マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Bon Dance " 「盆踊り」

2011-07-28 09:05:19 | 日記

 

 「ボンダンス」(Bon Dance: 盆踊り) は、今やハワイの夏の風物詩になってしまった。

  ” Bon Dance season in Hawaii is now underway.  According to tradition,
    it is believed the summer months are when ancestral spirits return to visit family and friends.”

  ( ハワイの盆踊りの季節が、今やシーズンである。言い伝えによると、夏に先祖の魂が家族や友人のところに帰ってくると信じられているのだ ) 
 

 おそらく昔は、日系人だけが、ささやかに盆の供養を行っていたのだろうが、戦後になってようやく日系人社会が力をつけ隠然とした勢力を持つようになり、それに従って人前で、大ぴらにお祝いするようになってきたようだ。
 今では、「盆踊り」は、日系社会だけのものでなく、ネイティブのハワイアン、アジア系の人たち、白人社会からも、ハワイの伝統文化として認知され、ハワイのローカルカルチャーとして定着している。
 勿論、盆踊りは、日本人が持ち込んだものである。
 遠く日本から離れたハワイで、故郷を偲びながら、長い年月をかけて育んできた伝統文化なのである。
 


 ハワイには、日本の真宗、禅宗、浄土宗や、その他の宗派が各地に寺院を立て宗教活動をしている。
 これらの団体が、夏になると、必ずと言っていいくらい催すのが、「盆祭り」である。
 「盆踊り」で面白いのは、盆の期間だけでなく、ハワイでは7月の終わりころから9月まで続くのである。
 日本から観光で訪れる人たちも、ワイキキで泳いだり買い物をするだけでなく、ハワイのローカルの人たちと一緒に盆踊りに興じて、楽しむのはどうだろう。
 日本で見慣れた盆踊りの風景と同様、やぐらが組まれ、頭上には提灯が張り巡らされ、派手に飾りつけがされていて、スピーカーから東京音頭、炭坑節などの音楽が流れる。
 やぐらの周りを浴衣を着た人たちやT-シャツ、アロハを着た人たちが、輪を作って回りながら踊るのである。
 整然と列を作って踊るというわけにはいかないが、参加した人たちは、本当に楽しそうに踊っている。
 屋台も出ていて、焼きそばやシェーブアイスなども売っていて、子供たちは、1ドル札、2ドル札を手にして買いに行く。
 まるで、日本のどこかにいるような気がしてくるのである。
 しかし、時に白人の小さな女の子たちが、浴衣を着て踊りの輪に加わる。可愛くて、ついカメラを向けたくなってしまう。

 今夏も、ちょうどハワイの盆踊りが一斉に始まったところである。イベントカレンダーを覗いてみると、
     パロロ本願寺  (7月29,30日)
     マノア高岩寺   (8月5,6日)
     真言宗ハワイ   (8月12,13日)
     曹洞ミッシヨン・オブ・ハワイ  (8月19,20)
 などと出ている。
 これらは、ごく一部で、まだまだたくさんの仏教寺院が盆踊りの催しを行っていて、これらのイベント情報は、ハワイの日刊紙:Staradvertiser や Aloho Street などの新聞のイベント情報を見れば、知ることができる。


 オバマ大統領が、プナホ高校に通っていたころ住んでいたアパートがべレタニア通りにある。
 その隣に「真宗教会」があって、経営の母体は、日本の真宗の宗教団体であるが、ここで夏になると、盛大な盆踊りが行われていた。
 教会内に、団体が経営する賄いつきの寮があって、ここに友人が住んでいたのである。
 大学の研究などがひと段落すると、どちらともなく誘いあって、よく場末のバーに飲みに行っていたのである。
 この人、後に日本に帰って、国立高専に就職して、その後は、女子大の助教授になったり、更には東京の国立大学の教授になった。

