蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

鬼灯を遠くに投げての4をUpload

2008年10月31日 | 小説
HPに鬼灯を遠くに投げての4をUploadしました。全体で76枚分です。長いのでここでは1部分を、母の明子が林太郎の死を悲しみ、胸は抱けて乳房を含ませる場面です。
HPには左のブックマークから入ってください。

>ボタンを全てはずした。ほとんど引き破るようにしてブラウスを脱いだ。柔らかい胸の谷間と乳房をささえるレースが透ける黒いブラジャーが見えた。ブラジャーもちぎる様にしてはずし捨てた。すると上半身が裸になった。それは白い白い胸の肌であった。そして山小菜(ほたるふくろ)のような形よい紡錘形の両の乳房がブルルンと震えた。マイセン肌の冷たく光る乳房であった。その先の鬼灯の形の丸く赤い乳首を林太郎の口先に当て

 「林太郎、母の乳を含め、お前はこれから先に食するものもない飢餓の奈落に落ち込む。旅たちの前、最後の乳を含み、果てしない餓鬼地獄の奈落の底で、宇宙の終わりまで続く飢渇に苦しむその前に、今ここで渇きを癒すのだ」
 
 乳首は林太郎の唇を分け通った。明子は林太郎があたかも乳を吸っているかのようにあやし、さらに乳首を押しつけた。立ち上がり家までの行進を再び始めた。

 白い高く張った乳房、赤い鬼灯色の乳首。胸をさらけ出し、乳吸う死に児を抱いて行進が再び始まった。明子はいま女神になった。長い黒髪が乱れ、丸い肩と肉厚の背にほつれる。胸も背も汗が光り、黒い髪がほつれるままにこびりついた。肩も胸も乳房も臍まで裸身のまま、その下に着するのはインド更紗の巻きスカート、くるぶしまで覆う。

これは巡礼だ。俘囚の足取りが希望に満ちた巡列にかわった。女神イシスは死せるホルスを抱き、黄泉への送りにでる。信者どもよ従え、ともに巡礼の旅にでるのだ。女神イシスに誇りをもて。白い胸、高く張りふくらんだ蛍袋を思わせる乳房、そして赤く丸い鬼灯の形の乳首。女神が抱くのは死んだ児ホルス、しかしいつの世にか復活するホルスだ。女神にかしずき共に黄泉に向かうのだ<


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詩 眼がさよならと言った

2008年10月26日 | 小説
詩:眼がさよならと言った

弟は二歳で死にました。
家族だけのひっそりとした葬式に
見知らぬ青年が入ってきました。
背は父よりも少し高く
大学生のようでした。
服装が棺入りしている弟と同じ、
紺のブレザーにカーキのコットンパンツ
真っ赤なネクタイまでそっくりでした。
家族だけのお葬式と言ったのに、
誰も呼ばないって言ったのに。
この人だれと聞こうとしても
お母さんもお父さんも
ただ天井を見上げているだけ、聞けなかった。

青年は棺の中の弟をしばらく見ていた
そのあと私の横にしゃがみ込んで
やはり天井を見上げていた。
私はちらりと横目でその人の顔をみて
横顔が弟そっくりなのに驚いた。
弟入れて家族四人と青年の五人
誰も喋らない誰も祈らない
沈黙の葬儀が進んだ。そして
外に車が止まって警笛がポーンと
小さく一回だけ合図として鳴った。

青年は沈黙のまま立ち上がり部屋を出た。父母に深々と三度お辞儀して出て行った。私は外に出て青年が黒塗りの車に乗るのを見届けた。車には黒服の運転手、黒服のお年寄りが待っていた。白髪に白髭のお年寄りは車から出て青年の肩を抱くように車に乗せた。静かに音も聞こえず車は去った。沼の方向にそして消えた。


死者が自身の葬儀に参列することはある。
音も立てずに祈りも捧げず
死を悲しまず、再会のない旅立ちを苦しまず
沈黙のまま祭礼をとり仕切れば霊は参列できる。
弟の葬儀に現れた青年は弟の霊だ
産土様に三十分だけのお許しを得て
お迎え車をおりて参列したのだ。
なぜそれが分かったかというと
車に乗り込む瞬間に振り向いた青年の
私に振り返った眼が
お姉ちゃんさよならと言った。(了)

