富山マネジメント・アカデミー

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産めよ、増やせよ政策の間違いを繰り返すな。

2017年06月23日 | Weblog

TMA講師代表:原日本人に根ざした日本民族の原型は存在しない、という理論がある。けれども、人類学的な研究によると、やはり縄文文化時代に形成された原日本人の身体特質は、現日本人の祖型といえるらしい。歴史文化としてみると、中国大陸から筏にのり、この列島に漂着した人々と縄文人との混血の結果、中国大陸では失われた中国古代文明の特色が、日本列島には残されている。中国大陸は、異民族に征服され、元王朝以後の中国は、古典中国とは別のものに転じた。そのため、「小中華」としての文化をもつ日本民族の独自性は、日本語とともに継承を期待したい。そのために、人口増加策よりも、文化伝承の方策が必要である。

しかし、縄文人の土台のうえに弥生人との混血が自然に行なわれた成功事例とからみると、20世紀日本における、戦争目的のための産めよ、増やせよの強要は、狂気の時代の産物であった。異常な戦後時期に集中した出産ブームがもたらした人口爆発は、いまや高齢者の自然減を上回る自然増でカバーできないのは当然である。日本の人口は、異常な戦争政策の後遺症による固まりが氷解するまで、時間が必要である。過去の18歳人口の学習レベル、例えば、中学3年の同窓会で分かるが、1950年代の中学3年生は、その後、10%ほどしか大学教育を受けていない。現在、大学水準の教育を受けた方と、高校3年生で就業する方とを比べると、前者の方が多くなった。最近の中学生のスポーツや将棋をみていると、日本人はゲーム脳を高めている。昔の1人が、3人前以上の仕事をこなす潜在力がある。

仮に、1960年の中学3年生100人がその後に生み出した生涯の労働総生産高と、2017年の中学3年生100人が将来もたらす労働生産高を比較し、前者が後者よりも多いと想定するなら、日本は確実に滅亡に向かっているといえる。高学歴化が、首都圏への集中を生み出した。しかし、同時に、首都圏の成長限界が来ると、次に、新しい日本の姿へと脱皮することになる。首都圏から、製造拠点は地方に押し出されるから、首都との距離を近づける努力のある地方には、資本と人材が移動してくる。人口の社会原因による流入が、すでに富山県にはある。「政策」努力は、自然史に逆らうと、疲れが残るだけである。特に、日本の女性の歴史は、バカではない。おのずときめ細かな、女性の文化を創造する自然力がある。国家財政、国有財産も、貸借対照表の資産勘定と資本勘定も全体バランスがとれている。吾ら異常に膨らんだ人口に固まりの老兵は、賢く消えゆくのみだ。

 

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