蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

Wikipediaはバベルの塔を目指すのか

2009年12月27日 | 小説
Wikipediaを開けたところ創立者(ジミーウエールズという方です)からのメッセージ頁があったので、入ったらwiki財団への寄付を依頼していました。
http://wikimediafoundation.org/wiki/Appeal2/ja?utm_source=2009_Jimmy_Appeal3&utm_medium=sitenotice&utm_campaign=fundraiser2009&target=Appeal2
ウエールズ氏の写真から誠実な人柄と思えました、メッセージを読んでみると
「地球上のすべての人が、人類すべての知識への自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、と想像してみてください」とありました。こんな壮大な発言に出会うことなど滅多にありません。このメッセージにはひかれました。
インターネットが構築されていろいろな分野で巨人が輩出しています。OSではマイクロソフト(ビルゲイツ)、DBのオラクル(ラリーエリソン)Google(誰か知らない)などが著名です。全て米国人です。
なぜ米国人で著名なのか、それはただ一つの理由のためです。開発した商品が時流に乗り規格を他に先駆けて作り、いわゆる「デファクトスタンダード」の地位にして(後進の企業を締め出し排斥)商業的に成功した。金持ちになりアメリカ的な出世慾を満たした。自由の国の星条旗が風に翻るごとくお城のような邸宅に広大な庭を持った、その可能性が誰にもあり実現したので著名になった、それだけです。
ロックフェラー(石油の販売網を独占し他社の排撃と買収で寡占化を達成)の悪夢を再現しているだけです。個人的な才能、あるいは社会への貢献度合いが特出しているという評価ではありません。先行しパイを独り占めしただけです。アメリカ人だから可能だった。
部族民としては彼らはロシアのオルガリヒ(悪のり寡頭資本家、ソビエトの瓦解時に国家資産を安値で買い占めた)と同じレベルです。
しかしウエールズ氏のメッセージには彼らとは異なった哲学があります。それは全人類の知と記憶の塔を建てようとしている。人類の全ての知識がサイバー空間に構築される。その知識の煉瓦を1個2個と積上げていく行為にも、構築している知を調べ自身の知識に組み込む事もできる。このWikiコミュニティは誰にも開放されているーこれは金とは無関係の汎人類哲学です。ここに感動したのです。メッセージを追いましょう、
「私はこのコミュニティに信をおいています。ウィキペディアがよりよくなってゆくものと確信しています。考えといってしまえばこれがすべてです。多くの時間をかけて、誰かが何かを書き、それを別の誰かがすこしずつ改め、そしてだんだんとよくなってゆく」
これこそITのバベルの塔の宣言です。古代のバベルの塔は失敗した。かれの壮大な計画は前進するのか、彼は続けます。
「私たちは、この重要な事業が行われている場所を、ウィキペディアを守らなければなりません。私たちは、このウィキペディアを無料で広告の無い場所として守っていきたいと思います。ウィキペディアにある情報はいかようにも自由に使える、そのような開かれたウィキペディアを守りたいのです。コミュニテイを守るために個人の寄付が必要です」
資金面でのサポート、それも特定の企業金持ちからではなく、コミュニティに参加している、wikiに書き込み参照している個人からの寄付を呼びかけています。私、部族民は彼の壮大な計画に共感して焼き鳥屋「サブちゃん」でのバイト代一晩分ほどを寄付しました。
しかし資金面だけが心配事ではありません。コミュニティのマインドが重要です。もし書き込みが下劣低俗の代表である2チャンネル化したら、特定集団が意図的悪意の書き込みを始めたら、こんな心配を持つ一人です。
写真で判断するしかないけどジミー人柄と哲学に共感し、一人一人が利用し時には(スパム書き込みを)監視しサイバーバベルの作業員として、人類の知の塔が高くそびえる姿を見たいなと思いました。
部族民HPは左のブックマークをクリック、焼き鳥サブちゃんの霊魂炙り焼きの手法も詳細に書いてあります。
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村山槐多、取って置きのエピソード

