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今日の聖人の記念日

2014年09月12日 07時56分08秒 | キリスト教

福者アンジェリス司祭と殉教者たち

1567年-1623年

 アンジェリスはイタリアのシチリアに生まれ、18歳でイエズス会に入り、日本への宣教を志していた。西インドで宣教したのちにポルトガルに行き、31歳のときに司祭となった。インド、マラッカに渡り、1602年に来日して、伏見、後駿府、江戸で宣教活動をした。しかし1614年のキリシタン禁教令によって江戸を追放され、翌年、仙台藩の後藤壽庵の招きで仙台に行った。その後蝦夷(現在の北海道)に渡って、キリスト信者を励まし、再び江戸に戻った。

 彼は、日本の習慣を大切にし、貧しい人や病人をいたわるなどして、多くの日本人から親しまれていた。1623年、徳川家光によるキリシタン弾圧によって捕えられ、小伝馬町の牢に送られた。そしてジョアン原主水、フランシスコ・ガルベス司祭、シモン遠甫ら50人の信者とともに火刑にされ、殉教した。家光はこの処刑を皮切りに、諸大名に対しキリシタン処分を命じ、過酷な弾圧の時代が始まったのである。「江戸の殉教者」の記念碑は、カトリック高輪教会内にある。

マリアのみ名

 

 聖ヨアキムと聖アンナはユダヤの習慣に従って、聖母の誕生後8日目に、「マリア」と命名した。

 この記念日は、1513年にスペインで祝われたのがはじまりだと言われている。1683年、オスマン帝国がヨーロッパに進軍し、キリスト教をおびやかされるようになった。ヨーロッパ連合軍を指揮していたポーランドの王、ヤン3世ソビェスキは自分自身と兵士たちをマリアにゆだねて戦いに臨み、勝利したのが、9月12日だった。教皇インノチェンチオ11世はこの勝利に感謝し、主の降誕の8日間の日曜日に全教会で祝うよう規定した。その後1911年、教皇ピオ10世のときに9月12日と定められた。

 マリアという名は、ヘブライ語では「婦人」を意味し、中世には「海の星」と解釈された。聖ベルナルドは、「マリアがヤコブから出た輝く星であり、全世界を照らし、信じる人びとの道を照らす星である」と述べている。

 マリアの名を呼ぶことで、神の母であるマリアを愛し、もっと親しくなるよう、教会は招いている。


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