蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

涼風真世の真実 1 大阪空港の田舎娘

2009年11月03日 | Weblog
平成元年(1989年)の春も深き候、豊中市の大阪国際空港検疫出口に人目を引く一団が陣取った。総勢30人ほど、皆うら若き少女、上を黄色のジャージで揃えなにやら月の字が背中に見える。その人数ともなれば広くはない検疫の出口回りをぐるり取り囲み、時折リーダーの指揮にあわせて発する「ミユキ!」のかけ声が周囲を圧倒する威勢だ。その通り、彼女たちは宝塚歌劇月組のファンクラブ有志、今日は剣幸(ミユキ)団長のニューヨーク月組公演団の凱旋帰国を派手派手しく出迎えているのだ。待ちくたびれ今や遅しと構えて、黄色いかけ声は団長の剣嬢への出迎え応援なのだ。
一団から数歩さがった壁際、風采上がらない場違いな女性が一人ぽつんと立ち構えていた。年は20代の半ばだろう。風采の悪さはまん丸の黒縁メガネ、「サザエサン」みたいな丸い髪型、そしてくすんだ色合いの縦縞絣の筒袖単衣など、人品服装の全体からの印象なのだ。昭和期それも戦前の風体で「着飾ったつもり」、三田篠山辺りのデカンショ娘が、大阪のこの表玄関にポツリと出てきた、この雰囲気では収まり所が無く応援の一団から外れて壁際に立っていた、そんな情景だった。
ただこの女性、すらり背が高く、まん丸めがねなどを外せば色白細面のぱっちり目でかなり素材だ。見よう作りようによっては相当の美女に変身するかも知れない。
ここはしかし大阪、外見で人を判断するナニワ文化の本拠地である。応援団員は異質の田舎娘が気障るのか、時折ちらり振り返り、
「何やねん、あんなカッコでケショク悪いわ」
「ほんまや、あん服50年前のモノやんけ、相当シマツしてるんや、ケチくさー」(シマツ=大阪弁で倹約)などと言いたい放題、それだけ気になっていた現れだ。
そこに剣ミユキ嬢ら団員が現れた「ひゅーきゃー」「ミユキ!ミユキ!!月組」と大騒ぎで出迎えるファンクラブ員。
剣嬢は両手を振りながら凱旋将軍よろしく皆の前を闊歩した。
だが突然立ち止まってしまった。一体何事かと剣嬢の視線の先をファンも追った。そこには例の田舎娘が立っていたのだ。そして剣嬢はにっこり満面で笑い、なんと一言
「カナメー」
トップなればこそ、見破ったのだ。そしてこの一声で周囲が凍り付いた。黄色い声援も手の振り上げも一瞬にして止まった。不可解な沈黙が検疫出口を支配した。
剣嬢のその後の行動は早かった、群衆の沈黙がなにを意味するのか、そしてすぐに来るその反動。だから遅れたら大変な事態になるととっさに判断したのだ、出口と応援団を分ける柵を乗り越え、ファンクラブ員を蹴散らすがごとくに田舎娘に近寄り2人手を取り合って、あららと階段を駆け下りた。応援団から逃げたのである。
思わず剣嬢からでてしまった「カナメ」が全てだった、その意味するところに一瞬遅れて気づいたファン、「イテしもうた、こりゃアカンわ、遅れたらソンするでぇー」と2人の後を追ったが遅かった。2人は阪急電鉄のさし迎え黒塗りリムジンに収まり、空港を後にしたところだった。
カナメとは涼風真世の愛称なのだ、50年前服姿の田舎娘こそカナメ真世の変装だったのだ。(続く)
=>HP版の部族民通信にもブラウザしてください、真世の真相がでているかな=
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勝五郎少年の転生話、展示会に行きました

