マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

レーガン大統領

2010-02-27 19:04:01 | 日記

 カハラと言えば、ハワイでも高級住宅地として知られている。近年マウイ島やハワイ島のコナなどに高級住宅地や別荘地が出来たりしているようだが、カハラは、昔から高級感、格式を誇っていて、アメリカの映画スター、銀行家、企業家など、いわゆる「リッチ&フエイマス」と言われる人たちの所有物になる家が多い。
 どんな家なのかは、一般の人たちの目に触れることはなかなかできない。というのが、海から斜面を登って、岩場にへばり付いたように家が建っていて、普通では見えないのである。

 ここにあるワイアラエ・カントリー・クラブは、有名で、数々の世界規模のゴルフ大会が開催されている。
 青木功さんがハワイアン・オープンで、逆転優勝した時など、テレビで全米に放送され、試合終了後、青木さんは、一生懸命英語でインタビューを受けていたのが印象的である。
 テレビのインタービュアーが、青木さんのことを、何度も「ミスター・エイオーキ」と発音していたのを覚えている。

 レーガン大統領が、中国の北京を訪問した際、高齢のためか、途中ハワイに立ち寄って休養をした。
 当初の報道では、空港で大統領夫妻の歓迎式をして、花輪を受け取り、オープンカーに乗って、カハラの当時の「カハラ・ヒルトン・ホテル」(現在のカハラ・ホテルアンドリゾート)に泊まるということになっていた。
 
 レーガン夫妻が通ると予想される道には、早朝から人垣ができ、更には、銃を持った兵士がガードを固めていた。
 朝から、上空にはヘリコプターが、飛び回り、騒音がこだまして、街中が緊張していて、とても散歩にも出れない状況であった。

 ところが、大統領専用機はホノルル国際空港ではなく、軍の基地に着陸した。
 空港で大統領夫妻を歓迎しようと待ち構えていた人たちをも、すっぽかして、軍の基地からヘリコプターで一気にカハラに飛んだ。
 ヘリコプターが着いた場所は、ヒルトンではなくレーガンさんの長年の友人宅の庭だった。ヒルトンで待ち構えていた報道陣をも、すっぽかしたのである。

 カハラの住宅地は、それぞれの家に入って行く道も個人の所有物になっていて、自由に入ることはできない。
 勝手が違った、ハワイの当局、一般市民、報道陣は、つむじを曲げ大統領報道官に詰め寄ったが、すべて後の祭りであった。
 
 大統領に接近するチャンスをすべて失った報道陣は、カンカンだが、翌日の新聞にスクープが載った。
 無謀にも、ゴムボートで、沖の方から、レーガンさんが泳いでいる写真を撮ったカメラマンがいて、この人が撮った写真が一大スクープとなり、ひときわ世間の話題になった。

 


スイカ・パーティ

2010-02-25 15:33:13 | 日記

 レストランでは、初めから、アメリカ人の胃袋に付き合うつもりはない。
 トシは、バスケットに入ったパン、ハーフカットのステーキとサラダ、デザートはマージャンの途中で出るようになっているから省略して、最後にコーヒーをオーダーした。
 このグループとの食事は、「割り勘」で支払いをすることになっている。
 大抵の場合、元中学校の先生が、食事のあと、頃合いを見て電卓を取り出し、それぞれの食事の代金を計算し、チップをプラスした金額をメモ用紙に書いてまわしてくる。メモ用紙に書かれた金額をその先生に渡すと、纏めてウエイトレスに支払いをしてくれるので気が楽である。
 面白いのは、みなさん、食後に一斉に薬のカプセルをバッグから取り出して、水と共に飲み干すことである。何の薬か、あるいは、サプリメントなのかわからないが、思わず笑いたくなるのが、お医者さんも例外でなく、なんらかの薬を飲んでいることである。
 食事の最後は、コーヒーを飲みながらの談笑がしばらく続く。

 レストランを出て、車でカハラモールの近くにある深夜開店のスーパー・マーケットに移動して買い物をする。トシは、何種類かのフレイバー組み合わせのアイスクリームを買った。これは、マージャンの途中休憩のとき出されるものである。

