蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ツェッペリンと戦略爆撃思想 下

2020年02月28日 | 小説
一次大戦の勃発が1914年8月、飛行船は開戦1月足らずで実戦に投入されている(43頁)、当初から飛行船に偵察ではなく、爆撃任務を与えるがドイツ軍の用法と理解できる。初回では昼間に出動、低い飛行高度など戦術ミスが目立ち、効果は少なく自側被害が甚大だったが、無防備(と見られる)都市攻撃、夜襲など作戦を変更した。

空飛ぶ船を実現したツェッペリン伯爵、写真は本書からデジカメ。下に拡大。

対戦闘員(敵の部隊)に対抗するには、飛行船は機動性に欠ける。動かない都市への無差別爆撃の有効性に開戦後に気付いたと理解するよりも、初めからそうした運用を練り上げていたと思われる。

その証左に:
「1914年の年末までに…対象をパリやワルシャワに….世界初の戦略爆撃が開始された」(44頁)。シュトラッサー(海軍爆撃隊の指揮官)は爆撃効果を上げるためより大型、高々度、搭載量の増大をツェッペリン(企業)に要求する。理由は「高々度であれば敵戦闘機の妨害、対空砲火をかわせる、夜間に爆撃すると精度が落ちるからその分大量に落とす必要がある…」(51頁)。無差別を念頭に置いた開発指示である。

前回投稿で伯爵をドイツに生まれたダビンチとしたが、やはりドイツ(プロイセン)人であった。目的と手段を得て、外部の景色を顧みない直情を持つ(本書の記述から知った)

そもそも軍人であったツェッペリンも、軍の要請には協力的でマイバッハ内燃機関の改良もかない、要求を満たすM級飛行船が開発された。ここに海峡を越えての英国本土、戦略要地への無差別爆撃が開始される(1915年1月)。
爆撃を受ける側の悲惨な状況が語られます。空から爆弾が降り落ちる、こんな現実を創造した市民がいたでしょうか。英国も防御を固めに進みますが、同時に無差別爆撃を「ベイビィキラー赤ちゃん殺し」(本書から)として非人道性を国際的に非難します。

ドイツ側の反論は;

「イギリス人は同じモノを造れないから、非人道なる語を持ち出して、ドイツ人に飛行船を手放させようとしている」(ツェッペリン伯爵のコメント65頁)
「今日、非戦闘員なる者は存在しない。近代戦とは総力戦なのだ。あらゆる後方の生産者がいなくては(兵士、軍隊)は役に立たない」(シュトライサー、64頁)

英国本土への飛行船爆撃、挿絵は本書から。このような写真が200葉ほど掲載される。

上2のコメントが飛行船爆撃に対するドイツ軍人の「いびつな」思想を表している。すなわち人倫よりも技術開発の成果を第一とするゲルマン的直情です。

さて本書を読み、改めて戦略爆撃とは何か-これを自問するのですが、まとめると;

1都市など人口周密帯への無差別爆撃
2戦闘力の直接減耗を目的とするのではなく、市民を殺戮し後方支援体制を破壊する
3広範囲かつ繰り返す、体制破壊と合わせて人心攪乱を引き起こす、厭戦気分を昂進させる。

となりますか。一言で「自軍の兵を生かすために、たやすく実行できる敵市民の殺戮」を優先する思想となります。

この思想はツェッペリン、シュトライサーの二人のみが練り上げた訳ではない。カイザー(ドイツ皇帝)を頂点とするドイツ(プロイセン)軍思考のベクトルが効率最優先としているに他ならない。結果として人道を顧みず、無差別殺戮に邁進したと推察する次第です。前回の投稿(2月27日)ではドイツ人の思考過程の標準を「直情」と表現した(蕃神)。目的を固め手段を手にしたら外部景色は何も見えなくなってしまう猛進を言い換えたつもりです。
ドイツの常道が、非道の方向に発現してしまった多くの例の一の実例です。

本書に戻ります。
結末として飛行船爆撃は費用対効果の見比べで(著者の得意とするところ、詳細は後述)大戦末期に失敗が明らかになります。

そして大戦の後;
思想としての戦略爆撃は各国の軍に住み着きます。
軍人とは常に失敗を反省し、次の作戦をより良きとするコリない性質を持つ人々の集団です。ドイツ軍作戦を批評する英米ら軍人の反省とは「資材の分散投下が(彼らの)負けにつながり…」「もっと大量に投下したら成功し…」このステレオタイプに必ず収斂します。

戦略爆撃の思想と記録が各国の軍記録に残り、後の「大量投下する」より進化した戦略爆撃につながる。ツェッペリンが産んだ卵をドイツ軍が暖め雛にして、アメリカ軍が軍鶏に育てたと言えるでしょうか。

本書「ツェッペリン飛行船団の…」紹介目的がそれてしまいました。本来に戻り、本書の特徴を申し上げる。

1 およそ200葉を越す写真を掲載している。ビジュアルにも飛行船の実体、爆撃の悲惨さが理解できる。(硬式飛行船とは硬い外郭の内部に直接水素を充満していると誤解していた。小筆、無知を羞じる)。マイバッハ、ダイムラーの内燃機関の貴重な実物写真を目にできる。ほとんどは本邦初公開かと思える。
(マイバッハ社の切り札となった高々度用エンジン「MBIVa」の写真(153頁)には、個人的に圧倒された。この高性能エンジン技術が大戦後の高級乗用車につながったのだろうとの感慨を抱いた)

2 参考文献は多く、一次資料(英文)であり、時代の反響を知ることが出来た。

3 飛行船団の出撃の毎に航路、機材(飛行船の型式)、船長名、そして効果(ドイツ側の被害、イギリス側の損害状況)を克明に記載している。ドイツ側の製造費用とイギリスの被害額を総計として示し、作戦の破綻の様を記した著者の手段、「飛行船爆撃オペレーションの損益計算」としても良いでしょう。説得力が強く見事です。

著者は某国立大学の経済学部卒(奥付け)とか、さもありなんと感心した。 了
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ツエッペリンと戦略爆撃思想 上

2020年02月27日 | 小説
知人から紹介を受け「ツェッペリン飛行船団の英国本土戦略爆撃」(本城宏樹著、日本橋出版)を手にし、さっそく頁を開いた。
本書は飛行船開発に生涯を捧げたツェッペリン伯爵の情熱物語とも読める。その情熱が戦略爆撃に変身してしまう。この過程を「市民を殺し兵を守る」戦争現場の逆転倫理と位置づけ、その発生過程を、本書の紹介と合わせ、考えて見たい。