部族民通信のHPに投稿してくれる蕃神(ハカミ)さんの作品です。個人的体験がベースです。眼が語るについては「約束」(藤田敏雄氏の作品)にヒントを得て、産土神(ウブスナ)が迎えに来る事は「勝五郎生まれ変わり」で平田篤胤の説明に納得し採用したと説明がありました。
HPには他3編の詩が掲載中、ブックマークをクリックしてください。

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長編の鬼灯を遠くに投げて3を上梓

2008年10月25日 | 小説
全体で500枚を越す小説「鬼灯を遠くに投げて」の2回目の投稿をお知らせします。
今回分は30枚(400字換算)です。一気に読んでください。

>廊下中に当の家族を除いた隣人が出た。明子の狂った様を見た。包丁に握り拳、視線の座った先には隣人の戸口、両眼つり上がり方がピクピクと震えている。
その時明子は小さな子が寄り添ってくるのを感じた。娘のみどりである。ようやく歩けるほど、しかし必死に母親の後を追い膝に寄り添った<
(明子が騒音を立てる隣人と争うシーン)

>生けるこの世、苦しみの地獄を思い出すな(詩)

輪廻転生、宇宙の摂理
生まれ変われば前世の思い出
業火浄火で焼け燻りこめられ
かの世思い出すべては昇華し
今の世の父母兄弟を慈しむ
それが人生始まりなのに
生まれ変わったその日から
地獄の苦しみ思い返すな
その苦しみに耽溺するな

釜ゆでされたあの晩の星の瞬きに怒れ
から煎りされたあの時の明日の露を踏みつけろ
人間生きる今この世に吹く風だけが頼りなので
生きるために空を見上げよう<

地獄で釜ゆでされると決まったらこの詩を思い出してください。励みになります。





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ジョークと霊魂への畏怖の関連 終 最古のジョーク発表

2008年10月24日 | 小説
人類の進化史上、3万年前の前後に何が起こったか。たとえば芸術の発生が見られる。ドイツ(シュタデール地方)で発見された象牙の彫刻、獅子の頭を持つ人間像(3万年ないし3万3千年前)、他にも動物の像が発見されている。有名なラスコーの壁画は少しくだって1万7千年前となるが、それ以前3万年前後と推定される壁画(記号)の痕跡はフランス、スペイン各地で発見されている。
前出の「心の先史時代」(ミズン著松浦、牧野訳)ではこうした考古学の発見の成果をふまえて、心の発達を推理している。3万年前の人類に技術・博物学・社会知能・言語能力がひとつの知能(これを一般知能と言ってる)に統合されて芸術が発生したのだと。その発生メカニズムとは;
サピエンス人はライオンを知っている、動物ではもっとも強く雄牛すら引きずり倒せる(博物学)。そのライオンを象牙を削って(技術)表現できる(これが表象能力、ミズンに言わせれば言語能力)、ライオン頭に人間の胴と脚をつけ部族の酋長を表現した(社会知能)。知能知識の全体を統合する一般知能が進んでこそライオンマンの芸術が可能になった。同時期には旧人に属する(=このあたりはまだ不明)ネアンデルタール人が地理的にも近接して生息していた。彼らの博物学はサピエンス以上、技術能力は劣るが悪くない、社会知能も脳の大きさから複雑な構造を創造し維持していたはずである。しかし表象能力は今の所発見されていない。初歩的な言語力はあったかも知れないが、削った象牙を「これはライオンを表現している」と言うほどの力はなかった。さらに全体を融和する一般知能が脳のブローカ領域の未成熟のため発達しなかった。(以上は心の…からの受け売りをまぜて)
では霊魂については;
ロシア・ヌンギールで発見された先史時代の墓(2万8千年前と推定)ではサピエンスの老人他2人が埋葬されているが、紐に通された2963個のビーズが頸と胸元を飾っていた。別一体にはなんと4903個のより小さいビーズ(加工はさらに難しい)が。
埋葬する心の背景として、人の死を特別な事象として受け止めている。肉体の死であるが、心・精神は死んでいない。霊魂となって別の世界に向かう。そのために財産であるビーズや着衣(こちらは発見されてないが)で飾り立てて、旅立ちの餞とする。
この例を埋葬の儀礼」が発生したのも3万年前前後。技術・社会・(おそらく)言語のビックバン的発達が見られた時期に霊魂への信仰、宗教の萌芽が見られた。これはミズン流にいえば分割されていた知能フラグメント(これがネアンデルタール人のレベル)、が一般知能の元に融和された成果となります。
カンガルーがパブに行かない理由が実は高すぎる値段のせいだったとのジョークでこのブログ編が始まったのですが、その「不条理性」の面白さと「霊魂への畏怖」が同じ時期に、同じく知能ビックバンで始まったと考えさせられた「心の…」でした。

