蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

憲法審査会、蛮族、小西サル議員 部族民特別投稿 読切

2023年03月31日 | 小説
(2023年3月31日)参議院議員の小西氏(立憲民主党千葉選出)が「衆議院の憲法審査会の面々はサルの知能しか持たない」「週ごとに会議を開くのは蛮族」と公言した(29日)。オフレコ発言だったが記者が記事にしたからバレた。自身がその発言を認めたから公言と書いた。
ネット世界では識者インフルエンサーらがこの際とばかりに健筆、雄弁を披露して、この仰天発言を論評している。多くが、と云うよりすべてが、強く批判している。理由は「奴らはサル、蛮族」私小西氏はヒト、憲法学者…などとうそぶいて、自己卓越のチョー不遜ブリを見せつけた様がフテブテしいからであろう。

部族民は彼を擁護する。止むに止まれぬ状況の中、うっかり滑らせた口先がこれほどの反発攻撃をもたらした不運を、己の至らぬためと小西氏は嘆いているだろう。それほどに同情すべき人間だ。
彼の性格を「ドミナント=他者を凌駕したい欲望を常に持つ」と決めつける。今まで国会内外で「告発する」「警視庁を動かす」などと反対者を脅していた、彼の心情の底流がこの前提で理解できる。そして彼一流の奇怪言動(国会クイズなど)にも納得がいく。

こんな男の心情を時系列に位置づけると ;
3月初頭に高市大臣非難を参院予算委で繰り広げた、一時「どや、首を獲ったで~」の高揚感に浸れた。。証拠とされる書類の「不正確」から高市大臣から完璧に論破された。一敗地に塗れた(央)、マスコミからも同党派の誰もから見放された(末)。
サル暴走が29日に始まった。起動因は「転嫁」である。ドミナントなオス(あるいは男)が敗れるとタダでは起きない。負けて腐った気分のハケグチを探す。より弱者へのいわれない攻撃である。動物には特にサルには、この転嫁行動が顕著である。サルではなく猫の例を上げる<窓越しに庭(テリトリー)を監視していた。他のオス猫が現れてマーキング(尿を振りかける)した。猫は怒ったが窓がしまっている。飼い主を引っ掻いた=転嫁行動、以上はネット情報から>

ヒトの言葉では「あてつけ」「八つ当たり」「ヤケクソ側面攻撃」とされる。実はサル転嫁も八つ当たり代議士も、本音と本性の深層心情から出ている。決して突発「ゴメンね、さよなら」の一時行為ではない。迂回自爆のフルボッコ突破と定義してもよろしい。


サルだって反省するのよ、八つ当たりばかりではないからね(写真はネットザル)

29日の小西議員に「自爆八つ当たり」が発生したとして、誰が彼を責められようか。「あて…八つ…」なる下劣行為に身を委ねなかった男とは、20万年のサピエンス史上キリスト、聖徳太子、親鸞の3人(正しくは1柱と2人)のみです(部族民が知る限りなので、もっといるかもしれない、キムジョンウンなんかが怪しい)。

東大卒、総務省課長補佐、憲法学者、参議院議員、千葉の恥などの肩書を彼から剥がそう。君の前に生身小西が剥き出てくる。その姿はサル行動を身に纏う一匹裸のオスではないか。君はキリストでも聖徳太子でも親鸞でもないのだから(キムジョンウンでもないと念じる)裸の小西を糾弾する資格はとても弱い。だから程々にして非難を轟々と終えよう。
今日の小西を明日の我が身と心して、彼を(遠くから)励ましてやろう。少なくとも部族民(蕃神)は裸の小西への励ましと熱烈感激で胸が不可逆に、無慈悲にイッパイだ(蕃神義男ハカミヨシヲの投稿、3月31日)。了

追記:30日の記者会見で小西氏は「オフレコ発言が切り取られた、実際は即座に訂正したから言ってない」と釈明した。全く釈明になってないとの論評が多数と聞く。こうした態度に(ネットで)接するにつけ、小西議員の「自爆八つ当たり」説には正確性が証明できると思う。


