蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む3

2018年10月31日 | 小説
(2018年10月31日)
本書「食事作法の起源」のモンマネキ神話ではヒーロー・モンマネキの同盟結成の努力が描かれます。人の娘と婚姻を結べば無難にまとまるはずですが、洪水に襲われ生き残ったのは地霊に拾い上げられた彼と老母のみ。娘などどこにも見当たらない。狩人として細々と生活を立てながらも、カエル、地虫などとの同盟を試み、老母の介入を受け、破棄されながらも、幾つかの「文化」を発明する。重要な一つがカヌー(pirogue)航行。逃げた嫁(金剛インコ)を追い、Solimoes川を下ります。
この「川下り嫁探し」はTukuna族からアマゾン下流のArawak族に広く伝わる神話の要素です。Warrau族はアマゾン北方、オリノコ河流域に居住し、アマゾン流域諸族との交流関係は当然、密接です。Warrauが伝える川下りの一例「麗しのアサワコ」M406、111頁を紹介します。
あらすじ;
主人公Waiamariは訳あって叔父宅に居寓する。叔父は幾人かの嫁を持つ。もっとも若い嫁が二人して水浴びの最中に言い寄ってきた。Wai..は「Inceste! honte sur toi近親姦だ、己の恥をしれ」とはねのけた。叔父宅に居ては危ないと別の叔父(Okohi)宅に移る。前に同居していた叔父はこの行動をあやしみ、Wai..が先に叔母を誘惑したと決めつけた。引っ越し先に来ては闘いを売りつけた。そのたびに叔父がWai..の背をとる(勝つ)。Okohiは仲介に入り、Wai..に旅をさせる。

解説;Warrau族は南米先住民のおおかたの例に違わず母方居住。Wai..は成人儀礼の前なので母方の居宅に住む。叔父とはこの居宅に「夜にのみ通う」別の支族の男であろう。Wai..と彼とはいずれ、地位と身分で対抗する。さて、母方居住の周囲には、母の姉妹と他にも血族の女のみ。言い寄る叔母とは叔父の連れ合いではなく、Wai..の母の妹となる。即座にはねのけるWai..の様がその証左であるが、次の一文<<Ce depart eveilla les soupcons du premier oncle qui l’accusa d’avoir voulu seduire SA PROPRE TANTE>>に実叔母である証拠が読める。
訳;唐突なこの移動により、はじめの叔父にありとあらゆる疑念が沸きあがり、己の妻で(Wai..には実の)叔母を、Wai..が誘惑したのだと罪をなすりつけた。
PROPREを大文字にしました。この語を名詞の前に置くと「己の」所有を表します。mes propres yeux は己の目で、「私の清潔な目」を伝えたいならmes yeux propresとする(辞書robertから)。PROPREを冠せられる TANTEは実の叔母となる。叔父の連れ合い、義理の叔母ではない、実の叔母との近親姦となれば、犯してしまったら禁忌の罰の度合いはなお強い。
読者はここでM1(第一巻、生と調理の最初の神話、Bororo族)を思い起こす筈です。それは、実の母と近親姦を犯し父に捨てられ(鳥の巣あらしの経緯)。ハゲワシに啄まれ死んでも蘇り、村に戻って父母を殺戮し、祖母と新たな社会を創造する。成人間近の男子が母方に居住する母系本来の危うさを、通過儀礼の風習に織り交ぜている構成です。婚姻の規則の成り立ちを窺わせる意味から、卓越した筋立てとされますが、Warrau族に伝わるアサワコ神話は、M1の伝播であります。

さて、Wai..の旅とはOkohi(親切)叔父とのカヌー行。オリノコを下ります。艫に叔父、舳先にWai..は身分の上下からしての位置取り。程なくしてアサワコAssawakoの住む岸辺に着く。彼女を形容するに原文はla belle et sage(美しく賢く)を用いている。投稿子は「麗しき」と訳した。

写真:warrau族の神話を読みホメロス、カリプソのくだりを思い出してしまう。図はアルノルト・ベックリンによる(ネットから採取、著作権については作者の生存年からして問題なしと判断した。間違いであればご指摘を)


<<Celle-ci les recut gracieusement et pria l’oncle de laisser son neveu l’accompagner aux chanps.…Assawako dit au jeune homme de se reposer pendant que’elle irait chercher de quoi manger>>
拙訳;アサワコは二人をおおらかに受け入れ、叔父には野に出るので甥ごさん(Wai..)を同伴できないかと頼んだ。(野に出ると)アサワコは「 ちょっとした食べる物を見つけてくるからここに休んでいて」一人森に入った。
de quoi mangerはフランス人が軽食を摂るさいによく用いる「何とか口に入る物」的で粗末な食い物の意味。そして持ち戻った物とはバナナ、パイナップル、サトウキビ、スイカ、ピーマンなど。それらを両手に一杯抱えていた。アサワコは謙遜した。
帰り道に彼女が尋ねた「あなたってきっと素適な狩人なのよね」(=elle demanda s’il etait bon chasseur)するとWai..は
<<Il s’eloigna sans mot dire et la rejoignit presque aussitot avec une pleine charge de viande de tatou. Elle etait fiere de lui, comme il convient a une femme, elle reprit sa sa place en arriere>>
訳;答えるにもその一言を残さず、Wai..は彼女から離れすぐに立ち戻った。手にアルマジロの肉をたっぷりと抱えて。アサワコはすっかりWai..を気に入って、その順が女性に心地よいので彼の後ろに身を寄せた。そして帰り道、
<<Quand ils furent presque arrives, elle promit qu’on trouveraient de quoi boire dans la hutte et s’informa s’il savait jouer d’un certain instrument de musique.<un petit peu>, repondit Il joua d’une facon merveilleuse. Il passerent la nuit en tendres ebats>>
拙訳:途上アサワコはWai..に小屋には飲み物があるのよ。あなた、何か楽器が弾けるのかしら。するとWai..は「ちょっとだけ」と答えた。いざ手に取ると、彼はすばらしい奏者であった。かく、二人はその夜を甘いebatsに過ごした。

ebatsとは何か。辞書では気晴らし楽しみとある(スタンダード)。少し踏み込もう、するとebats amoureux(愛の楽しみ)なる語を発見した。その意がまさにactivites erotiques(エロチックな活動)とある(robert)。
若い二人の半日一夜の楽しみの、迎える終盤、叔父のはずれた小屋での二人には、楽器の奏にとうっとり聞き惚れ、ebats三昧だった。

