マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Any place to eat ? " (何処か食べるところがあるかなあ)

2017-07-03 09:12:12 | マディソン

 

 

 

 カリフォルニア大学のマリナム教授が学会を終えて会議場の外に出た。ほっとしたようで空を見上げながら深呼吸をした。さてこれからどうしようかなあという仕草で、"  Any place to eat ?  "  (どこか食べるところはあるかなあ!)と独り言のように言った。何か聞き取れなかったので、"  What ?  "(何ですって?)と聞き返した。

 一日前にモールで「神戸ビーフ」を買っていたことを思い出した。思わず彼女に向かって、"  What do you say to coming to my home and dining together ?  "(うちに来て一緒に食事をしない?)とか言ってしまった。"  Such wonderful !!  "(すばらしいわ)ということで、家で「すき焼き」をすることに決まった。
 「すき焼きパーティ」は人気があって、うわさを聞いた人たちが集まってくる。参加希望者が増えて困ることがある。このたびはひっそりと催すことに決めた。
 近くに住むミラーさんには声をかけた。前に何回かすき焼きパーティに来ていたこともあって、料理の手伝いをしてくれるからである。それに可愛い女の子いつも一緒にやって来る。この娘がお喋りで、その場の雰囲気を一手に引き受け、みんなを楽しませてくれる。
 急に電話をしたのだが、何はさておいてもやって来るというので、夕方ご主人を伴っていそいそとやってきた。家の中の雰囲気が一気に華やいだのは娘のニーナのおかげである。さそっくマリナム教授と話を始めたのである。

 以前は、すき焼きなどマディソンではできなかった。食材が揃わなかったのである。
 シカゴに行った序に帰りに「ヤオハン」に立ち寄り、ようやく日本の食材を買っていたのである。
 最近では、マディソンに「オリエンタル・フッズ・ストア」ができて、主に中華料理の食材が揃っているが、日本の食材も手に入るようになった。
 前日にすき焼きをしようと白菜、しらたき、えのき、ねぎなどを買い揃えていた。マディソンのモールに行けば「神戸ビーフ」も手に入る。


" Mona is living in Italy. " (モナはいまイタリアに住んでいる)

2017-05-17 22:47:53 | マディソン

 

 

            (マディソンの州議会議事堂)

 モナがイタリアに行ってから4年になる。この人は英語はもちろん、イタリア語も日本語も話せる。いったい何処の国の人なのだろう。
 小さい時からインターナショナルスクールで学んだ。そこでは、すべてが英語でコミュニケートされており、家に帰っても、日常的に英語が使われていた。生まれは神戸なのだが、日本語より英語のほうが馴染みがあった。
 今はイタリアにいてイタリア語で生活している。イタリア人の旦那との間に愛くるしい娘ができた。その可愛い娘さんが、イタリア語をしゃべっていて、話しかけてくるのだが、さっぱり何を言っているのか我々には理解できない。

 初めてモナに会ったとき、奥のほうから駆け足で出てきて、手を差しだし、"  Hello! Mr.Yamada!  "(はじめまして!ミスターヤマダ!) と言った。容貌がまさに白人だったから何の疑いもなく彼女はアメリカ人だと思ったのである。
  "  How was your trip to Madison?  "(旅はどうでしたか?)
  "  Oh, I was a kind of exhausted. You know, I started at Fukuoka, transferred at Narita. And I flew to Chicago, Then, I was on board for 11 hours.  "
(ちょっと疲れました。福岡を出て成田で乗り換え、それからシカゴに飛びました。11時間も乗っていたのですよ)のように話していたら横にいた女性が、"  Mona understands Japanese.  "(モナは日本語ができますよ)と言った。
 びっくりして日本語に切り替えると、彼女の日本語はかなりの関西弁だったのである。
 生まれは神戸で、父親は、当時神戸の大学で教えていたアメリカ人で、お母さんは日本人で中学の先生をしていたとのことである。小学校からインターナショナルスクールで勉強していて、家の中でも英語で過ごしていたようで、日本語と英語を自由に操るバイリンガルだった。

 マディソンで彼女と知り合ってからは、トシのことを「ミスター・ヤマダ!」と呼んでいたが、いつの間にか「パパさん!」と呼ぶようになった。パーティなどでトシに向かって遠くから「パパさん!」とか叫ぶものだから、アメリカ人たちも、同じように「Papa-San!」と声をかけるようになったのである。

 モナは、ウイスコンシン大学を出てから、ニューヨークで勉強して、さらにイタリアに留学した。その時、今の旦那と出会った。
 旦那さんは、レストランを2つ経営しているとのことだが、2人が出会って結婚して、モナはすっかりイタリア人になってしまった。
 彼女は、日本語(関西弁)ができるし、英語もネイティブスピーカーそのもので、さらにイタリア語も話している。
 可愛い娘さんが何やらイタリア語で話しかけてくるのだが、こちらにとっては、何を言っているのやらさっぱりわからないのである。
 近所に住むおじいちゃんとおばあちゃんが、毎日のようにモナの家に通ってきて孫を溺愛するようで、これじゃあ娘の教育ができないと嘆いていた。


  " Nonno-Chan cooked what ? " (ノンノちゃんが作ったものは?)