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構造人類学を読む、出来事の由来 中

2023年03月30日 | 小説
(2023年3月30日)救出当夜、リーダーの事情説明にはそれなりに納得するのだが、幾つか不審が浮かび上がる。夜な夜な垣間見える不気味な火影との関係が説明されていない、なぜ彼だけが嵐に巻き込まれたのか、それもこの年の初めての嵐、いかにも彼を狙い撃ちにしたかの疑念に応えていない(出来事に対する族民の思考過程を部族民・渡来部が詮索しての推理です。本文にはこうした記載はありませんが次の文に繋がります)
« A quelques jours de la cependant, une autre version de ces prodigieux événements commença d’être colportée par certain indigènes. ---- Voici ce qui se disait de bouche à oreille… »
幾日かが経過、しかしながらリーダーの、神がかりとしか説明できない災難に別の筋立てが露営地に広まった。口から耳へと囁かれる中身は―
« Le sorcier, celui-ci, empiétant sur les attributions de son collègue le chef politique, avait voulu prendre contact avec ses anciens compatriotes, pour solliciter un retour au bercail, ou encore pour les rassurer sur les dispositions de ceux-ci à leur égard ; quoi qu’il en soit, il avait eu besoin d’un prétexte pour s’absenter, et l’enlèvement par le tonnerre, avec la mise en scène subséquente, avait été inventés dans ce but » (同)
魔術師。彼は、かねがねリーダーの特権を縮小させむと躍起になっていた。かつての知り合い仲間に連絡を取って、古巣に戻るか彼らをして今の族民を取り仕切るかを謀るか、願いがいかなるにしても彼は露営地を離れ(不気味な火影の元の地に)赴く要があり、嵐を起こした。ついでにリーダーを巻き込んだ寸劇を演出したのだ――との噂が広まった。


南米先住民はすべてハンモックを吊って寝る。唯一の例外がNambikwara族。移動(nomade)生活にそれを持ち歩けないから。このようにして地べたで就寝する。写真はレヴィストロースの著作からデジカメ。


この前節に当Nambikwaraバンドの生い立ちが紹介されている。もともと自立していた集団に、疫病で構成が減少し自立バンドを組めなくなった別の集団が吸収された。合併はそれほどの過去ではない。その証左に両者間での子息子女の婚姻はまだ一例も成立していない、同じ言語(Ge語族の一流のNambikwara語)ながら方言の隔たりが強いなどレヴィストロースが観察している。
吸収した側がリーダー、政治的社会的指導者、を立て、吸収された側は祭儀を執り仕切る魔術師 « sorcier » を出している。リーダーは快活強靭と前述したが、これら資質は乾季の移動生活(狩猟を兼ねた行程の選択、そして採取の露営の立地を誤れば飢餓に直結)の牽引役として不可欠であり、適任ぶりが窺える描写も加わる(悲しき熱帯から)。人望も厚かったであろう。それ故、夜毎ちらつく露営の火影はなんとも不気味。
« Il n’avait pas volé sur les ailes du tonnerre jusqu’au rio Ananaz, et tout n’était que mise en scène. Mais ces choses auraient pu se produire, elles s’étaient effectivement produites dans d’autres circonstances, elles appartenaient au domaine d’expérience »
魔術師が嵐に乗ってAnanaz河にまで飛んでいった訳では無い。そのような情景が浮かんだだけであろう。しかしその出来事(choses=モノ)はあり得たかも知れない、それらは(聞き知った)他の環境の中にでも起こり得ただろうから。経験の範囲でそうした事を知っているのだ。
これ以上を語らないから以下はレヴィストロースの行間を推理して ; 
山間に見え露営の火の主は魔術師集団がかつて親交していた部族。魔術師は嵐を引き起こし風に乗って、そこRio Ananazまで飛んで行った。出向いた理由は先方部族と交渉するため。リーダーを拐った訳は、災難を演出して彼の人望を失墜させる目論見。己にしてはNambikwara 露営地に帰らなければ怪しまれるから、リーダーを抱えて戻って手前で落とした。この長い空中道のりでリーダーは衣服をすっかり剥ぎ取られ、見るも恥ずかしく放置された。
(彼らの着衣は腰帯と腕輪のみ、究極の軽装ながらこの小片を着しなければ全裸とみなされる。背広ズボンを常備衣と心し、身から離したことのないサラリーマンが突風に巻かれ、全裸で中央線の特快車内に投げ出されたと同じ屈辱を受けたこととなる。衣の重ねの薄さか厚さで文化を論じなさるな。着衣とは象徴なのだ、くれぐれも心せよ=少し外れた)
次の一文 « On eut beaucoup étonné les sceptiques en invoquant une supercherie si vraisemblable, et dont ils analysaient les mobiles avec beaucoup de finesse psychologique et de sens politique en cause la bonne foi et l’efficacité de leur sorcier » 訳:そんな話あるものかと疑う人たちに、この作り話がいかにも起こりうると湧き立て、それらの「移動les mobiles」には心理学的、政治的入念さを散りばめて魔術師の確信と効果を織り込んだ(188頁)。
構造人類学を読む、出来事の由来 中の了(3月30日)
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構造人類学を読む、出来事の由来 上

