富山マネジメント・アカデミー

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中共の日本研究の粗雑さに救われるのは日本

2018年09月27日 | Weblog

中共の日本研究の精度が良いと、その情報収集力の幅広さが加わり、日本の総合商社を軸とした経済社会は手も足もでない。では、逆に、日本人の中国研究の精度は高いのか。それは、メディアのレベルでは、極めて低い。福島香織さん、大阪大学文学部、そんな子いたんか?という程度である。当時の大阪大学、大阪外語と合併するまえだから、現代中国の研究はまだ初歩的だった。ともあれ、活字のレベルでは、現代中国学会を含めて、その水準は極めて低い。非公開の金融情報、マテリアル・フローなどの高度プロは、完全に中国を読み解いている。まずは、伊藤忠、つぎに三菱UFJ銀行、日銀である。近代経済学の統計推論を駆使しているので、レベルがまるで異次元の域にある。反対に、中共は日本の左翼系の日本資本主義の奇形的な発展という型枠を受け継ぐ。そのために、資本主義衰退論という願望に落ち込む。中共中央は、日本の誰が何の権限と決定権があるかなど、微細な情報にのめり込みすぎている。中国では、麺料理を「湯麺」(タンメン)という。日本のラーメンは中国の特定の麺の名称を引くが、すでに「日式」が本家を凌駕していることは有名だ。この麺の事例で推察できるが、中共の日本研究者は、日本経済の核心的な強さの本源を知らない。中国に対しても、アメリカに対しても、強みを隠す、富を誇らない、謙譲の美徳という真の強者の文化にあることを知らない。つまり、「論語」学でも、この富山の地では、「賢賢易色」の句は、「韓詩外伝」に読み解くカギがあるなど、難読の箇所には、非公開の秘伝のタレがあることを僕は隠している。安岡論語は、難読箇所がすb省かれている通俗版である。50ほどある難解な、朱熹をもってしても読み切れない難読箇所は、もう少しで読解できるところまで来ている。「賢人に接し学んでいると、顔つきまで変わり、賢そうになる」という意味である。

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