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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話の作り方スターリン(追加)

2019年12月31日 | 小説
初めに;昨日(12月30日)でスターリン神話は最終だったが、書き足らないので本日、追加を投稿する。併せてPDFを1頁追加した。ブログには解像度の落ちるデジカメ画像を載せるが、部族民ホームサイトのPDFも更新しているので、そちらも参照してください)

これが昨日投稿したスターリン神格化の図

人の行動と精神作用を縦軸、横軸にとって、囲まれる座標の中に人性を位置づける手法は「悲しき熱帯」で、著者レヴィストロースが展開した南米先住民「信じやすく、悪意ある行動」論(土俗医と薬草採りの段)を発展させたものである。四隅に特異域が設定さていて、例えばサンタクロース信仰者(信じているフリをする者含む)は寛容と信じやすさの特異に位置する。スターリンは毛沢東と並んで「疑い深く悪意ある行動」の特異なので、サンタ…とは対極に位置する(PDFの1頁)。スターリンの神格化とは本来位置(実態)からサンタ…の特異に移し替えて完了した(2頁)。
ここまでをブログ2回投稿(12月28日、30日、神話…でホームページ投稿)説明した。
PDF2頁(花束少女1)は変身の様を図式化している。猜疑心を封じて信じやすい(人民の訴えを聞く)に改め、悪意を寛容(許しのスターリン)に乗り換えた支配者像をねつ造したのである。行動律と精神作用を逆転させた変身は、欺瞞の固まりながらスターリンは神イエスの立ち位置にいるのだから、国家と人民の救世主と僭称できる下地が出来た。
しかるに共産党の政治力学としては、上方のイエスに対する下方、罪深きうごめく大衆を創造する必要がある。そこで新たなねつ造をでっち上げる必要がある。共産革命を妨害する破壊分子、人民の敵とひとからげにされた(共産革命の急進振りを快く思わない)反スターリン勢力である。
その位置関係を表したのは3頁目(花束少女2)である。

下の灰丸は人民の敵の位置、スターリン一人が上の神の特異域に鎮座している。

左下方の特異域に押し込められたのは反革命罪で逮捕された「人民の敵」、粛清された側である。スターリンは己が占める筈の位置に善良な穏健層を押し込めたとも云える。犠牲者は;
1 スターリンに敵対していた政治家。>ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層はごく一部を除いて絶滅させられた。特に、地区委員会、州委員会、共和国委員会は、丸ごと消滅した。中略党指導者を目指してスターリンに対抗していた者は全て公開裁判(モスクワ裁判)で嘲笑の対象にされ死刑の宣告を受けた。ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、トムスキー、ルイコフ、ピャタコフ、ラデックは非共産圏のイギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、ポーランド、日本のスパイもしくは反政府主義者、あるいは破壊活動家という理由で、さらし者にされた上で殺された<(Wikipedia)
2 赤軍幹部(トゥハチェフスキー元帥をはじめ)
以上を狭い意味で粛清と言う。しかし弾圧の裾野は広がる。
官僚 知識人、学者、報道などいわゆるオピニオンリーダー。ソルジェニーツインがその一人 富農(クラーク、農業集団化に反対していた層、この徹底弾圧を指示した。900万人が銃殺、シベリア送りにあって殲滅された)

なぜ、弾圧がこれほどまでにも徹底出来たのか。
ソルジェニーツインは「煉獄の中で」にて秘密警察が拘束に来る状景を描写している。深夜、共同階段に聞き慣れない靴音、複数の男と分かる。住民は掛け物で頭を被いベッドに息を潜める。ノックが自分の住まう戸を叩いていないと知り、安心する。そしてその隣人は、なぜか従順に引き立てられる。「もし一人一人が抵抗していたら、これほどまでの犠牲は出なかったのだ。何故それが出来なかったのか」と悔やむ。
人民にはそれが出来なかったのだ。
粛清、弾圧が始まる前に「神と衆生」の神話がねつ造されてしまった。拘束される者は「人民の敵」とレッテルが貼られた。存在するだけで罪なのだ。貶められた者は「何かの間違いだ、秘密警察は何も知らない。堂々と潔白を陳述すれば、スターリンにも届く(取り調べ官が云ってる)筈だから、彼は(聞き分けよく、正義を信じているから)分かってくれる」誤解に取り付かれていたのではないだろうか。ゴルバチョフの祖父はスターリン無謬を取り調べのさなかにも信じていた。
まさに神話の力であう。
神話の構造、神と衆生の立ち位置関係を「絶対」対「罪」にしてしまった。

この神話創造の一つの基準としよう。スターリンと実態の像を分かち合っていた毛沢東神話を次回に(令和2年元旦を予定)分析しよう。了
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神話の作り方 スターリン 2 (最終)

2019年12月30日 | 小説
始めに:スターリン1は12月28日に投稿しています。1と2を併せ部族民通信ホームサイト(WWW.tribesman.asia)にスターリンの神格ねつ造として投稿している。ホーサイトではPDF(2頁)の全容が目に出来るのでよろしくご訪問を。左コラムのブックマークから、または部族民通信でネット検索でも)

スターリンの実像はフルシチョフ報告(1956年ソ連共産党20回大会)によると;
1 権力を個人に集中させ、個人崇敬を強要した
2 個人指導による教条の強制
3 粛清、弾圧―にまとめられる。
批判はスターリンの政治、権力行動に向けられている。個人の心理、性状に関してはどのような人物だったろうか。先の大戦前(1933~37年)駐ソ連アメリカ大使館に書記官として勤務、1944年には駐ソ連大使(代理)に就任したジョージ・ケナンのトルーマン大統領宛、いわゆる「長文電報」の中身を借りると;
不気味な前文「スターリンのライバル達は全員が暗殺され、逮捕流刑を受け処刑された」のあとに、
>地味な風貌の裏にどれほどの深い計算、野心、権力欲、嫉妬、残忍さ、悪辣、復讐心が潜んでいるとは知られていない。邪悪、無常、狡猾、危険性において傑出した人物である<(ベイム著まさかの大統領ハリー・トルーマン、訳本は国書刊行会の出版)。ルーズベルト死去(1945年4月)で「まさかの大統領」に就任したトルーマンへソ連の状況、その裏の面に焦点を当て取りまとめた報告である。これを受け取りポツダム会談に向かう事になったトルーマンが、(容共のルーズベルトと比較しても)決して友好的立場で対スターリンに臨んではいなかった背景と評価したい。
(長文電報は1946年の発電であるのでポツダムの以後となる。しかしトルーマンは就任早々、スターリンの個人情報を国務省に求めているから、上記と同じ内容がポツダム以前に報告されていたと推測する次第である)

