蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

金魚鉢、出目キン、実存主義 (読み切り)

2018年04月15日 | 小説
(2018年4月15日)

金魚鉢の法則の発見者でありその有意義さの啓蒙に力を入れている評論家日下公人氏の言を引用する。
「小さな鉢で飼育していた金魚を大きな鉢に移し換えたら、広い水中を悠然と遊泳するかと思いきや、これまで通りの小さな円弧で泳ぎ回るだけ」(李白社発行の「新聞の経済記事を読むとバカになる」渡辺哲也氏との対談から引用)

金魚鉢法則の第1項である。
実は第2項が最近になって発見された。真逆の条件である;
「大きな金魚鉢で飼育していた出目キンを小さな鉢に移し換えると、鉢の内面にぶつかりまくる。大きな円弧で泳ぐ習性を矯正するなど不可能」
この発見者はブログ投稿の某氏。

金魚鉢の大きさとは、日本工業規格の番外(規格外編の28項)に書かれてあるとおり。材料はガラス、6寸から始まる。6寸とは18センチ、その寸法の球体に口を開けて6寸半、およそ20センチの朝顔をのせる。ガラスの球とガラス花の重なりとすれば、読者にも形状は掴めるかと思う。18センチが最小ならば最大とはいかほどか。工業規格では3寸以上とあるだけで大の決まりはない。するとガラス職人の手練れ塩梅と生産費用の兼ね合いで最大が決まることになる。しかしモノには限度があるは決まり、おおよそ3尺鉢が限界。
手作業技術の極まりと製造費用の高止まり、それら2要件の妥協点賀3尺と覚えればよし。

それが販売価格となれば7桁にせり上がる。ガラス製品はその場払いで返品なしが鉄則である。壊れとは全壊になる、買って壊れたとクレーム付けての返品はきかない殿様商品といえる。しかし懐中広げて万札を束に叩いて7桁を払いきる金魚愛好家は少ない。所有者はおのずとビルゲイツ級の富豪に限定される。
3尺、90センチの鉢に入れるのは出目キンが定番である。なぜならこれ程の大きさならゲテ鉢とされる。ゲンゴロウブナをペンキで塗り立てたとおぼしきフツー金魚ではゲテ格の違いが目立つ。ゲテにはゲテがお似合いとは金魚鉢に限らず法則なのだ。
こうした選択では、精神作用をまともに働かせ、至極当然と富豪は出目を選ぶのだ。3尺鉢に放たれた出目を「ゲイツ出目キン」としよう。
広大な鉢をのんびり泳ぐは一年あまり、ゲイツ出目キンはヤフオクなどとあるルートをたどって東京日野市のある家に下賜された。この主人がブログ投稿の某氏である。彼は大変にビンボーなので巨大鉢を用意する資金力を持たない。工業規格で最小の3寸鉢を100円ショップで見つけて、水道水で満たしてゲイツ出目キンをポチャリと入れた。
その夜中、玄関辺りからポカリ、プツリの音響。某氏は焼酎を炭酸割りにして、5杯ほどしたため呑んだら高いびき、寝てしまうから、聞き知れぬコダマが一晩中、金魚鉢を置いた玄関から発せられ、家中を奇怪に満たしていたなど気付くヨシもない。翌朝起きて残り物パン粉を朝顔口に落とそうと鉢を見た途端、びっくり仰天。夢かと聞こえたうつろ覚えのプカリ音響の正体がこれだった。すっかり目が覚めた。
小鉢に移されたゲイツ出目キンは新しい環境になじめず3尺円弧のデカ回り、さらに不同意も加わったのか、鉢の内面に衝突を繰り返した。プツリ音とは出目キンと鉢との衝突が内面に反響したコダマにくわえ、ゲイツ出目キン、怒りのワーォの唸り声だったと朝のパン粉で知ることになった。そしてゲイツ出目キンの頭はすっかりコブだらけ。金魚鉢法則の第2項、証拠の写真をご覧ください。