楽器とは若い男が娘に求愛する役割を持つ。男は通過儀礼を前にして、楽器演奏の修得に余念がない。Wai..の旅とはその儀礼の真っ最中(旅に出る事が通過儀礼である)。腕前はすでに成人並みで、アサワコはまたまた、この若者に惚れ直した。
よって二人のebatsとは辞書robertの教えるままに、amour(愛)の交歓だった。

しかしこの愛は成就しなかった。Wai..は<<Je ne puis pas abandonner mon oncle. Il a toujours ete bon pour moi>>叔父を捨てる訳にはいかない、彼はいつも私をよくしてくれたとアサワコに告げる。La jeune femme fondit en larmes, lui aussi etait triste. 新妻は目に涙を溜めた、彼も悲しかった。
Wai..がとどまれば叔父は一人にしてカヌーで川を遡る。カヌーは一人では操れない、まして上りでは転覆を避けられない。これがモンマネキが味わった苦労で捨てるの用法が正しい。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む3の了
(次回投稿は11月2日予定)
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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む2

2018年10月28日 | 小説
(10月28日)
モンマネキ神話(M354)は異種混淆の同盟4例をまず語ります。この筋に魚の起源、カヌー旅発ちを舞台道具として用います。魚の起源は前回紹介したので、カヌーでの旅発ちを引用する;
>>Il (Monmaneki) invita son beau-frere a l’accompagner dans la decente de rio Solimoes. Monmaneki se tenait a l’arriere, le beau-frere a l’avant. Il se laissaierent porter par le courant sana pagayer. Enfin ils arriverent au pay ou la femme -ara s’etait refugie. Toute la population accourut sure la berge pour voir la pirogue et ses passagers, mais la femme de Monmaneki se cacha dans la foule<<(食事作法の起源19頁)
拙訳:モンマネキは義弟をSolimoes川下りに誘った。彼は(カヌーの)艫に座し義弟は船首を占めた。オールをこぎもせず流れに任せるだけ、妻が逃げた(インコの)国に到着します。村人は総出、カヌーと旅人を見聞に岸に走りだした。妻は人混みに隠れていた。

この後の出来事は引用を省くが以下に;
義弟は隠れていた姉(モンマネキの前妻)を発見し。インコに戻ってその肩に留まる。モンマネキはカヌーを離岸させ遡るが転覆した。カヌーはSolimoes川の魚の産卵場となった。彼もインコに変身し妻の肩に留まる。しかしモンマネキは自分の村(人間社会)に戻ったーと続く。

Rio de Solimoesをwikiで調べるとマナウスでrio de Negroと合流する。その位置ですでに世界最大の河川で、合流点から下流をアマゾンと呼ぶ。アマゾン上流の一河川のSolimoesだが、これをアマゾンと呼ぶ場合もある。モンマネキ神話とは世界の大河を舞台とした広大な視界の広い冒険譚だったとは。
金剛インコとの婚姻は、カエルなど前3例が偶然の出会いで成り立ったに同盟であると較べ、継続できる同盟を形成しようとするモンマネキ(人間社会)の意志が反映されている。まず、義弟がモンマネキ社会に同居していた。モンマネキが居住を許したのだ。妻の後を追い、また同盟の修復を目的に義弟とともに川を下る。ここでレヴィストロースは、船首に漕ぎ手、船尾に操舵者を必ず設けるというカヌー(pirogue)独特の操舟技法を説明する。漕ぎ手は操舵者よりも社会地位が下位、役割は力仕事、ひたすら漕ぐだけ。ここに(下位の)義弟を置くのだが、舟行きは下りなので漕がずに進む。船旅下りとはインコ村は遠方にあるとの示唆である。
村に戻り姉を見届けた義弟は、カヌーから逃亡しインコに戻った。これでインコ同盟の破局が決まった。帰りの舟行きは川を遡上、しかもモンマネキの一人操舟、神話はすぐに転覆したと伝えた。pirogue操舟手練れのTukuna族民は、それは当然と受け止めるかもしれない。
澪筋にもんどり打ったモンマネキ、すぐさま作戦を変え己がインコに変身し、インコ村に定着する行動を取った(前妻の肩に止まる)。この方針転換の努力も最後のあがき、叶わずに同盟の再構築に失敗した。この失敗があってこそ、実は人間社会が文化を熟成できたのである。川下りし遠方で嫁を探すエピソードと、その結果としての社会構築は別の神話(M406麗しきアサワコ、Warrau族)に引き継がれる。

1~4の異種混淆の同盟を俯瞰すると、原初的偶然の(exogame族外婚)カエル同盟から、永続する形態で形成せんとするモンマネキの行動進展が読める。その間に魚が創造され、カヌー移動も発明される。人間社会の文化程度が徐々に熟成される。レヴィストロースはこの4話をして「異種から人と人との同盟」への架け橋(transition)としている(21頁表、写真)。


写真:同書21ページから。カエル婚から人の娘婚までの5例、4例がexogame(族外婚)、最終にendogame(族内婚)。インコは4例目で族外と族内を結びつける位置としている。

5例目でやっと人間の娘との婚姻(endogame)にたどり着くのですが、妻は奇怪な形態を取ります(前回で一部紹介)。上下が脱着する妻は、行き場を失った上半身がモンマネキにしがみつく。しがみつき女が「転がりがん首」に変化し、女性男性の入れ替わりもあり、月の創造神話につながってゆく。