 マージャンは、日本のに比べるとかなり異なる。パイが大きいし、やたら花パイが多い。それぞれの人が、自分の前に物差しみたいな木の棒を置いて、それに立てかけるようにパイを並べる。
 あがる時は、役など関係なく、先に「ツモッタ」人が、大きい声で、「マージャン!」と言って終わりになってしまう。
 頭脳的な駆け引きなどなく、策略をめぐらすことをしないので物足りないが、勝負というより、その場の雰囲気を楽しむと思えば楽しい。社交場であって、緊張感、スリルなどない。いつも大きな声で談笑していて、それが楽しいのである。

 おばあさんも、傍らの椅子に座って楽しそうに見ている。因みに言うと、おばあさんの英語は完ぺきと言うべきで、ほれぼれするほどきれい。トシなど遠く及ばないのである。

 頃合いを見て途中休憩になる。キッチンからワゴンが運ばれてきて、「スイカ・パーティ」になる。スイカだけでなく、ケーキ、クッキー、アイスクリーム、コーヒーなどが出てくる。トシは、胃袋に余裕がなくて、大概、スイカとコーヒーだけで終わる。

 おばあさんは、このパーティに参加した後で、みなさんに挨拶をして自室に帰っていく。
 トシには、手を握りながら、「オヤスミナサイ!」と日本語で言って去っていく。

 

 


「ト二ー・ロマ」で夕食

2010-02-22 18:15:50 | 日記

  本屋さんの「バーゲン」コーナーに直行して、これはと思う本を一冊づつ開いては、拾い読みしていたら、思わず時間が経ってしまっていたのに気づかなかった。それでも、なんとか一冊を購入した。
 ミステリー本で、バーナード・ショーペンの「ザ・デザート・ルック」(The Desert Look by Bernard Schopen)という本である。表紙を見て、少し拾い読みをした感じでは、面白そうだ。
 とりあえずは、読むかどうかはわからないが、手元にあればいつかは読むことになるだろう。
 本屋さんで、意外に時間を喰ってしまったのに気づいた。
 駐車場に飛び出し、車を発進させ、一路高速道路に向かって進んだ。どうやらして、ルナリロ・フリーウエイに入るのは入ったが、ラッシュアワーで渋滞の真最中だった。
 
 ハワイは、朝の出勤時間が早くて、暗いうちにラッシュアワーが始まり、一斉に車が幹線道路に押し寄せる。
 テレビ局が「トラフィック・ウオッチ」といって、幹線道路の渋滞地点に固定カメラを設置して、毎朝「リアルタイム」で交通状況を画面に映し出し、報道している。
 ダウンタウンのオフィス街などは、今度は終わるのが早くて、4時からドアを閉め、閉店を始めてしまう。
 そのせいで、4時半ぐらいから、今度は、帰り道が混み始めるのである。
 トシは、このことをすっかり忘れていて、時間の計算をしていなかった。6時30分にカハラに集合ということになっていたが、この分だと間に合わないかもしれないと思いはじめた。

 どうにかして、カハラモールのところまでたどり着き、交差点を左折してU-ターン、100メートルぐらい戻って来たところにある、今日の集合場所、ステーキハウス「ト二ー・ロマ」に着いたのは、約束の時間を少々過ぎていた。
 裏の駐車場に車を入れ、エントランスに急行すると、元中学校の先生、お医者さん、自営業の女性、それに今日お邪魔する家の娘さんの4人が、玄関口にピケを張るような形で立ち塞がるようにしていた。
 一方、「おばあさん」の方は、横にある石積みに杖で顎を支えるような形をして座っていた。

 「すいません!待たせたようですね!」と言ったら、
 「そんなことはありません、私たちも今着いたばかりですから」と誰かが言ってくれて、一斉にハグしたり、手を握り合った。
 「さあ!入りましょうか!」と動き出したが、ここから、「おばあさん」の面倒を見るのはトシの役目のようである。
 90歳にもなる「おばあさん」の手を取り、ゆっくりドアまでたどり着くと、誰かが二人をドアを開けて招じ入れてくれた。