最後にとっておきを。3万年前と分類される人類最古のジョークが考古学の最新の成果として発表されました。
3万年前のイラク部族民連合国のシャニダール地方のある村。オリンピック競技大会が開催された。そこに一般参加で山奥に住む毛むくじゃらの「ネアン人」が飛び込んだ。「位置についてヨーイドン」でぶっちぎり速く、グレコローマンでも反則なしに相手をぶん投げる。あっという間に全種目金メダル。放送記者のインタビューがあった、
「ネアン人の参加は初めてですが」
「そりゃそうさ、参加費用が5ドルするんで」と答えた。(大笑ただし3万年前)
以上はジョークで始まりましたのでジョークで終わった、お粗末ながら(+ω+;)

(ネアンデルタール人が埋葬儀礼を行ったと言う説もありますが定説には至らない)
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ジョークと霊魂への畏怖の関連

2008年10月21日 | 精霊
ジョークを一つ、
カンガルーがパブに入ってきてスコッチソーダのシングルを頼んだ。バーテンが3ドル25セントというとカンガルーは腹の袋から金を取り出して払った。ちびりちびりやっているカンガルーをバーテンは怪訝そうに眺めていた。5分ほどちらちら観察していたが、
「ウチの店にはあんまりカンガルーの客は来ないのですがね…」と切り出した。
カンガルーは「そりゃそうだ、1杯3ドル25セントではね」と答えた。
(オーストラリア・アリススプリングスのパブでの話、以上はエリオット・オウリングという作家の“ジョークと周辺”から)
このジョークは別本からの孫引きです。その本というのが「心の先史時代」(スティーブン・ミズン著、青土社)、精神の考古学を再現しようとした挑戦的内容です。
ジョークに戻ると、不条理がジョークには必要とオウリングは主張している。その典型的な例としてパブのカンガルーを引き合いに出している。
カンガルーはスコッチ呑まない、金がないのでパブに来るはずがない。そもそもカンガルーとパブは次元が違う…それが常識である。ジョークでは「スコッチが高い」から来ないとカンガルーに言わしめている。言外には「英語を理解するカンガルーなんてたくさんいて、皆スコッチを飲みたがってる。安くすれば来る」これは不条理ですね。
ミズンはこの書(心の先史学)でさらに突っ込んでいる。この話をネアンデルタール人に聞かせても彼らはおもしろいジョークだとは絶対に言わないと。なぜならば脳構造で再現するネアンデルタールの思考力は「表象能力」「統合能力」が現人類に劣る。この不条理を遊ぶ「能力」がないらしい。パブで一杯とカンガルーの認識が別個になっていて、それらを融和する統合力がない。
ネアンデルタール人がその場にいたとして、パブでスコッチソーダを出すことは分かる。外にはカンガルーがぴょんぴょんと跳ね回っている(アリススプリングスなので)。ここまではネアンデルタール人も認識できる。金を払うという経済も初歩的には理解できる。しかしジョークが創り出す不条理性の理解はできない(らしい)。
ミズンはあわせて3万年前以前の「初期人類」もジョークを分からない。ここはネアンデルタール並みと主張している。その証拠が道具製作における洗練度(剥離型石器)、絵画などの芸術作品の萌芽などが見られたのがこの時期で、人類がやっと表現し抽象化する能力を獲得した時期にあたる。この時期は石器時代の文明ビックバンともよばれているそうです。それ以前は「表象能力」などを示す発掘物が見あたらない。同じホモサピエンスでも精神史では隔絶している。
何が言いたいかというとこの時期に奇しくも「死者を葬る」事が始まった。すなわち死後の世界、霊魂を鎮め葬祭を行う習慣が始まった。ジョークと霊魂への畏怖、これが3万年前に発生したとも言えそうです。(明日に続きます)
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「鬼灯を遠くに投げて」の掲載開始

