カイルアの街を訪れると、胸を締め付けられるような切ない気持ちになる。以前と比べて街の様子はさほど変わっているようには見えない。しかしその風景にあるべきものが欠けているのである。
あの賑やかなというか、燥ぎすぎて、時に " Be quiet! "(うるさい!)と言って怒っていたマディと犬のユーリがいないのである。
" Where do you wanna go, Toshi ? "(トシ!どこにいくの?)とトシの外出の気配を感じ取ってマディが言った。けだるそうに横になっていたユーリも途端に起き上がり尻尾を振り始める。
" I'm just thinking of going for shopping. "(買い物だよ!)と言うと、
" We'll get together. "(わたしたちも一緒に行く!)と読みかけの本などをまき散らしにしたまま、乗り遅れまいとマディは外出の支度を急ぐ。
マディは、もうすっかり成人して大学生である。一家は父親の出身地シカゴに越して行った。
マディは名門ノースウエスタン大学に通っている。ジャーナリズム専攻だそうである。ユーリはと言えば、もう老犬である。ユーリはトシのことを覚えているだろうか、とそのことを尋ねると、今でもトシのことを懐かしいんでいるよとまるでユーリの気持ちを代弁するように消息を伝えてきた。
カイルアは、トシの中では、マディ、ユーリ、それにクリスティあっての街なのである。当時のままの幼い彼女たちしか想像できないでいる。
ユーリをコーヒーショップ前の鉄椅子に繋いで、トシとマディは店に入る。トシは、ブリトーとコーヒーを注文、マディはワッフルにグレープジュースを注文して食べた時のことを昨日のように思い出すのである。
そのコーヒーショップの " Morning Brew "(モーニング・ブリュー)に行った。
店構えは当時そのままである。相変わらず女性の店員は元気で愛想がいい。しかしあのころからは、何代も店員は変わったはずである。現在の店員たちも当時の店員たちと同じように愛想を振りまきサービスに努めている。
ずいぶん久し振りなのに、女性の店員は、トシには毎日接しているお客のように、親しみを込めて「ハロー!」と声をかけてくれる。
カイルアの街に日本人の顔を見ることはなかった。今では日本人だらけというか、特に若い女性が目立つ。街中をレンタサイクルで走り回っているグループがいる。観光案内所では日本語の地図をくれる。
マディソンでよく行っていたスーパーマーケットの「ターゲット」が新装開店していた。店内には日本人の女性たちがたくさんいた。コーヒーショップのテラスから日本語が聞こえてきた。
「スイマセン!写真を撮ってください」とカメラを差し出す女性もいた。
「モーニング・ブリュー」でも日本人のグループがにこやかに談笑しながら食事を楽しんでいる。
・・・・正式の店名は、" Morning Brew Coffee House & Bistro " で、夜になるとお酒も飲め食事もでき、生ライブが時々行われるみたいです・・・・とは、ここを訪れた日本人の感想である。
ここは、ワッフルやベーグルがおいしい。トシは、ケサデラやナチョスを好んで食べていた。何よりハウスブレンドのコーヒーは美味しいのだ。
" More than just coffee, great food and wonderful counter help ・・・・ "
( コーヒーだけでなく、美味しい食べ物に店員の素晴らしいサービスがある・・・・)
カイルアの街は、トシにとって特別な街である。
コメントありがとうございます
今回のハワイ旅行で一番素晴らしい想い出は
カイルアビーチに行った事です
とても感激しました
ショッピングセンターから バスが少ないので歩きましたが
街並みや住宅が素敵で、あっという間に海に出ました
S.C.で買った巻きずしも かんぴょう入りで日本のものと
そん色なく
それをビーチを眺めつつ食べました
いい時間を過ごしました
時間があったので 近くのビーチにも寄りました
カイルアタウンは思ったより大きな街で 散策できずに
残念でした
オアフ島だけなら10日間でいいかなと、予定を組みましたが
ひと月欲しいと思いました
yamadaさんの想いでの街だったのですね
今までは遠いところの話としてこのブログを読んでいましたが
今はとても身近に感じます
機会があればまた行きたいな~ と思います
カイルアは、ワイキキにない素朴な街です。何となく趣があって好きな街でした。
本土から移住してきた人たちが多いところで、ちょっと上品に感じます。
カイルアからラニカイにかけてアメリカでもっともよい海岸に選ばれました。
ラニカイは、ほとんどがプライベートビーチになっていて、海岸に出るには、民家の中を通らなくてはいけないところがあります。
遠くに2つ島があって、「二見ヶ浦」とマディと呼んでいました。