 ウエイトレスが来て、それぞれの人から注文を受けて、それをメモに書き取り去って行くと、最近の一週間に起こった出来事などを話題に賑やかな談笑が始まった。
 トシと「おばあさん」は、そんな話題とは別に、いつものように日本語で、ゆっくりしたムードでお話を始める。
 「どうでした?」
 「元気でしたか?」とかの他愛ない話に始まって、「おばあさん」の若い頃の話など聞いているのは、興味がある。
 蒸気機関車の汽車に乗って初めて神戸から東京に行った時の話など、一時代昔の話であるが面白い。
 「その時はねぇ、こんな洋服でなく和服を着て行ったのよ」
 「おばあさん」は、高齢であるため、いく分話の速度はゆるいが、ちゃんと話すし、義理で話し相手になるのでなく、話しを聞いていて面白いし、本当に楽しい。


ハワイでマージャン

2010-02-20 18:59:49 | 日記

 愛車の94年型トーラスで家を出たのが4時ちょっと過ぎだった。4時では、陽は傾くどころか、ギラギラと頭の上から照りつける時間である。
 今日の予定は夜なのだが、早目に家を出たのは、途中、本屋さんに立ち寄り一時間ぐらい過ごすことにしていた。
 家を出て、ムーアさんの家の横を走っていたら、フェンスの向こうにマディの姿が見えたので、スローダウンして右手に車をとめた。
 ドアを開けて降りようとしていたら、マディも気付いたようで、こちらに向け走ってきた。
 「トシ!どこに行くの?」
 「今日、マージャンの約束があるの」
 「いつもは、夜にマージャンをするのでしょう?」
 「そうなんだけど、途中ちょっと寄るところがあって、つまリ、本屋さんに寄りたいのでね」
 「なーんだ!アイスクリームを食べに行こうかと思っていたのに!」
 「残念だったね!アイスクリームを食べる機会は明日にでも残しておいたら!」

 フェンスの向こうの木陰にいたムーア夫妻が、こちらを見ながら、   「ハーイ!」と声をかけてきた。
 「素晴しい天気ですね!」
 「そうですね」と答えたが、いつもこんな天気だから、毎日が「ワンダフル・デイ」ということだ。
 ユーリとロンドンは遊びに夢中のようで、こちらを見るでもなく、二匹はじゃれ合って遊んでいた。

 今日は、シーライフパークの方向の海岸ではなく、ヌウアヌ・パリから61号線を通って山越えでダウンタウンに出ることにしていた。  途中の本屋「バーンズ・アンド・ノーブル」に寄るつもりだったからである。
 昨夜は読む本がもうなくなっているのに気づいて心細い気がしていた。読まなくてもいいから、手元に本を置いておけば、安心な気持ちになれる。

 今日はカハラにある友人の家でマージャンをすることになっている。
 そんなに度々でもないのだが、おそらく、4人のメンバーが確保できない時など、突然電話がかかりお呼びがかかる。4人よりメンバーが増えるのは構わない。途中で交代できるからである。
 トシを除けば、マージャン台を取り囲む相手になる人たちは女性である。
 中学校の教師を定年退職した人、ダンタウンに店を持って経営している人、「チルドレンズ・ホスピタル」の小児科のお医者さん、この人はまだ現役である。
 いつもみなさんが集まってマージャンをする家の人、この人も現役引退のようだが、なぜかカハラの高級住宅地に住んでいる。
 カハラといえば、ハワイでも一等地で、アメリカの映画スターなども家を構えていて、あの石原裕次郎さんの家も近くにある。

 この家に住んでいる人は女性が二人だけで、一人は90歳にもなる人である。
 生まれは神戸で、お嬢さん学校を出て、東京日本橋に江戸時代から続く医者の家庭に嫁いだ。
 現在も、誰かがその病院を引き継いでいるとのことだが、この人と夫は、ハワイ大学に来て、以来生涯をハワイで過ごすことになった。
 旦那さんは、20年も前に亡くなったそうで、一緒に写った若き日の写真などを見せてもらったことがある。
 非常に上品な人で、今では、体は杖をついてようやく歩くほどだが、頭脳は明晰で、お話好きである。
 レストランでは、必ず彼女とトシを隣り合わせにするのが決まりになっている。唯一、トシが日本語を話し、彼女も日本語での会話を好むからである。
 周りでは、キャキャ声を発しながらの英語の会話が飛び交っているが、二人は、静かに日本語の会話を楽しんでいる。
 そのお嬢さんも60代の人だが、日本語はできないとのことであった。
 住んでいる家の庭にプールがあるが、ちょっと荒れていて、管理会社に掃除をしてもらっているようだが、水の上に木の葉っぱが浮いていて、
 「よかったら、泳いでもいいわよ」とは言ってくれても、その気にはならない。
 