老母は(M1=bororo族の「火の起源神話」が伝える洪水で生き残った祖母と同人物)は息子モンマネキが同盟を形成するたびに介入し、カエルや地虫の妻を追い出し、鳥もいびり同盟を破壊する。母のこの行動をどのように解釈するか。モンマネキ神話とはM1神話(火の起源、bororo族)の続きなのでM1テーマにその示唆を求める。すると姑が息子の嫁に嫉妬して嫁を追い出したなどの人間しがらみ模様では全くない。

M1での火はカマドの火です。稲妻の火でも森林火災でもない、人が制御し調理に使う火。自然の習慣、生肉喰らいから脱し、料理する人間社会humaniteの文化を維持するために火が位置づけられる。自然と文化の仲介役(mediateur)とレヴィストロースは定義します。
空には天の火が、地には地上の火が燃える。高き天から低き地へと流れ落ちる、高さの変位は連続している、それが自然の摂理。
文化としての火は天上にも地べたにもなくカマドの高さに位置を占める。天地の連続に断絶をもたらすカマド火は自然と文化の仲介者mediateurであるとの主張です。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む2の了
(次回投稿は10月31日予定)

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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む 1

2018年10月26日 | 小説
(10月26日)
本書の冒頭、第一神話に「狩人モンマネキと妻達」(le chasseur Monmaneki et ses femmes通し番号354)が紹介されます。口承担い手のTukuna族をWikipediaに訪ねると、ブラジル(マトグロッソ)ペルー、コロンビアでかつて有力先住民であった。現在も同地区に4万を超す人口を数える。族内婚を実践している、言語的には孤立しているとある(Tikuna族とも呼ばれる)

写真:Tukuna族の家庭。撮影年は1885年。wikipediaから採取。

神話あらすじは;
モンマネキと老母は神々に「釣り上げられた」。二人して最初のヒト社会を営む。彼は狩りのみを生業としていた。狩り行きの道すがら、カエルの跳ねるを見るを常としていた。ある日、戯れにカエル穴に小便を垂らした。しばらくしての朝、いつもの道ばたに彼が見たのは、淑やかさも辺り森影に際だつ妙齢の婦人が立ち構えていた。恨みがましく「身ごもるこの子の父はお前だ。男根を妾(わらわ)に向けたではないか」告げた。
<<Un jour, une gracieuse jeune femme parut a cet endroit. Monmaneki s’etenna qu’elle fut enceinte : 狩りに向かうも夫婦二人はともに発つ。仲むつまじく過ごした。ある日、嫁が自分用にと用意している調理壺を、姑が何気なく覗くと、ゴミ虫やらムカデがうごめいていた。「こんな臭い物を息子に用意いしていたとは」ヒトの食物に整えるため辛子をたっぷりかき混ぜた。その夕、その食物を口にした嫁の口が辛子で焼けて、食卓から逃げ出し沼に飛び込みカエルに戻ってしまった。
<<la femme fit chauffer sa petite marmite personnelle et commenca a manger, les piments lui brulerent la bousche. Elle s’enfuit, et sauta dans l’eau sous la forme de grenoulle>>(同)
これが人間社会が開始して、初めての同盟結成、モンマネキの失敗の顛末です。同盟の努力はさらに続く;
arapaco鳥(種別不明)が樹上に休むに目をとめ「ひょうたんを満たすだけの樹液をおくれ」と呼びかけた。その夕の帰り道、その見つめる顔に立つ姿、とっても魅惑的な娘が彼を止めた。椰子酒がたっぷり充満する瓢を肩にする。彼はその娘と婚姻を結ぶが、姑の介在で破局する。その理由が、見目麗しいのだが脚が醜かったから(vilains pieds)。一本棒の鱗刻み、前爪3本後ろが1本の鳥脚だった。
続いて地に這う芋虫、金剛インコと都合4例の「異種婚姻」による同盟を模索するが失敗。5例目が同族婚、すなわちヒト(らしき)女と結婚する。この例は本投稿の序(10月22日)で紹介している。簡単に紹介すると女は上下半身が分離する。その機能と経血の垂れ流しを融合させ、ピラニアを大量漁獲する。姑の策略で離婚に至る。モンマネキは正しく機能する同盟を求めてカヌー(pirogue)で川を下る(本文には記述はないがレヴィストロースはそのように伝える)。

モンマネキ神話の立ち位置を分析しよう。
彼は猟師(chasseur)で他に生業を持たないことの記述の意味あいとは何か。最初の人間世界(la premiere humanite)はあらゆる神々(les demiurges=地霊、地祇であろう)により釣り上げられた。動詞pecherは釣る、釣り上げる。創造するの意義はない。受動形のpecheeには釣り上げられたとの意味しかない。地霊達によって水から引きあげられ人間社会。そして構成は老母と狩人のみ。
これは鳥の巣あらし・火の起源神話(全ての基準となるM1神話、生と調理の巻の冒頭に引用される)の後日物語に他なりません。M1をさらうと、主人公は上下婚(母子たわけ)犯し、父に咎められ天上に放逐される。ジャガーに身を寄せ、(弓矢での)狩りを学び、トカゲにやつして村に戻り、父と複数の母(婚(たわけ)相手の実母も含む)を殺す。村は洪水に襲われ全ての火が消えるが、身を寄せていた祖母宅のカマド火だけが残り、彼と祖母で、火と狩り道具を自由にする人間社会が新たに始まる。しかし火と狩りは文化の一断面に過ぎない。再生産(次世代を造る)同盟はいまだ、どことも結ばれていない。
M1は洪水、火の確保で終わる。この続きがM354 モンマネキとなります。残ったのは祖母、モンマネキには老母、この差異はあるが伝承の誤差であろう。