側近のフルシチョフ、ミコヤンなどがスターリンの本性に危惧を抱く理由は分かる。明日は我が身、己の身への粛清の怖れを持っていたからである。前回(12月28日)ブログ投稿した「花束少女」「ピオネール少女の励まし」などはねつ造神話であるととっくに知っているし、フルシチョフは側近中の側近なのでねつ造のでっちあげ本人かも知れない。
しかし大使として、面談するのは就任の際の一回のみながら、これほど的確な分析を可能せしめたケナンの能力には驚かされる。書記官勤務が大粛清(1934年~37年に最盛)と重なっている事は要因であるが、個人資質によると思いたい。上記2の挿話にみえる作意性にケナンがすっかり気付いた。
ネット百科で調べるとこの長文報告が基調となって、戦後の封じ込め外交が展開され手順となる。

米国大使ケナン、スターリン神話の欺瞞を見破った

こんな優しいスターリンなど存在しない(この写真は前回投稿と同じ)

ねつ造された神話を見破った数少ない人物の一人なのかも知れない。ソ連国民よりも10年以前に米国はスターリンの本性を知っていたといえる。
(1944年9月、日本は大戦を条件付き降伏で終結しようと「ソ連を通じて」連合国に働きかけた。当時のソ連大使佐藤尚武氏はこれを実行ある計画とは判断せず、消極的であった。彼はスターリンの本性が裏切りに根ざすとを知っていたのだろう。国内の外交中枢がスターリン評価を佐藤氏と共有していれば、そうした企てなど立案されなかったであろう。
小筆、佐藤尚武氏を存じていなかった。ケナンと同時期の駐ソ連日本大使をネットで調べてたどり着いたが、立派な経歴である。彼にして、市民に向けたスターリン像はねつ造と気付いていたのだ。ここに見破ったもう一人がいた)

ソ連の市民はねつ造のスターリン、慈しむ父を信じていた。
死に神の報復(ホフマン著、白水社刊行)から一節を借りる。本書はソ連の毒ガス、細菌兵器開発の実態を曝いた告発である、その廃絶にはゴルバチョフを待たねばならないとして、同氏の紹介にあたり簡単な家系史が挿入される。ゴルバチョフが7歳の年に;
>ゴルバチョフの母方の祖父パンテレイは1936年(花束少女の年)に「反革命組織のメンバー」として逮捕された。1938年に釈放された。その間の状況など一切口にしなかったが、ある夜、ぽつりと家族に「どんな風に殴られたか、拷問を受けたか」を語った。そして「スターリンは秘密警察の悪行を知らない、逮捕、虐待は自分の不運の故だからソヴィエト、スターリンを恨んではいない」と加えた(同書297頁)<
悪いのは取り巻き、スターリンは人民の父親だから、こんな悪さを命じるわけがないと祖父は信じていたのだ。
花束少女の父アルダン・マルキゾワは1938年に逮捕、銃殺刑に処された。獄中から、かつて出会い神話ねつ造に一役買ったよしみからスターリンに無実を訴える嘆願書を発送した。彼も悪者は秘密警察、スターリンがこのような非道を命じる筈がないと、ねつ造の効果に騙されていたのだ。まさに花束少女の宣伝の勝利である。

以上、実像とねつ造の神話を挙げた。すると奇妙な中身に気付く。

スターリン神話の作り方、精神と行動の座標位置を逆転させた(PDFのデジカメ画像)

信じやすさの機能(2019年8月31日ホームページ投稿)では人の本性を行動(信じやすさVS疑い深さ)、と精神(善意VS悪意)の2軸で説明できるとした。スターリンを疑い深さ・悪意の範囲においた。一方、イスラム教ラホール分派をその対極にした(レヴィストロースの分析を借りた)。こちらは全くのイエスキリストの位置でもある。そして
実態のスターリンを対極位置に移動させる、これがねつ造の原理では無かろうか。PDF(当ブログでは写真)をご覧下さい。 了
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神話の作り方 スターリン 1

2019年12月28日 | 小説
(2019年12月28日)
現代の神話を考えてみる。
神話とは神の物語である。現代に神はあからさまには降臨しない。目立たぬように降り立ち、密かに誰かの心に忍びこむ。こんな話を幾つか;

東シベリアに居住するブリヤート族の7歳の少女、エンゲルシナはブリヤート自治区農業人民委員を務める父アルダン・マルキゾワに連れられモスクワに旅たった。アルダンはモスクワで開催される全人民会議に派遣される共和国代表団の一員であった。エルゲンシナには旅行する許可もモスクワに滞在する資格もないけれど、何故か許可証を手に入れた(ソ連では移動にも滞在にも身分証明書と許可証が必要だった)。

ブリヤート族の少女エンゲルシナとスターリン 拡大は下に

会議当日、宿泊所に一人残すわけにもならず、アルダンは娘を同行させ、何故か人民会議にも入場させられた。会議は時間通りに始まり、空虚な中身と饒舌に時間を費やすソ連式演説が続いて、エルゲンシナは退屈感にすっかりとらわれてしまった。壇上貴賓席にはスターリン、ふと、
>「私は『あの人に上げよう』と考えながら、2つの花束を手に取り演壇に向かった」と、エンゲルシナは後に述べている。ところが驚いたことに、独裁者は喜んだ様子だった。彼は、エンゲルシナを抱き上げ、「フェルト製の長靴をはいた私を演壇上に上げた」。彼女が花束を手渡すと、スターリンは彼女を抱きしめ、ジャーナリトたちは写真を撮り始めた。
「君は時計が好きかな?」。スターリンがこう尋ねたことをエンゲルシナは覚えている。勇敢な女の子は「はい」と答えた(実は、時計を持ったことはなかったのだが)。指導者は金時計をプレゼントし、家族には蓄音機を贈った。しかし彼女がもらったものは、それよりはるかに多かった。


「神自身がこのブリヤートの少女を私たちに送ってくれた。彼女を幸せな幼年時代の象徴に仕立てようじゃないか」(プラウダ紙のレフ・メフリス編集長)スターリンとエンゲルシナの写真があらゆる新聞に掲載されると、21世紀風に言えば、思い切り「伝染」してしまった。
「翌日、私がホテルのホールに入ると、そこは、おもちゃその他のプレゼントで満たされていた。…私と両親がウラン・ウデ(ブリヤートの首都)に戻ると、人々は、後に宇宙飛行士を歓迎したときのような熱狂で私を迎えてくれた…」<
(ロシアビヨンド、ネット版「子供達の友スターリン」より)
少女が代表団と共に旅立て列車で移動できた偶然が、会議場でスターリンを間近に見た偶然を呼び、花束を抱えて壇上にちん入する偶然を導き、スターリンが花束とともに少女を抱き上げる奇跡を生んだ。これほどの偶然の重なりなど起こるはずがない。この奇跡を神の御心とメフリスが決めつけたのだが;
初めからの人為の仕掛けが組まれていたら、神の介在など必要はない。ソ連の宣伝活動(プラウダが取り仕切っている筈)がスターリンを「神」に奉りあげるシナリオを仕組んだとしたら、エンゲルシナの移動、滞在、入場の絡繰りは神の介在ではないと云える。「神」を造るための仕掛けであった。
花束少女の顛末は1936年、大粛清と重ねてみよう。
>ロシア国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた[6]。
ただし、この人数は反革命罪で裁かれた者に限る。ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層はごく一部を除いて絶滅させられた。特に、地区委員会、州委員会、共和国委員会は、丸ごと消滅した。(wikipedia大粛清から)<
(ちなみにブリヤート共和国委員会も粛清を受け、アルダン・マルキゾワも花束娘から2年の後、1938年に銃殺刑に処された)
大粛清の最盛期は1937年、その苛烈さを前もって覆い隠すために「子供好き」「慈しみ深い」スターリンを演出していたと容易に推察できる。神を否定した共産主義ゆえに統治者を神になぞらえた。実態の残虐さをすっかり隠す優しい父、「神」に姿を変えた暴君にソ連人民がすっかり騙された。
もう一例;
1949年モスクワにおける対ドイツ戦争勝利の記念式典で、ピオネール(共産党少年団)の少女が壇上に立った。彼女が何を語ったかの記録はないが「祖国亡命のためにピオネール団は一丸となって同士スターリンを支える」的なことを述べた。(筈だ)
写真はヨーロッパ戦後史(トニー・ジャット著、みすず書房)人間の顔をした社会主義の章から。