2023年03月28日 | 小説
(2023年3月28日)ブラジルマトグロッソに住むNambikwara族。悲しき熱帯 « Tristes Tropiques » でその生活の様は詳しく描写されている。とあるバンド(=移動しながら採取狩猟で生活を立てる20~30人ほどの小規模集団)、リーダーは40歳代半ばとみられ、体躯強壮にして心情は快活そのもの。彼のある夜の不可解な出来事が報告されている(1936年、レヴィストロースが同族を訪れた際の実地譚)。
仲間同士で狩りに出て彼は一人離れての行動を取った。夜になって彼だけが露営地に戻らない。
« Un soir, pourtant, il ne reparut pas au campement à l’heure habituelle. La nuit tomba ; les indigènes ne dissimulaient pas leur inquiétude. Nombreux sont les périls de la brousse : rivières torrentueuses d’un grand animal sauvage : jaguar ou fourmilier ou celui, plus immédiatement présent à l’esprit nambikwara qu’un Esprit malfaisant… » (186頁)
その夜、時間になっても彼は戻らなかった。夜は更ける、人々は不安を隠せなかった。(夜の)森には様々な危険が待ち受ける。川の流れの荒れ逆巻き、ジャガー、アリクイなど大型動物との突然の遭遇。Nambikwaraの信心では悪霊(Charia)との出会いはなお危ない。


« Nous apercevions tous les soirs, depuis une semaine, des feux de campement mystérieux qui tantôt s’éloignaient et tantôt se rapprochaient des nôtres. Or toute bande inconnue est potentiellement hostile »
同族の移動生活中の仮小屋(hutteヒュッテ)左の男の服装は本文にある通り、腰紐のみ。編みカゴが見える。生活資材を入れ込んで、背負って移動する。背負うは女、南米諸族はハンモックで就寝するが、同族は地べたで寝る。ハンモックを仕舞い運ぶ余裕はないから。なお男どもは弓矢の軽装で獲物を見つけたらとんで仕留める(口実のようだ)
写真はネットから採取した、時期的には20世紀初期か。


1週ほど前から夜毎、露営の火が遠く山間に不気味にちらついていた。ときに離れまた近づく。見知らぬ部族は常に敵となりうる(同)。
(Nambikwara族、乾季にはバンドを組み 移動(nomade)生活に入る。移動道のり露営地の選定はリーダーが決める。他バンドとも情報を交換し合って、行程が重ならず離反せずなどを調整するーこれらを悲しき熱帯から読み取れる。露営の火が望める近さなら挨拶があって然るべき。連絡を見せないは他の部族か。見知らぬは常に敵意の現れ)
« Nous décidâmes de partir en reconnaissance avec quelques indigènes qui avaient conservé un calme relatif. Nous n’avions pas fait deux cents mètres que nous trébuchions sur une forme immobile ; c’était notre homme, accroupi, grelottant dans le froid nocturne, privé de sa ceinture, colliers et bracelets »
我々は幾人かの族民とともに捜査に出ると決めた。彼らは森の夜を前に押し黙ったままだった。幾百メートルを進んだところで何物か、動かない物体に足を取られた。それが探している者だった。伏せたまま夜の寒さに震えていた、腰帯も腕輪も剥ぎ取られていた(186頁) 。
幸いに重度の打撲もなく、担ぎ上げて露営地にまで運び込んだ。族民皆の、何事が起こったのか、たっての頼みで « Enfin on peut lui arracher, bribe par bribe, les détails de son histoire » ポツリポツリながらも彼から委細を聞き出せた。 « Un orage―le premier de la saison―avait éclaté dans l’après-midi, et le tonnerre l’avait emporté à plusieurs kilomètres » 「嵐に遭遇し巻き上げられ、一旦はかなり遠方(rio Ananaz河畔)に落地し、その後に露営地近く(発見された場)に戻された」。
確かにその日午後にはこの年で初めての嵐が一帯を襲った。皆は一時の失踪と発見された彼の状況、そして午後の嵐の関連に辻褄を合わせ、これで納得して « Tout le monde fut se coucher en comprenant l’évènement » 寝に入った。
構造人類学を読む、出来事の由来 上の了(3月28日)
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プエブロ神話下の補遺