2008年10月20日 | 小説
HPに「鬼灯を遠くに投げて」の掲載開始しました。本日は序章と言える1(エンマが降りた)2(霊を証明するニュートン的考察、リンゴの落下) を掲載しました。あわせて原稿用紙22枚分です。ハイライトは

>あの晩には南野台の狸丘住宅団地にはヨッチャンが降りてきた。私はこの両腕で抱きしめてやった。オッパイも飲ませた。したらエンマが突然雷と共に降りてきた。エンマは「ヨッチャンは霊だ。それにオッパイ呑ませるのはけしからん」だってさ。そのうちにヨッチャンが格好良い若者に成長した。やっぱり私の子だね、見ているだけでほれぼれする若者に成長した<
(島田良子が幼くして死んだ子、ヨッチャンと巡り会ったシーン)

>腐敗する肉を超えて再生を願う人間共の祈り。しかし祈りは宇宙の調和に不均等を与えるだけの小賢しい欲望であって、実現されることはあり得ない。肉は再生、転生の輪廻、いわば宇宙の原理には組み込まれない、肉は一回だけ生存して死をむかえて滅する。肉の付属物である自我と精神は空中に消える。輪廻のからくり、地獄の業火に焙られでもがき転生するのは霊なのだ<

ここは小説のテーマです。肉と霊の分離、善と悪。善人が地獄、悪人は天国(エンマが最近換えた)と続きます。全体で550枚、週に50枚分を目標に年内一杯まで連載します。たまには左のブックマークからビジットしてください。

(縦書き、PDFです)
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長編の鬼灯を遠くに投げよ開始の知らせ

2008年10月19日 | 小説
長編小説連載の知らせ

部族民通信として10月5日からHPとブログを解説した渡来部です。詩の掲載に続き小説の連載を始めます。10月20日(ないし21日)から、総量550枚(400字換算)の「鬼灯を遠くに投げよ」を開始します。

すでに詩として掲載されている「鬼灯…」は幼くして死んだ子の姉と母が子転生再生を願い、鬼灯を夕焼けに向かって投げるとの詩です。この詩を元に小説がほぼ完成しています。前述にあるとおり長いのでどのようにHPで掲載するか悩んでいましたが、ここは正攻法、すなわち全ページを順に掲載すると結論を出しました。1週間に2回アップロードし50枚ほど消化して、10週(プラス)で完載となります。ぜひお楽しみに。
ただしブログには全ページの掲載無理かと思います。またブログは横書きなので、縦書きが鉄則の(と勝手に信じています)文芸作品はなじめません。

ブログにはアップデートの案内とダイジェストを案内いたします。
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鬼灯を遠くに投げよの後半です

2008年10月19日 | 小説

前半は一昨日にブログしました。

母と娘、幼い子(弟)が死んだ。鬼灯を夕焼けに向かって投げれば
その子は再生すると娘が母に迫る。遠くに投げてと…

 3
娘が続ける
お母さん、私はいまでも思い出します
去年の秋のこの時この場所
弟いれてあたし達三人
忘れはしない人気ない河原
あの時赤い鬼灯摘みました
その赤が夕焼けに染まり
目の前の空が突然に赤く染めかわり
弟はアカボーと泣きました
そのあと十日二十日たって
弟は
遠くに旅立ついまわの時に
唇青く頬青白く手先が震え
励ましの一言を聞き取れず
眼だけが赤く腫れていた。
あの赤い空の先には弟がいる
投げられた鬼灯が向かうのは
 一人眠りについている私の弟
 あなたに投げられた鬼灯を唇で捉え
 きっと頬が赤く染まり蘇るでしょう

 いつの日か再会を果たすその時に私は弟を見分けられるだろうか。一年と十日も経った今だって横顔を忘れてしまった。
鬼灯色の再会を待ち唇の赤さ頬の赤さで見分けつけよう。