優しい作り顔でピオネール少女を励ますスターリン(ヨーロッパ戦後史からデジカメ)

スターリンは「君たちの活動を断固支えるから、困ったことがあったら何でも相談に来てくれ」みたいな返事をした(ようだ)。スターリンの顔つきをご覧ください。まさに「慈父ジョーおじさん」(スターリンの愛称)ではないか。ここにも「優しい神」の作り顔がちらつく。ジャットはこの顔つきをして「神話のねつ造」としている。 1の了




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穢れの在所はエジンバラ公爵、お祓い2度 下

2019年12月24日 | 小説
太政官岩倉具視の名が見える。「公爵の受け入れ次第が議論になった。取りまとめに相当苦労した」と政権内部の諍いを愚痴っぽくパークスに告げている。数行の後には(公爵離日後に)式典の無事終了をパークスが澤外務卿に感謝したとの記述も見える。
ネット百科で調べると外務省の設立は2年7月、澤宣嘉は初代外務卿(大臣)。(前回12月23日投稿の末尾)

<天保6年(1836年)、姉小路公遂の五男として誕生。後に澤為量の婿養子となる。安政5年(1858年)の日米修好通商条約締結の際は勅許に反対して廷臣八十八卿列参事件に関わる。尊皇攘夷派として活動した>Wikipedia
そもそも澤は「尊皇攘夷」の要人。ならば貴顕であろうが異国人が帝の前面に立ち握手するなどは「以てほか」だが、宮廷内の反対異見を抑えた。
岩倉にしても維新の高官の誰も、安政の勅許(開国)に「攘夷」を掲げ反対した。政権取得のあとの変わり身の速さで建前も本音も無い、時の利益を取ればよい。身も蓋もない柔軟さが維新成功の原動力であったわけだ。

立王子(イギリスならばウエールズ王子)ならまだしも相手は一王子。待遇を一段落として公賓で迎えるさえも、皇帝(天皇)との格差からして破格。しかし明治政府は天皇と「対等」で迎えると決断した。
政府には別方向の政治ベクトルが働いていた。「対等」などは格違いとはねつけるではなく、なんとしてでも受け入れようの作戦である。その目的とは先進諸国にこの明治政府を認識してもらいたいに尽きる。
周到に用意し準備ぬかりなく進め、拝謁(公爵が天皇に訪問するわけなのでこの語を用いたが実際は接遇、対等の段取りだった)にもパークス同席を認め無事に終え、相撲、能狂言の出し物などの歓待にも取り立てての失態もなく、日程を消化した。
なお外務省ネット資料では公爵訪問を「国賓」としているが、英国側の資料にその記述は(ネット上での限り)見えない。元首である天皇との対等を突き詰めれば公爵をして国賓でしかあり得ない。破格待遇にやましさをぬぐえない省の後日の「格上げ」ではなかろうか。

さて岩倉が愚痴った「much anxious consideration」とは何か。小筆のネット検索範囲ではこれに対しての記述はない。そこで想像も含めて;

1 維新の主義は「尊皇攘夷」である。攘夷とは外国を排撃し野蛮として排除する実行動である。排撃思潮はいまだに健在である。過激武士が実力行使すれば刃傷沙汰につながる。横浜から東京への遠出は危険でないか。
2 東京にしても遷都直後にして受け入れ施設に不都合があってはまずい。

などであろうか。
しかしそれらはいずれも解決した。
1にしては、前述とおりで政権樹立後、当の本人達がたちどころに攘夷などすっかり忘れているし、今にして言う「原理主義」はご都合が優先するこの国に、根付く土面は寸土もない。2にしては公爵一行の宿泊所を浜離宮ときめ、什器設備、内部の拵え一式を上海に発注している。これら全てがパークスの肝いり、ジャーディンマセソンの仲介(商取引)をも呼び込んだ。同社が大儲けしたともネット情報には書かれる。
パークスは娘二人をジャーディン支配人に嫁がせるなど、両者の関係は公私ともに密であった。表層に見つかった外交プロトコルの懸念をパークスが、個人的関心を抑えずにかく解決したのである。

埋まらないのが「御簾」外しである。御簾の一つが岩倉卿にして取りまとめに苦労をし強いた。

明治天皇の江戸行幸の図 拡大は下に

パークスも1868年に謁見を許されている(京都パークス襲撃事件の発端)。謁見次第の記録は見当たらない。玉座への平身低頭については不明だが、御簾の内に鎮座していたとは傍証がある。>明治天皇にガーター勲章を授与するために訪日、ミットフォードは首席随行員として再来日。 ... そして昔の御簾の中の存在だったことを知っているだけに、国賓のために新橋の駅で明治天皇が出迎えられたのになにより驚愕した(桜木健二氏のブログから)<

この不可視をパークスが否定したのである。(東洋的外交儀礼を西欧は常に卑屈であると否定した。清ではこの不平等が顕著で、皇帝の拝謁儀礼は三跪九叩頭である。清と西欧外交使との紛糾の種となっていた)

ドナルドキーン著「明治天皇」(新潮社)を参考にエジンバラ公爵の拝謁(接遇)次第を再現しよう。
横浜から品川への道程には随行員に騎乗が許され、公は差し向けの篭に乗り込んだ。街道に面する家屋の2階窓は板が張られ厳重に封戸された(英語資料ではピーピングトムを防止したとも)。これは大名行列の格式に準じている。
品川宿に到着した一行を迎えたのは勅使(宮家)、政府の歓待振りを見せたのだが、待ちかまえていた神主(姓名不詳)を隠す仕掛けでもあった。神主(神祇官であれば有栖川宮となるが不詳)は大幣を取って、一行、その中でも公爵にむけて幾度も「幣」祓えを実行した。儀礼は皇城に入る寸前でも実行された。