2023年03月21日 | 小説
(2023年3月21日)昨日20日にプエブロ族神話(下)をYoutubeに投稿しました。ヒトは己から生まれるのか « le même naît-il du même » 、あるいは他者(両性の交合) « ou bien de deux » から生まれるのかの名句(構造人類学の240頁)に私感を挿む場面を設けました(動画の最後半)。

このあたりを説明すると ;
両の神話(Œdipe神話とPueblo族神話)に共通する対極構造(理論と現実)を抽出して、理論(cosmologie)には「ヒトは大地から、一人で、己から生まれる」を挙げ、その対極に現実(réalité)を置いて、そこでの信条は「ヒトは女の股から、父を持ち、すなわち他人から」生まれるを挙げた。ここまではこれまでの説明で前置きです(スライド1)。


上のスライドは再出。

Cosmologie側の機動因は何か?現実と対極なので「超自然」と考え、つまるところ神、バイブルに行き着いた。これで説明がつく。ヒトは生まれる前にしてすでにヒトである。生まれるとは胚として子宮に宿る瞬間を(耶蘇教は)いうが、その前にすでにヒトとしての私とかあなたはこの世に居る。どこに居るかは知らぬが、胎児以前のヒトとは超自然、神としても不自然ではない、が造っていた。すべてのヒトは己の性状を「母からも父からも」受け継がず、超自然の力を借りて、己で造った。スライドの右世界がヒトは己から生まれる宇宙論となります。(スライド2=新たなスライド、本ブログのみの掲載)


宇宙論側の機動因を神のヒト創造とした。バイブル世界。左側は生物学の世界。

スライド左世界は生物学の現実でヒトは「女から、両性で、他人から」生まれる世界です。これをしてダーウィンとクリック(DNA二重螺旋の発見者)の世界としました。
この解釈、とくに右世界、神の世界には無理が残る。レヴィストロースは無神論者です。無神論者がなぜ神のヒト創造を語るのか。無神論だが採り上げている古代ギリシャやプエブロ族は有神の民族。彼らの有神論世界を解説した―なる答えはあり得るが、それは取り置き準備していた感がまとわり、かつ優等生的で面白くない。無神論ながらヒトは己から生まれる。この解を探さなければスライドの左世界の説明が中途半端で終わるしかし、ヒトが子宮で育ち生まれ落ちてもその児が生物学的にヒトであると分かっても、「己を持つヒト」なのかの疑問は残る。
――にしばらく考えていこうと思う次第です、雑感として(渡来部)。
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神話の構造Pueblo族のエディプス神話(下)のYoutube投稿

2023年03月20日 | 小説
(2023年3月20日)同名のGooblogに投稿(3月8,10、12日)のYoutube投稿をお知らせします。

動画リンク https://youtu.be/RMIy-85zV70 (一旦Youtube に入ってから検索窓にコピーペーストしてください)

Twitter ではダイジェスト版 フル再現(15分ほど)の画面縮小版が閲覧できます。アドレスは 
部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF

ブログでは3回の投稿をYoutubeでは2回となり、その後半です。前回の上(3月15日)ではŒdipe神話とPueblo神話の形式類似を論じた。今回は思想の共通性(人の生まれの由来)を主題としています。
一文抜粋 : <砂から抜け出る赤子を見た人はいない。人は女から生まれる、これが現実。これに対して信仰は「ヒトは大地に生まれる」。現実と信心の関係、女と大地は「逆向きの構造体」であり « l’une et l’autre trahissent la même structure contradictoire » 前者と後者は「同じ構造」を逆向きに検証している。すなわち男は一人で己から生まれる。真理(信仰)は正向きの砂から生まれ、それを逆向きにして女の股から生まれると言い換えているだけなのだ。よって宇宙論 « cosmologie » 思想が正しい。>


神話の宇宙論と現実を対比させた。人は己から生まれるVS人は他者から生まれるの相克


本動画で用いられる資料(パワーポイントPDF)は部族民通信ホームサイトに
www.tribesman.net
GooBlogアドレスは 蕃神義雄 部族民通信 (goo.ne.jp)
Pueblo族の神話(ネットで採取)は
www.tribesman.net/PuebloMyth.pdf 
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神話の構造Pueblo族のエディプス神話のYoutube投稿

2023年03月15日 | 小説
(2023年3月15日)同名のGooblog投稿(3月8,10、12日)のYoutube投稿をお知らせします。
Youtube動画リンク 
https://youtu.be/5PaCqaosYdk (一旦Youtube に入ってから検索窓にコピーペーストしてください)

Twitter ではダイジェスト版 フル再現(7分ほど)画面縮小 が閲覧できます。
部族民通信@9pccwVtW6e3J3AF

「ヒトは大地の底に蠢く惨めな虫けらだった。双子の神(少年)が植物繊維を用いた縄はしごを教えて、地底から脱出させた。大地に居住を始めたヒトの生業は野生植物の採取、そこから栽培植物育成と発展させた。狩猟と野生動物の肉食に進んで、戦争を起こして絶滅した。かく、左端は変化から滅亡(changement et mort)に宇宙の流れが定まる」
本動画で用いられる資料(パワーポイントPDF)は部族民通信ホームサイトに
www.tribesman.net

Pueblo族の神話(ネットで採取)は
www.tribesman.net/PuebloMyth.pdf 


本投稿では両の神話の「形式」での類似を採り上げています。ブログを簡略化した動画となります。


よろしくご訪問を。(渡来部 3月15日)
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神話の構造Pueblo族のエディプス神話 下 

2023年03月12日 | 小説
(2023年3月12日)北米先住民Pueblo族の神話をŒdipe神話の比較、とくに両の « schème » =伝えかけ=を重ね合わせ解析するレヴィストロースの文章を続けます。
« L’expérience peut démentir la théorie, mais la vie sociale vérifie la cosmologie dans la mesure ou l’une et l’autre trahissent la même structure contradictoire. Donc, la cosmologie est vraie »
経験は理論を否定できる。しかし社会生活は前者にしても後者にしても同じ構造体の逆向き(対極)であると検証している。よって宇宙論が正しい。
部族民 : 砂から抜け出る赤子を見た人はいない。人は女から生まれる、これが現実。これに対して信仰は「ヒトは大地に生まれる」。現実と信心の関係、女と大地は「逆向きの構造体」であり « l’une et l’autre trahissent la même structure contradictoire » 前者と後者は「同じ構造」を逆向きに検証している。すなわち男は一人で己から生まれる真理(信仰)からは正向きの砂から、それを逆向きにして女の股から生まれると、言い換えているだけなのだ。よって宇宙論 « cosmologie » 思想が正しい。


