ人の奢りでしかない。馬も神の子の選択ではない。
ロバは人の歩みと同じ速さで進む、ロバの背に乗れば人の視線の高さをわずかに越えるだけだ。人の速さで進み、同じ高さで見回せる。

出立のまえ、神の子は宿でロバを雇う。
ロバをエシュアの前にまでひき、手綱を渡したのが宿の下働きイザベラである。その時の対話も外伝に残されていた。

イザベラがエシュアに願った、
「神の子様、城市までは50スタディアが残ります。この老ロバのキンタにはきつい遠さです。私を手綱取りとしてお雇いください、私だけがキンタを牽けます」
「イザベラよ、お前を旅に連れてはいけない。我らは神の教えを守るものだ、少女といえお前はもはや女、道中を重ねる訳にはいかない」
「神の子様、城市に向かうのはおやめください。あなた様を神騙りと訴える祭司が待ちかまえています。必ず捕縛されましょう」
「イザベラよ、エルサレムは約束の城市だ。行かねばならない、ガリラヤの門を越し、かの地とかの人々に私の姿を見せねばならない」
 エシュアは神の子であるから、約束というのは「神との約束」である。
「イザベラ、旅を案ずるお前の心遣いを嬉しく思うぞ。お前には何もしてやれぬが、空を飛ぶ力を与えよう。お前は空を飛べる…空を…」
 言葉を切り上げ、エシュアはキンタに跨り立ち去る。イザベラはあわてて彼の背に問いかけた。
「神の子様、いつ、どのようにして私は空を飛べるのですか」と
 イザベラに答えるために、一度だけエシュアは振り返った。
「イザベラ、この生で空を飛ぶと試みるな。それは神と神の子の約束を試すとのやましい心があるからだ。お前が空を飛ぶのは、生まれ変わる次の生、その次の生になる。その生で私とお前が再会する。喜びの中でお前は空を飛べる」
 これは神の子の約束である。ゆえに神の約束だ。かつて一度だけ、神は人の飛行を約束したのだ。しかし人は未だに空を飛んでいない、多摩は日野市のA子をのぞいて。

「イザベラは空を飛んだ」は、ほぼ完成しています。10月20日を目標にHP上梓いたします。掲載開始にはもう一度このブログで案内いたします。
ぜひ弊HP(部族民通信、左のHPボタンをクリック)にお立ち寄りください。
(約520枚の作品になります)
 
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