神話後半に魚の起源が語られる。4番目の妻(金剛インコ)が別れ際に「どこかにある月桂樹を探せ、その木っ端が魚にかわる」教えたと伝える。そのくだりを引用すると;
<<Monmaneki courut en tous sens a la recherche du laurier、Il abbatit vainement plisieurs arbre a coups de hache. Enfin, il entrouva un don’t les popeaux devinrent de poisson quand ils tomberent dans l’eau>>(19頁)拙訳:モンマネキは四方八方その月桂樹を探し回った。空しく幾度も木を切り倒したはてに、やっとの事でその木を見つけ出した。木っ端が水に落ち魚に変身した。
この世に生まれたばかりの魚、それを獲る技法をヒトは知らない。しかし妻となった女は漁獲にたけてそれにいそしむ。しかしなにやら奇怪な方法だった。老母が分離した上半身は下半身に戻らないよう仕掛けたのも、この奇怪(非文化)の否定辺りにあるようだ。
そもそも前の4例で、老母が息子の同盟作りに介入し破棄する理由もすべて奇怪さ、すなわち非文化の否定にある。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む1の了
(次の投稿は10月27日)

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レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む 序

2018年10月22日 | 小説
(2018年10月22日)
構造主義の視点から新大陸先住民の神話を分析する「構造神話学」。社会人類学者にして哲学者、古今東西のみならず西欧文明から無文字文化に精通したレヴィストロース、彼の思想を集大成した作品が「生と調理(le cru et le cuit)」を第1巻とする構造神話学4部作です。投稿子はこれまでこの1巻と第2巻(du miel aux cendres蜜から灰へ)の解説を当ブログに投稿しています。初めてこのサイトにお立ち寄りの方には、過去ブログも併せてご高覧いただければありがたい(本文最終行にそれぞれの投稿日付があり)

各巻には主題(theme)が用意されます。主題に沿い神話が引用される。
第1巻の冒頭に引用される第1の神話M1はbororo族が伝える「金剛インコarasとその巣」です(レヴィストロースが採取した時期は1930年代、今も残るbororo族で語られていると聞く)。第1巻と続く3巻の4巻、総計813を数える神話の基準となるのがこのM1神話です。別称「鳥の巣あらし=denicheur d’oiseaux」「火の起源=origine du feu」あるいは「父親殺し=parenticide」ともされる。問いかける中身がそれだけに多様である故に、基準神話としてレヴィストロースが取り上げたと見る。そして投げかけるthemeとは「文化の獲得」に尽きる。
Bororo族の思想では無秩序と見える自然には秩序が隠れている。その秩序はあくまでも自然の仕組みなので、人の世界とは折り合いがつかない。いかにして自然から這い上がり、文化を獲得し人間社会を形成したかを200に及ぶ神話群が、登場人物の変容や自然環境の移り巡りの流れの中で、幾度も繰り返し説明している。

写真:食事作法の起源の表紙。右左は太陽神と月の神。日夜交替の周期性を創造した

自然と文化とは物体(etre)である。それらには対照となる「思想」が想定される。1~2巻でしきりに語る「連続continuite」対「分断discontinuite」が思想である。自然は連続、分断が文化と定義している。あるがままの自然に非連続性という分断を持ち込み、心情、行動、身の振る舞いなどを律する文化。人としての規則集成が文化。自然から文化への道のりは分断の連なりである、200の神話が教えてくれます。

例として獣を仕留め生肉をむさぼる行為が自然で、その課程には食べたいという欲望との連続性が認められる。しかしヒトは「火」を創造し、獣を捕らえても生では食さず、火という反自然を介する「調理」の後に家族に供され、家族順列の規則に従い食される。獲物を狩った「婿」の順位は低く「疲れたから食べたくない」などとの気配りを妻子に表明するのが「文化」である。食という日常の行動に「非連続」という社会要素を持ち込み、行動の規範と心情の保ち方で人を律する。これが文化でそのパトスは分断であると南米先住民が思考している(とレヴィストロースが教えてくれた)。

以上が第一巻le cru et le cuitの要約です。第2巻蜜から灰へでは、文化を維持するもう一方の担い手のunion、同盟あるいは婚姻、そして姻族とのつきあい方、特に婿の義務prestationを同盟維持の重要な要素として伝えている。

本投稿で取り上げる第3巻「l’origine des manières de table食事作法の起源」の主題は「周期性=periodicite」です。文化は継続しなければならない、継続とは周期性、文化には周期性が欠かせないとの思想を神話に反映させている。例を挙げるとunion婚姻のあり方。姻族となる集団が遠すぎる場合には、交流が絶たれるからunionを継続できない。近すぎても継続できない。この近すぎるunionを「近親婚」とレヴィストロースは解説している。近親婚が継続を持ち得ないのは別作「親族の基本構造」で論ぜられている。
遠くも無く近すぎでもない関係で婚姻を規規則化すれば同盟は継続できる。これは婚姻には文化的、機能的な仕組みがあるとする説に他ならない。第一作の「親族の基本構造、les structures elementaires de la parente」で世界諸民族で実行される「交差いとこ婚」について、「同盟の継続維持」の機能を持つと彼は主張した。親族ではあるが通婚できる関係と認められる交差いとこは近すぎず遠くはない(娘を通して資産と文化を交換しながら継続できる)。継続性の思想から婚姻の規制(物体)を「神話の語り口」から抜き出したと言える。レヴィストロースならではの洞察です。
もう一例をあげると食料生産と周期性。
本作冒頭の神話、モンマネキの冒険譚(M354)は奇怪な婚姻の5例を語る。その最終の試みで彼は近い(近すぎる)娘と結婚する。その身体は上下分離式で、下半身から引き抜くと上半身が勝手に動き回る。この機能を生かして魚を獲る。下半身を岸辺に置いて股間から経血を垂れ流す。流れに漂う血の臭いにピラニアがおびき出され、水面に浮かぶ上半身がそれを手づかみですくい上げる。ピラニアは肉食、こんな漁労法では下半身が囓られる筈だが、彼女のそれは水中に漂わない。上半身が水面に浮くだけで安全、心置きなくピラニアを捕る。しかし、この漁労法が否定されるのである。女が魚を捕るとは周期性periodiciteの違反である。まして禁忌の経血をまき餌にするとは。
ではなぜ周期性に違反するのか、別の神話が答えを出している。
女が魚を捕ってはならないとの不文律が新大陸に広がっている。新大陸のみならず、旧大陸でも漁労は男の仕事、女は貝類採取と決まっている。日本でも男の漁師に対して女はアワビの採取と分担が決まっている。青木繁は名作「海の幸」で漁師を男の列として画いた。
漁労を狩猟と置き換えれば役割分担の理由は明白である。男は「弓矢を携え」狩りに出て、家の「火を守る」女が調理をになう。弓矢も火も「文化」である。それらを獲得した時には用途も担い手も決まった。そうした規則を遂行し例外などは認めず、社会の継続に力を尽くしているのである。
次回からモンマネキ神話を紹介する。

レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む 序 了

参考;これまでのブログ投稿(レヴィストロース関連)
1 猿でも分かる構造主義(2017年4月5日~27日全8回)
2 悲しき熱帯を読む(同5月8日~7月12日全13回)
3 レヴィストロースを読む神話学「生と調理」(9月13日~24日全5回)
4 レヴィストロースを読む神話と音楽(10月10日~11月28日全8回)
5 神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する2018年6月11日~7月7日全12回)
ブログ頁の左にある「バックナンバー」から追跡できます。

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カツ丼の自由の続き 3 最終回

2018年10月13日 | 小説
(10月13日)
アンドレ・ジッドの代表作「狭き門 La porte etroite」は主人公ジェロームの語りで筋が流れる。語る本人は「私」、これはrecitと呼ばれる文芸の一分野です。口承される内容はジェロームの視界の枠の内。いずれの行に目を落としても「私」が見た状景、感じ取った他者の表情反応に描写が止まる。すなわちアリサの心の動きを、ジェロームがどのように読み取ったかが綿々と綴られる。
しかし「私」の回りのみでは視野は狭い、ジッドにしてもその閉鎖性に気づいていた。そこでアリサは平素から日記(journal)をしたためていた「その日記をジェロームが読む」の段がrecitに続く。日記をrecitに重ねて読むと、あれほどにも対話を持った二人がかくも誤解を重ねていたか、愛と情けのすれ違い様に、投稿子は一読者として戦慄を覚える。
死を迎えたアリサがそれを封印し、ジェロームに遺贈した形見の日記。その日々の覚えに託した意味に理解が至る。アリサの遺志とは「自由」への想い、乱れ心のかなぐり、それを綴るままにジェロームに伝えた願いだった。
幾度も読み返したジェロームは、アリサと彼女のvertuなるを理解し、しっかりと行動出来た。(この反対例を吟遊詩人ムスタキに見る。vertu不足が災いし、最後には「牢屋に入ったが美人の獄史が監視している」などとのろけを晒すのである)


写真はネットから:アンドレ・ジッド。己が貫き通せなかった自由へのvertuをジェロームに託した。

南仏ニームの葡萄栽培家に嫁いだジュリエットを、ジェロームが訪問する語りが狭き門の最後となる。
葡萄の作柄、夫と弟(ロベール=義兄の共同経営者となった)の活動ぶり、子供達の話などをジュリエットから聞く。夕が迫る時間となった。二人の間に闇が忍び込む。
最後のパラグラフを引用します;
<<Je revoyais la chamble d’Alissa, dont Juliette avait reuni la tous les meubles. A present elle ramenait vers moi son visage, dont je ne distinguais plus le traits, de sorte que je ne savais pas si ses yeux n’etaient pas fermes. Elle me parraissait tres belle. Et tous deux nous restions a present sans rien dire>>(ポケット版182頁)
拙訳;ジュリエットがアリサの家具一切を移し置いた「アリサの部屋」に目を遣っていた。今、ジュリエットは顔を私に向けている。けれど、閉じていないはずの両の目なのに判別できない程だから、表情は見えない。しかし、とても美しいと見えた。沈黙を破る一言が、二人とも口に出せないまま、幾ときが過ぎていった。
<<Allons! fit-elle enfin ; il faut se reveiller…>>
Ja la vis se lever, faire un pas en avant, retomber comme sans force sur une chaise voisine ; elle passa ses mains sur son visage il me parut que’elle pleurait…
Une servant entra, qui apportait la lampe.>>(同、狭き門の最終)
拙訳;ジュリエットが沈黙を破った「進めるのよ、目覚めて」。彼女は立ち上がり一歩前に進んだ。力をすべて失ったか、いすに崩れた。手で顔を隠した、泣いているかに思えた。ランプを手にした召使いが入ってきた。

初産を迎えるジュリエットを見舞いに、アリサがニームに向かったのが188X年5月。同じ年の10月にパリの慈善院にてアリサは客死する。それから10年余の後にジェロームがジュリエットを訪問した。188X を1885年として10と余を11年と推定すれば(根拠はないけれど)、この年は1896年となる。アリサがもし生きていれば36歳。投稿子ジェロームを作者本人に重ねたいので、1867年生のジッドは29歳。文中ではアリサジェロームの年差は7ではなく、3歳(ママ)。差の離れでジェローム=ジッドの証明にはならぬが、誤差範囲と認めてくだされ。