Zuni族の娘、ネットから採取

ここでの論理展開が本節の核心であり、最も分かり難い文でもあります。宇宙の「正」向きと「逆」向きは本質として同格であり、「思想」が示す向きが常に正しいのはなぜか?この疑問が湧きます。小筆は西洋哲学の基本の「形体と内性、実体と思想」に立ち戻りたい。思想は ; 神(あるいは超自然)がヒトを創る。創られたヒトの性状を己と言い、それは生まれる前から性状が決定されている。生まれながらに人は己である。砂から這い上がるヒトを目撃したら、彼は「己から生まれ出るヒトの本性」を具現していると受け止めろ。現実ではヒトは女の股から生まれ落ちる。しかしこの現実とは生物の仕組み(形体)を説明するだけで、ヒトの本性を論じていない。本性は「人は己から」そう念ずる思想、宇宙論が正しいのだ。
次の数節はこの解析(砂からだろうが女からだろうが)幾つかの神話においては「一の宇宙論」を伝えている――説の補強 ;
« Ouvrons ici une parenthèse, pour introduire deux remarques On a pu négliger une question qui a beaucoup préoccupé les spécialistes dans le passé : l’absence de certains motifs dans les versions les plus anciennes (homériques) du mythe d’Œdipe … » (page 240)
ここで2点に留意するために括弧を設ける。最古のエディプス神話(ホメロス期)には幾つかの筋道が欠けているーこれが神話研究者を悩ませていたのだが、その問題「起源の神話とは何か」を(上記の構造主義的視点を採れば)無視できる。
« La méthode nous débarrasse… à savoir la recherche de la version authentique ou primitive » この進め方(もともとの正統的神話とは何か)は私を困惑させる…言ってみれば起源を探す試みだが、それは原初の神話でしかない。
部族民 : 2点とは神話の起源と正統の課題。しかし「神話は今も語り継がれる」とすれば、そこには民族の宇宙論 « cosmologie » が同時代的に反映される。(これまでの神話学)目的は神話の原典を再現する試みは、神話は族民の宇宙論を反映するとの解釈を前にして無意味である。
フロイト論が始まる。
« Ce principe est bien illustré par notre interprétation du mythe d’Œdipe qui peut s’appuyer sur la formation freudienne, et lui est certainement applicable. Le problème posé par Freud en termes « œdipiens » n’est sans doute plus celui de l’alternative entre autochtonie et reproduction bi-sexuée. Mais il s’agit toujours de comprendre comment un peut naitre de deux »
Œdipe神話の我々の解釈はこの原理(神話は宇宙論の同時的反映)で説明できるし、これがフロイト公式に重なりその説を補強する。エディプスコンプレックスとは「大地生まれ」と「両性が世代を再生産する」の択一ではない。一人はなぜ二人から生まれるのか、如何にしてこれを理解(克服=部族民注)するかに行き着く。


Œdipe神話を取り巻く宇宙論と現実世界

古代ギリシャと新大陸、空間時間の隔たりに関わらず中身が似通う理由は「汎人類性=思想=一人男が他者から生まれるかへの反発」がこれらの神話に、さらには世界の神話に潜むと考えた。神話伝承にヒトの「思想」が被さることになるが、この意表を突く視点を採ることで「形而上」の観点から神話説明が可能となり、神話の「構造性」を突き止められる。哲学、構造主義から神話の解釈。レヴィストロースの叡智を前にして縮む身の矮小さに、ひたすら震えを覚えた老筆でした。
神話の構造Pueblo族のエディプス神話 の了 (3月13日)
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神話の構造Pueblo族のエディプス神話 中

2023年03月10日 | 小説
(2023年3月10日) Œdipe神話は個(英雄)が活動する。登場する人物素材 « propriétés » は個性有し目的を持って行動する。冒険をかいくぐるも結果は悲劇、責を追うのは個である。北米神話は族民が全体として行動する。彼らが受ける受難と結末は族民に覆いかぶさるわけで、これが人類の宿命、宇宙論として訴えかける。個としての行為はギリシャ神話において深く、宇宙尺度での人類論は北米神話でより広い―と言えそうだ。以上は見えている神話の実際(構造)での類似、相違での比較である(図を参照)。