 

 


ブライアンと将棋の対戦

2010-02-18 18:26:20 | 日記

 ワイキキからダイアモンドヘッドを右手に見て、左の方角にあるなだらかな丘陵地を進んでいくと、そこに、かつて日系人が多く住んでいた住宅地がある。
 その一角に、明治時代の遺物を思わせる、古びた木造の建物があって、それが日本語学校である。
 日本のテレビ放送で見たことがある山間の小学校の分校といった感じの建物である。
 しかし、この学校は現役で、まだ十分に活用されている。子どもから、大人、老人に至るまで、多くのハワイの人たちがここに来て何かを学んでいる。

 かつては、おそらく日系のこどもが通って来ていたはずだが、現在は、ハワイのすべての人種の人たちがやってくる。
 廊下のクリップボードに留められたおびただしい写真がそれを物語っている。
 ワイアン・ネイティブ、アジア系、白人など様々な人たちが、生け花をしたり、折り紙をしたり、日本語を学んだりしている様子が写っている。
 生け花、折り紙、日本舞踊、歌謡曲、剣道、柔道など、いろいろな活動があって、さらには、気功、ヨガなどもある。

 半地下になった下の階では、いつも誰かが将棋、碁、マージャンなどをしている。覗いていると、急に誘われて、将棋の相手をさせられたりする。トシも、時々、ここを覗きにやってきて、知らない人と将棋をしたり、マージャンのメンバーが足らないと誘われたりして、ついに参加してしまうことがあった。気軽い社交場の感じである。

 将棋といえば、ハワイには将棋連盟がある。日本将棋連盟のハワイ支部ということになっていて、支部長は「ノダ」という日本人である。
 60歳になってハワイに永住する決心をした人である。毎朝、奥さんとジョッギングをしたりして、生き生きと生活しているように見える。
 シニア・ライフ・クラブなどで、年齢が行った人たちの面倒なども看ている。
 
 ハワイでは、定期的に将棋大会などのイベントを行っていて、日本から島朗9段や佐藤康光永世棋聖など招いて大会を行ったこともある。
 ノダさんは、 やはり、支部長だけあって強い。ブライアンと対戦しても、手を抜かないで攻めてくるので、とても刃が立たない。いくらハンディをもらっても勝ち目がないのである。

 よく、トシとブライアンは将棋をする。
 二人の実力は拮抗していると言える。勝ち過ぎたり、負けすぎたりがないので、ブライアンは対戦していて心地がいいようだ。
 真面目に対戦しても、たいては、どちらかが2勝1敗で終わる。まあ、勝ったり、負けたりといったところだ。
 夕食後、しばし、新聞を読んだり、テレビを見たり、モーツアルトを聞いたりした後で、ブライアンが、
 「センセイ!将棋をする?」と言ってくる。
 ブライアンと知りあったころは、トシのことを、「ミスター・ヤマダ」と呼んでいた。その後は、奥さんが、トシのことを、「ヤマダサン!」というのを真似して、「ヤマダーサン!」になった。また最近は、「センセイ!」になってしまった。
 
 以前は、携帯用の折りたたみの、ちゃちな将棋盤で対戦していたが、ある時、「ノダ」さんから日本製の見事な将棋盤をいただいた。「パチッ!パチッ!」という心地よい音がして、いかにも棋士になったような気分で対戦できる。思わず、正座をしたくなってしまうほどだ。
 しかし、対戦中は、左手にはいつもワインが入ったグラスを持っていて、ゲームの合間に、チビリチビリやっている。