 ある日の夕方、この友人から電話があった。
 「ヤマダサン、盆踊りがあるのだけど、暇だったら出てこない?」
 それまで、ハワイの盆踊りのことは聞いていたが、実際に見る機会はなかったのである。
 目指すお寺に近づいてて見ると、お寺のある個所が夜空に煌々と明かりがついていて、やたら騒がしい音というか、歌声、太鼓の音などが響いてきたのである。
 迫力のすごさに驚いてしまった。
 見上げるくらいの高さにやぐらが組まれ、その上に何人かの人が登っていて、大声で「くどき」を歌って、踊る人たちの気勢を煽っていたのである。
 まさか、ここがアメリカ、と思ってしまった。
 「くどき」の歌声に合わせて、2列にも、3列にもなった人たちが団扇をひらひらさせながら踊っていたのである。合間に太鼓の音も入る。
 そこはまるで、日本そのものだったのである。

 


At the hospital (病院にて)

2011-07-24 16:46:09 | 日記

 

 コナン・ドイルの短編集 The Memoirs of Sharlock Holmes 「シャーロック・ホームズの思い出」の中の一編に The Adventure of the Resident patient 「入院患者の冒険」というのがある。
 普通、病院で治療をうける患者は、アメリカでは、patient だが、入院患者は、patient の前に in がついて、inpatient と言っている。
 inpatientは、 a patient who is residing in the hospital where he is being treated (治療を受けている病院に住み込んでいる患者)のことである。
 resident patient ( 入院患者 )は、はっきり言ってアメリカの新聞などでも見たことがないが、resident は、”住み着いた“、“泊まり込んだ”の意味だから、長期に病院で寝泊まりしている人を言ったのだろう。

 ちなみに、入院患者が、inpatient だから、外来患者は、 外からやってくる、つまり、outpatient である。
 outpatient は、 a patient who receives treatment at the hospital but is not admitted overnight  ( 病院で治療を受けているが、宿泊は認められていない患者)ということになる。
 入院患者のことを、hospitalized patient という人もいるが、時に、新聞などに、inmate という語で出てくることがある。
 inmate は、確かに入院患者の意味があるが、病院の入院患者というより、人々を収容する施設や刑務所を言う場合が多いのである。
 

 " Butler County Sheriff's Office will provide recreation for all inmates...."
 ( バトラー郡警察署は、すべての囚人に娯楽を提供します )

 " In New York, the inmate population is aging rapidly...."
  ( ニューヨークでは、囚人の人口が、急速に高齢化しています ) 
 のように使われるケースが多いのである。

 patient は、通性名詞で、男女両用に使うことができて、patient の語自体からは、男であるのか女であるのかはわからない。
 同じ通性名詞には、student, pupil,  teacher,  writer,  baby,  child,  singer....など思い出せばたくさんある。
 

 手術を受けてから数日間は、酸素マスク、点滴や、やたらチューブなどが体に刺さっていて、体を右に捩ることも左に捩ることもできなくて、苦しかった。
 間断なく、熱が出たり、痛みが襲ってきたりで、声を出すことも、ままならなくて、ベッドわきに「ナースコール」のボタンがあるのに、それを押すことさえできない状況だった。
 3日目ぐらいになって、ようやく訪ねてくる看護士さんに、「具合は、どうですか?」と訊かれて、なんとか声を出して答える気分になったのである。

 コルセットをしているために、横になったままか、時に歩行器に支えられて、立ち上がることができた。
 食事など、立ったままでするようになった。
 通りがかりの人が、冗談で、
 「お行儀が悪わね!」と言ったりする。
 いく分、自由に動きまれるようになったのである。
 特に痛みを感じない時など、歩行器の上に本を乗せて、読書を楽しんだりできるようになった。
 立ったまま本を読むのだから、ちょっと目立つのか、ホールで本を読んでいたりすると、誰かが声をかけてくれる。

 入院患者は、さまざまである。
 概して、年をとった人たちが多いような気がする。
 家のトイレで転んだとか、階段で足を滑らせたのがきっかけだろう。
 救急車などで、病院に運び込まれる。
 単に骨折した個所を治療しても、体自体が、かってのようには若くないのである。
 そんなことがきっかけで、すっかい体の自由を失くしてしまう人が多いようである。
 悪くすると、一生寝たきりの生活が待っている。