翌朝、某氏が目にしたのは出目すら埋もれるコブの回り具合、コブだらけの出目キンであった。

金魚鉢の法則には第3項が発見された。またも発見者の某氏に尋ねると;
「大きくもなく小さくもない金魚鉢、尺5寸、約45センチの球体がよかろう。それには2尺の朝顔が乗る。金魚を入れる。やはり出目キンが適切であろう。出目キンはその中途半端におののく」
半端の理由を尋ねた投稿子への答えは;
「中庸なる大きさの球体と朝顔口にまで満たされた水、これは存在なのだ。出目キンが放たれる前から鉢と水は存在していた。そして出目キンは後から参加、周囲存在に対しての己の本質を選ばなければならない。本質とは思想であるとあの出目キン、おっと間違えた、あのサルトルが教えたではないか」
選択は3通りある。
「鉢の端、6寸の孤で泳ぐが第1選択。一方で3尺、90センチの大径で泳ぎ、鉢内面と格闘する選択は第2。最後がその鉢に身を合わせ、内縁に沿いながら尺5寸の円弧泳ぎをとる。出目キンに3通りからいずれかを、思想を選択せよとの強制なのだ」
「6寸の孤は身の程のわきまえ、無理矢理に3尺に確執するのが矜恃、尺5寸は過去をすてて現状受け入れ、それは妥協」投稿子の呟きに某氏は小さく頷き、
「中途半端な寸法の金魚鉢は出目キンに実存との対決、そして己の本質、すなわち思想の自由選択の不安を曝くのだ。金魚鉢の法則第3項とはこれなるぞ」
「畏れ入ります、ハッハー」
ひたすら低頭しまくり、平身の投稿子であった。

金魚鉢、出目金、実存主義 の 了(2018年4月15日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒトはいつから人になるか 2

2018年04月09日 | 小説
(2018年4月9日)

前回投稿は4月2日。梗概は;
聖書ルカ伝から引用して、
ユダヤの高僧ザカリは祈祷中に天使ガブリエルから「汝の妻エリザベスは神の子を宿す」とのお告げを受けた。半年のあと、ナザレにすむ大工ヨセフの婚約者マリアに天使ガブリエルが降り立ち懐妊を直接告げる。マリアの子がイエスキリスト、半年前に生まれたエリザベスの子洗礼者ヨハネとなる。日本でも広く知られている聖書の逸話です。しかし、ザカリにしてもマリアも天使ガブリエルに反論します。特にマリアは男を知らぬ処女の身、きつい否定<>で言い返した。男なんてこの身に近寄らせた一瞬すら無いわ!のノリである。
ガブリエルは万能の神として懐妊とつげるのであるが、ここで神のもう一つの秘密も教えた。生まれる子の将来である。<<tu lui donnera le nom de Jesus. Il sera grand, et on l’appellera Fils du Tres Haut. Le seigneur Dieu lui donnera trone de David, son pere ; il regnera sur la maison de Jacob="後略(引用は1955年出版のCerf版聖書)
拙訳:マリアよ、お前はその子をイエスと名づけよ。彼は成長する、人はかれを至上の子と呼ぶ。神は彼にダビデの王座を与えヤコブの館を統治することとなる。
ダビデはイスラエルの王、ヤコブは民族の始祖。イスラエルの王となると約束したのである。
すなわち子の「人としての同定性、アイデンティティとその個人として活動する全生涯」を約束したと言える。
6月前にはザカリにもガブリエルは約束している。<<il" sera rempli du Saint Esprit des le sein de sa mere et ramenera de nombreaux fils d’Israel au Seigneur>>
拙訳:母の胎で育む間も聖なる精神に満たされ、生まれ出でてからは幾人もの子を神の元に導くことになる。
ここでも生まれる子は男(il=男性の代名詞)で成人し宗教活動に関わると教え「人としての特定とその生涯」を予告しているのである。


