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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

国宝土偶展での金枝篇的雑感=2

2010年01月02日 | 精霊
2010年あけましておめでとうございます。旧年中は弊ブログ、およびHP(部族民通信)をご拝覧頂きまして有り難うございました。今年も宜しくご訪問お願い申し上げます。
さて昨年末、いろいろな本を通し読みしている中で気になった部分がありました。気にとめた一節を土偶、特に合掌土偶と重ね合わせて新しい解釈が出来ないかと年末の焼き鳥バイト(駅前のサブちゃんで31日夜まで)の中、元日はお屠蘇に浮かれながら考えていました。結論を今年のブログ始めにと早速書き込みです。
気になった一節とは梅原猛著の古代幻視(文藝春秋)北の天神縁起の謎の二章から。「愛知県知多郡内海町の汐干の天神は汐が満ちると隠れ、引くと現れると言い伝えがある。しかしそこは海から1キロも離れているので汐が満ちたり引いたりとは何時のことか、少年の私はおそらくそれはあり得ない、何かの間違い(伝承)なのだと考えていた」しかし鉄道工事があって天神社近くを掘り返したところ「その近くから貝塚が出てきた。それも元々貝塚があって、いったん海になりまた陸に戻り、その上に貝塚が堆積したことが明らかになった」。
Yahoo地図で南知多町内海の天神社を確認すると、名鉄知多船の内海駅北側100メートル辺りに天神社がありました。ちなみに梅原邸は駅の南側で博士が小学生の時期に聞いた言い伝えとも合致しているので、この社であることは間違いない。
海から遠くの一帯にかつて汐の満ち引きがあった。これは縄文海進と呼ばれる現象でした。縄文の一時期、気温の上昇に伴い4-5メートル海水が上昇して、海岸線が内陸深く入り込んだ。今の沖積平野と呼ばれる河口平野の多くが海におおわれていました。海進のピークは6000年前とされます。4000年前からは海退が始まるとされる。梅原先生は汐干天神の伝承を3500年前としています。その時に海進が最大になったと言っているので、海退の反動期があって、3500年前頃に海がまた押し寄せた期間があったのかも知れません。
梅原先生は「伝承という物は果てしなく遠い時代の記録を留めるものであると思い知った。3500年もの間ずっと(海進)を言い伝えてきたのだ」と哲学者らしき分析を披露しています。そこで考えました、「遠くの過去との繋がりを安堵させるのはは言い伝えだけではない」と。ではどの社会条件下でかくも長い伝承が可能なのか。
まず民族が連綿と同一で続いていることが条件です。言葉も芸術も歴史価値観も、一体に文化とよばれる精神活動に同一・連続性があることがその社会の、ひいて伝承の継続である。日本は列島なので他民族の征服を受けなかった、民族言語は連続性がある。弥生人の影響も軽視出来ないが、基盤は1万年以上続いた縄文だ。この観点から縄文文化を見直す動きがあり、梅原先生はその旗手といえます。
縄文人は今の日本人と同じ感性を持つ「日本人」であると言えるのではないでしょうか。国宝合掌土偶は縄文後期の作製とされます(八戸市風張遺跡出土)縄文後期がまさに3500年前。この土偶を観察、分析するにあたり、いまの私(部族民トライブスマン)の感性で良いのだ!と気付きました。
前回の「国宝土偶展での金枝篇的雑感」でこの土偶には謎が多いとしました。それは私のなかに、「縄文と平成の世では感性的に断絶がある。今の我々には分からない何かを表現している」のだとの思いこみで勝手に複雑化したようです。梅原先生の「伝承」に勇気づけられ、今の部族民感性から論じるととてつもない結論が導きでる予感に年初から昂奮しました。その結論とは「祈り」に対する考察ですが、次回に(4日予定)
HP(左のブックマーク)も宜しく。
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国宝土偶展での金枝篇的雑感