公爵側はそれが何事かを理解にいたらず「歓迎を表す儀礼」と好意に解釈した節も読める。
幣による祓えの決まりは、振りまわす幣(白紙の束ね)が対象者に当たりかすれを規範とする。あたかも水垢離の冷水が身体を打つかの様である。
エジンバラ公爵を幣が打ったかについては、「幾分離れて祓った」だけとする記述もあるが、その妥協策では効果が望めない。幣の端が身体に触れないといけない。
しかし実際は分からない。

祓えとは何か;
身体に淀む穢れを封ずる目的である。先ほどは水垢離と比較したが、神域に入るためには滝打たれ、川(海)面に身を沈めるなどの「祓え」儀礼を経る。神社参り(神域に入る)に祓えは必須だが、水垢離などは修験者に専用と課しおいて、一般氏子には実際的ではない。故に幣で祓うのである。祓うときには身体を幣が打たなければ効果が出ない。
天皇派遣の神主さんが品川と宮中の門前で丁寧に、しつこくも祓えを実行した訳が「御簾」外し対策である。対等ならば対面し問答して握手する。夷狄が身中に持つ害毒は強力と噂される。汚らわしい悪の感染予防である。
攘夷の背景とは「夷狄」は穢れている。神州日本に立ち入るべからずの排他思想がある。政治は開国と決めても、信心はすぐには変わらない。その夷狄に玉体不可視が破られた上に、握手までする。入念に「穢れ」を祓うべしと2度のお祓いが設けられた。

二度の儀式は「公爵を悪から守るためではなく、外国人の穢れから帝を守るためだった」事の次第を聞いた福沢諭吉は「笑うどころではない、泣きたくなった」嘆きの様は福翁自伝に読める。
小筆は日本人の信心は「穢れは身のうち=l’enfer, c’est nous-meme」であるとGooBlog、および当ホームサイトに投稿している。生まれたての政府のしきたり破り、そのなりふり構わずに、宮中が入念なお払いで対抗した。その行動はまさに「悪は身の内、身の穢れ」を信じていたに他ならない。
地獄は他者「l’enfer, c’est le autres」の西欧世界と神道教条の初めての邂逅でした。 了

(ブログの形式から本稿は上下に分けて投稿した。HP=WWW.tribesman.asia あるいは部族民通信で検索、においては昨日(12月23日)に全容を投稿しております。サイトのHP(index頁)に入り表題の頁続きをクリックしてください。蕃神)
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穢れの在所はエジンバラ公爵、お祓い2度 上

2019年12月23日 | 小説
悪は何処に棲むかには二通りの信心があり、1悪は外部、人はそもそも無垢の性状で、外部悪に感化され悪行をなす。この信心では人を殺す悪人にしても、外部悪の犠牲者となります。その2悪は身のうち、心の内に棲みふと油断すると悪が頭をもたげる。悪人は悪の主犯ですーと投稿しました。PDFでまとめております。
日本人が心に持つ信心にして、それを教義とした神道も2を奉る。ホームページ投稿では傍証として水垢離、滝うたれ等を数えました。
「明治天皇」(ドナルドキーン、新潮社)で興味深い例に出会いました。明治政府・神祇官とは日本にあるあらゆる神社の「目付」です。その方が「悪は身のうち」の悪祓いを実践した例を挙げます。

明治天皇が始めて海外から表敬を迎えたのは、英国軍艦ガラティア号の船長アルフレッド大佐、実はヴィクトリア女王の第2王子にしてエジンバラ公爵、その時は若干22歳、太平洋遠洋航海の任務を終えて帰国の途上であった。明治2年(1869年)8月31日に横浜入港し、天皇謁見は9月3日。これは外務省のネット航海の記録から。

ガラティア号 3本マスト2本の煙突、鉄骨木造の外皮、端正なフィリゲート艦 拡大は下に

発足間もない明治政府には降って湧いたか、パークス英公使から突然の公爵訪問の申し出であった。ご維新となり明治帝が江戸に行幸したのは明治元年(1968年)10月、一旦京都に戻り(還幸)東京に帰った(再幸)のは2年3月となった。さらに太政官の移設など首都としての機構の整備、充実に数月を経て、8月にもいまだ完了せずであったと推察する。皇城(皇居)をして政所の整えには10月を待たねばならなかった。皇后、内廷女官らの合流には年末となる。9月の公爵謁見には美子皇后にあられ同席おられなかった事になる。

ガラティア号の航海旅程を調べると;
1968年1月にプリマスを出港、南ア、インド、オーストラリア、ニュージーランドなど植民地を巡回、当時は独立王国ハワイに1868年末に投錨した。ハワイ王国カメハメハ5世への表敬訪問が続いたはずだ。時間の制約などで全てのネット情報など掴めないが、1869年の帰航の記録は小筆には見えていないから、ハワイで公式行事は終わったと思える。
公式任務から離れたらアルフレッド大佐がエジンバラ公爵に戻った。本文の出だしでは船長にて公爵としたが、日本に向かう航海の船上では船長の役目はさしおき、身分は公爵である。

ハワイで帰航の船体整備に入った。同船は「機帆船」、写真(ネットから)を挙げる。鉄骨木造蒸気機関、スクリュー付きの最新フリゲート艦であった。水、食料以外に石炭の手当も必須となるから7月まで入港していた。半年を越える逗留の理由とは、機帆船ならば整備箇所もいろいろと出てくるのかも知れない。さらに勘ぐれば補修や物品の手当を恣意的に遅らせ、7月末までの時期を見計らっていたかも知れない。8月の初に出港、4週で日本に到着した。

日本の状況は;
元年1868年となれば新体制の先行きは見えてきた。王政復古(1月)、戊辰戦争は8月には幕府側は函館を残すのみ。江戸の治安も安定に向かう、10月には行幸と重ねて江戸が東京と改名し、ここに執政地が置かれると決まった。パークスにしても新政府の先行き、見通しが定まったであろう。維新進行具合とガラティア号日程のすきまを外交に使った。
そもそもの予定はハワイで日程を終えインド経由で帰航する、この通りとの連絡が1868年末にはパークスに寄せられていた筈である。1868年末の時点はアルフレッド大佐が本貫とする身分エジンバラ公爵に戻り、帰途に日本を訪れる。
太平洋航海の帆船、機帆船は日本に立ち寄り、必ず水食料、石炭を補給する行程をとる。開国の圧力が補給だった。すると課題は何時に訪れるかであった。パークスにしても海軍大佐が天皇を訪問したいとは言い出せまい。しかし船上には肩書きを変えたエジンバラ公爵アルフレッドである。

想像を越えないが;
ニュージーランドを離れる時期(1868年8月)には維新の先行きが見えていたから、公式に決まっていたハワイ訪問にして、長すぎるかに思える逗留日程はこの段階で画策されていたのかもしれない。「早めに来日しても帝には会えない」戊辰戦争の終結を見てとの思惑がパークスによぎったかも知れない。英国は積極的に皇朝側、薩長を支援していたから、パークスには情報も多く入ってきたのであろう。
これらの通信の手段は1850年代から隆盛を迎えているクリッパー船(茶、ウールなど英連邦を結ぶ高速貨物帆船)などであろか。香港に基盤を置く英国系商社(ジャーディンマセソンなど)も日本開国は商機とみて、横浜開港(1858年)翌年には日本支店を設けている。船舶の往来数は増えていただろう。
インターネットメールの瞬時性には及ぶべくないが、予定と部分変更を仕掛けにして読み次第で思惑の矢が正鵠を射ることもある。そうなら無ければ戦も経済も負ける。パークスの読みはこの時正しく、函館の戦闘が終結したのは2年6月末であった。
(68,69年の江戸、京都の騒乱、戊辰戦争粉塵の舞い散り模様のふとした終焉の狭間に公爵の表敬日程が納まった。正鵠としたが、これほど読みの当たった外交の例は少ないか、個人の見解です)

