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十二支

2016-01-13 23:54:19 | その他
今日の朝日新聞、言葉の広場~校閲センターから~

十二支の申、なぜ猿?

十二支は、古代中国では「甲乙丙丁」などの十干と組み合わせて、日にちを表す
60日周期の暦として用いられていました。

五行説
中国では古くから、天地すなわち我々をとりまく自然界を構成しているものは木火土金水
(もく・か・ど・ごん・すい)の五つの要素と考えられていた。これは中国の戦国時代の
陰陽家鄒衍(すうえん)によって唱えられ、「五行説」と呼ばれる。

十干
1ケ月約30日を三分して、上旬・中旬・下旬よよび、各々の「旬」は10日であったから、
それの10個の記号を次のように決め、「十干(じっかん)」と呼んだ。
甲乙丙丁戊己庚辛壬葵(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)

五行の各々をそれぞれ「え」と「と」(兄と弟)の二つに分けて、十干と結びつけた。

十二支
さらに、1年約12ケ月の呼び名として、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥が考案された。
十干と組み合わせて60を周期として、日付などの呼び方に用いられ、中国の「殷(いん)」
の甲骨文字にも刻まれて残されている。
十二支は、漢代になってからは、1日を12等分したときの時刻や12方位の呼び名としても
使われている。


さらに、年を数えるのにも用いられた。
何々王の何年目とか元号の何年というのは、支配者の都合で比較的短期間で替わってしまうが、
干支を用いれば60年間を周期として連続して数えられる便利さがあった。
ある人が生まれた年の干支年は、数え年61歳で再び巡ってくることから、「還暦」と
呼ばれている。

さらに、十二支と動物説話が結びついて、何時の頃から、十二支=(イコール)動物という
ことになってしまったようである。

日本では、ふつう、十二支を「えと」と呼んでいるが、語源的には、本来は五行と十干の
関係である。誤用されてよび習わされてしまったものである。)

十干・十二支の文字の下のカタカナが「音よみ」である。

十二支と方位

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支を北から順に時計回りに、北・北北東・東北東・東・・・・
に当てはめた。
四方・八方・十二方のうち、十二方位は十二支のすべて、四方位は子・卯・午・酉を当てた。
八方位は、例えば、北東は丑と寅の間だから「艮(うしとら)」というように、
南東・南西・北西をそれぞれ「巽(たつみ)」、「坤(ひつじさる)」、「乾(いぬい)」
という。
これらの十二方位を用いた「子午線」(北・南線)ということばは、現在でも使われている。
北東の「うしとら」の方向を「鬼門」という。ところで、その「鬼」は、角と牙をもった
想像上の動物(人?)である。生物学的には、角は草食動物、牙は肉食動物の特徴であり、
その両方を持った動物は希であるという。鬼は「うし(牛)」の角と「とら(虎)」の
牙を共に備えているのである。

十二支と時刻

1日を12刻に分けて、真夜中を子の刻とし、順に十二支で表した。
夜明けを卯の刻、夕方を酉の刻として、昼・夜をそれぞれ六つの刻(とき)に分けた。
1刻(とき)はおよそ2時間である。ここで、およそというのは、昼夜の長さが季節によって
違うから、1刻の長さも季節によって変わったのである。(これを不定時法という)

昼の正時(12時)が午(うま)の刻だから、正午という。また、その前後という意味で、
いまも午前・午后(後)という言い方が使われている。
また、1刻のおよそ2時間はかなり長いから、これを四つに分けて、順に一つ、二つ、三つ、
四つと呼んだ。例えば、講談や怪談に出てくる(草木も眠る丑三つどき)というのは、
午前2時から2時半頃のことである。
出典:米山忠興著、「空と月と暦」~天文学の身近な話題~、出版社:丸善