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「だから、聞き方に注意しなさい。

2017年10月24日 15時18分05秒 | 聖書

というのは、持っている人は、さらに与えられ・・」(ルカ8:18)

ただ単に、御言葉をぼやっ~と、聞いていればよいのでなく、聞き方に「注意せよ」と言われている。

イスラエルの民は皆、モーセから神の言葉を聞いていた。
しかし、聞いた言葉が「信仰に結びつけられ」なかったため、最後まで神を疑い、結局は不信仰によって荒野で滅ぼされてしまった。

モーセは神の言葉を語った。聞く側に問題があった。
信仰に結びつける事が大切だ。
種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。
道ばたに落ちた種は土が固く、心に入らず、サタンが来て御言葉を奪い去った。

先入観や偏見があると御言葉が入らない。
又、他人事として聞く態度だ。自分の事として聞かないので、素通りする。
まるで目の前で映画でも見ているように、傍観者として聞いていないか。

御言葉は「自分に」向けられている言葉として受け取らない限り、無益だ。
自分の事として受け取る心が「良い地」だ。必ず豊かに結実する。

岩の上に落ちた種とは、喜んで御言葉を受け入れるが、根が無い。
根を張るのは地中だ。隠れた神との関係を培う事が大切だ。
人目に見えない神との交わりの地道な生活が根だ。それが無いと枯れてしまう。

いばらの中の種は、外部から伸びたいばらにふさがれた。
外部のものによって生長が妨げられる。
世の様々な事柄に心が奪われ、いつしか神がおそろかになってしまう。
それは仕事や趣味など、全然罪ではない良いものかも知れない。
良いものだけに気づかない。

自分はどんな「聞き方」をしているか、よく省みてみよう。
御言葉を、愛して、へりくだって、「従います」の態度で聞こう。

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「聞き方に注意せよ」と言われている。聞いている「つもり」で、右から左なら、結実が無い。
御言葉により自らを吟味し、示されている事に従おう。
従う時に、自分が変えられ、主を新たに知り、自分も恵まれ、周囲にも神の栄光を現して行く。



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