パークスは天皇と公爵の「対等」の対面を申し入れていた。

エジンバラ公爵、公ながら「国賓」で訪日、明治天皇と対等な対面の接遇を果たした。その代償はお祓い。

「対等」が懸念になった。
天皇と「対等」、そんな存在は日本に無い。
天皇には臣下しかいない。臣以下を雑とするがこれらは土民の範疇なので無視しておく。謁見のしきたりとは平身低頭した臣の伺候を「御簾」の内から帝が聞く。「玉体不可視」が決まりであった。御簾を間にはさむには宗教的理由もある。これは神道根本の教条とからみ冒頭に挙げた「悪」の居場所と絡まって、思いがけない展開を後に導く。
子細は後述する。

「対等」とは帝が御簾の外に出てその存在を見せ、立席し客を迎える。客は握手を求めるから身分が釣り合わなくとも「対等に」握手に応じる。すなわち帝が夷荻と接触する事になる。接触が政府、内廷に相当の波紋を巻き起こした。

<however the decision to accord appropriate honor to the Duke has been the subject of much debate in the Japanese government .Iwakura Tomomi observed to Sir Hurry (Parkes) that the reception of the Duke had caused the government much anxious consideration; (Britain & Japan biographical portraits より。ネット採取)

太政官岩倉具視の名が見える。「公爵の受け入れ次第が議論になった。取りまとめに相当苦労した」と政権内部の諍いを愚痴っぽくパークスに告げている。数行の後には(公爵離日後に)式典の無事終了をパークスが澤外務卿に感謝したとの記述も見える。

(ブログの形式から本稿は上下に分けて投稿します。なおHP=WWW.tribesman.asia あるいは部族民通信で検索、においては本日(12月23日)に全容を投稿しております。蕃神)
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男の出番、鶏の丸焼き煙炙り

2019年12月15日 | 小説
遠来、愛知は三好の親族一家が当家(といっても借り家です)を一泊訪問するので、馳走を振る舞いたく鶏の丸焼きを決めた。今時(12月初旬)の夕べは寒く、タクシー手配など煩わしい事情を表向きにしたが、総計5人の外食では手元が不如意、こちらが本音。子の一人は小学校低学年なので、ブタや牛では脂が強いかと鶏を選んだ。小筆はこれまで幾度か「薪焼きバーベキュー」を投稿している。そのやり方は「強火の遠火」を基本としたが、2キロにも及ぶ塊肉に火を通すには、「遠火」にしても表面が焦げる。Youtubeなどで薪焼きの技法を調べると、間接加熱の長時間、煙の蒸し炙りで焦げ付きを防ぐようだ。そこでブロック竈の組み方を工夫した。

これが全体の外観。全3段、横長、右側を火口として左に肉を置く。用いたブロックは18個。上部は鉄板などで閉じる。フライパンの逆さ置きは今回、出番が無かったので、ご愛嬌。


薪は近辺の雑木林から採取。かつてはこうした材は生活に必需だったから、森林所有者とは別に「入会権」を持つ住民しか採取できなかった。今、多摩地区の雑木林を経済、あるいは生活の糧として利用している実体はない。だからといって勝手に入るのも気が引けるので、駅前に住む山林主さんには「柴狩り」の了解を得ている。
焚きつけのソダ(柴)と火熾しの中枝が10本ほど、火持ちの太幹が5本。針エンジュ、山桜、コブシなどである。

材料。鶏丸1.8KG、内腔にバタライスを詰めるから2KGは越す。

焚きつけ前。

「ソト」の簡易バーナー、左に転がるのは電池式ブロアー、ホド口から送風している。。

火が熾きあがった。竈内部、右手前の火、左奥に鶏が見える。鉄板に置かれる鍋には馬鈴薯。

月桂樹の若葉。これをむしり取って火にくべると、煙に香りが出る。

煙り炙りはこんな感じ。

2時間半の成果です。

皿にとった。温野菜は揚げ馬鈴薯(鉄板に置いた鍋でカラ蒸ししておく)、詰め物のバタライス、キノコ。ニンジン、ブロッコリ、インゲン。

食卓でのお皿。フォークとナイフの位置が(生と料理、レヴィストロース著)の表紙と同じく左右逆だった。

コスト:鶏1800、野菜500、その他100。2400円で5人が腹一杯。料理の男は味の追求と同時にコストとの格闘でも勝利せねばならない!
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サイト内の検索機能追加

2019年12月14日 | 小説
部族民通信のホームサイトも肥大化し、投稿している本人も何をどの頁に書いたか分からなくなってきているので、Googleのカスタム機能を追加して「サイト内検索」を作成した。
Index頁(WWW.tribesman.asia)に入って内容コラムの一行目の部族民通信ロゴをクリックして入ります。URLは
https://cse.google.com/cse?cx=011109341735047265136:pgoi8kt0de5
です。上はテキストになっているので、グーグル窓などにコピペして入れます。

よろしくご利用を。
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地獄は身の内、罪と罰、彼我の差

2019年12月10日 | 小説
表題は本年6月にホームページ投稿したがその続きを今回ブログ(一部)とHP(部族民通信WWW.tribesman.asia)に本日投稿した。(2019年12月10日)

さっそく、

本書の表表紙

「中世の罪と罰」(講談社学術文庫、網野善彦ら著、出版は2019年11月)を読むと、日本人の罪悪感が中世以来、変様していないと気付き驚くと同時に「さもありなん」、民族心情の頑なさを再認識した。
国史の碩学4氏(他は石井、笠松、勝股)の過去の著作から表題に沿う作品を選び一冊にまとめている。紙背表紙200頁ほどの小冊ながら内容にはそれぞれが深く掘り下げた10の小品を掲載している。他に4氏討論の記録、50頁ほどが補追されるが、2氏(網野、石井)は鬼籍に入られている現在、これほど内容の濃い討論はなかなか望めないと思い知る。討論の日付は1983年9月。
(小筆がこの本を手に取った理由は、実は、網野、石井両学の名を背表紙に見つけた故。史学の門外漢だから有名なら「すごい」の選択である、ミーハー根性の丸出しを許せ)

1 「お前の母さん…」笠松宏至
続く言葉は身体の特異である。こうした言い回しは侮蔑語として今は嫌われるから、ここに記述しない。ヘソの形状がいくぶん突起している状態を表す。かつては子供の喧嘩の負け惜しみ的悪口として用いられた。本文では一度のみその語が現れる。筆者の姪がその兄に向けた悪口、しかし姪も兄も母は同じ。自分の悪口になっているのだが、幼少のためそれとは知らなかったが導入部です。
著者は「悪口」を展開する;

