原文は、「曽子いわく、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳に厚きに帰す」とある。実は、この句は、漢王朝の時代から誤解されてきた。「終わりを慎み遠きを追う」とは、先祖の祭祀を盛んにすることだと誤解されてきた。孔子学派の教材である「管子」を調べると、「終わり」とは、Goal ゴールのことを意味しています。「未来の目標を慎重に定め、民衆に示したら。民衆は慕い寄ってくる」という意味です。今、SDGsのGsが、それに当たります。これは、2200年間、誤って解釈されてきました。仏教も中国化して、先祖祭祀になったのも、この章の間違った解釈に原因しています。この章は、渋沢先生の解釈に従う必要はありません。
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