本書、拡大は下に。

開発の舞台はドイツ、爆撃を耐え跳ね返したのはイギリス。両国の技術、開発工程における思考の差異が見比べられる。一つの兵器の開発と運用の物語ながら、その究極に潜む国民性の差が本書を通して見える。

例えば、
伯爵の情熱としたがこの情熱に、「市民殺し」なる戦略爆撃がすんなり母屋を占めてしまう。ゲルマン民族が正にして負に持つ、いつの間にかの主客逆転の直情性が20世紀にも、世の先端技術を結集した硬式飛行船の空洞に、チュートンの血なまぐささ(東方十字軍の征服)としてとぐろを巻いていたと驚かされた。


観測気球に搭乗した体験(1863年本書から、以下引用と年代は本書)からツェッペリンが硬式飛行船の着想を得た。1874年には原設計図を起こしている。その開発の経緯は資金手当てが主体となる。奥方の持参金まで手をつけるやりくり、そして借金奔走、上層階級との交渉の逸話が経時的に書かれている。これら心痛苦労の連続が情熱の裏返しで、伯爵なしでは硬式飛行船は実用化されなかったであろうと読み取れる。ドイツ皇帝の理解を得て「20世紀最高のドイツ人」なる賞賛を浴びるに至った。

第一次大戦前に、ツェッペリンなどの肝いりでDelag社が発足、定期航空路を開拓、運営していた事実を知った。飛行船(ハンザ)の外観と客室内に集う人々の風景。彼らの身なり物腰は大戦前の上流階層にして優雅さそのものである。しかし皆が真剣な目差しで地を見下ろしている。彼らにしてもこれほどの上空(1000メートルほどか)から地上を見下ろすは、初めての体験であろう。個人として大冒険であるかもしれない。佇まいに、写真からでも、気の張りつめが伺え飛行船の先進性とはいかにが理解できた。

本書の写真から。ハンザの客室風景。人々は談笑していない。固唾を呑んで見下ろしている。なお本書の魅力の一つに写真の多さがあげられる。おそらく200葉を越すであろう。ノンブルを振っていないのはあまりの多さであるからだろう。

この定期航空路(ヨーロッパ内陸航路)は当時(1909~1914年)世界で唯一の航空運営体で、かつ飛行機も含め世界で初めての航空事業会社であったとは知らなかった。

幾十人もの乗客を載せ定期運行する;
一次大戦前に硬式飛行船の技術は確立されていた。その背景を著者は分析する(11頁);

1 伯爵の熱意、それに賛同し参加する人材。幾人もの固有名詞が並ぶ。マイバッハ、ドルニエなど今も名を残す優秀な技術者が壮大な計画に引きつけられた。
2 建造に必要な構成品。特に軽量で頑丈な素材による構造体。小型で大出力の内燃機関。

上記2の2点がクリティカルコンポーネントであった。
構造の素材に当時、漸く工業化された(1890年代、ネット百科)アルミニウムを採用、内燃機関にはダイムラー社からの供給が決まった。ダイムラーが自動車エンジンを開発したのは1889年(本書11頁)なので、最先端の技術を組み合わせである。2点はドイツでなければ入手出来ないし、ドイツに居なければマイバッハなどの人材は集まらない。故にドイツ人でなければ「船を空に浮かべる」夢を実現しようとは思いもしなかっただろう。

ツェッペリンの先見性とはまさにこの夢にあり、夢につながる素材を発見し、供給、契約にこぎ着けた実行力にあった。カイザー(皇帝)ウイリアム2世の評「20世紀最高の…」は「ドイツ人に生まれ変わったダヴィンチ」と言い換えられそうだ。

以上、商業運用に至るまでを序章として読んだ。

小筆の関心は「戦略爆撃の思想」はどの辺りにあるのかである。ツェッペリン爆撃とは「戦略爆撃の嚆矢」とされるから、本書の読破はうってつけである。続く
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死の母子像のホームサイト掲載の報せ

2020年02月22日 | 小説
2月16日から3回に分けてブログ投稿した「死の母子像、アニエス・ソレル」を部族民通信ホームサイト(WWW.tribesman.asia)に上下で掲載しました。内容に大きな変わりはないが、一気に読める。


写真はアニエス毒殺と死の母子の公開展示を明らかにしたPhillipeCharlier(フランス、法医学師)。死体が語る歴史の著者。
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死の聖母子像、アニエス・ソレル3(最終回)

2020年02月21日 | 小説
アニエスの墓はその後、ノートルダム教会側が彼女は王族でない、教会の内陣に石棺を置く身分には価しないと言い出しサン・トウルス参事会教会に改装された(石棺を移送)。大革命で石棺は破壊された。骨壺(入れるのはお骨ではない、公開を終えた防腐処置されている遺骸を折りたたみ重ね入れる。骨壺、3重の木棺、石棺、アラバスターの横臥像(死姿)の装飾を上に置く)はロシュ王館の墓所に埋葬された(地中に埋めた)。2004年に、改修を受けていた石棺、横臥像が骨壺と共に本来の居場所の参事会教会に安置される事となった。

ムラン聖母子の祭壇画を描いたジャン・フーケ

王館墓所から掘り上げられた骨壺は開封され、シャルリエらが調査した。
その状況を同書「死体が語る歴史」から引用する。
「壺の中には白い破片層の上に一つの頭蓋骨が置かれていた。沈着物に被われた大きな眼球がこちらをじっと見つめていた。頭蓋骨とするよりもミイラになった頭そのもの」(19頁)
肖像画を描くフーケがそれを見るにあたわず、450年の後、墓を暴いた病理学者が覗いて見返されたアニエスの目は大きかった。他にも重要な発見があった。7ヶ月の胎児の骨格の名残(脊椎、頭蓋の断片)であった(26頁)。先の引用では「一つの頭蓋骨」とあるが、もう一つの頭蓋が断片にしても残されていた。これがアニエスがMesnil sous Jumiegeで産み落とした胎児であると疑う余地はない。胎児にはDNA検査を施さなかったから、性別は明らかにされていない。洗礼を受けずに死んだ子は「人」にならずに消えただけで、名前も性別も与えられず教会過去帳にも記録されない。
言い伝えでは女児であったとも。
しかし男児であったと小筆は解釈する。ムラン聖母子像はアニエスと死産となった子の像であり、アニエスが抱いているのは男児であるからこのように推察をした。