1 中世の悪口の罪(御成敗式目51条)。多くは身分上の蔑称(乞食など)をあからさまに人に向けた罪の例。
2 「母買」を悪口とした。罰は2貫文。この言葉がなぜ悪口なのかを探り、これを「お和えの母さん…」と同列と結びつけるが、単なる欠点指摘の割には過料の多さに気がかりが残る。(2貫文は今の30万円の価値)
3 平安期のオヤマキなる悪口に出会う。この語は「クニツツミ国津罪」(古事記など)の「母子婚たわけ」につながる。「母買」と罵れば、「買カイ」なる部位(貝、女性器として用いられる)の形状を揶揄するのではなく、英語の「マザーファッカー」、タワケを実行しているヤツとの罵倒である。
4 今は(出筆時は1990年代と伺える)悪口の度合いは「お前の母さん…」に希薄しているけれど、かつては「マザーファ…」と同水準の激しい罵倒が用いられていた。

2 「ミミヲキリ、ハナヲソグ」勝股鎮夫(鎮の造りは旧字体が正しい)
かつて日本には牢獄が無かった。禁固懲役の施設がないから、罰には徒刑流刑(いずれも身分剥奪のうえ他所流し)の他に身体刑があった。鼻切り、指切り、疵つけ、焼き印、墨(入れ墨)など。これらを罰とする根拠に「外貌を変えるところに狙いがあった、犯罪者を一般の人々と区別するコトに主眼があった」としている。さらに「不吉な様子に変えてしまう、人間でありながら、人間ではない「異形」にすることに比重がかけられている刑」(49頁)。

3 身曳きと“いましめ” 石井進
古語のツミとはタブーに反する行為や実体をさし、これに対応する言葉は、それによって生じたケガレを解除する「はらへ」であった。原始の日本法では「罪と罰」ではなく「つみとはらへ」であった。(176頁)

同書から3の行句を引用した。
小筆としてこれらを部族民流にまとめむと試みる。石井氏の卓越した指摘「つみとはらへ」を神道の「穢れと祓え」に読み替えたい。穢れとは人が常に内包する本性で、考え、動き、判断するあらゆる場面に身体の内側で増殖している。神に願うなどの場面で「穢れ」を持ったままでは神域に入れない。神主さんに幣を振っていただき、穢れを祓う。滝に打たれたり、水垢離して震えるも有効です。

穢れはなにがしかのきっかけで、外に出る。きっかけを祟りと伝える。神への祈りが足りない、願掛けして神との約束を守らなかったなどでそれが発露する。これが(今で云うところの罪)である。泥棒、かっぱらいだって、そもそもの不信心が原因である。個人の罪のみでは説明しきれない、突発的露見も出てくる。それらを親の祟り、先祖7代の祟りなどと教える。個人では制御できない運命なのだから、仕方がないと諦めろとも言われてしまう。
クニツツミにはハンセン病クル病をツミとしている。この不合理な罪状付けを解釈するには「病人にはそもそも、穢れがあって、それは祈祷でも祓えでも抑えられなかった。きっと先祖の悪行の祟りだ、これがツミだ」と信心しているのではないか。
すると身体刑にも察しがつく。
これは身体内部の穢れの表層化である。ツミに至らせた穢れを、人に知らしめるべく焼き印、入れ墨、鼻そぎなどで表現する。穢れの根源を顕わとするから祓えでもある。


ではオヤマキ、母買は何のツミか。
笠松説では母との姦淫(親子婚タワケ)です。
この禁忌破りの源にそもそも男には穢れ(ツミ)があり、祓えしてもあるいは祓えをさぼったから、ツミを消しきれなかった。結果として発現したと考えられないだろうか。クニツツミには他に、コクミ、シラヒト(疾病、前述)、昆虫(の大発生)、落雷、鳥の災害など今、我々が考える罪とは相容れない「ツミ」が幾つか数えられる。これらも誰か、おそらく高位高官、あるいは被害村落の指導者などの至らなさ(穢れ)による災難と考えられる。明治以前は年号を災厄避けに変えていたが、こちらは統治者ではなく号の至らなさ、すなわち言霊が疲弊してしまって穢れ、ツミが発生した。このツミを遮断するための処置と考えれば説明がつく(実際にそうした言い訳を述べていた)。令和の号に平安を願う今の人と同じ心境です。


本稿の作成に当たりPDF2頁を作成した。いわばこれが本稿の結論ではあるが、時間のある方にはHPに立ち寄り、寄り鮮明なPDF画像に接することを希望する。



笠松説ではこれは母との姦淫(親子婚タワケ)です。
この禁忌破りの根本原因とはそもそも男には穢れ(ツミ)があり、祓えしても、あるいは往々にして男はさぼるからツミを消しきれなかった。さぼりの結果(祟りとも)が禁忌破りとして発現した。日本人がかつて信じていた罪悪感を、この様に考えられないだろうか。クニツツミには他に、シラヒト、コクミ(疾病、前述)、昆虫(の大発生)、落雷、鳥の災害など今の我々が考える「罪」とは相容れない「ツミ」が幾つか数えられる。これらも誰か、おそらく高位高官、あるいは被害村落の指導者などの至らなさ(穢れ)による災難と考えていたと類推できる。 明治以前は災厄避けを目的に、年号を変えていた。こちらは統治者ではなく号の至らなさ、すなわち言霊が疲弊してしまって穢れ、ツミが発生した。このツミを遮断するための処置と考えれば説明がつく(実際にそうした言い訳を述べていた)。

令和の号に平安を願う今の日本人と同じ心境です。

今の世でも「ツミ」は生きている。議員事務所で不祥事が発覚した。彼は「全てが自分の責任です。忙しいのでフト秘書に任せきりにしてしまった。この至らなさが(穢れツミ)であり、けっして私腹を肥やすなどの外部要因からの「罪」に当たりません」。次の選挙で当選する。すると「禊ぎは済んだ」「ツミ祓いは終わった」と公言する。落選したらなおさら「禊ぎは済む」から、次に向かって頑張る。

オリンピックの制服を「腰パンツルック」でカッコ良く決めた選手が、なんとマスコミに叩かれた。彼を庇う有力女性議員。「見てくれを由として外見を目立たせようと、腰パンツにしたのではない。自身の性状、体躯に似合っているからとフト、流行スタイルを取りいれた」。「フト、腰パンツ」が穢れでツミ、マスコミ叩きが禊ぎで祓い。あっという間に腰パンツの過激報道は終息した。

この後死刑に対しての彼我の感覚の差を論じている。若干、政治が絡むから、ホームページのみの掲載とした。よろしければWWW.tribesman.asiaにご訪問を。

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ISOMORPHEにしてHETEROMORPHEとは(読み切り)