舞台は夕闇。
近代人にはこの「薄暗がり」に想像が回らない。真っ暗は何となく理解できるし、閉め切った部屋に身を置けば体験できる。商業電力が普及したのは20世紀の初頭から、スイッチ一つで明るくなる。それ以前には暗くなってもしばらくは灯火なしであったろう。どの程度の暗さになったら灯をともすのか、それは分からないが、部屋にこもる二人に召使いがランプを運ぶまでが薄い闇だった。その間、二人に何が起こったのか;
ジェロームにはジュリエットの表情がよく見えない。「己を見ている」筈だが開けている目が見えなかった。そしてその顔は「とても美しいと見えた」。目も輪郭もはっきりしない暗さなのに、なぜ美しい顔だと写ったのか。これは理不尽なのだが、そう思う仕組みは一つある。闇を通してジェロームが過去のジュリエット、その愛くるしい表情を思い出しながら「見ていた」のである。
これらのやりとりで、二人の間の薄暗がりは結構、暗いとなる。
ジュリエットは立ち上がるも、すぐさま崩れ落ちた。泣いている。
ジェロームはなぜジュリエットが泣いていると分かるのか。落ちる涙が闇に光ったからである(文中にその描写はないが)。忍び泣きではない、号泣、ましてしゃくり上げでもない。涙を垂らしたからジェロームが察したのだ。

ジュリエットはなぜ泣いたのだろうか。
優しく頼もしく、経営力のある夫。子に恵まれ、ニームの中心地に居を構える奥方身分。悲しみにさいなまれる筈はない。でも泣いた。
ジェロームが己を「美しい」と見てしまったからだ。
美しい形容詞はbeau、女性形はbelle。滅多に使用する語ではない。もしあなたがフランス女性に「t’es belle お前、綺麗だ」と言うと、あなたの感情の動き、お前を好きだの意味も伝えることになる。見てくれの良さのみを伝えるのは「t’es elegante」エレガントねと言うべき。

ジェロームは図らずも美しいとジュリエットを見た。言葉に出さず表情にも漏れない感情の揺れは、暗がりを通して、暗がりだからこそジュリエットに伝わった。沈黙の重苦しさから逃れようと、立ち上がっても心はここ、ジェロームの脇に居続けたい、へたり込んで「さめざめと泣いた。

カツ丼の自由の続き の了

(10月半ば以降に投稿を再開する。レヴィストロース神話学第3作「テーブルマナーの起源」に取りかかる。蕃神)

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カツ丼の自由の続き 2 

2018年10月08日 | 小説
(10月8日)
言語学フェルディナン・ド・ソシュール(スイス1857~1913年)は意味論の先駆者とされる。言葉(parole)とは「意味する、意味される=signifiant, signifie」の相互関係にある。意味の伝達において主体と客体の相互関係が成立しているとすると彼は伝える。この説をレヴィストロースが受け入れる訳だが、咀嚼の過程で彼らしく構造主義の細工を仕掛けた。その細工の独自な様をTristesTropiques(悲しき熱帯)でレヴィスロースが展開している。すなわち言語とは「思想と実体」の相互関係であると。

本投稿では幾度か、この「構造主義的意味論」を説明している(猿でも分かる構造主義シリーズなど)。よって、当ブログ訪問の常連士にはまたかと飽きられるかもしれぬ。しかし、奇特な新規訪問の方もそれなりに多いと希望し、改めて彼の意味論を紹介する。
犬を例に取る。人は「犬の思想ideologie」を持つ。それは「四つ足、尻尾付き、鼻面….」となる。目の前を四つ足、尻尾付き、鼻面…の動物が歩いている。人は自身の持つあらゆる四つ足を思い返し、「豚でない、猫とも異なる、鹿や馬との似通いが認められない。分かったぞ、あれが犬だ」と判断する。目の前の四つ足動物には形状(forme d’existance)があるのみで、そこに「犬の本質」は無い。本質とは物ではなく、物と思想の相互性に存在する。
犬の思想を頭の中で熟成する仕組みはカントの先験性である。これはレヴィストロース本人が言っている。

この相互性、形状と思想の有様を深く見ると、人の思想が主体となり形状は客体である。
一方で、ソシュールでは実体の犬が言語paroleを喚起するのだから、実体が主で、それを犬とした言語は客体である。よって、レヴィストロースは言語学における意味論の主客を逆転させている。そして「意味なる仕組み」を西洋哲学の基調である「思考と本質」の場に持ち込んだ。
蜜蝋を眺めつつ、(物に隠れる)本質と(神が人に授けた)思考に思いを巡らすデカルトのとの差異を、読者諸氏は理解したかと思います。さらに、思想と物体とを対比させる構造主義の手法は、後の神話学4部作(生と調理など)に開花していく。

悲しき熱帯TristesTropiquesの一節を引用する;
<<ce sont les formes d’existance qui donnent un sens aux ideologies qui les expriment : ces signes ne constituent un langage qu’en presence des objects auxquels ils se rapportent>>(169頁)
拙訳;(目の前の犬)現実の形体が犬の思想に一種の方向性を与えた(犬を見た)。すると思想はその形体を表象として表出する(あれは犬だ!)。この意味(相互の)関係は意味が表象する客体が存在する時にのみ言語となりうる(思想と形体の相互関係)。
説明;この単文に構造主義のエッセンスが充満している。主体はあくまでideologieであり、客体はformes。Formes d’existanceをpresence des objetsと言い換え、思想と形体は一蓮托生でなければならないとする。
これに続くが前回に引用した文。再引用となるが;
<<le malentendu entre l’Occident et l’Orient est d’abord semantique>>(TristesTropiques、悲しき熱帯の169頁)
拙訳:西洋と東洋の誤解はまず意味論においてである。

両者の誤解とは歴史制度、風習しきたりに源を発する疏通障害ではない。意味論でのボタンの掛け違いである。尊師レヴィストロースがかく曰った。liberte 自由に当てはめると、諭吉はlibre arbitreを自由と訳した、その客体であり実体のliberte d’indifference をここ日本に移植するまでには至らなかった。投稿子としてはさもありなん。デカルトが語り、ジッドが教えたその近世版が、ここ日本に根付く風土は無い。
諭吉、さらには兆民、あるいは大杉栄ならば自由とはliberte d’indifferenceなるぞと理解していたと推察する(このあたりは十分研究の余地がある。誰かやってくれないかな:余談です)。村社会の不許容な精神風土、そこから脱皮できないこの国民は、明治の過去も平成の今も、判断し行動する自由の心情など許容されない。「勝手気まま」の含意を重く引きずりながら時に「自由が過ぎる」などと否定の意味を濃く色づけて私たちの自由は用いられる。しかしその用法にのみ、思想と実体がつながるのである。