2009年12月25日 | 小説
村山槐多ガランスの悦楽(東京渋谷松濤美術館、10年1月24日まで)の訪問ブログ記は09年12月14日に投稿しました。拙ブログとしては珍しくヒットが多い、あの帝劇の妖精涼風真世様を紹介するブログに迫る勢いを見せている。部族民トライブスマンは気分が良いので、部族民通信の愛読者に取って置きの槐多エピソードを紹介します。
村山槐多は1914年に京都府立一中を卒業し上京します。日本美術院の研究生として採用され、画業に励みます。いろいろネットで調べているのですがその正確な月日、住所などが調べきれずですが、うるおぼえ伝聞などを合わせると住居は田端文士村、ここに1918年まで4年近く住んでいた。田端文士村とは大正期に文人、画家など多くが居を構えたのでこう言われている。龍之介朔太郎秀雄らいてふなど颯爽たる文化人がその名を連ねるが、我らが槐多もその一人。
12月14日のブログで紹介した代表作の「バラと少女」(国立近代美術館蔵)が1917年の作品なので田端時代。この作品は曰く付きです、家賃滞納で押しかけてきた大家が家賃のカタに取り上げたとの由来があります。槐多はこれを日本美術院博覧会に出品するつもりでしたが、代わりに「乞食と女」を出品してこれが院賞受賞となりました。これは会場に行けば作品紹介に書いてある。ではネットの何処にも出ていない部族民通信の取って置きとは、
ある日風呂屋の看板に「槐多お断り」のでっかい文字が張り付けられた。村山槐多を入れないぞとの主人の宣言です。理由は2あってまず槐多があまりにも汚いこと。髪はぼさぼさ、手足は真っ黒でフケが首から肩をおおう異様さ、それに異臭。2は他人迷惑な言動、風呂やで裸になっても放吟など他人迷惑なこと甚だしい。他の客と言えば上記の文化人、教養と知性の塊みたいな紳士ばかりで、皆の顰蹙をかってしまった。私は「尿する裸僧」的な言動が実際に起きたとみています。田端を引き払って房総、信州に転居したのも、東京に帰るも代々木に移ったのはこのあたりに理由があると見ています。槐多の作品を理解するのにこのエピソードは重要です。
以上は反骨の美術評論家、洲之内徹氏が35年前に芸術新潮に寄稿した文によります。ネットで「槐多お断り」を探したが出ていない。芸術新潮のバックナンバーを探したが35年前となると無理だった。洲之内氏の「気まぐれ美術館」などあたれば出ているかも知れないが、これが探せず不可だった。

田端の風呂屋で裸で高歌放吟する槐多を小林秀雄(あるいは朔太郎か龍之介、らいてふでは絶対にないが当たり前だ)が苦虫かんで見ている、こんな風景が90年前にあったのだ。
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国宝土偶展での金枝篇的雑感