エリザベスとマリアは親戚だった。マリアの処女懐妊の奇跡を聞いて、引きこもりのエリザベスはマリアを訪ねる。これが泰西名画の題材の一つ<<La Visitation>>Vが大文字の「あの訪問」である。図では左、赤いマントを羽織るのがエリザベス。新大陸で染料コチニールが発見される前に赤は貴重で、高位者しか纏えなかった。高僧の妻の地位を赤で表す。しかしマリアに宿る子は己の子よりも上位になると知り、それを伝える仕草が顔つきとマリアの腹に置いた手で分かる。どことなく質素なマリアが上位の構図になっている。Visitationではこの機微を感じてください。決して「ガブちゃんに直接会ったんだって、私には亭主経由だったのよ、悔しい~」の世間話で終わった訳ではない。左下は耶蘇僧形のザカリ。絵はネットから、著作権は消滅したと判断しています。

妊娠しても生まれいずるかの不確定さは残る。誕生の前に性別は分からない。生まれてもその子は無事に育つのか。紀元前後の衛生事情では死亡率は高い、幼児・少年期に多くの人は死亡する。無事に育ってその先、再生産(子をもつ)活動にいそしめるのか。子をもうけ育てるとは賭けで昔は子沢山が常、10人生まれての2人ほどが成人して再生産にたどり着くのであろう。

(投稿子の知るなかでの幼児死亡の例。井伊直弼(日米修好条約の締結、彦根藩主)は父直中の14男であった。優先する継承権を持つ13人が己の先に立っている。藩主は回ってこないと周囲も本人も諦めていた。しかし13人の相次ぐ早世で、32歳にして藩督を継いだとか。14番目とは母の出自の低さに由来する、13人は必ずしも兄ではない。母身分が彼よりも高い嬰児、幼児が含まれ、それらの早世もあった筈だ。それにしても、江戸期においてもこれ程の死亡率、紀元前後のガリラヤを推して知るべし)
しかしガブリエルは自信たっぷり、懐妊する胎児の成人と生涯を伝えた。これは何を意味するのか。

人には胎に育つ児の性別はおろか生涯など予測できない。今の世、超音波検査で性別判別できるとの反論を投稿子は知る。出生前に先天性欠陥の有無を調べる遺伝子検査は普及していると聞く。それらの検査とは「覗く」それだけである。ガブリエルが伝えたのは単なる性別ではなく「同定性、アイデンティティ」なのである。医学発達の今にしても、こんな予測は誰もできない。では、どのように神はそれを知ることが出来るのか。
別の疑問がもう一点、神が胎児の将来を予知出来るのはヨハネとイエスにだけ限られたのか。自身が積極関与した児の将来展開は気にするけど、ほか(人と人の児)は知らないのか。

投稿子はキリスト信者ではないから、かくも数十行を費やして上記2問を提案した。キリスト者であれば正解はたちどころに返ってくるだろう。
ヒトは懐妊した瞬間に人となるからである。授精して細胞分裂が始まった途端にそれは「胚」でなく「胎に宿る物体」でもなく、人となる。人であるなら、そのすべては神の知るところとなる。ヨハネとイエスの「アイデンティティと生涯」を予告したと同じく、あらゆる胎児の将来を神が知る。キリスト者ではない者には「神が知る」の代わりに、「決まっている」と置き換えてください。

今、投稿子は一部の社会にとっても困る話を出している。ES細胞の研究と胎児の関係である。これを次回に。

ヒトはいつから人になるか2の了(2018年4月9日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒトはいつから人になるか 1

2018年04月02日 | 小説
(2018年4月2日)

ユダヤ・キリストの神の教えから考えてみると。
洗礼のヨハネの誕生逸話。新約聖書ルカ伝から一節を引用する。
=ユダヤの王ヘロデの世に祭司で名をザカリヤ(ザカリとも)という者がいた。妻はアロン家の娘のひとりで名をエリサベトという=中略=
(注:二人の間に子はない、エリザベトは不妊である、二人とも老齢との注釈が前段にある)祭壇で祈るザカリの前に、
=主の御使が現れて香壇の右に立った。ザカリヤは恐怖の念に襲われた。御使が彼に言うに「エリサベトは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい」ザカリヤは御使に答えた「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」=(引用はネットから採取、一部変更)
老齢しかも妻は不妊ならば子が授かる筈はないのだが、ザカリの素朴な疑問である。