2008年10月01日 | Weblog
東京日野市の新選組歴史館で開かれている「程久保小僧・勝五郎生まれ変わり物語」に行って来ました(十月一日)。展示目的が明確である事、平田篤胤の一級資料が用意された事などすばらしい展示になっています。
中野村(現在八子市東中野)勝五郎少年がある日ふと姉に語った話、それは「生まれる前は程久保村(日野市程久保)の九兵衛の子藤蔵(とうぞう)だった」と驚くべき内容でした。初めは姉と兄とだけの秘密だったが、両親に知れ、村中に知れ渡りました。文政五年(一八二二年)のことです。
勝五郎少年は前世と死後を事細かにおぼえています。前世の家屋庭、井戸などの配置。柿の木があった。数えで六歳の時疱瘡で死んだこと、棺桶に入れられ山の墓地に連れて行かれた。野辺送りの途中で霊魂が抜けだし、葬列の様を見ていた事、母が悲しんでいる様子、棺桶が墓穴に入ってどすん揺れ驚いたなど。
その後は森の中を一人でいると白髪の黒衣老人が手招きしてあの世に行った。篤胤はこの老人を産土神(うぶずなかみ)として注目した。死霊をあの世に導くのは産土神だった訳ですね。
この話は中野村に終わらず、江戸市中でももっぱらのうわさ話として広がり、池田冠山(鳥取藩支藩の藩主)の来訪、彼に勝五郎再生前世物語として書き残され、さらに平田篤胤、後にはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)にも取り上げられるほどになりました。
篤胤の上洛(文政六年一八二三年)に伴い、禁中にも伝聞が広まった。この当時、上は禁中(仁考天皇)から下は江戸中の庶民まで話題になった一大伝奇物語だった。(以上は展示会場で配布された資料から)
部族民=TribesManとしてこの再生話を三点から注目します。
まず死んだ後の発言が生々しく臨場感があること。霊となって山野を歩き回り、きれいな野花を摘もうとしたら烏に諫められた、葬式の供えもの饅頭から湯気がホカと立っていたことなど。墓穴に棺桶ごと投げ込まれてドカンとは前述とおり。
次に霊魂として死体から抜け出す、山野を彷徨う、黒衣の老人(産土神)に手引きされあの世に行くなどは大昔土着の日本人が信仰していた精神世界そのものです。
最後に実は、この話;
内容こそ違えTribesMan.asiaのHP(十月十日に立ち上がり)の巻頭を飾る「たはけの果て黄泉の別れイザナギ」(蕃神氏作品)の状況と酷似していることの三点です。
三点目の類似性、これには驚きました。蕃神氏に連絡をとって「イザナギ」の着想に「勝五郎の生まれ変わり」があったか聞いて見たら、本人はこの話を知らなかったとの事。早速見学に来市する予定をたてるそうです。
異界交流、生まれ変わり、あの世案内に産土神など。こうした話に関心ある方にお薦めの展示です。
江戸時代には「部族民」はまだ健在だったのだ!特に多摩地区(東京の辺境)ではそうだったのだ!!(TribesManの述懐です)

展示の詳細は:http://www.city.hino.lg.jp/index.cfm/185,49385,225,html
WIKIすると、
産土神 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A5%9E
平田篤胤:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4
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部族民通信08年9月開設記念号

2008年09月30日 | Weblog
部族民通信というタイトルでのブログを始めます(08年9月30日)。ブログと平行して同名のHPも運営をはじめます。http://www.tribesman.asia/ こちらは創作活動詩と小説です。是非Visitしてください。
部族民とはなにか、ここでは生活形態、言語とかの下部ではなく、信仰・世界観、いわば上部構造を対象にします。かれらは 1精霊崇拝、汎神信仰 2異界と生界の交流、その境目の不確かさ 3記憶・意識(いわば自我)と実体世界との乖離
に特徴づけられていると思います。この意識構造は世界宗教が発生してのち否定され、こうした信仰者(部族民)は迫害、殺戮を受けた時代がありました。代わりに登場して、今の我々の意識・信仰の基盤となっているのがユダヤ・キリスト教、仏教(特に阿弥陀信仰)などの世界宗教です。その教義を上記の1-3と対照すると正反対の世界観となります。あくまでおおざっぱですが世界宗教(一神教)とは;
一神教(霊を悪魔と規定する)、死者と生者の峻別(=死後の世界を宇宙調和思想で管理するため、これは現世管理の切り札)、実態と意識・記憶の整合(個人が神になってはいけない)となります。
私は世界宗教の呪縛をとき、より自由な感性で世界を再構築したいと希望し、この部族民通信を開始する次第です。このブログでは雑記・心象をかたり、上記HPでは作品を発表します。
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