2009年12月17日 | 精霊
国宝土偶展(10年2月21日まで東京国立博物館)に立ち寄りました(12月17日)。出品されているのは67点、うち国宝3点(縄文のビーナス、合掌土偶、中空土偶、国宝に指定されている土偶の全て)重文が23点(有名なのが遮光器土偶、ハート型など多数)。大英博物館で「土偶パワー」という展示会が10月まであって、その流れです。しかしこれだけ質の高い集成はこれまで、おそらく将来もないので、東京でも開いた次第とか。こうもったいぶって聞かされるとミーハーな私は気がそぞろになる。開催2日目で早速足を運びました。確かにすばらしかった。「代表的な土偶を見たい、土偶とは何を現しているのか」など初歩的ミーハー質問疑問に応えてくれました。しかしまだ疑問が残った、それもでっかい疑問が。
さて分かった事は、
私も混乱していたのですが土偶と埴輪の差が明確になりました。埴輪とは円筒形、人型、家舟、動物などを写実的に制作し古墳墓に埋蔵されている。時代は3世紀から7世紀(古墳時代)。土偶は縄文時代、最古の土偶は12000年前に遡る、最新の物でも紀元前400年とあるのでこれは縄文時代の終焉と重なります。1万年という気の遠くなる時間で、その製作目的と形体が特定され、同一視できる精神遺物が日本にあるのです。あっと驚きです。いわば縄文人1万2000年の精神風土を知る手がかりです。と言うわけで浅はかさにも、にわか「縄文精神史探検」の冒険に追い立てられ800円を払いました。会場で分かった土偶とは、
1すべて女性、おおく妊娠の徴候を見せるので妊婦であろう
2墓、ないし人骨の発掘場所から出土している
3必ず手足、首、頭蓋など身体の一部が破損されている。
4東、北日本で発見されている。西、南の出土例はない
5これまで1万5000点が出土されている。
などが基礎情報。何の為の土偶?には諸説ありネットで「祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説がある。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表わし、特に女性の生殖機能を強調していることから、豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説もある。その他、神像、女神像、精霊、護符、呪物など」(=wikiから)しかしこれでは分かりません、豊穣を祈るのか厄払いなのかでは正反対です。で私部族民的にヒラメキを見せて(無いヒラメキなので苦しいが)フレーザー(19世紀後半の英国の民族学者、金枝篇の筆者)の言う「呪術の思考」と日本人古来の信仰である「祓え」で土偶を冒険的に分析すると、
上記の1-3に注目します。これを総合すると土偶は死者の「穢れ祓え」を受けた人形に他ならない。妊婦が難産で死ぬ、死は穢れです。穢れを祓わなければ他の妊婦に感染する(これがフレーザーの主張する類感呪術=似ている物には再現性がある)。神道での祓えとは別のなにか、それも近似する物に転嫁させるために幣を振るのですが、その穢れ受けに土偶を造り一部破壊し(=死の意味を持つ)死者と共に葬った。「これで出産の死は無くなるはずじゃ」とこのように頭を巡らせました。では神道の穢れ祓えの信仰が12000年前からあったのか、これは証明できないがyesですね。精霊を否定し一神教に毒されている欧米イスラムを除いて「穢れ」という概念は多く見られる。出土の15000点は多いようですが12000年間なので、少ない。出産死の祓えという特殊用途であるとすれば、納得がいく。ここまで来てハタト頭が回らなくなった。例の国宝合掌土偶(縄文後期八戸市出土)をどう理解するのだと行き詰まった。
今回の目的はこの土偶を見るため、800円のうち790円を占めています。確かに手を合わせた祈り手で構えています。この動作を祈りとする一方の理由は、この土偶だけが墳墓での発掘ではなく、住居跡での出土。一部破損のあとが残るがアスファルトで丁寧に補修されている。と言うことはお祈りの対象に主人、女主人が居宅に置いたのか。「祈る土偶」の例は他にない。しかもこれだけは祓え受けではないようだ。では例外なのか。しかし信仰、拝礼など上部精神に属する行為でその様な例外は考えられない。信仰は一人が神を信ずると言うことはなく、広範な集団で実践されるので他に同様な例が無ければならない。分からない、しかし最高の土偶だ!
この土偶は大きな謎です、3000年以上前に竪穴住居の暗い居室の片隅に「祈りの人形」があった、一例だけでも日本人の信仰の起源に思いをはせるロマンがありました。(いつも長いブログで申し訳ない)