2019年12月06日 | 小説
生と料理についての過去ホームページ投稿(本年6月)を読み返して表題について大きく加筆したのでご報告。
Iso..は異質同形、Hetero...は同質異形。火の取得神話群(M1~7)とブタの起源神話群(M16~21)の関係がこれに当たる。さらには補充と補完が絡んできて、ややこしいのだが、それを以下文章+PDFの一葉で解決した(つもりになった)まずは本ブログに御拝読を賜り、時間のある方にはHP(部族民通信WWW.tribesman.asia)を訪れてください。
Indexページの下方に生と料理4回目をあけてISOMORPHEのリンクに入ってください。


表題を解説したPDF、拡大は下に

レヴィストロースは意味深い課題を提起します。神話叢1(M1~7)と2(M16~21)の形態比較に関して。
<ils sont partiellement ISOMORPHES (大文字は筆者) et supplementaires puisqu’ils posent le problem de l’allience matrimoniale ; et, partiellement aussi, ils sont HETEROMORPHES (同) et complementaires, puisque de l’allience matrimoniale, chacun ne reticent qu’un aspect>(106頁)
訳;それら(第一神話群「鳥の巣あらし」とそれに対する「野豚の起源」神話群)は部分的にISOMORPHESで補充的である。なぜなら母系社会の婚姻同盟で(特定されている)問題を等しく提起しているからである。その上、部分的にHETEROMORPHESで補完的である。なぜならその同盟から、それぞれはある一つの様相しか引き止めないからである。
「これちょっと難しいけど分かるかな」レヴィストロースの声が聞こえてきそうだ。

普段、用いる機会のない言葉ISOMORPHEの来し方を調べると「化学用語;異質同像」とある(白水社大辞典)よく分からないからrobertに頼る。<propriete que posedent deax ou plisieurs corps de constitution chimique analogue d’avoir des formes cristallines voisines> 類似した(analogue)組成を持つ複数の物体の結晶の像が近似(voisine)する性質とある。analogueは「一部が類似する」との意味が強い、voisinは「全体として近似する」のでanalogueよりは同質に近いと言える。しかし「同質」までには行かない。よって「何となく似通う物体が結晶化するとかなり近似する像を見せる」が正しいだろうが、長すぎる。その意を含んで「異質同像」を理解する。その上、補充的でもあると曰う。
HETEROMORPHEはその逆として「同質異形」と訳す。この訳には「近似する2の物質が(似通うけれど)異なる像を見せる」の含意を持たせるとしよう。さらに補完的がつきまとうとか。
レヴィストロースはもう一対の概念を導入している。supplementaire / complementaire,この意義を片付けるとしよう。
supplementaire(補充的)は1の思想(あるいは形式)を1 の形式(あるいは思想)で説明して「さらに別の形式(思想)で説明補充する」とする。すなわち最初の説明が次の説明を予測している。
complementaire(補完的)とは1の思想を1の実体と比定する「さらに別の実体を課乗し補完的に説明する」としよう。「彼女は美しい(思想)、目が澄んでいる(1の実体)、色白(別の実体)だから」色白がcomplementaire美の思想への課乗。一方



そして鳥の巣あらし、野豚の起源の両神話群に共通するのは(常につきまとう)あの問題(le problem)が潜むのだそうだ。「あの問題」とは文化への移行の妨害要因として行程に立ちはだかる母系社会、そこに孕む「連続」の概念がまず一つ。それに加えての女(嫁)の贈り手貰い手の同盟関係の脆弱さに発する混乱である。
106頁の図をご覧ください。S1は調理起源神話(M1神話群)は火の取得神話です。S2(M16 神話群)は野ブタの創造神話。

M1(基準神話、ボロロ族鳥の巣あらし)を思い起こそう。
主題は母系の「連続」の固執である。成人の通過儀礼とは母系居住から思春期男子の分断である。分断を拒否して(母子の同居、それが上下婚タワケ、近親姦に帰結する)、父と母の同盟を破断させた。同じ部に属する男子との近親姦(水平タワケ)もM2に語られる。母系連続の希求が自然な心情であるとすれば、そこには放縦、瀰漫が熟成してしまうと前述した。
母系連続を通過儀礼を使い社会的に分断して、別の社会制度に移行する時の軋轢をM16 神話群が語る。

同盟維持の原理、その難しさである。
同盟とは女(嫁)の贈り貰いを通じて婚姻同盟を結成する事である。レヴィストロースの言葉では(女の贈り手貰い手の繋がりは)<des liens avec des etres dont la nature lui parait irreductible a la sienne>贈り手は自身の立場とは対立する側(貰い手)と同盟を結ばなければならない。妥協に至らず係争に陥る軋轢がM16以下の神話に語られる。
俗神カルサカイベのM16の行動を見よう。
カルサカイベは(複数の)妹を他支族に贈る。その支族の男達にたいしカルサカイベは女の贈り手となった。貰い手(姻族)には賦役が発生する。ここで婚姻同盟側(カルサカイベallie)を優先するか、己が属する母系集団(filial)を優先するのかの相克に挟まれる。規範は女の貰い手が義務(prestation)を負うとする。故にカルサカイベが持ち込む小禽一羽と、野ブタ一頭の交換を拒否する。神話が語るのはカルサカイベの姉妹が甥(カルサカイベの息子)を侮辱して(交換にブタ皮一枚しか与えない)追い返した。彼女らは自身の社会基盤(同盟維持のための機能部品)を否定して、今の連続性(ブタ肉を喰いたい)を重視した。夫達が負う義務の遂行を妨害した。社会のしきたりに反したから姻族全員はブタに変身させられる。M21では女系(血族)優位に固執する女が夫をブタにした。

ここで2の神話群が孕む思想(scheme)と形体(armature)を以下に整理する
Isomorphe(2の思想1の形式)+Suplementaire(補充)について;
1 文化の創成の過程は2の思想が絡まっている。その1は分断、2には同盟の決まり事。いずれも既述されているので、前段前々段にご参照を。
2 両の思想を縦糸でつなぐ形式は「生から料理」そのものです。ヒーローが放逐されジャガーに拾われ火の利用を知る。火を所有利用していたのは(人の女の)ジャガー妻。彼女を殺害し火を盗み、火を人が所有する。同盟の規範を確立して(規範破りの支族をブタに変身させて)。男が火を所有しブタを狩り、女に与える。分断と同盟を火とブタ、生から料理に結ぶ一つの形式で結んだ。
3 火の取得だけでは文化は完結しない、火の目的であるブタを創造しなければ肉が食えない。バイトゴゴ(S1のヒーロー)で始動した文化がカルサカイベ(S2で無礼支族をブタに変えた)で補充された。

次にHeteromorphe(1の思想2の形式)+Comlementaire(補完) を説明する。


作成したPDF、本文の補完説明です

その一部拡大




1 2群には火を通しての文化生成(共通の思想)がschemeと見えている。
2 S1は火の取得(男が火をジャガーから盗んだ)。料理の萌芽である。火は男の所有物。女が火を利用(権利)を持つ。これは形式である。
3 S2でやっと火の利用形態が見える。ブタである。男が火とブタを女に与え、女が火を使いブタを料理する。これも形式。
4 すなわち1の思想を巡って2の形式を補完的(complemetaire)に確立して文化の生成となった。これがHeteromorphe + Complementaire です。