K氏のカツ丼の自由はアリサ、ジェロームからの理解を得られるだろうか。1951年に心だけれど、今日野市に再臨したジェロームは以下に語る。

写真:とある門(日野市)前回9月20日に見かけた時よりもずいぶんと狭くなった。これでは普通の人は抜けられない。この宅の主人は狭き門を実践しているのだろうか。狭い広いは精神の尺度なのだと教えてやりたい。

「ムッシウKは狭き門を選んでいない」
するとK氏は反論する「誤解だ、天丼親子丼などを私は排除した。カツ丼だけの選択だから狭き門を選んだ」
1889年にパリで客死したはずのアリサが横から口を挟む。
「自由とはvolonteとそのvertu実行なのです。あなたは実行するvertuはお持ちだが、volonte発心の時点で欲望、すなわち空腹がさいなむ食欲、美食を求める耽美心、平らげたぞの自己満足に多大の影響を受けている。これをして不自由な自由(liberte de difference)と人は言い、そんな不謹慎から出発しているのよ」
K氏「自分がやりたいようにしているだけなのだ」
両氏「それをegoisteと言う」
やはり東洋と西洋は理解しあえない。

カツ丼の自由の続き2の了 
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カツ丼の自由の続き 1

2018年10月06日 | 小説
(10月6日)
9月6日から10月2日まで11回連載した部族民通信「カツ丼の自由 アリサの勝手でしょ」はアンドレ・ジッドの「狭き門」(la porte etroite)を取り上げています。recit(=レシ、一人称の「私」が語る物語)の筋は主人公ジェロームが語る流れ、ジッドが彼の口を借りて人の生き方、その立ち様の困難さを綴っています。展開される主題は「意志の自由=libre arbitre」とは?に尽きます。カルテジアン(デカルト信奉者)ならではの提起です。

デカルトによれば自由とは発心(volonte)が先立ち、実行すべく心の力(capacite positive、ジッドはvertuとしている)が裏打ちする。発心と心の力の間には乖離、齟齬など交流を阻む仕組みなど有り得ないから、結果に無関心な構えを維持し、訥々と自由な選択を実行してこそ、人は「神の自由」(liberte d’indifference)に近づく。個人の主張、個性の発露という概念が未発達だった17世紀、その世紀に生きたデカルトの説く自由です。
しかしジッドの時代(19世紀後半)、思想行動、行動性向に束縛を跳ね返そうとする風潮が生まれました。しかし自由を実行するとはいかに難しかったか。ジッドがアリサとジェロームの運命に託したのは困難さだった。

volonteの多様性(狭き門では3通りの発心を提示している)、個人が受ける運命は試練と犠牲、持ち続けてもvertuに救いはない。しかし(彼の時代)でも神は、狭き門より入れと人に強いる。利己に関心を持つ「太った心」では狭き門を抜けられない。邪心の破棄の教えはデカルトの無関心につながり、自由への道であるけれど、遂行の過程での困難さを同時代人にジッドが訴えた。
アリサの客死が19世紀の自由の結末、これが彼の結論と投稿子は信じます。(連載11回のレジュメ、ご関心のある初訪問のブラウザ氏には1~11を御笑覧くだされ)

写真:諭吉は往来で「カツドン~」と叫ぶのは自由ではなく勝手にすぎないとは教えなかった。


さて、弊ブログ「カツ丼の自由アリサ…」の冒頭で「昼飯にカツ丼と主張し続ける事」なる自由をK氏が主張していた。どうやらK氏には欲望に渇望、すなわち利己が横溢しているようです。カツ丼を食らい味覚と食欲に満足し、生きる望みすらK氏は確認しているらしい。彼の言を引用すると「中身と詰まる蓋に隠れる姿の様を思うに、美味の極みがさぞかしと組み合さる逸品と、唾が思わずごくん。蓋の石突きを取る指先がカツの香りに暖まる」(9月10日投稿分)この気分に一時を浸るために自由がある。
K氏が広げる自由論である。
デカルトの無関心あるいは神の教え狭き門とK氏の自由とに、投稿子は大きな差異を読み取るのであるが、その距離はなぜ発生したのか。

明治初期。文明開化、富国興産は国家の課題であり、それらの形而上の活動、欧米の文明思想の導入も活発だった。liberteなる概念に出くわし、自由と訳した。この博識は誰かに緒論あるが、福沢諭吉との主張は多くに強い。その訳の意とは自己の由(よし)とする。しかるにそもそもこの語は、漢籍で気まま思うまま(大字源)とある。「勝手気まま」に通じる意でもある。(第2義哲学に他から拘束されず自身の意志で行動するが載せられている)1義が古来からで2義は明治以降の自由であろう。
訳すに当たり諭吉はliberteなる語にまといつく、デカルトの教条を知っていただろうか。投稿子は「知っていたが疑いもない歴史である」と信じる。1万円札を眺めるだけでそれが判断できる。
邦国紙幣の最高額を飾る人物は初発行以来30年弱、聖徳太子であった。2代目として重責を引き継いだのはなんと福沢諭吉。二人の生年の差は1200年を超す。その間に思想家、文人、歌人は輩出したけれど、大蔵省あるいは政府中枢で、お偉い方が選んだのは諭吉だった。空海でも親鸞でもない。世阿弥、芭蕉、白石なども飛び越えるほどの偉人である。17条憲法の1300年の後に現れた諭吉、その天才がデカルト理論に不明であったなどは考えられない。彼が訳した自由とは無関心の自由、神の自由、デカルトの自由その物であったはずだ。

