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◆職分に生きる

2014年09月12日 07時55分05秒 | 聖書

じょうずな仕事をする人を見たことがあるか。
その人は王の前には立つが、
身分の卑しい人の前には立たない。(箴言二二29)

「じょうずな仕事をする人」は、聖書協会訳では「そのわざに巧みな人」です。それは不器用な私には当てはまらないと考えてしまいます。小学生のころ、こよりをつくった時、いくら一生懸命やっても、手あかで紙を真っ黒にしても、ピンと立った使いものになるものはできなくて悩んだことがあります。しかし、どの注釈書を読んでも、「じょうずな仕事をする人」を「手先の器用な人」とは解釈していないので、ほっとしています。その意味は、「良心的にこつこつと、自分の職分をやりとげる人」なのです。
第一に、良心的に自分の職分をとらえている人です。金や名誉や利得のためでない、使命感のある人です。第二に、こつこつとやる人です。忍耐深く、手を抜かずに、一つ一つのプロセスを大切にします。第三に、やりとげる責任感のある人です。
こう分かると、そんな人になることは、よけい大変な気がします。山室軍平が書いていることですが、救世軍の創設者ウィリアム・ブース大将が日本に来て、明治天皇に謁見の許可を得た時、イギリスにいる孫たちにこう手紙を書いたそうです。「おじいちゃんは、『なんじ、その業に巧みなる人を見るか。かかる人は王の前に立たん。必ず卑しき者の前に立たじ』の聖書のことばを思い出しました。おじいちゃんは、若い時から善良なよい仕事を選び、一生涯飽きずにやって、右にも左にも迷わず進んできました。だから、明治大帝の前にも立てたのでしょう。しかし、終わりの日に、『よいかな、善かつ忠なるしもべ』と神さまに言っていただくことが、おじいちゃんの最大の希望です。」
神と神の愛を知った時、たとえ小さな目だたないことでも、自分に与えられた職分が分かり、それに一心不乱に携わる喜びも与えられるのです。

 


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