2009年12月17日 | 精霊
国宝土偶展(10年2月21日まで東京国立博物館)に立ち寄りました(12月17日)。出品されているのは67点、うち国宝3点(縄文のビーナス、合掌土偶、中空土偶、国宝に指定されている土偶の全て)重文が23点(有名なのが遮光器土偶、ハート型など多数)。大英博物館で「土偶パワー」という展示会が10月まであって、その流れです。しかしこれだけ質の高い集成はこれまで、おそらく将来もないので、東京でも開いた次第とか。こうもったいぶって聞かされるとミーハーな私は気がそぞろになる。開催2日目で早速足を運びました。確かにすばらしかった。「代表的な土偶を見たい、土偶とは何を現しているのか」など初歩的ミーハー質問疑問に応えてくれました。しかしまだ疑問が残った、それもでっかい疑問が。
さて分かった事は、
私も混乱していたのですが土偶と埴輪の差が明確になりました。埴輪とは円筒形、人型、家舟、動物などを写実的に制作し古墳墓に埋蔵されている。時代は3世紀から7世紀(古墳時代)。土偶は縄文時代、最古の土偶は12000年前に遡る、最新の物でも紀元前400年とあるのでこれは縄文時代の終焉と重なります。1万年という気の遠くなる時間で、その製作目的と形体が特定され、同一視できる精神遺物が日本にあるのです。あっと驚きです。いわば縄文人1万2000年の精神風土を知る手がかりです。と言うわけで浅はかさにも、にわか「縄文精神史探検」の冒険に追い立てられ800円を払いました。会場で分かった土偶とは、
1すべて女性、おおく妊娠の徴候を見せるので妊婦であろう
2墓、ないし人骨の発掘場所から出土している
3必ず手足、首、頭蓋など身体の一部が破損されている。
4東、北日本で発見されている。西、南の出土例はない
5これまで1万5000点が出土されている。
などが基礎情報。何の為の土偶?には諸説ありネットで「祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説がある。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表わし、特に女性の生殖機能を強調していることから、豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。その他、神像、女神像、精霊、護符、呪物など」(=wikiから)しかしこれでは分かりません、豊穣を祈るのか厄払いなのかでは正反対です。で私部族民的にヒラメキを見せて(無いヒラメキなので苦しいが)フレーザー(19世紀後半の英国の民族学者、金枝篇の筆者)の言う「呪術の思考」と日本人古来の信仰である「祓え」で土偶を冒険的に分析すると、
上記の1-3に注目します。これを総合すると土偶は死者の「穢れ祓え」を受けた人形に他ならない。妊婦が難産で死ぬ、死は穢れです。穢れを祓わなければ他の妊婦に感染する(これがフレーザーの主張する類感呪術=似ている物には再現性がある)。神道での祓えとは別のなにか、それも近似する物に転嫁させるために幣を振るのですが、その穢れ受けに土偶を造り一部破壊し(=死の意味を持つ)死者と共に葬った。「これで出産の死は無くなるはずじゃ」とこのように頭を巡らせました。では神道の穢れ祓えの信仰が12000年前からあったのか、これは証明できないがyesですね。精霊を否定し一神教に毒されている欧米イスラムを除いて「穢れ」という概念は多く見られる。出土の15000点は多いようですが12000年間なので、少ない。出産死の祓えという特殊用途であるとすれば、納得がいく。ここまで来てハタト頭が回らなくなった。例の国宝合掌土偶(縄文後期八戸市出土)をどう理解するのだと行き詰まった。
今回の目的はこの土偶を見るため、800円のうち790円を占めています。確かに手を合わせた祈り手で構えています。この動作を祈りとする一方の理由は、この土偶だけが墳墓での発掘ではなく、住居跡での出土。一部破損のあとが残るがアスファルトで丁寧に補修されている。と言うことはお祈りの対象に主人、女主人が居宅に置いたのか。「祈る土偶」の例は他にない。しかもこれだけは祓え受けではないようだ。では例外なのか。しかし信仰、拝礼など上部精神に属する行為でその様な例外は考えられない。信仰は一人が神を信ずると言うことはなく、広範な集団で実践されるので他に同様な例が無ければならない。分からない、しかし最高の土偶だ!
この土偶は大きな謎です、3000年以上前に竪穴住居の暗い居室の片隅に「祈りの人形」があった、一例だけでも日本人の信仰の起源に思いをはせるロマンがありました。(いつも長いブログで申し訳ない)