しかし平成の老人K氏は、利己心を滅却するなどの妥協を一切試みず、JR豊田駅前スクランブル交差点で「カツドン~」と叫ぶ「自由」をもっぱらの行動としている。この態度はただの「手前勝手」であり「勝手気まま」である。デカルト自由とは相容れない。K氏見識の浅さをこのブログで糾弾する暇、時間余裕は投稿子には無い。言語の体系が構造的に悪いのだと指摘したい。

意識疏通の構造的欠陥が日本と西欧にあったのだ。レヴィストロースが説明するのは;
<<le malentendu entre l’Occident et l’Orient est d’abord semantique>>(TristesTropiques、悲しき熱帯の169頁)
拙訳:西洋と東洋の誤解はまず意味論においてであると。

諭吉はliberteは自由であると教えた。しかし往来で「カツドン~」と主張するのは自由としないとは伝えてくれなかった。レヴィストロースが言う意味論とは語の定義であり用法である。言葉と実体との相互性,reciprociteである。

カツ丼の自由の続き 1 了
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カツ丼の自由、アリサの勝手でしょ11 

2018年10月03日 | 小説
(10月3日)
狭き門では自由を追求する人達が描かれている。
ジェロームが求めた自由とは。アリサ客死の10年の後、ジェロームは南仏ニームに居を構えるジュリエット(アリサの妹)嫁ぎ先のテシエール家を訪れる機会を持った。ジュリエットと二人だけの面会の場、生まれて間もない娘の代親(parrain)を頼まれた。(181頁から引用)
<<Mais j’accepte volontiers, si cela doit t’etre agreeable, dis-je, un peu surprise, en me penchant vers le verceau. Quel est le nom de ma fillette?
-Alissa…repondit Juliette a voix basse. Elle lui ressemble un peu, ntrouves-tu pas?>>
拙訳;でも、ええ、君にとってそれが良ければと答えた。少し驚いた口調だったろう。揺りかごに身をかがめながら尋ねた。この子の名は。
-アリサ、返事は一言。それはとても厳かな声だった。この子、彼女に少し似ている、そう見えるでしょう>>
Parrainは洗礼式でその子を抱く役割の代理父親。洗礼式だけではなく後々の面倒を見ると期待され、多くは父方の近縁年長者に依頼される。ジェロームは母方、南仏には縁も薄く、度々訪問する訳でもないし、そのうえ未婚。この申し出に、彼は意表をつかれた。さらにこの子に「fillette」を用いたが「娘っこ」なる意が近い。名付け娘を指すのであればfilleulleが正しい。大作家ジッドがこれほど重要な場を表現するに、用語を間違うなどあり得ない。あわてて正しい語が口から出なかった、ジェロームの驚き様を伝えたのだ。
ジェロームは赤子のアリサの手を優しく握る。ジュリエットは「家庭での立派な父親になれるわ」笑みを浮かべながら問い詰めるかの口調で
<<Qu’attends-tu pour te marier?
-D’avoir oublie bien des choses
-Que tu espere oublier bientot?
-Que je n’espere pas oublier jamais.>>
拙訳;(二人の会話)ジュリエット:結婚するのに何が必要なの?
ジェローム:多くの事を忘れ去る事
ジュリエット:そのうちに忘れると願うのかしら
ジェローム:決して忘れないと願っている

ジェロームはアリサへの思い出を持ち続け、忘れないと心に誓う。その決意を貫くことが彼の選択であり自由である。volonte発心が愛、虚心の勇気がcapaciteまたはvertuとは、アリサとの日々の記憶を持ち続けるに他ならない。まさにデカルトが教える「無関心の自由」である。

もう一人の自由の実行者とはアリサの母親、リュシルである。
彼女はビュコラン家(アリサ実家)に出入りする牧師の養女でクレオール出身。アリサの父が一目見たとたん「恋におちた」ほどの美形。しかし愛人をつくった。愛人が夫の留守に館に入り込んで狼藉三昧のシーンがジェロームの語りを通して伝わる。リュシルは出奔してしまう。アリサと母リュシルを比べると、いずれも狭き門をくぐり己身のあり方、置き場を決めるため格闘していたと理解できる。アリサは信仰と献身、母のそれは解放と奔放。逆方向ではあるけれど、自由を遂行していた。

日記ではアリサがジュリエットの出産にあわせニームを訪れた日は188X年5月24日とある。19世紀の後半の物語であり、当時の彼の地では人々がかくも自由を希求し、同時に苦しみも味わっていたと知る。

写真:ジョルジュ・ムスタキ。往時のシャンソニエで彼は「私の自由」を歌わずに退場する。拍手の代わりに「リベルテ!リベルテ!」と客が騒ぐから戻って仕切り直し。ma liberte lontemps que...歌い始めると大喝采となる。幾度かライブで感涙した甘い記憶を小筆は隠す。


最後に最後の吟遊詩人ともされるジョルジュムスタキ(2013年に死去)の私の自由から一節を。引用の前段に自由のために友、国、信用、愛まで失った(私)が行き着いたところとは;
<<je me suis lasse faire et je t’ai pour une prison et sa belle geoliere>>
拙訳;自由よお前にされるがままとした、今、私は監獄でお前と暮らす、美しい監獄史(女)も一緒に>> 
注:囚人を見張る獄史は必ず男。でもムスタキの監獄には美人獄史が仕切るとか。おかしいと思ったとたん、これは若者が自由だ~と彷徨した果て綺麗な嫁さんと結婚したのろけに聞こえた。
(皆様にはぜひ「ムスタキ、私の自由」をYoutubeでググってお楽しみください。私事ですが投稿子としてはムスタキよりもレジアニのカバー版を好みます。

カツ丼の自由、アリサの勝手でしょ 了 
(次回から「勝手アリサの続き」を数回投稿します)
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