聖母子と対となる依頼主のシュバリエ、聖ステファノ(エチエンヌ)

シャルリエ等の関心事はアニエスの死因であった。毒殺の噂が死の直後から語り継がれてきたからである。結果は;
当時も今も、多く用いられている毒薬は砒素である。検査で砒素は発見されない。しかし多量の水銀が主に下半身に付着していた。さらに多量の回虫卵が見つかった。アニエスは回虫症に悩まされていた。回虫下しに水銀(化合物)は古くから用いられてきた。アニエスにも水銀が処置されていたのだが、致死量を超える水銀を投与されたとの分析結果が出た。
シャルリエは「治療の際に用量をうっかり誤ったか、まさしく殺害されたか」と両の可能性を記して、結論を下していない。しかし明白な状況が本書に記載されている;
アニエスが回虫症で水銀投与を受けていたのは、以前からである。
ロシュを出てジュミエージェに向かった旅には何某かの政治が絡んでいた。「シャルル7世の毒殺謀議が進んでいるを直接伝える」は当時の言い伝えであり、厳冬の旅程を組んだ背景はそれを窺わせる。しかし、出立してまもなく、そして旅程の間中、不調、頻繁な下痢(本文では腹下しとある)に悩まされた。そしてメニルスージュミエージェ(Mesnil sous Jumiege、ジュミエージェの下の街メニル)に辿り着いて、シャルルに明日に会えるその晩に早産しの、下半身からの吐出で死亡した。
この状況を勘ぐれば、ロシュ王館では体調は悪くなった。シャルルに重要事を告げると出立した途端、腹下しに見舞われ、最後の夜に大量の水銀を投与されて死んだとなる。
王主治医ポワトバンが同行していた。彼が回虫下しを処方しただろう。どの程度の量を越したら、人体に悪さする程度の初歩知識は十分に体得していたと決まっている。王主治医だから当時、最高の医師であるはずだ。すると彼、あるいは彼に影響力を及ぼす誰かがアニエスをシャルルに会わせたくないとの意志を固め、毒殺を実行したのだろう。
シャルリエは科学者だから断定を嫌う、しかし間接状況は毒殺を語っている。部族民は一を聞いて十を語る性癖に悩まされるが、これは水銀の大量摂取でも治らない。この際全部の勘ぐりをばらそう。
母子像に戻る。冒頭(本投稿の1)に6の不可解点を小筆は記した。
全体を覆う陰気、肌の青さ、左胸のはだけ、腰のあり得ない細さ、母子に一体感が見えない…これらの疑念は、死したアニエスと胎児の肖像画とすれば、全てが解決する。
フーケがそれを見た。後に(5年の経過)、シュバリエから依頼を受け、絵筆を取るも最後の印象とは防腐処置の死骸の様であるから、その通りに絵にした。その当時、絵画の主題は固定されていた。母と子を描くとは聖母子でしかあり得ないから、アニエス母子を聖母子らしく天使に囲ませた。天使の表情は不機嫌そのものである。
以上がムラン聖母子の部族民解釈である。

大革命で破壊されたアニエスの石棺は改修となって、骨壺を内蔵し参事会教会の内陣に置かれる

疑念は残る。
シャルル7世の財務官であるエチエンヌ・シュバリエが何故フーケに母子像を依頼したかである。シュバリエがアニエスに対する複雑感情を負うからか。その感情は前向きとは感じにくい、すると負い目なのか。シュバリエも毒殺に一役、絡んでいたのか。対の絵にある彼の祈り姿の脇に立つステファノ(フランス語ではエチエンヌ)。これは依頼主が誰かを明かす仕掛けだとするが、ステファノの立ち姿がすばらしく、表情の「やるげなし」感が見事に見えているから、名前明かしにしては手がこみすぎている。
彼が手に持つ石の塊が謎を明かす。シュバリエは石打刑に価すると石が伝えている。この祭壇画は絵に仕立てたシュバリエの懺悔である。
しかしこう結論すると妄想の重なりとなってしまう。ムラン聖母子の祭壇画は「死したアニエス母子」とだけする。了
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死の聖母子像、アニエス・ソレル 2

2020年02月19日 | 小説
(2020年2月19日投稿)
アニエスの行動を追うと、1450年2月初、
国王(シャルル7世)暗殺計画を知ったアニエスは、居城のロッシュ(Loches、Indres et Loire県、Toursの約47キロ南西とある)を出て、シャルルが滞在しているジュミエージェJumiege(Normandie、Seine Maritime県)に向かった。出立は2月早々、厳冬の旅程は厳しさを増すが、アニエスが雪解けを待てない事情は切迫さの増す仏英百年戦争の動静があったから。シャルルが同地に滞留していた目的はイングランド軍の集結地であるノルマンディを攻略するためである。冬期に戦闘は始まらないから春までの籠城、雪解けを待つ間の行軍準備であった。(シャルルはその後、50年秋までにノルマンディを平定し1453年百年戦争終結の足がかりを作った)

アニエスソレルを愛妾にしたシャルル7世(フーケ画)

暗殺者は当然、春の行軍前に暗殺を実行するだろう、アニエスが今すぐに出立しなければ間に合わない。両処の距離はネット地図で目計算すると150キロ+となろうか。ほぼ10日をかけて、2月9日に Mesnil sous Jumiegeに辿り着いた。その名(Jumiegeの下の町Mesnil)通り、シャルルの居城に唇歯の距離。しかしここでコト切れた。
死体が語る歴史(シャルリエ著、河出書房新社刊)からアニエス死の状況を見ると、
「疲れ果てたアニエスは赤ん坊を産み落とすが、子はまもなく死んでしまった(名前が歴史に記されないとは洗礼を受けなかった。これが死産もしくは分娩後すぐに死んだとの根拠。性別も知られない=小筆注)。程なくして「腹下し」に見舞われたつまり肛門、あるいはヴァギナから物質が流れ出たのである。赤痢だったか、産褥熱だったか。毒を盛られたに違いないとの噂が流れた。死が近いと悟りアニエスは遺言執行者を指名した」
(同書14頁)
3人の有力者が執行者に指名された。その一人がエチエンヌ・シュバリエ、後に(1455年)アニエスと己の肖像画を2双一幅の祭壇絵としてフーケに依頼した人物である。


さて、話は現代。シャルリエはアニエスのミイラ化した死体を取り出し、分析し死因を特定した。それまでの経緯は;