この世で生きる私たちは死者への思いを祈りにこめて、再会の瞬間を生きる間待ち続け、鬼灯をあの青く赤く染まった西の空に投げよう。
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鬼灯を遠くに投げよ

2008年10月17日 | 小説
詩を載せます。少し長いので前半だけ。HPに移れば(左のブックマークから)
全編を読めます。

鬼灯(ほおずき)を遠くに投げよ
               蕃神 伊沙美

    1

秋の夕暮れの空は青く赤く、白雲の一つなく

土手の草も花も、川面も青くそして赤く染まり
夕暮れに二色に染まり分かれたこの地は幻で
闇はすぐ近くにきている。暗い地上にすぐ戻る
暗闇を知らない私たちは地上に生きながらえ
悲しみと苦しみ憎しみまでも持ち続け、
死者との再会を赤く輝く夕空にひたすら託す

川原で鬼灯を摘み鬼灯は小さな掌にあふれた
母親を見上げながら小さな娘がこう頼んだ
鬼灯はこれで全て、もうこの地にありません。
あなたに頼むのは祈りです。祈りながら鬼灯を唇に含んでください
そして、
鬼灯を遠くに投げてください。遠くの空のあの雲の彼方、雲と雲が流れ行く先、人の思いが風の流れの中で消えていく西の先。そこは親より先に死んだ子が住むのです。西日はその地に届かず赤く消えはて、先だった弟は暗闇の中で哀しい願いを唱えている。母に会いたい姉に会いたいと。そこにまで鬼灯が届くよう投げてください
     
  2

鬼灯をふくむ母の唇(くち)は赤く、頬も目も赤く染まり
赤に照り映える唇から繰り返す呟きは一つの祈り。
赤い祈りの呟きが雲の流れる彼方
言葉も思いも届かない西の果てにある
死んだ子の王国に届けよと
再会を願い呟きながら死子の面影を持ちつづける。

しかし
母の祈りが炎に燃えても子の王国には届かず、
風に言葉託そうとも消え流れ行くのを気付くには
鬼灯をかみしめて黒い身の苦さに気付けばよい
その苦い鬼灯をあの西の空遠くに届けよと投げるのだ

(明日に続く)
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イザベラは空を飛んだー詩をHPに掲載

2008年10月15日 | 小説
詩「イザベラは空を飛んだ」をHP(左のブックマーク)に掲載しました。作者は部族民通信の賛同者の蕃神(はかみ)伊沙美さんです。内容は、冬のある朝、東京多摩にある「地の塩と民教会」の中庭で空に祈っていた女性が鐘の乱打の響きを聞いて2000年前にイシュアと会話した事を思い出す。着古した吊しの紺の背広に白シャツのイシュアは甲州街道を北に向かっていた。そのイシュアに駅前広場で出会って、ジャムパンとワンカップ酒を乞う父と娘に「祈りなさい」と説教する。そして時が来ればお前は空を飛べると…

長い詩なので一部を、

=前略=
私は訴えた、
父ヨシュフは工場で夜勤の連続、失意症に襲われた
私イザベラは虚言癖が嫌われ職場の市役所を追われた
それから私たち親子はあなた様の救済を信じ
浅川に身を浸け頭垂れ、あなたの僕となりました
しかし隣人と異教の教導者にあざけ笑いの辱めをうけ、
ネット中傷されてマンションも追われました
もう二日、一片のパンも食べていません
神の御子、救世主さま
とっても大きなジャムパンを父に与え
明日に買う水と酒と肉のため千円以上を
私に恵んでくださいませ

あなたは答えた
みすぼらしい親子よ、言葉もなく足萎えた父親よ
水も酒も呑めない娘よ、お前達は実は幸なのだ
お前たち父娘が飢え渇いて金もない悲惨さを
天の父に伝える。二人にだけ助けを早めてくれと。
天の父は駅前広場で眠るお前達を見逃さない
眠りについたあとの夜の暗がりの下で
たらふくパンを食べて飲んだくれる夢が
お前たち二人の夜をオリオンのようキラキラと飾る
=後略=

イシュアとはキリスト生誕の当時の西アラム語でイエスの対応語です。おもしろい詩です、皆さん読んで「実体と記憶の乖離」を楽しんでください。

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