マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

南部貴族の凋落

2011-02-05 13:27:38 | 日記
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(これは、いつもコメントを下さる『さくらさん』へのご返事として書きます)

 「エミリーのバラ」の物語は、町の人たちが、エミリー・グリアソンの葬儀にやって来るところから始まっている。
 長年、エミリーは、町の人たちと交わることもなく、ひたすらこの大きな邸宅に閉じこもり、孤独な生活をしていた。
 一時期、メイドとして雇っていた黒人の女性がいたが、それ以外の人は、屋敷の内部を見ることはなかったのである。
 かつては、栄華を誇った大邸宅も、今は見る影もない。グリアソン家の凋落とともに、朽ち果てるにまかされていた。
 もうずいぶん長い間、町の人たちも、訪ねて行くことはなかったし、エミリーの姿を見ることもなかった。

 葬式に来た男たちは、「仕方なく」(out of obligation)やって来たのであり、女たちは、誰も伺い見たこともない「大邸宅」( Gra
nd House)の内部が、どのようになっているのか見てみたいという好奇心からやってきたのである。

(Emily is heard less and less, and rarely ever leaves her home. Unbeknownst to the townpeople until her death, hidden her upstair's bedroom is Homer's corpse....By finding a single gray hair in the bed, the townpeople discover that Emily had been sleeping with the corpse.

( エミリーの噂を、だんだん聞かなくなってきた。彼女が外出することもほとんどない。
彼女が亡くなって初めて、二階の彼女の寝室にホーマーの死体があるのを、町の人たちは知るのである。
 ベッドに灰色の毛髪を見つけて、町の人たちは、彼女が、長い間その死体と一緒に寝ていたことを知る)

 サートリス家やコンプソン家と同じように、エミリー・グりアソン家も、かつては、南部貴族 (Emily's origins are " aristcratic")で、輝やかしい時代があった。
 夜な夜な舞踏会やパーティが開かれ、紳士淑女が集い、華やかな社交が展開されていたのである。
 
 南北戦争に負け、これを境に、南部の上流階級の凋落が始まる。
 多くの奴隷を従え、「貧しい白人層」(the poor white)の上に胡坐をかいていた時の栄華はもうない。
 父親とエミリーは、辛うじて朽ち果てた大きな館には住んでいたが、庭は、草ぼうぼうで手入れをする人もいなかった。
 1894年に、父親が亡くなる。
 エミリーは、独身のままで、もう30才を越していた。
 その後は、エミリーと黒人女が屋敷に留まっていたはずだが、それ以外の人で、屋敷に入った人はなく、町の人たちも屋敷の中がどうなっているのか分からないのである。
 エミリーは、町の人たちを見下していて、関わりを持つことを敢えてしない。
 周りの人たちを蔑みながら生きてきたエミリーにとって、町の誰かと結婚をするなど、いかにも釣り合いのとれないことだったのである。

 次の年の1995年に、町の工事現場に、北部から監督として、ホーマー・バロンという男がやってきた。
 「過去の栄光」の中で生き、誇りばかり高いエミリーにとって、かつてのような社交の場はなく、舞踏会でダンスを申し込むような人は、周りにはいなかったのである。
 北部から来た男と知り合い、急速に接近していったのは、誇りある自らの立場を、かなぐり捨ててでも、「違う世界」に住む北部から来た人間となら、諦めの心の中でも、一瞬許せるとの言い訳ができたのかもしれない。

 彼女は、町で高価な男性用化粧品具をホーマー・バロンのために、サイン入りで買っている。
 追い詰められた精神の中で、ほとばしり出るような恋心をみせたときである。
 
 1996年に、彼女は、ヒ素を買っている。
 その後、彼女の屋敷の周りで、動物が死んで腐敗したような異臭が立ち込める。
 近隣の人たちが、このことで、町当局に相談して、役人が訪れるが、屋敷内に入ることを拒否されている。




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2 コメント

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ありがとうございます。 (さくら)
2011-02-06 00:34:19
図書館か、アマゾンでこの本を捜してみようと、思っていました。
凋楽と言う言葉は、私たちの身の周りには縁のない言葉です。
庶民ですから(o^-^o) ウフフ
でも、ちょっと何と言うか、変なんですが、あこがれみたいなものを、感じます。
すたれる より品があるような・・・。

馬鹿言ってますね。
次を、お願いできますか?
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さくらさんへ (yamada)
2011-02-06 09:20:08
 本文中の1995年を1895年に、1996年を1896年に訂正お願いします。
 注意散漫でした。

 フォークナーの描く世界は、異常な状況の中での、人々の異常な心、精神を描くことが多いですね。
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