遺体はJumiegeの館にアニエスを待つシャルルに届けられた。シャルルはアニエスの心臓を切り出すよう命じた、すなわちここで左胸がはだけたのである。遺体には王族、貴顕が受ける防腐術が施された。シャルリエはその手順を、記録に残るベリー公の埋葬から引用する。「心臓を取り出し、次に内臓を抜き取った。閣下のお体を空にした。内臓は直ちに墓地に埋葬された。腹腔には空豆に粉、オリバン、ミルラ、乳香…を詰めた」防腐と異臭防止の薬石がおおよそ20ほど語られる。アニエスもそれに劣らない処置、腹腔は空にされたと思える。

貴顕の遺骸に防腐処置する目的は展示である。ベリー公の場合はパリからブールジュまで6日間をかけている。先々で遺骸は公開された。
アニエスの遺骸はジュミエージェから、旅程は行きと同様9~10日をかけロシュに、戻った。ロシュ・ノートルダム教会の内陣に埋葬された(教会内陣には多く王族貴族の石棺が納められる。儀典を伴う葬儀を=encevelir=とし邦訳は埋葬とするが、この場合には地中に埋めるのではない。石棺は陣内に置かれる。ナポレオンの石棺もアンバリッドの陣内にある。小筆注)
宿泊の度に「展示」される。当時の風習だとされる。シャルリエは「頭のみ」もあるとするが、原則は全身を公開する。ギロチンで落とされたルイ16世の首を執行者が公衆に展示する図を見るが、辱めを目的としていない。王族貴顕の死は公開される習わしがあった。
アニエスの左胸ははだけたまま、(3人の娘に続き)4人目が産まれた証として死産の子を横に置いたミイラ姿が宿泊する先々で展示された。領主、騎士、多くの市民が目視したろうが、その一人にフーケがいた。
彼はシャルル7世の肖像画を残す宮廷付き絵師であるから、アニエスの遺体をより間近に、例えばシャルルが心臓を望んだから左胸が開かされた、あるいは腹腔を空にして防腐薬を詰め込んだ。乳はだけ、生きる人にはあり得ない細腰のアニエスを目にしていると推察する。そして脇にはアニエスの証でもある死産の子が置かれていた。 続く
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死の聖母子像、アニエス・ソレル 1

2020年02月18日 | 小説
(2月18日投稿)
前のブログ投稿「肖像画頼朝、泉石、モナリザ 読み切り2月6日」の準備で肖像画をいろいろと見比べていた。取り上げたのは頼朝像、泉石像、モナリザに落ち着いたが、とある一幅の西洋肖像画に引っかかりを感じた。それだけを取り上げてみんとし、本投稿にはいる。なお本文は小筆の勘違い、妄想の塊と笑って読んでくれたらありがたい。
ムーランの聖母子と呼ばれる絵画はフランス王シャルル7世(1403~1461年)の愛妾アニエス・ソレル(Agnes Sorel,1422~1450年)の肖像とされる。しかしこの画が「生きる人の」肖像であること、さらに聖母子像と呼ばれている言い伝えに幾つかの疑問を抱いてしまう;

ムーランの聖母子、アニエス・ソレルを描いたと伝わる

1 画像全体に広がる陰気さ、後背はキリストの誕生を祝福する天使達ながら、そこにいささかの喜び、うれしさの雰囲気が感じられない。他の聖母子像では天使が取り囲み、時には神が上方に出現して「乙女なるお前が身ごもり産んだ子は救世主なるぞ」と教えるのだが、この画の天使は誰もが押し黙ったまま、不機嫌な視線を空に向ける。
2 聖母なるアニエスの風情が異様である。肌は白さを越して青く、皺の一筋も見せていない。むき出しの片の乳房ははち切れんばかりに膨らむ。他の母子像でもこうした構図は見られるが、それは母が子に授乳している状景に限られる。そして彼女がこれ見よがしに乳を露出している。
3 胴回りは異常に細い、これでは内臓の諸器官を収容できない。眼差しは下に向くが、我が子に視線を落としているとは見えない。眼を閉じていると感じる。
4 母子に一体感が見えない。母が眼を閉ざし、子は母を見上げずになにやら前方に、しっかと視線を投げる。幼い子が持つ無垢の眼差しとはほど遠い。さらに彼は直の背筋で座るけれど、その姿勢は幼子らしからぬ。座す上は母の膝ではない、何やらを台にしているとも見えない。布の折り重ねに乗るが、それを支える母の手に子の重さを支える力は見えない。母子の視線にも心の置き様にも中心軸、すなわち母子感情の交流がない。
5 聖母子は西洋絵画での主要な主題で、地域を越え時代に引き継がれ著名作家は作品を残すが、必ず母子の一体感を強調させている。この一体感こそが主題なのである。しかしこの母子像はあえてその主題から逃げている。

幾度眺めても不気味さを感じてしまうムーランの聖母子

6 子を支える布は無地である。これが亜麻布であれば小筆の推測がより当てはまるのだが、毛織物かも知れない(ネット解像力では不明)。中世を通して赤服は非常に高価で、その色を纏うことが高貴、聖を表していた。故に他の肖像画では聖母は赤布、あるいは同じく高価な青服を纏う。しかしこの聖母(アニエス)の装束は赤(西洋茜)に染められていない。赤の色が一般に用いられるのは新大陸の発見以降。サボテンから採取されるコチニールで赤色染料は一気に安価になった(16世紀半ば以降)。
上記の疑念の回答に、とりあえずの暫定として、この画は聖母子のスタイルを踏襲するが画家ジャン・フーケ(1420~1481年)は聖母子として完成させなかったのだ、としよう。

マリアがエリザベト(洗礼者のヨハネの母親、老齢ながら懐妊した)を訪ねる。マリアは聖なる赤服と高貴な青で現される。後ろはヨセフとザカリ(エリザベトの夫)。こうした柔和な状景がムーラン...には欠ける。画はネットから。

彼はこの画に何を残そうとしたのか。これからが妄想にはいる;
死骸である。アニエスの遺言執行者の一人エチエンヌ・シュバリエ(Etienne Chevalier,シャルル7世の財務官1410~1474年)がフーケにソレル肖像を依頼した。フーケがアニエス・ソレルをつぶさに眼にしたのは5年の前、それが死骸で、当然、彼女を見た最後であった。その様を母子像にした。泰西画で母子像とは聖母子に他ならないから、彼も伝統に倣って聖母子に仕上げたが、形式だけを画にした。画家の精神は対象の真実を伝えるに他ならないから、死骸とその様、さらには死因を憶測させるまでを画面に残したである。(続く)