上図開設は下段

(本筋からずれるが人間社会には「超個体」なる実体が、偶発的に発生するとの説を読み知った=Superorganism、B・ヘルドブラーら=困難に直面した集団において、構成員は立ち向かうため自己認識を集団に融合させる、結果として集団は個体として活動する。神話を形成し伝播させる族民の活動に超個体が認められるー言い過ぎではないだろう)
レヴィストロースは見えない部分、それを思想とするかスキーム訴えかけ « schème » の範囲であろうか、この比較を「形而上的」説明で展開している。このあたりを読もう(本書239~240頁)。
ここでの文体はモロ哲学というか修辞法の塊か、凝ったこねくり回し難文の連なりなので理解に週日を要した。Œdipe神話、その構造の4の柱に戻ってこれを基準点と標し、この手順を北米神話にも応用せむと決めた。
Œdipe(エディプス)神話に戻ると英雄(カドモスとエディプス)は左右の結界いずれかの生まれ、対極する世界に向かう。試練 « mésaventure » に遭遇する。英知と勇猛さを武器にしてを乗り切るのだが、その乗り越える過程が神のお告げを具現するしている。対極する結界は「相容れない、正反対contradictoire」の性格を持つ。Pueblo神話にもこの「対極」の思想は色濃く流れる。
思索をまとめている本文に入る ;
« Que signifierait donc mythe d’Œdipe ainsi interprété à l’américaine. Il exprimerait l’impossibilité où se trouve une société qui professe de croire à l’autochtonie de l’homme de passer, de cette théorie, à la reconnaissance du fait que chacun de nous est réellement né de l’union d’un homme et d’une femme. La difficulté est insurmontable » (page deux cent trente-neuf)
アメリカ風に翻訳されたエディプス神話は何を伝えかけるのか。男の生まれは大地からと信じる社会には、この論理を乗り越え我々の誰もが一人の女と男の結合から生まれ出る、との(現実に対処する)認識にたどり着かないであろう。乗り越えられない困難がここに横たわる。
部族民(渡来部) : 男は大地から生まれるーを伝承する社会が古代ギリシャと北米に見つかった。しかし女から生まれる現実をヒトは目の前にする。それを否定し逃れようと彷徨し、苦難試練の最果てに古代ギリシャも北米先住民も悲劇を迎える。(Œdipe 神話では母と交合、Pueblo族神話では水平婚(たわけ)兄妹の近親姦。いずれも近すぎる近親関係の世界に迷い込む)。大地説と女から現実は「対極」で相反するものだが、それをなんとか交流させる手段、両極の中に2の柱を設け仲介とする筋立て類似は偶然ではないはずだ。
« Mais le mythe d’Œdipe offre une sorte d’instrument logique qui permet de jeter un pont entre le problème initial ―naît-on d’un seul, ou bien de deux ? ― et le problème dérivé qu’on peut approximativement formuler : le même naît-il du même, ou de l’autre ? »
« Par ce moyen, une corrélation se dégage : la sur-évaluation de la parenté de sang est, à la sous-évaluation de celle-ci, comme l’effort pour échapper à l’autochtonie est à l’impossibilité d’y réussir »
しかし視点を替えればエディプス神話が、解き明かしの論理手段を提供してくれる。そもそもの問題点は(人は「大地からか女か」ではない)一人で生まれるのか二人からか。これを起点として浮かび上がる次の提題は「個は己から生まれるのか、他者から生まれるのか」。これが2問題を結ぶ架け橋(pont)となり、現実に立ち向かう困難を解決できる策を与えてくれる。
この進め方を採ることでとある連関性が浮かび上がる。緊密すぎる血縁関係と疎遠な血縁関係を向き合わせ見ると、男の大地生まれ(の信仰)から抜け出ようとする努力が、それなど達成できるはずのない不可能さ、に対峙すると同じである。
部族民 : ヒトの生まれは己からか、他者から生まれるのかに行き着く。Œdipe神話のフロイト解釈では一人で(己から)生まれる。Pueblo神話では「族民」は地底に住む惨めな「己」が地上に上った。自己に成るべく(ヒトらしき姿に生まれ変わるために)試練を経る。足の腫れたエディプスと地底の惨めなZuni族、試練を乗り越えても神託通り身をやつしたエディプスがヒト姿に昇華したZuni族と対極に重なる。


図はエディプス神話とプエブロ神話の比較
○はヒトの生誕、地の底。斜め破線は異界に彷徨い込む経路、仲介を経る。

神話の構造Pueblo族のエディプス神話 中 の了 (3月10日)
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神話の構造Pueblo族のエディプス神話 上