投稿子がかつて購入したLa Sainte Bible (L’ecole biblique de JERUSALEM, エルサレム聖書学院、1961年版)の仏文で、上記文を追ってみる、ザカリと天使のやり取りは;
=Mais l’ange lui dit “ Rassure-toi , Zacharie; ta supplication a ete exaucee; ta femme Elisabeth t’enfantera un fils(聖書ルカ伝、1-7)この訳は上記のとおりです。
一点だけ;
上引用の後段=わたしにわかるでしょうか=はQu’est-cequi m’en assurera? の訳。直訳では「何がわたしにそれを確信させてくれますか」。この脚注に(エリザベト懐妊など信じられない)ザカリは「サイン=signes」を求めたとする。サインは証拠よりも幅広い、神の徴みたいなモノか。答えて天使は;=Je suis Gabriel, qui me tiens devant le Dieu, et j’ai ete envoye pour t’apporter cette bonne nouvelle(同)私は神に仕えるガブリエルと、この良き報せをお前に教えるために神から使わされたと答えた。祭壇の横で虚偽は言わない、ガブリエルの名がザカリに確かなサインを与えた。
この後に;
=et tu lui donnera le nom de Jean, il sera rempli du Saint Esprit des le sein de sa mere et ramenera de nombreaux fils d’Israel au Seigneur=
(懐妊のみならず)その子の名をヨハネとする指示を天使は与えた。子が男であると教えている。さらにヨハネなる子は、母の胎内に生きる時から精霊(SaintEsprit)に満たされ、成長ののちには多くのイスラエルの民を神に導くと伝えている。その子の成長してからの行動まで報せている。
すなわち懐妊の段階で神はその子の多くを知っているのか。

annonciation、受胎告知は西洋絵画の題材に採用広く採用されている。なかでも神秘性、そして後々の不幸を予言するかの色彩からグレコを選んだ。


もう一例
=六か月の後、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
これが有名な受胎告知。Sainte Bibleで読むと;
=(L’annonciation)Gabriel fut envoye par Dieu dans une ville de Galilee, apple Nazareth, a une vierge fiancée a un home du nom de Joseph ; le nom de la vierge etait Marie.
Il entra chez elle et lui dit « le Seigneur est avec toi »=中略=Voici que tu concevras et enfanteras un fils, tu lui donnera le nom de Jesus.
そして;
マリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしは男性を知りませんのに」
=Mais Marie dit a l’ange : » Comment cela se fera-t-il, puisque je ne connais point d’homme »
動詞connaitreの現在形がconnais、一般的意味では「知る」となるが聖書用語ではavoir des relations charnelles (=le petit robert) とある。すなわち肉体関係を持つ意味に変わる。マリアは婚約者ではあるが処女、男性を知らないとはその意味である。
ガブリエルはマリアの疑いに答えて「今晩にも精霊がお前に降りる、天上の力がお前に影をおとして」と処女懐胎の説明の後、ヨハネの場合と同様に「その子をイエスと命名しなさい、彼は人々に神の子と呼ばれる」
子の性別も成長の後の行動も教えている。
それはある意味で人のすべてである。神は懐妊の時に、胚でしかない生命体の将来すべてを知るのか?それなら、人の胚とは、胎に宿るその段階で人の性状を獲得しているのではないだろうか。
人間の歴史で神が受胎を告知したのはヨハネとイエスの2例のみである、ならば胚にあっても人性を持っていたのはそれらヨハネ、キリストの場合のみなのか。
次回に続く。

ヒトはいつから人になるか 1 の了 (2018年4月2日)

余談;昔、聖書を平読してソドムとゴモラの一節で理解不能に陥った。旅姿の見慣れない二人の若者がロトの家を訪問した。近在の人々が「彼は誰だ、知りたい、ここに出せ」と騒いだ。若者とは神の使いの化身だった。この「知りたい」とは、高校生の身では、どこそこの誰か、そして名前はとしか理解できない。しかし、この騒ぎが原因となってソドムは破滅した。名を聞くだけで神はこれ程怒るのかが疑問だった。
聖書用語で知るとは「肉体関係を持ちたい」を最近になって知った。ソドムの悪習を語る一節だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする