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伊能忠敬研究家・渡辺一郎さん死去

2020-07-29 23:16:13 | 
朝日新聞おくやみ欄 7月2日
 渡辺一郎さん(伊能忠敬研究者)6月28日、上部消化管出血で死去、90歳。
葬儀は近親者で行った。喪主は妻貞子さん。
 江戸時代に実測による初の日本地図をつくった天文学者、伊能忠敬の研究
会を95年に結成。99年から日本列島を一筆書きで歩く「伊能ウオーク」
(朝日新聞社など主催)の総隊長を務めた。

朝日新聞 惜別 7月25日 渡辺一郎さん 伊能忠敬研究者・元伊能ウオーク総隊長

「伊能ウオーク20周年の集い」であいさつする渡辺一郎さん。変わらぬよく
通る声だった=2019年、金井三喜雄さん撮影

 ■地図ひと筋、歩幅は同じ69センチ、 6月28日死去(上部消化管出血)
90歳 伊能忠敬が江戸時代に初めて実測で作った日本地図。渡辺さんは
電電公社(現NTT)で技術者として全国を結ぶデータ通信網を手がけてい
たころ、国会図書館でその伊能図に魅せられた。「気づくと伊能図を探して
国内外を飛び回っていた」

 50代初めに退職し、コンピューター関連会社を経営。1995年、パリ郊外
で見つかった伊能中図(8枚組み、縮尺21万6千分の1)の現物を自分の目
で確かめたことが縁で、忠敬から7代目にあたる洋画家、伊能洋さん(86)、
陽子さん(2010年死去)夫妻と知り合う。その年、伊能忠敬研究会を設立した。
広報担当として活躍する陽子さんらに助けられ、会としても研究を深めていった。

 身長約160センチだったという忠敬より小柄だが、歩幅は69センチで
同じ。自身を忠敬に重ねていたのか、経営者を引退後、残りの人生を「地図」
に捧げた。

 忠敬の足跡をたどり、99年から2年間かけて全国を一筆書きで踏破した
「伊能ウオーク」(朝日新聞社など主催)では、総隊長として学術面から支えた。
正確にはわからなかった測量ルートを伊能中図と測量日記から解明。約千枚
ある今の2万5千分の1の地図に描き出し、歩くコースを選定した。

 大会組織の人選をめぐり紛糾した際、「人を見る目には自信がある」と反対
意見を押し切る強さもあった。洋さんは「やんちゃ坊主のイメージだが憎めない。
かわいくて純真な人」と評する。ウォーキングがブームになるなか、歩数を数え
ながら歩いて距離の正確さを競う「歩測大会」を発案。「これは私向きだね」と
達人ぶりを披露した。

 昨年11月、「伊能ウオーク20周年の集い」に元気な姿を見せた。集まった
約50人に披露したあいさつは「長年の念願は、NHKの大河ドラマで忠敬
(ちゅうけい)さんの番組化を実現させることです」だった。(若林幹生)

★江戸の天文学者~星空を翔ける~幕府天文方、渋川春海から伊能忠敬まで
 中村 士:著 技術評論社
この書のなかで、中村さんは「歴史三角点」の提唱を行っています。
伊能大図と呼ばれる縮尺1/36,000の地図には、天測を行った地点は
☆印で示されています。
忠敬の天測点☆の位置を現在の地図の上にかなり正確に示すことができます。
言い換えれば、現在の地図三角点が地理学上の基準点だとすると、忠敬の天測点
はいわば「歴史三角点」として、歴史上の失われた建物・遺構の位置を現在の
地図上に同定する基準点になりうる。
このような天測点☆に”「歴史三角点」の道標”を建てれば、従来は過去の歴史
史料でしかなかった伊能大図を、時代を超えて現代に蘇らせることにもなり、
おおいに有意義ではないかというのがこの提案の趣旨である。

★伊能大図を調べたところ宮城県内の天測点☆は6カ所(築館、吉岡、仙台、
蒲生村、大河原、越河)ありました。そこで緯度測定が行われています。
昨年、大河原町で歴史的事業を行うとの情報を得たので、関係者に「歴史三角点」
の建立の提案をしましたが、体よく断られました。


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