2023年03月08日 | 小説
(2023年3月8日)レヴィストロース著「構造人類学」の神話の構造章の紹介を続けます。


(章題の頁)

前半はエディプス神話(過去投稿)に続いてPueblo族神話を紹介し、両者を比較する。
Pueblo族Zuni支族が伝承する神話をŒdipe解析で展開した4柱分解と同様の方法で作成した図(244頁)を掲載する。図からある程度の筋立ては見える。<地下に住む虫けらみたいなご先祖が地底から抜け出し繁栄し、滅亡する>と推測した。本書(構造人類学)には原典のPueblo神話は引用されていないので、統合した筋道が見えてこない。そこでネットからプエブロ族神話を以下アドレスwww.tribesman.net/PuebloMyth.pdf (部族民通信ホームページ、無害です)に貼り付けています。Œdipe神話との共通点も読み取れるかと思います、訪れてください。



Pueblo神話の図(上図、左は本書244頁デジカメ)の説明 : 左端の柱はヒトの出現から破滅を語る。ヒトは大地の底に蠢く惨めな虫けらだった。双子の神(少年)が植物繊維を用いた縄はしごを教えて、地底から脱出させた。大地に居住を始めたヒトの生業は野生植物の採取、そこから栽培植物育成と発展させた。狩猟と野生動物の肉食に進んで、戦争を起こして絶滅した。かく、左端は変化から滅亡(changement et mort)に宇宙の流れが定まる。
右端柱は死(兄妹の水平婚たわけが発生し、子が絶滅する)からから始まり久遠(mort et permanence)の世界の移り変わりを表す。こうした因果の有様を左右に配置し、ヒトは生業と社会を変遷させては失敗を繰り返すと教える。これがPueblo神話かと理解する。最終には安定(permanence)を得る(右端柱の最下点)、結末が全て悲劇のŒdipe神話とここが異なる。
左柱から右への移動の行程を見ると仲介役がヒト(族民)を導く。それらは 1双子の神 2兄妹(近親姦を犯す) 3祭りの道化師(Clown) 4戦の神(二人神)などとなる。
1図の左端柱を第2図にて拡大している。この柱の上は生命(成長)で最下部は死(停滞)、上下は相容れない対極世界となるが、上から下に移るとは生産手段の変遷。農耕から狩猟へ、植物から動物の食物に変換している。この過程は世界観の思想そのものでありレヴィストロースは « cosmologie » と形容している。他極への入れ替わりの画期をヒトが狩りを始めた時点としている。
Œdipe神話とPueblo神話の類似を探ると ; 
1 対立する世界(結界)
2 人の大地生まれ、生まれ出た者たちの脚の不自由さ(Œdipe神話では「びっこ」差別語らしいあえて一度だけ用いる、以下は足の不自由さに統一する。Pueblo神話では手足の指の間に膜がある、不恰好な生物で、直立できず這って歩いていたなどと記載される。これらはアドレス部族民通信ホームページwww.tribesman.net/PuebloMyth.pdf、ネットサイトhttps://kachina.studio-kokopelli.co.uk/に参照あれ)。大地から脱出できなかった者が地底の怪物になった(落伍者たちは、人間になれずに怪物になり=同サイトから引用)Œdipe神話でのスパルトイ、スフィンクスなどと対比できよう。
3 中間線をふらつくヒト(英雄あるいは民族)、仲介する事象(スフィンクスの謎掛け)またPueblo神話では誘導する神、が対立する極に誘い出し・結局人は滅亡する
一方で相違は ;
1 2極対立と4極の対峙。Puebloでは左右柱に対極性がある上、柱の経時性(Œdipeでは因果とした)の起点と終点に対峙がある。
2 仲介役の演出に違い。Œdipeでの仲介役はスフィンクスなど自身が筋立てに参加している。明確な性格 « trait » を帯びる。Puebloでは仲介役は族民を引き回す「機能」でしかない。
3 Puebloでは宇宙を彷徨するのは族民(集団)、 Œdipeでは個人(英雄)。Pueblo族民は仲介役に引き回されるがŒdipe (カドモスとエディプス)は自己の機転と勇敢で苦難を乗り越える。
神話の構造Pueblo族のエディプス神話 上 の了

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