 若い人たちは、作業現場で事故に逢って、あるいは、スポーツをやっていて、骨折してしまうケースなどあるようだが、若いから、よくなれば、すぐにでも社会復帰が可能で、学校なり、職場に帰っていくようだ。
 


入院

2011-07-20 20:19:13 | 日記

 

 ハワイで、早朝、海辺を散歩しながら、あの懐かしい南国の空気を思いきり吸い込んだり、バニヤンツリーの下で、寝ころびながら本など読んでいたり、BBQパーティで、みんなでガヤガヤやったり、「コーヒートーク」で美味しいコーヒーを飲みながらモーニングスペシヤルを食べたり、時に、ハワイ大学でアカデミックな雰囲気に浸ってみたり、海の見えるレストランで、スプリングロールをおつまみにミケロブビールを飲んだり、ブライスデールシンフォニーホールでロスアンジェルス交響楽団かボストン交響楽団を聞いているはずであった。
 しかし、現実はそうでなかったのである。

 一カ月近く病院に入院していたのである。
 数年前から足のふくらはぎの調子が良くなかった。
 東京からミネアポリスに飛んだ時がきっかけだった。
 飛行機を降りると、足がマヒして全く歩けなくなっていた。狭い座席に、窮屈な態勢で、13時間もの間座り続けたのが原因だった。
 俗に言う「エコノミークラス症候群」だったのである。
 数週間マディソンに滞在して、その間、思うように動けずずいぶん不自由した。
 薬を飲んだり、張り薬をしてみて効き目がなく、ウイスコンシン大学の知り合いの先生に相談しようと思ったが、それでも、なんとか我慢して、帰国してから、正式にお医者さんに診てもらうことにしたのである。
 帰国してから、同僚のお兄さんという方が、この分野の専門家で、紹介されて診てもらうと、「脊椎管狭窄症」と診断された。   背骨が足に通じる神経を圧迫して、マヒさせているということだった。
 早速、ご自分の教え子がいる北九州の病院に電話をしてくれた。

 MRIなどいくつかのレントゲン写真を撮ってみても、やはり「脊椎管狭窄症」だということで、「手術をした方がいいと思いますが」と言われた。
 しかし、小さい時から、注射一本するのにも大騒ぎするくらいだから、手術と聞いただけで、失神するくらいの気持ちだったのである。
 出来れば、薬か何かでお願いできますか、などと言ってしまった。
 その後、無理をしながら、何度かハワイにも行ったし、香港、マディソンなどにも行ったが、いかにも無理をしているのは間違いなかった。
 心の中でも、手術をするのは時間の問題で、自分が決心をすればいいことだと気づいてはいた。
 周りの人たちも、当然のように手術を勧めるし、ついにその時が来てしまった。
 娘からも、手術をしてくださる先生は、アメリカでの研究実績もある優秀なお医者さんだとメールが来るし、もう逃れる道はなかった。

 手術は2時間半ぐらいだった。
 本当は憶えてはいない。全身麻酔が効いていて、手術の間は、痛いとか怖いとかの感情はなかった。
 手術が終わったとき、麻酔がぼちぼち切れ始めていて、お医者さんから、「無事終わりましたよ!」と言われて、急に震えが来て、パニックが襲ってきたのである。
 体のあちこちにチューブが刺さっていて、その他点滴や酸素マスクなどが付いているのがわかった。
 身動きできない状態が数日間続いて、この間が最も苦しい時間で、思い出しても、もう2度と手術はしたくない気持である。

 今、ようやく退院して自宅に帰ってきた。
 毎日プールで、水中歩行をしたりしてリハビリに努めている。
 9月には、ぜひ念願のハワイに行きたいと思っている。
 娘がわざわざ帰って来てくれて励ましてくれたこともあり、マディソンに行こうかと思うが、寒い時期のマディソンは、どうかなあと思うし、出来れば来年暖かくなった時期に、マディソン行きをとっておこう。