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贖罪と許しの歌声、涼風真世エリザベートを歌う

2008年12月23日 | 精霊
話題のミュージカル「エリザベート」を観劇に行きました(12月22日、東京・帝劇)。目的は1にも2にもただ1つ。天使の声を持つ涼風真世さんの歌を聞かせてもらう事。宝塚を退団なさって以来ミュージカルでの本格出演はなかったので、今度こそ涼風節を堪能できるはずと片田舎(日野)から丸の内へと上京しました。結果は狙い通り、たっぷりと天にも昇る歌声を堪能しました。

この劇は神聖ローマ帝国の崩壊(1806年)の後の中欧の政治混乱、旧来勢力のハプスブルグ家がオーストリア帝国を創設し(後にオーストリアハンガリー2重帝国)旧体制の維持に執着する。しかし時代の流れは自由と民族主義、他民族国家の帝国では反乱テロが続発する。苦悩する皇帝フランツヨーゼフと妻のエリザベート皇后(愛称はシシー)そしてシシーの暗殺。
シシーは生涯の後半を旅行の継続という変わった習慣で知られていました。その理由は堅苦しい宮廷生活に嫌気がさしたと説明されていましたが、劇中で新解釈がでています。ウィーンをはなれ20年近く、放浪の果てにスイスジュネーブで無政府主義者(イタリア人ルケーニ)に針のような暗殺ナイフの1刺しで殺される。
この史実を背景にして、地獄に堕ちたルケーニが暗殺理由を釈明するシーンで始まる。それは「シシーが死を望んでいたのだ、彼女の人生とは死をいつ成就するのか、それを死に神トートと対話していたのだ。シシーの美は死に神トートすら魅せていたのだ」と驚くべき内容。シシーの心の彷徨を、皇帝との生活と帝国の歴史に重ね合わせて物語は流れていきます。

涼風真世氏、当時ヨーロッパ1の美しさと誉れ高かったシシーの再来もかくやと思わせる舞台映えでした。そして私の目的の歌声は、
張りのある高音部が帝劇の高天井をも突き抜け天に昇る勢い、劇空間の全域に鳴り渡り皆も私もうっとり。低音は独特の鼻にかかる甘い響き。聞かせどころでテンポをほんのすこし遅らせる節回し(これが涼風節)、天性の歌唱力でシシー内面を歌でも聞かせてくれました。カーテンコールは鳴りやまず、客席が総立ちのオベーションでした。
しかし若干の不満が残りました、それは死に神トート(山口裕一郎)を擬人化しすぎているという点。山口氏は浪々と生々しく歌っていたのですが、死に神らしさがなかった。これが小池氏一流の「大衆化」なのかと劇場では半分納得、しかしふと重要な事に気づきました、それは…

帰りの電車で気づいたのが小池修一郎さんの出世作、「天使の微笑み悪魔の涙」(宝塚歌劇、月組1989年)。この作品で小池氏は宝塚演出家の地位を不動のものにしたのですが、悪魔(メフィストフェレス)を演じた涼風真世(当時は20歳代)の迫真の歌唱力が一役(二役も)かっていました。今でもCDを聞くと、アルトの甘い声で迫る涼風に「こんな悪魔が出てきたら魂すぐに売ってしまう」と危なさを思わせる歌唱です。
電車に揺られての私の結論は、今回のエリザベートは小池氏の罪滅ぼし+悪魔探しです。宝塚の妖精との評判だった涼風を悪魔に売ってしまった悔悟から、20年たったいまエリザベートで天使に引き上げた贖罪の演出であった。涼風は小池氏を許し悔悛に応え、いま帝都の晴れ舞台で天使の歌声を浪々と響かせている。
劇中許しを請う皇帝、シシーは全てを忘れ許すと贖罪を受け入れる。贖罪への許しはシシーの心中でもあったし、エリザベートを得た涼風の気持ちでもあったのだ。彼女の声が高らかなのは歌いながら2重の許しを感じていたからだ。


小池氏のもう一つの狙い、新しい悪魔を創造する、生きる人間のように生々しく死の象徴なのでおどろおどろしい新しいキャラクターを涼風の替わりに。20年まえの涼風メフィストのような悪魔を帝都に生み出してやるーと。だがこちらはまだ途上の感がします。2兎を追うのは小池氏でも難しい。

私感として;
前回ブログ(人のアルマジロ化で恋愛は絶滅)で私(渡来部)は天女に遭遇出来ない不幸な人生を呪いましたが、昨日天使の声を持ち天女の姿に近い涼風に近づけた。本年最高の幸運だったと小池先生に感謝しています。
以下は悪のりで、
こうなっちゃったのでエリザベートをオハコにしている「一路真輝」のハレの舞台復活(育児休業)では「一路エリザベート」対「涼風トート」で演出してくれれば最高ですね。商業的には絶対成功する。でもまたカナメが悪魔になっちゃうか。
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ジョークと霊魂への畏怖の関連

2008年10月21日 | 精霊
ジョークを一つ、
カンガルーがパブに入ってきてスコッチソーダのシングルを頼んだ。バーテンが3ドル25セントというとカンガルーは腹の袋から金を取り出して払った。ちびりちびりやっているカンガルーをバーテンは怪訝そうに眺めていた。5分ほどちらちら観察していたが、
「ウチの店にはあんまりカンガルーの客は来ないのですがね…」と切り出した。
カンガルーは「そりゃそうだ、1杯3ドル25セントではね」と答えた。
(オーストラリア・アリススプリングスのパブでの話、以上はエリオット・オウリングという作家の“ジョークと周辺”から)
このジョークは別本からの孫引きです。その本というのが「心の先史時代」(スティーブン・ミズン著、青土社)、精神の考古学を再現しようとした挑戦的内容です。
ジョークに戻ると、不条理がジョークには必要とオウリングは主張している。その典型的な例としてパブのカンガルーを引き合いに出している。
カンガルーはスコッチ呑まない、金がないのでパブに来るはずがない。そもそもカンガルーとパブは次元が違う…それが常識である。ジョークでは「スコッチが高い」から来ないとカンガルーに言わしめている。言外には「英語を理解するカンガルーなんてたくさんいて、皆スコッチを飲みたがってる。安くすれば来る」これは不条理ですね。
ミズンはこの書(心の先史学)でさらに突っ込んでいる。この話をネアンデルタール人に聞かせても彼らはおもしろいジョークだとは絶対に言わないと。なぜならば脳構造で再現するネアンデルタールの思考力は「表象能力」「統合能力」が現人類に劣る。この不条理を遊ぶ「能力」がないらしい。パブで一杯とカンガルーの認識が別個になっていて、それらを融和する統合力がない。
ネアンデルタール人がその場にいたとして、パブでスコッチソーダを出すことは分かる。外にはカンガルーがぴょんぴょんと跳ね回っている(アリススプリングスなので)。ここまではネアンデルタール人も認識できる。金を払うという経済も初歩的には理解できる。しかしジョークが創り出す不条理性の理解はできない(らしい)。
ミズンはあわせて3万年前以前の「初期人類」もジョークを分からない。ここはネアンデルタール並みと主張している。その証拠が道具製作における洗練度(剥離型石器)、絵画などの芸術作品の萌芽などが見られたのがこの時期で、人類がやっと表現し抽象化する能力を獲得した時期にあたる。この時期は石器時代の文明ビックバンともよばれているそうです。それ以前は「表象能力」などを示す発掘物が見あたらない。同じホモサピエンスでも精神史では隔絶している。
何が言いたいかというとこの時期に奇しくも「死者を葬る」事が始まった。すなわち死後の世界、霊魂を鎮め葬祭を行う習慣が始まった。ジョークと霊魂への畏怖、これが3万年前に発生したとも言えそうです。(明日に続きます)
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