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規定外への大騒ぎそして排撃 4 (最終)

2020年02月17日 | 小説
(2020年2月17日投稿)
始めに:表題のブログ投稿は4回を重ねました。ホームサイト(部族民通信、WWW.tribesman.asia)に加筆、訂正の上Charivari大騒ぎ、周期性の遵守、ネットの炎上の表題で上、下投稿した事を報告します。サイトは繰り返しを省くなどブログと文体が異なります。さらに追記など訂正を入れています。サイトにもご訪問を)
以下、連載4回目;


Charivariの写真を探したがネットでは見あたらなかったのでBororo族の葬式をあげる。拡大は下、

規則破りが横行する、

封建領主の婚姻権ごり押しか、高利貸しが金貨を撒いて若い村娘を拉致し嫁にするかも知れない。金、権力を持つ老人が村の嫁プールから一人を抜き取る構造である。すると結婚できない若者が一人出てくる。村落維持に欠かせない婚姻周期性を侵害する違反行為である。大騒ぎvacarmeはこうした不均衡婚姻に対する不同意で、その発生は突発的に自然に、まるで道路渋滞でいらつく運転者が一斉に警笛を鳴らす(パリで頻繁)大騒ぎと同じ原理、参加している者達のserialite連続性の確認である。


サルトルは「バス待ちの列」「サッカー場、観衆」に連続性が発生すると曰った。バスが遅れる、列に不満が高まる。一人が「資本家がバスを減らしたのだ」と不満を顕わにすると、そうだ!バス会社に抗議しようの怒りを皆が共有する。
サッカーお気に入りチームが負けた。「オーナーが有力選手をクビにしたからだ」に続いて人々が石を投げる。

一方、今の日本、

ネットの参加者は不特定多数で匿名であるが、あたかも近隣の知り合いであるかに情報を交換している。親しくという仮想の現実を構築しているのだ。
青森県のさる方のネット意見を鹿児島県の参加者が、隣人の呟きを聞いているかのごとく耳にしている。多くは異なる意見を排除して自身が好む意見のみを拾うのだから、その度に感慨を新たにする。己も意見を重ね、投稿を幾度も繰り返す。

芸能人の「不倫」に対しての精神のブレと不同意、その複雑感情を共有するserialiteが今の日本のネットで発生している。
ネットseriariteである。

心の深層には怖れ、怒りなど原始的感情が潜在している。思い遣り心遣いなどの多様性はそこに宿っていない。そもそも人々が自然の変異や不順に対する怖れ、そして怒りで対応していた原初心理の名残である。村社会、いやそれ以前のバンド放浪時代に培った原理とは近親婚の排除であり、歳の差の離れた婚姻の否定である。
いずれも「周期性」に貢献しない婚姻を心の深層、怒りから否定するのである。

村社会の小うるさい成員が蘇るかのごとく、否定反応を顕わにして大騒ぎする。ネット住民が突然、大昔の倫理を思い起こし倫理原理主義に立ち戻って、婚外は不倫だと否定する。
村、地域に閉ざされていた狭い通婚圏の時期に体得した周期性の原理、倫理原理主義が今のネットで復活したのだ。若者は1億2千万人の人口母体から嫁を選べる。婚姻圏は大変広くなっている。しかし原理主義は婚外交接を認めない。

V嬢の悲劇、清純派の試練、これら以外にも「不倫」報道はネットを賑わしている(追いかけているわけでないから、多くを知らない)。その度の大騒ぎは最新技術のネット空間で、人類最古の倫理原理、周期性の遵守が噴き上がった現象と思える。了
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規定外への大騒ぎそして排撃 3

2020年02月14日 | 小説
(2020年2月14日)
ウワナリ打ち、金目当て結婚、日蝕大騒ぎを結びつける思想は「周期性」です。
周期性を破壊しかねない行為、現象に対する部族民の怖れが怒りに替わって表出した。

周期性他は何か?文化を創世し維持する原理です。

レヴィストロース著神話学全4巻(1の生と料理から4裸の男まで)はまさに、一貫して「文化」の形態と思想を周期性とのつながりで解き明かしている。その創造は一人の英雄の行為に帰せられるが、肉付けとなる「形成、維持」は個の力量を越えているから、族民全員を統制する制度、それは共同幻想ともイデオロギとも比せられるが、なにがしかの統一の原理を産み出す必要がある。

数にして800を越す南北アメリカ大陸先住民の神話群は、統一の原理こそが「周期性」であると主張している。

第3巻「食事作法の起源」では「周期性の大三角形」を発表している(117頁)。その頂点には周期性を安堵した同盟(婚姻)とある。左右には、左に近すぎる同盟右に遠すぎる同盟を下の頂点に傅かせる。いずれも周期性を形成できない。

文化の大三角形、レヴィストロース食事作法の起源から

この図を用いて婚姻における周期性なる概念の説明から入る。

近すぎる同盟を先住民は近親婚と規定する。
日本、西欧などでは近親の定義が法にて規定され、それら間の結婚は認められない。理由付けに「遺伝子重複による人性、知能の劣化」を上げる。(遺伝子の概念はこうした法の整備後に出てきたので、この語を引用する事はなく、曖昧に「遺伝」の劣化を想定していた)。
親子、叔父姪(叔母甥)は許可されず、イトコは認められる。日本も西欧もこれは同じ。また西欧にはcousins germainsなる規定があるが、両の父親母親が兄弟姉妹の関係である。この組み合わせは遺伝子的には血が濃いけれど、germainゲルマン族からの風習なので認められるし、推奨されている。

結婚を「血の濃さ」を基準にして諾非するこれら地域とは異なり、先住民は「近さ遠さ」を同盟形成の基準としている。ここでの近遠の意味は地理もあるが、制度として同盟関係を決めても、機能するかしないかを判定材料にしている。
例えばモンマネキ神話(事作法の起源の基準神話)では大洪水から一人生き残った(老母も残るが、婚姻対象ではない)モンマネキが、社会を形成しようと同盟形成に奔走する。けれどいずれも結成に至らない。理由は「周期性が担保できない」関係であるから。

中央の灰塗り部分が周期性が同盟、天地、制度に渡り確立され、文化が生き残れる帯域となります。本稿では同盟(婚姻)の周期性を取り上げております。

彼が地上のそこいら(近辺)で見つけた相手とはカエル、トリ、上下分離式女で、それらは食事作法=食べる物自体、あるいは取得する方法で文化と相容れない。遠すぎる上に「周期律」がカエルなどとは形成できない。
アサワコ神話は遠すぎる関係の例である。通過儀礼でカヌー下りを選んだ若者がと、ある村で麗しきアサワコと出会う。愛を交わすが二人は結ばれない。遠すぎる(川下りの旅程では時間以上に距離は積もる)から周期性が確立できないのだ。

周期性を保証する同盟を造らなければ社会が維持できない。先住民の解は;

イトコ婚である。ボロロ族(ブラジル・マトグロッソに居住)は村落を2の部、8の支族に分割して居住区域を円周の上に固定し、対抗する支族とのみ通婚する婚姻規則を持つ。自が所属する支族内での婚姻は「近親婚なので」あり得ず、対象から離れる他の支族との婚姻も(おそらく)厳禁されている。この制度ではイトコを強制しないが、同世代で婚姻するから相手がイトコとなる率は高い。
オーストラリアアボリジニでもイトコ婚は厳しく実行されていた(レヴィストロース著親族の基本構造から)。

英国でイトコ婚は奨励されており、ダーウィン家とウエッジウッド(陶業家)の通婚は知られている。フランスではノートルダム(ユーゴー作)でエスメラルダに懸想する貧乏貴族が、裕福イトコとの婚姻をまとめるために「ma cousine私のイトコよ」と甘く囁くシーンが印象的だ(貧乏貴族の囁き方がいかにも作為的で、金目狙いと理解できる。ユーゴーの筆力である)

誰と誰が結婚するとは、過去は、社会の規則で決まっていた。同盟から再同盟、再々同盟へとつなげる労力コストを可能な限り低廉に抑える仕組みである。婚姻を巡る周期性である。図の三角形の頂点の位置である。さらに;

婚姻圏とは現在の日本では1億千万人の人口の母体から選べる。しかし昔は遙かに狭かった。
ボロロ族は(盛期に)3000人ほどの人口であった(悲しき熱帯より)。8の支族に分かれるから、一支族の構成員は400人弱、さらに支族は3の階層(カースト)に分割されるから、婚姻可能な支族カーストは総人口で130人ほど、女は幼女から老婆を入れて65人となる。この分母から、己に見合った適齢期の娘を捜し出す、出来るだろうか。

適齢期の娘の人数は20人未満であろう。可能かも知れない。しかし、若者一人が20人から選ぶのではなく、20人の若者が20の娘を選ぶ。となると、もし娘が(若者が)一人抜けたらワリを喰う若者娘が出てくる。盛期のボロロ族でもこの程度の狭い婚姻圏。弱小部族の若者労苦を思いやられる。

かつての日本西欧にしても、村落共同体での生活だから、地域と制度に規定されていたから、対象人数の多寡はあるだろうが、狭隘な環境の中での嫁選びであったとは間違いがない。
しかしこの制度こそが同盟周期性を保証する。

封建時代なら老領主の婚姻権実行か、あるいは高利貸しが金貨を撒いて若い村娘を嫁にするのも知れない。すると、嫁をもらえない若者が必ず出てくる。村の維持に欠かせない、婚姻周期性の侵害である。大騒ぎvacarmeはこうした不均衡婚姻に対する不同意で、その発生機構は突発的に自然に、まるで道路渋滞でいらつく運転者が一斉に警笛を鳴らす(パリで頻繁)大騒ぎとserialite連続性の共通性で似通う。

その仕組みが、周期性への依存を思い出し、ウリナラ打ちの記憶が蘇って、ネット社会で跳梁していのか。続く

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規定外への大騒ぎそして排撃 2

2020年02月13日 | 小説
前回(2月12日)に上げた1~3は天体の異変、規定外の婚姻、交接への大騒動となる。時代を超えて、それらへの反応はまさにvacarme(フランス語で大騒動)の形態である。その内実とは;
突然に勃発し不同意をあからさまにする、
村民市民の多くを巻き込む、
短期間で拡大、終息…となる。

この属性を取りまとめる言葉として連続性serialite(参加する人々が共通の判断と情緒を突如、抱いてしまう)は適切である。
フランス中世のvacarmeの発生因は、

年齢差、目的、基準から外れる婚姻を実行する組み合わせに結婚の当夜、住民等が「カネやタライを打ち鳴らして」不同意を表明する行動で、発生には「自然な」村落的連帯感が淀む。「自然な」とした意味は当事者なる誰か、例えばその花嫁を横恋慕する者の扇動があるなどの裏工作は無い。
村民、部族民の心にそうした規定外の婚姻に反対が強く湧き上がって、集団の行動に移る過程が認められる。

ウワナリ打ちは「当事者=前妻」の主導で実行されると記録される(広辞苑)けれど、そこには村落、社会単位で後妻娶りに「不同意」への共同情緒が安堵されていると思えるから、広い意味でvacarme、あるいはその変様と見て間違いではない。

そして3番目、令和での日本的大騒動の頻発を考えると;

社会から不同意を突きつけられている違反とは、規定外の交接である。対象者は芸能人など社会的に表出している方々に限られる。
それは早い話、婚外交接である。浮気、密通、姦通なる言葉と同質で、それをまとめてなぜか不倫(倫理に反する)と報道はうそぶく。具体例をネット検索すると;

1 V嬢とバンド歌手(2016年に大いに取りざたされた)
V嬢は歌手に妻がいるとは知らず交際、発覚した後も続けた。この継続が報道で問題になった。騙した歌手にお咎めはなく、騙されたV嬢はメディア(一部)にさんざ叩かれた。叩かれ理由は不倫に集約できる。誰かの夫である人との交接が倫理に反している、これがメディアの倫理感であるようだ。

正しさき交接は婚姻内のあり、婚姻外のそれは人倫に反する。まるでモーゼの太古にネジを巻き直したかの倫理である。しかしこれを正道として、錦の御旗がごとく大上段にかざすマスコミに扇動されたか、あるいはそもそも「倫理原理主義」の人々が一定の数、存在しているから、売らんが為に原理主義者におもねる報道であったのか、突然、人々(女が多いとされる、統計数値は目にしないが)が連続性を抱いてしまって、「未婚V嬢の婚外交接」が悪だと大騒動になった。

