富山マネジメント・アカデミー

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悩ましい次期の富山知事の選挙(補正)

2019年11月18日 | Weblog

富山人は、今、ある種の歴史判断を迫られている。まず、参考までに、幕末の富山藩を振り返ることにしよう。易経、書経、春秋、詩経、礼記からなる五経の校正版を公刊する際、思い切って過去の、特に朱子学の注釈を割愛している。幕府の公認の学問では、朱子の注釈を基準とした。特に、詩経では、古代からの古注も、新しい朱子の注も割愛し、孔子が編纂した詩経の原型に、独自の欄外の頭注をつけて公刊されている。これは、随分に思い切った見識である。富山人、特に薬業を中心とした当時の経済界の空気を鮮明に表したものである。実は、富山の「維新力」はここに源流がある。さて、このたび、富山の経済同友会は、現知事の5選に待ったをかけた。県政の刷新を唱えるだけの経済界の実力は、日本海側で屈指の「県民総生産高」(県民1人当たりを含め)を生み出していることからも、相当に重いものと見なくてはならない。では、経済界は「資本家の私利私欲のため」かというと、必ずしもそうではない。経済学の古典を調べてみる。アダム・スミスが、スコットランドの製造業の経営者は、長期の統計のトレンドと広い情報知識を持ち、公益に寄与しうる階級であると述べている。現在、富山県の経済社会の将来は、東南アジアの経済成長と深く関わっている。このことが理解できているのは、総務省系の官僚社会ではなく、経済産業省系の官僚と海外事業展開をしている産業界の経営陣である。次に、エネルギーの天然ガス、LNGの利用が、2020年代に占める比重が高く、また水素利用の本格化も予定される。その意味では、経済界からの新しい提案を厳しく査定し、国家財源と税収のテクニカルな均衡論による総務省システムとの比較検討が必要となろう。もし、人物論できめると、感情できめることになる。感情よりも、現実の勘定が大事である。広徳館の「五経」が、過去の注釈を削除したのは、新しい時代の到来を構想するうえで、過去が障害となると考えたからである。ひとまず参考までに述べてみた。そこで、今問われているのは、総務省の出先機関としての富山県庁か、それとも、日本の国際競争戦略に生きる経済産業省ともに、新時代の富山県経済を再構築するのか、その選択である。しかし、総務省の出先機関であるという長年の流れは、持続的な発展には欠かせないメカニズムはあるから、それまでを廃棄する必要はない。しかし、新しい要素を組み込む妨げになってはならない。静岡県のように、富山にも地元に活性度の高い産業界がある。政策提言の主力である40歳代の部課長が、富山の将来を競争性の世界で勝利に導くには、スピード感があり、勇気ある決断が求められていると信じたい。

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