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ばあちゃん、無事、じいちゃんのところに逝きました。

2022-08-11 11:41:08 | 

こんにちは。

8月7日に、ばあちゃんが満93歳の命を終えました。

その記録です。


8月4日 午前7時前。

前回書きましたが、施設から連絡があり、血中の酸素濃度が下がったということで、半田病院へ搬送。

あたしが行ったときには、すでに処置室へ。

付き添いの施設専属の看護師さんと、待合室で待機。

その間に、ばあちゃんのここまでの様子を聞く。

口から飲めない食べられないが一週間ほど続いているのは、施設の時から聞いていた。

そして、この日を迎えたのです。

いろいろ検査をしていただいたようですが、1時間ほどのそれを終えて、救急のお医者から説明。

「何が悪いということではないですが、年齢によって体が限界になっているようです。」

その後、改めて、内科医のお医者の説明を受けた。

同様の見立てでした。

そこで、このまま病院で治療をするか?施設に戻って看取りをするかの選択で、あたしは看取ることを決めた。

一度施設に戻り、翌日11時に、施設の内科医からの説明があるということで、それに合わせて、姉たちを集めた。


5日、11時。

姉二人と一緒に、施設で説明を聞く。

内科医が、「今日明日と思っていてください」と言った。

施設の人からは、「コロナで、一般には面会はアクリル板を通してとなりますが、いよいよの看取りは、ご自由に付き添っていただいてよろしい」と聞いた。

その、いよいよの時になっているあたしたちとばあちゃんでした。

とは言え、ばあちゃん、いつ逝くかはわからない。

そこで施設の人も慣れたもので(ここに悪意はありません)、「急変もありますが、看取り(命のあるうちに)の変化の際にお知らせをしますか?そうでなければ、亡くなってからのお知らせとなることもあります。担当も極力マメに様子を見るようにしますが、間に合わないことは承知してください。」とおっしゃる。

言葉だけから、命のあるうちのお知らせというのをお願いした。

そうして、いったん全員帰宅。

お医者から、今日明日・・・と聞いているから、気が気ではないながら、その日は過ぎた。


明けて翌日(6日)も、寝たのか寝てないのかよくわからない感覚で、朝からぼんやりと過ごす。

そして、朝10時ごろに電話。

すわ!とうとう来たか?

と電話を取って、施設の人から、「呼吸が少し荒くなってきています。」と聞いた。

あたしは駆け付けた。

そして、部屋へ。

と・・・確かに息は荒くなっているようだが、今すぐ息絶えそうな気配ではないと思った。

看護師さんに聞いた。

「これ、危ないですか?」

看護師さん

「いや、あの、変化があったらお知らせせよということでしたので・・・」

そこであたしは納得をして、

「いやいや、こうしてばあちゃんがいつ逝くかわからない状態で、ここにずっといられないですので、これはいよいよアカンとなった時でよいですので、お知らせください。」

と言い直して、よしんばそれが息のあるうちに間に合わなくてもよいことを伝えて、いったん帰宅。

その時は姉たちにも何も連絡をせず、過ごしました。


それから、昼が過ぎ、夜が過ぎた。

ばあちゃんが逝くのを待つというのは、なかなかおもろい。(不謹慎)

「今日明日」と言われているから、なおのこと、夜が更けてくると、電話が鳴らないか?と落ち着かない。

そうして、それでも布団に入ってウツラウツラしていた翌朝午前2時に電話。

咄嗟に「ああ、来たな」と思いましたね。

受話器を取れば、案の定、ばあちゃんの末期ということ。

すでに、息も絶えているらしい。


夜中の施設は、自動ドアが手動になっていて、それを手で開けて、暗い施設の中を通って部屋へ向かった。

その部屋だけ、ポッコリ明かりがついている。

施設の男の人が一人、寝ているばあちゃんのそばにおりました。

「来た時に、すでに息をしておられませんでした」

と、申し訳なさそうにおっしゃった。

「それで、良いです。ありがとうございます。」と申し上げた。


すっかりこけたばあちゃんです。

顔、撫でたりました。

まだ、暖かかったです。

息のあるうちには間に合わなかったですが、許しておくれ。

逝っても声は聞こえるというからね、ばあちゃん、ありがとう、ありがとうと囁いてやりました。


さて、やがて看護師さんがやってきて、今後のことを聞いた。

午前8時頃に、お医者が来て、死亡確認をするらしい。

その時の立ち合いを求められたので、承知する。

それが夜中のことなので、朝6時ごろに、姉たちに報告。

そこから、姉たちとともに、お医者の話を聞いてもらうこととした。


今日は長いよ。


7日8時に間に合うように、姉たちに施設に来てもらい、あたしはその前に葬儀社に連絡をして、施設からの引き取りを依頼。

8時過ぎ、お医者の死亡確認を済ませて、その後葬儀社の車で、ばあちゃんを店に運んだ。

ばあちゃんが、昭和28年から始めた、豊坂屋に安置したります。



姉たちが、着物に囲まれて綺麗でよかったね・・・と言いました。


この後、お盆の時期ながら、運よくじいちゃんの時にもお願いした同級生の坊主が、枕経を上げてくれました。

今日のところは、とりあえずこれで一段落です。

姉たちにはいったん帰ってもらい、明日の通夜とその後の本葬の手はずを整えた。

時節柄、クーラーガンガンに入れて、その夜は、あたしは毛布にくるまって、最後の添い寝をしたりました。

我ながら、よく眠れました。

じいちゃんは2月だったから、寒くて仕方がなかったよ)


明けて8日は、通夜。

4時ころかな?に葬儀屋が来て、葬儀場までばあちゃん移動。

このあたり、あんまり記憶がないですが、6時に通夜を開始するということで、当日仕事に行っている次男を家で待ちながら、次男帰宅。

次男の礼服を準備していたはずが、ズボンを履いてみると、はまらない。

前回のじいちゃんから、お前、太ったな・・・と余計なことを言いながら、近くの洋服の青山に急いで向かった。

と、ここでお父さんは気が付いた。

もしや、用意したのが、あたしのではないか?(次男はスリーシーズンしか持ってないから、あたしの冬用と間違えたか?)

青山に着く前に取って返して、もう一つの礼服を着てみた・・・これだ!

お父さん、ギリ、間に合いました。

こうやくん、ごめんね~!


で、それを急いで着なおして、葬儀場へ。

すでに、姉たち家族、集合しておりました。

ありがとうございます。

そこから間もなく、通夜式開始。

今回は、ばあちゃんの葬儀に際して、姉の子供たちも集まってくれました。

一番遠くから来たのが、長姉の娘、まゆこが、香港からこれのために来日。

そして、長姉の次男が、東京から参加。

遠いところ、わざわざ、ありがとうございました。

やがて、通夜式、無事終了。

お礼を言い、明日の本葬もよろしくと挨拶。


明けて、9日12時、本葬。

この日の午前中に、広島から長男が車で来半。

長女も、孫二人をお母ちゃんのところに預けて来た。

長姉家族、次姉家族ともに、ばあちゃんのDNAが一堂に集まりまして、本葬開始。

読経の中、何とはないですが、穏やかさを感じておりました。


同級生の読経・・・下手です。

それはさて置き、それも終わって、喪主挨拶。

それまで、何とて普通でしたが、ここで思わずぐっと来てしまった。

「子供3人がそれぞれ無事で、その家族、孫、ひ孫まで、誰一人と欠けずにばあちゃんを見送る・・・ばあちゃん、喜んでいると思います・・・」

ここで、思わず涙声になってしまったあたくしでした。

ついでに余計なことに、

「兄さんたちも、どうぞ、順番に逝ってください」

は、長姉の息子がニヤリとしていたのをあたしは見逃しませんでした。


さて、それが終わって、火葬場へ。

ばあちゃん、見事に灰になりました。

信心があったばあちゃんだから、本四国の納経帖とか、西国33観音のオイズルとか、姉は自身の写経も入れとりました。

(新美の家系は、そういうの好き)



五平餅が好きでしたと葬儀社に伝えていたら、五平餅、用意してくれてました。

葬儀会館ティア・・・なかなかやります。


この後、火葬場へと向かい、すっかり灰になったばあちゃんを骨壺に収めて、初七日も無事終えました。

そして、午後4時、散会しました。


ご参集いただきました皆様、本当にありがとうございました。

SNSでも、お祈りをいただきました皆様、本当にありがとうございました。

この場をお借りして、心からお礼申し上げます。

ありがとうございました。


家族だけのささやかな会葬でしたが、じいちゃんの時と同じように、心のこもった葬儀ができたと思っています。

新美友子 享年94 

どうぞどうぞ、あなたが穏やかでありますように。

心から・・・合掌。


あたくしは 父・孝士 母・友子 の子

あたくしは 新美輝人と 名を給う

・・・

本当に、ありがとうございました!


余談

じいちゃんの葬儀以来で、子供たちが集合。



それぞれに、無事大きくなりました。

長男、



4年ぶりくらいかな?(おまえ、怖いよ)

二人の子供を養うべく、頑張っております。

この顔が、カメラを向けられても、



こうなれたら、もっとお金がたまります。(マジで)

顔出し禁止と言われていますが、多分許してくれると思います。

(こうしてお父さんは、ますます嫌われる)


長女も、二人子持ちのすっかりお母さんになりまして、「3人でも4人でも、子供は多いほうがいい」と、肝っ玉を見せております。




次男も、すっかり大人になりました。

こんな姿を、ばあちゃん、喜んでくれているような気がしています。

・・・

ばあちゃん、穏やかに、じいちゃんと見守っていてね~!



 

 

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