文化財保護関係の移動研修で山元町の震災遺構 中浜小学校に行きました。
90人の命を守り抜いた小学校。
ここであったことを、
あなたの目で見て、考え、読み取って、
未来の災害へ備えるための知識に
変えていってください。
開校以来、地域とともに歩み、愛されてきた中浜小学校。平成23年(2011年)
3月11日、屋上に避難した児童と教職員、保護者ら90人の命を守り抜いた校舎
は、津波や高潮への対策が事前に施されたものでした。
中浜小学校は内陸の坂元小学校と統合され、平成25年(2013年)に閉校となり
ましたが、山元町では宮城県南部に残る唯一の被災建築物である校舎の保存・活
用を決定。大津波の痕跡をできる限り残したまま整備し、震災の教訓を風化させ
ず、災害に対する備え、意識の大切さを伝承する震災遺構として公開しています。
震災モニュメント「3月11日の日時計」赤矢印の岩は発生時刻の午後2時46分を示す。
この方位盤には、現在地を中心に、
1 気象庁が名称を定めた地震のうち、国内で100人以上の死者・行方不明者を出した地震
2 津波等による甚大な被害を伴う国内外の歴史的大地震
3 宮城県沿岸部に関わる主な地震
について、
発生年と震源までの距離及び方角を示しています。
[2020年2月現在]
日時計が指す学校の時間割、色の濃い部分が休み時間
震災遺構 中浜小学校入口
校長室前から流された志賀直哉先生の石碑
被災時計台
左が校舎入口、赤矢印のところまで津波が来た、2階の天井まで
1階の津波の痕跡
1階、中庭
1階、教室
屋上から海を見たところ、わずか約400mしか離れていない。
以前、途中に松並木があり、直接海が見えなかった。松並木は津波で全て流された。
校舎外観、左に日時計が見える。赤矢印は津波の到達高さ。
三角屋根が屋上の屋根裏倉庫、半円のガラスは倉庫の明かりとり。
屋根裏倉庫は撮影禁止。
寒さと余震。冷たい床の上で一夜を過ごした子どもたちはどんな気持ちだっただろう。