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ガランスの悦楽村山槐多展に行ってきました

2009年12月14日 | 小説
犬も歩けばとは言った話で、時には実際の体験となるとは思いもかけませんでした。開催中の村山槐多ガランスの悦楽(東京渋谷松濤美術館、10年1月24日まで)には電車の吊り広告に気を引かれ、渋谷区には失礼ながら「区立美術館の趣味的」作品展との秘めた疑りを心にしまい込んで、覗くだけのつもりで足を運んだのですが全くの誤解でした。趣旨の真摯な一徹さと内容の豊かさすっかり感激しました。作品リストを見ると数少ない油彩の9点を含む142点。槐多のコレクションで名高い信濃デッサン館、貸し出しの渋い国立近代美術館など全国各地から、まさに「全国行脚してお願いした」(=会場の受付様から聞きました)汗水の結晶みたいな作品展です。没後90年、今もって画風の新しさと、対象へ肉迫する槐多の激しい魂に感激することができました。展示全容を通して天才槐多の生き様に触れ、休憩のソファで涙を落とすをしばし禁じる勇気を私は持てなかった。きっと棒に当たったのでしょう。
何点か作品を取りあげます、一連の自画像の中で「紙風船をかぶれる自画像」(個人蔵水彩1914年18歳)、即興に紙風船を半円に絞り頭に載せたポーズです。その即興のありがちの「おふざけ」は微塵も存在しない。紙風船を被る慨然的心理があった訳で、紙風船に彩られた表情は異様で奇怪。諦観冷ややかさが目に充満している。4年後1918年の自画像(木炭個人蔵)には表情の異様さはさらに増し、対象に迫り対象の心に入り籠む厳しさが見えます。自画像なので対象は彼自身になるのでしょう、自身を許さない目付きに進化しています。
バラと少女(1917年国立近代美術館蔵)和服の少女は乱れ加減の着付けと無造作な構えで立っています。少女の顔は明るく光る。日を受けて歓んでいるのだろう、真横に日を受けるのなら夕日となる。夕日を顔いっぱいに注がれ、その暖かさに歓び夕日とその方向、西の彼方を見つめている。西の彼方にはあの世があるとは日本人の信仰です。少女が見つめているのは死者の国でです。しかし彼女は歓びで死者の国を見ている、そこに槐多の旅立ち先があると知っているためだ。
背景のバラが少しも生き生きと見えず、死者の国の死に花に見えるのは私だけでしょうか。
同年に描かれた湖水と女(作家の田村泰次郎、評論家の洲之内徹氏収蔵のあと現在ポーラ美術館)。モナリザの画想を得ているのは一見して分かります。かの絵と異なるのは目にも口もとにも「頬笑み」がありません。湖水を背景にした女性は沈んだ表情で硬く口を結び、視線を落とし遠方を見ています。無表情の諦観の目付きがここでも伺えます。会場での作品紹介ではこの絵は特定のモデルを描いたのではなく、巡り会い追慕した女性(達)を思い浮かべながら描いた別れの作品とのです。女の表情は槐多の寂しげさを表現している。近代絵画の傑作です。収蔵していたのは反骨の評論家洲之内氏、槐多を評価し積極的に紹介しました。その彼が師匠の田村氏から画廊と共に譲り受け、自慢げに看板の作品として展示していたのですが、顧客に見せるだけで絶対に売却しなかったというエピソードを聞きました。女の寂しい表情には吸い込まれるような魔力があると言えます。
展示の表題に使われているガランスとは茜色の事です。明治期に輸入が始まり槐多を始め多くの画家に愛用された、しかし原色を大胆に使用したのは彼だけとのことで「~の悦楽」とのキャッチを採用したとのことです。しかし私は「~の寂寥」ととらえてしまった。当時結核を患うとは早世を意味していた。本人もその予感はあったはずで23歳の前1919年2月に結核肺炎で死んだ。画業は18歳から5年、死を見つめながら駆け抜けた生涯。彼のテーマは自身を対象に融合することでした。人物に自身が乗り移り、死に行くという寂寥を絵画に表現し生きた証を残す。熱情の表現とされるガランスの効果を逆手にとった手法はまさに彼の叫びと言えます。

以下は部族民トライブスマンの独り言です。
>槐多は絵の対象に魂の目で肉迫し、自身の魂を植え込んだ。彼の視線は天才であると同時に魂の目でもあった。人は霊魂の世界を見ることができない、彼は大いなる例外で自身の霊を見ることができた<
霊魂の世界は駅前の焼き鳥サブちゃんの主人サブロ特製の霊メガネを掛ければ誰でも見えます。詳しくは左のブックマークから部族民通信のHP版をクリックしてください。小説「冷たい宇宙熱い祈り」は霊世界の風景を描いてます。
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