V嬢は芸能界での地位と社会立場を失っている。

2 清純派女優と若手ホープの俳優、2020年2月現在で進行形。1と同じく男は既婚、女は未婚。発覚して妻に家出された男、それでも交際を続けているとか。あるSNSから拾った反応は「清純派は男が妻子持ちと知った上での「犯行」なのだから、芸能界を退かなければならない」
ここでも人倫に反する「不倫」を咎められているのは未婚女の側である。婚姻外の交接を実行した男には「咎め」は少ない。

この風潮(不倫騒動)は「異常」と特定されている。
コメントをネットで拾うと「報道し終えれば騒動は(昔は)鎮静化したが、今はネットで炎上してしまうため雪だるま式に話が大きくなる。“無頼”な性格の人が多い芸能人にとっては生きにくく…」

騒動を形容するに「雪だるま」、「炎上」などの言葉が出てくる。

上例に限らずこの手の「不倫」騒動には一定の状況が読み取れる。突如、SNS参加者の論評の方向が一つに向かう。起因となるは婚姻外の交接であるが、

1 叩かれるのは必ず未婚女、既婚男への叩きは申し訳程度。
2 婚姻外…を実行しているのは男なのに未婚女側の行為が「人倫」にもとると主張する。理由は「男の家庭を破壊するから」もっともらしい言い訳を付け加える。しかしこれは形態として中世のウワナリ打ち(責められるは後妻)を彷彿させる。
3 突如「炎上」する背景にはネット民にサルトルの説くserialite連続性が隠れ存在している。

前回(2月12日)に上げた1~3は天体の異変、規定外の婚姻、交接への大騒動となる。時代を超えて、それらへの反応はまさにvacarme(フランス語で大騒動)の形態である。その内実とは;
突然に勃発し不同意をあからさまにする、
村民市民の多くを巻き込む、
短期間で拡大、終息…となる。

この属性を取りまとめる言葉として連続性serialite(参加する人々が共通の判断と情緒を突如、抱いてしまう)は適切である。
フランス中世のvacarmeの発生因は、

年齢差、目的、基準から外れる婚姻を実行する組み合わせに結婚の当夜、住民等が「カネやタライを打ち鳴らして」不同意を表明する行動で、発生には「自然な」村落的連帯感が淀む。「自然な」とした意味は当事者なる誰か、例えばその花嫁を横恋慕する者の扇動があるなどの裏工作は無い。
村民、部族民の心にそうした規定外の婚姻に反対が強く湧き上がって、集団の行動に移る過程が認められる。

ウワナリ打ちは「当事者=前妻」の主導で実行されると記録される(広辞苑)けれど、そこには村落、社会単位で後妻娶りに「不同意」への共同情緒が安堵されていると思えるから、広い意味でvacarme、あるいはその変様と見て間違いではない。

ネットで採取した婚姻大騒動の絵、現代にも規定を外れる婚姻への嫌がらせは残る。著作権に抵触する様ならば削除する。

そして3番目、令和での日本的大騒動の頻発を考えると;


中世の大騒動


社会から不同意を突きつけられている違反とは、規定外の交接である。対象者は芸能人など社会的に表出している方々に限られる。
それは早い話、婚外交接である。浮気、密通、姦通なる言葉と同質で、それをまとめてなぜか不倫(倫理に反する)と報道はうそぶく。具体例をネット検索すると;

1 V嬢とバンド歌手(2016年に大いに取りざたされた)
V嬢は歌手に妻がいるとは知らず交際、発覚した後も続けた。この継続が報道で問題になった。騙した歌手にお咎めはなく、騙されたV嬢はメディア(一部)にさんざ叩かれた。叩かれ理由は不倫に集約できる。誰かの夫である人との交接が倫理に反している、これがメディアの倫理感であるようだ。

正しさき交接は婚姻内のあり、婚姻外のそれは人倫に反する。まるでモーゼの太古にネジを巻き直したかの倫理である。しかしこれを正道として、錦の御旗がごとく大上段にかざすマスコミに扇動されたか、あるいはそもそも「倫理原理主義」の人々が一定の数、存在しているから、売らんが為に原理主義者におもねる報道であったのか、突然、人々(女が多いとされる、統計数値は目にしないが)が連続性を抱いてしまって、「未婚V嬢の婚外交接」が悪だと大騒動になった。

V嬢は芸能界での地位と社会立場を失っている。

2 清純派女優と若手ホープの俳優、2020年2月現在で進行形。1と同じく男は既婚、女は未婚。発覚して妻に家出された男、それでも交際を続けているとか。あるSNSから拾った反応は「清純派は男が妻子持ちと知った上での「犯行」なのだから、芸能界を退かなければならない」
ここでも人倫に反する「不倫」を咎められているのは未婚女の側である。婚姻外の交接を実行した男には「咎め」は少ない。

この風潮(不倫騒動)は「異常」と特定されている。
コメントをネットで拾うと「報道し終えれば騒動は(昔は)鎮静化したが、今はネットで炎上してしまうため雪だるま式に話が大きくなる。“無頼”な性格の人が多い芸能人にとっては生きにくく…」

騒動を形容するに「雪だるま」、「炎上」などの言葉が出てくる。

上例に限らずこの手の「不倫」騒動には一定の状況が読み取れる。突如、SNS参加者の論評の方向が一つに向かう。起因となるは婚姻外の交接であるが、

1 叩かれるのは必ず未婚女、既婚男への叩きは申し訳程度。
2 婚姻外…を実行しているのは男なのに未婚女側の行為が「人倫」にもとると主張する。理由は「男の家庭を破壊するから」もっともらしい言い訳を付け加える。しかしこれは形態として中世のウワナリ打ち(責められるは後妻)を彷彿させる。
3 突如「炎上」する背景にはネット民にサルトルの説くserialite連続性が隠れ存在している。

これら3は表面観察であり、その奥に潜む筈のなぜ?には入りこんでいない。そこでまたも疑念を深めると;

なぜ令和の世の中にウワナリ打ちが発現したのか。ネット民がある朝、倫理に目覚めて、交接は婚姻内のベッドで行うべしなどの「倫理原理主義」振りかざしているけれど、一体何事があったかに解答を出さなければ、現代のウリナラ苛めは終わらない。

人倫を持ち出しserialiteにそそのかされ、未婚娘を叩き続ける何故の解答は「文化の周期性」、頑なな固執である。続く


これら3は表面観察であり、その奥に潜む筈のなぜ?には入りこんでいない。そこでまたも疑念を深めると;

なぜ令和の世の中にウワナリ打ちが発現したのか。ネット民がある朝、倫理に目覚めて、交接は婚姻内のベッドで行うべしなどの「倫理原理主義」振りかざしているけれど、一体何事があったかに解答を出さなければ、現代のウリナラ苛めは終わらない。

人倫を持ち出しserialiteにそそのかされ、未婚娘を叩き続ける何故の解答は「文化の周期性」、頑なな固執である。続く
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規定外への大騒ぎそして排撃 1

2020年02月12日 | 小説
(2020年2月12日)
日蝕月蝕や帚星などの天文異変に遭遇した先住民が、カネや太鼓を打ち鳴らし大騒ぎする土着行為は、民族誌などで世界各地の風習として報告されている。

日本書記にある「天の岩戸」伝説はアメノウズメが扇情的舞踊を披露し、神々の大笑いを誘って岩戸に隠れていた太陽(天照神)を引き出す伝承を語る。これも日蝕と人々の大騒ぎを伝えた一神話に分類するに無理はない。この風習を伝える文書資料では世界で一級である。

レヴィストロース著LeCruetleCuit生と料理の293頁に
>Chine, Birmanie, Inde, Malisie….シナビルマインドマレーシアに続けて南北アメリカを(こうした大騒ぎがあった)と挙げている<(日本書紀には言及していないが)
ヨーロッパに関してTite-Live(ティトウス、ローマ歴史家AD17年死亡)を引用し「つい近年まで大騒ぎの風習はヨーロッパ全域に残っていた。信心では狼が太陽(月)に食らいつくから追いはらうための騒ぎである」伝承分布の広範さを示している。

騒ぐ理由は怖れから来る。族民は太陽(月)が消えた後の地上の不毛を怖れている。
さらには、怖れも含む感情、それを喜怒哀楽と日本語は教えるが、基本的な精神のぶれを表す文言は民族言語に永く記憶される。そして、

言い伝えを残す文言として、レヴィストロースはフランス語から例証を引く。

Vacarme、およびCharivariは「大騒ぎ」の意味であるが、そもそもは天変地異に向き合った族民の混乱、怖れから発せられたと伝わる。Diderot百科事典ではcharivariを>Ce mot signifie le bruit de derision qu’on fait la nuit avec des poeles, des bassins…<ボウルや金だらいを叩いて一晩中、大騒ぎする風習と説明する(LeCruetleCuit生と料理292頁から孫引き)。

Vacarmeとcharivariは音韻が異なるから別系統の語源と見当をつけLeRobertを温ねると、vacarmeは北方に語源をもち「大騒ぎ」の意味。一過性ながら「集団としての意思表示」に騒音を立てるをと解釈した。
一方、charivariはラテン語carivaria(頭痛)を語源とし、頭が痛むほどの騒音の意。個人の一過性(かなきり声)をそもそもとしている。
(先のDidrot事典と意義付けに差が窺える。ネット事典などで調べるとcharivariの個人かなきり声の性格は薄れ、集団、継続性=一晩中=の意味として強いようだ)
いずれも予期もしない天文異変に遭遇した人々の怖れが源である。

「怖れ」は怒りに通じる。
地上の不毛の怖れ他ならない(前述)。こうした心情がヨーロッパ全域にかつて、紀元前後のローマ期の「少し前」まで、広まっていた。北方ガリア語系統と南方ラテン語が融合したフランス語に、由来は南北を異にしながらも相似した2の語が並んでいる。まさに言語の出自を伝えるようだ。2000年前のヨーロッパでは北も南を同じ風習があったと、この2語が教えてくれる。

日食月蝕の大騒ぎは古代、せいぜいローマ期までのしきたりで、今は廃れている。

時代が中世に移ってこのcharivari、vacarme大騒ぎは実行されていた。
原因は天体の異変からは離れ、社会風俗となった。期待されない「規定外の婚姻」に住民が大騒で囃し立てた。

図は広辞苑(無料引用ネットから拝借)ウワナリ打ち

Didrot百科事典に戻ると>aux portes des personnes qui convolent en segondes , en troisiemes noces, et meme de celles qui epousent des personnes d’un age fort inegal au leur>(同)
訳:再婚、再々婚する人物の戸に向かって一晩中軽蔑の騒音を立てていた。歳の差の激しい婚姻にも同じ仕打ち。

蝕に対しての大騒ぎの含意を踏襲しながら中世、近世には歓迎されない婚姻への囃し立てに移行した。

歓迎されないとは再婚以外に、歳の差の離れた婚姻、妊婦の花嫁ながら白い結婚(別人の夫)、少年(少女)の金のための身売り婚が上げられる(同293頁、VanGennep(フランス民族学者1873~1957年の著から孫引き)

また、
今風の用法として、交通麻痺で渋滞車が一斉に警笛を鳴らすなどがvacarme大騒ぎ例として使われる。渋滞に巻き込まれた運転者の群は一斉に「何とかしろよ」の共同意思が沸き立つのだろう。先住民の日蝕騒ぎと発生の原理が似通うから、この語を適用したと解釈する。

この現象にしてサルトル弁証法理性批判の用語を借りてSerialte「感情露出の連続性」と呼ぶを許してくれ。(レヴィストロースはこの用語を批判したが、社会現象を説明するに便利なので、このサルトル思考を拝借して、後の文につなげる)

前妻が後妻を囃し立ていじめる。中世までの風習。規定外婚姻への不同意。

日本では中世まで「ウワナリ打ち」なる慣習が残っていた。江戸期にも報告されるが、形態と手順が「儀礼化」している。元々は夫に縁切りされた前妻が、彼が再婚する「後妻」を囃し立て、いじめる習俗である。小筆はこの「ウワナリ…」をvacarmeに結びつけたい。いずれも「規定外」婚姻への不同意である。

では人々はなぜ「規定」外を嫌うのか。

この疑問までを前段として、以降に今の日本に見られるserialite(感情露出の連続性)の突発現象と規定外を結びつけたい。

すなわち;
1 天変地異への怖れに発する大騒ぎ(部族民日蝕の怖れ、フランスvacarme、天の岩戸)
2 規定外(vacarme、ウワナリ打ち)への不同意
3 令和の日本に顕著に見られる規定外交接への非難の大合唱

これらの起因をserialiteでまとめ、その上で令和精神風土の脆弱を探ってみたい。続く
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