本書106頁の表に移る。(写真)
S1はシステム1で、調理の起源神話叢は(M1~12)。S2 は野ブタの起源神話(M16~21)。
これら2の神話叢は文化創造における同盟と決裂を反映して、isoformeでありheteroformeでもあるは前述した。Isoでsupple補充的(S2がS1を補強するもう一つの思想である)、heteroでcomple補完(S1がS2の思想を補強するもう一つの物である)とレヴィストロースがのたまう。了
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カツ丼自由、地獄は身のうち(読み切り)

2019年12月02日 | 小説
(2019年112月2日)
「カツ丼の自由はアリサ…」で老人Kが自由を「自身の希望に沿って行動する」と取り違え、JR豊田駅前で「カツ丼~」と騒いだ顛末を報告した。しかしこの「取り違え」は誤りで、老人は日本人が固く信じている「おのれ(自)の由とする処に」通りに自由を実践したわけで、これ以外の自由など日本人は知らない。「無関心の自由」なんてのを持ち出した小筆・部族民にしても、無関心…を日常生活において実行できないし、関心が濃いなどと言い切れない。腹が減ったら天丼ではなくカツ丼を食らうから、蕃神もK老人と同類であろう。

魔が差して愛欲に耽った僧侶アベラール、下は拡大(ネットから採取)

かく「無関心の自由」を実感として理解できない。となるとフランスと日本、彼我の差とは思考・観念に寄る処ではなく、精神のより深い底の宗教、信心あるいは古くからの言い伝えにあるものと考えたのである。
これから先は仮説であり、それ以上に原初的(primitive)な推論だから妄想に近いけれどここに開陳する;
アリサにしても耶蘇教徒はおしなべて祈りを「神の保証の取り付け、神と同一の水準で生きる担保」として考えているのでは無かろうか。幾つか例を挙げよう:
カソリックの祈りとは
<神の前に自分のありのままを差し出すことです。そこでは後悔や自責の念がおこってくるのが当然かもしれません。そんなときには神にゆるしを願います>
<神が今のわたしに語りかけていることを受け取ろうとすることが祈りの中で大切です。そのために絶対に必要なことは「沈黙」>(< >はカソリック東京大司教区のネットサイトから引用)。すなわち神に、
1 ありのままの自身への許しを請う
2 語りかけを願う に集約される。

これをして部族民は「神との共存」「神との一体化」が耶蘇教徒の願いなのかと感じ取る。するとアリサが自由の意志(volonte)の依りどころを「神からの同意」として、毎夕祈りっていた事情に理解が及びそうだ。信仰を通して神との一体化を願っていたとも云えようか。神に近づけば「無関心の自由」を実践できると信じていたのだ。
さらにその奥には、祈れば「神から許される、神との一体化に近づく」の思いこみが控えるはずだ。この事をして個人の心の原点は無垢、中立であるとする信心が、宗教の成立以前に広まっていた(では無かろうか)。
自由を疎外する「悪」は外界にある。食欲は本能なので腹が減ったら何かを食べるべきで、食い物の選択には無関心が正しい、何でも良いのだ。台所、スーパーなどで手に入る食材を順次に食いつけば腹は治まる。しかし魔が差して「カツ丼旨いぞ、それを喰え」とそそのかしに乗ってしまう。そこでカツ丼を食ったらアリサは魔の僕に陥る。(女の場合は婢ハシタメとなる)。この状態を自由と呼ばない。魔が誘うは食だけではない。あらゆる選択に忍び込む。古くはリンゴを手にしたアダムに食えと迫る。エロイーズのしなやかさを前にしたアベラールに魔が「待っているのは女のほうだ」と囁きかける。


外界からの悪のそそのかしにふと乗ってしまう弱さが人には常在している、西洋のユダヤカソリック世界ではその考えである故に「個に罪は無い」。罪の原因はいつも外側である。個に罪を帰せるとしたら自律の気構えとか信仰が弱いに行き着く。プシケ(ギリシャ神話)が箱を開けたから世に罪が蔓延したとしているので、この考え方はギリシャの昔から広がっていた。

一方でアジアはとしたいのだが、小筆はアジア人を一括りにした倫理など語れない。よって日本に限定すると;
神道の教えは「穢れ」「祓い」。人、物、場所には穢れがつきまとう。穢れが人に悪さを及ぼす。神に向かうときにはお祓いしてから神域に踏み入る。神主さんに幣のお祓いを受けたり、自身が水垢離滝うたれ等苦行を経る場合もある(こちらは禊ぎと伝わる)。潜むのは穢れだけではない。罪も隠れている。
白人(しらひと) 肌の色が白くなる病気、白斑(俗に「しらはたけ」ともいう)のこと。別の説では「白癩(びゃくらい」(ハンセン病の一種)だともいう。胡久美(こくみ) - 直接には「瘤」のこと。この場合は瘤ができること。別の説では「くる病」のことだともいう(古事記が伝える国津罪、ネット辞典から採取)
上引用で言及している疾病は病原菌が特定され、ある条件の下で人が感染してしまう。罪は外部にあるのだが本邦では太古から(あらゆる病気に)罹患するとは、個の穢れからとしていた。名残なるが先の大戦の前まで人口に常在していた。キツネ憑き(特定の家系には精神不安が代々発生するとの言い伝え)、ハンセン病が発生した家庭が村落から差別を受けたなど。罹患者も家族も、村落も含めた反応を説明するに、悪は個の内部に潜在しているとの信心を共通に持っていたからに他ならない。(今は、多くの方が迷信として否定している)

自由なる概念の持ち方と行動の取り様で、日本と西洋は大きく異なっていた。突き詰めて悪と罪のあり方を比較に取れば、それらが発する位置と個の反応にも差違が見える。彼は「個は無垢、悪さは外界に」、そして我では「穢れは内に、抑えきれない悪さが悪戯する」に尽きる。
小筆は西洋を「enfer , c’est les autres=地獄は他者、サルトルの言葉」として、(南アメリカ先住民は)「enfer, c’est nous-meme=地獄は身のうち、レヴィストロースの造語」とする小文をホームページに掲載した。関心ある方にはホームページに立ち寄り頂き「地獄は身のうち2019年7月1日投稿(WWW.tribesman.asia/enfer.html)へのご訪問を乞います。

ついでに;
アムネスティなど国際人権団体は日本の死刑執行を非難する。彼ら多くは西洋的教育、風土に育った方と推察する。「悪いのは個ではない、外界だ」との信条を持っているのではないだろうか。一方、日本人は「潜在する穢れ、悪を制御できなかった個」に責任が帰結するとしている。裁判の死刑判決で遺族の感慨が報道される。小筆、全てを把握している訳ではないが「これで故人の魂が救われる」が圧倒的に多い。
彼我の差は「悪がどこに、罰は誰が」での正極の乖離である。了





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