2017-04-14 16:44:56 | マディソン

 
 ノンノちゃんはこれから先どうするのだろう。というのは、仕事は順風満帆で問題ないのだが、ひとつ気になるのは、彼女は料理ができないのである。
 夕食は、どこかのレストランで食べるか、「ホールフッズ」で出来合いを買ってくるかである。日本のように近くにラーメン屋があったり、定食屋があるわけでない。1キロほど離れたところにメキシコレストランがあるが、それだとやはり車で行かなくてはならない。それに彼女はメキシコ料理を好きのようでもない。毎日外食だと身体的に考えても栄養のバランスからして健康的に思えないのである。

 朝6時半になるとキッチンでガサガサと音がする。夏はともかく冬場では外は真っ暗である。出勤の支度をして立ったままでトーストをかじりコーヒーを飲んでいるノンノちゃんがいる。
 "  Morning!!  " (おはよう!)  
 "  You wanna coffee?  "(コーヒーを飲む?) 
   "  Sure!  " (もちろん)
 一緒にコーヒーだけお付き合いをする。軽い朝食が済むと地下の車庫に降りていき車のエンジンをかける。電動のシャッターを開け車を動かし出て行く。いつも思うのは、研究室の仕事なのに、しかも彼女は管理職なのに朝の出勤が早いのである。

 コーヒーを沸かしたりトーストを焼くぐらいはできるようだ。もともと彼女はシカゴの裕福な家庭に生まれた。そのせいかまるで料理をしない。
 一度パーティを開いたとき、ノンノチャンがキッチンにやってきて、何かを作り始めた。大きな冷蔵庫と冷凍庫があって、中にはいっぱい物が詰まっている。絶えず誰かがやってきて、勝手に料理を作っているのだ。
 ノンノちゃんが作っているのは、春巻きみたいなものだった。餃子の皮を伸ばして、ミンチ肉、アスパラ、ニンジン、パクチーなどを詰め込んでいた。タイ料理かなあ。
  "  Your mom taught it to you?  " (お母さんから習ったの?)
  "  Mom never cooks!  "  (ママは料理をしないの!)ということだった。
 シカゴにいた時、ベトナム人の女性が料理をしに通って来ていて、その人から戯れに習ったもののようだ。
  "  Taste it!  " (食べてみて!)というから味見したら何となく東南アジアの香りがして、味もまあまあだった。
 大皿に盛ってパーティで出したら、みんなが、ノンノちゃんが作ったのなら "  I don't wanna eat.  " (食べたくないわ)とか言いながら敬遠されていた。
 

 

 

 


" Some fancy bar " ( ある高級なバー )

2017-03-15 11:03:06 | マディソン

 

 

 マディソンはウイスコンシン州の州都であるから、州政府があり州議会もある。ウイスコンシン州の各地から選ばれた州議会議員がマディソンに集まってくる。州知事をはじめ多くの役人たちがここに住んでいるのである。
 マディソンは、政治家や役人たちとその家族、もう一つは、なんといってもウイスコンシン大学があるから学生たちや大学の関係者が住んでいる。大まかに言ってマディソンの町は、州政府と大学で成り立っているのだ。

 マディソンの冬は寒くて、零下20度にもなるが、大陸性の気候というか夏は結構暑くて40度近くにもなる。テレビのニュースで、車のボンネットで生卵を割って乗せ目玉焼きを作っているシーンがあったが、そのように暑いところである。
 政治家や役人たちは、夏の暑い時でも黒いスーツに身を包み街を歩いていたりするから目立つ。いかにもフォーマルな感じの人たちがたくさんいるのである。

 このようなハイソな人たちは週末には、家族を連れてあるいは友達同士で高級なレストランやバーなどに集まる。
 彼らに人気のバーがある。バーと言っていいのか、洋風の料亭と言ったらいいのか。実はこの店は日本人の経営である。壁際の棚には日本の酒がずらりと並んでいる。何かを注文すると日本の伝統陶器に料理が上品に盛られてくる。ポキのようなもの、カルパッチョ、酢味噌和え、卵豆腐などが、仰々しくでなくいかにもこじんまりと上品に装われている。店の雰囲気はいかにも和式の感じである。中で働いている人たちは白人でハッピを着ているが、だれも日本語は話せない。お客さんとして日本人が来ることはまずない。マディソンに住んでいるセレブ達である。

 この店のオーナーの日本人は、ウイスコンシン大学のビジネススクールで学んだ人である。
 もともとは日本に帰って東京でインターナショナルビジネスに関係する分野で働くつもりだった。学生時代アルバイトで日本料理店で働いていて、彼の働きぶりを見初めたオーナーが、マディソンで店を出さないかとのれん分けをしてくれた。
 もともと商才があったのだろう、紆余曲折があったものの彼はマディソンでいかにも高級な和風の店を出しそれが成功した。結局日本に帰ることがなくマディソンの住人になってしまった。
 マディソンのセレブに気に入られて高級なレストランとしての評価が定着した。雑誌や新聞の記事にもなった。あのハリウッドの有名なスーパースター、ロバート・レッドフォードの知己を得た。彼もしばしばこの店を訪れているのである。ロバートレッドフォードに誘われて、彼が作ったサンダカン・シアターの一角にこの店の2号店を出した。

 ノンノちゃんは、この店が気に入ってしまって屡々通っている。前付けで出てくる料理を楽しみながら、日本酒をたしなんでいる。トシも何度も彼女とこの店に行った。美味しいのだが、何しろ高い。ノンノちゃんは金持ちだから気にしていないようなのだが、トシにとってそんなに通えるところではない。

 


" Top 100 best places to live in America " ( アメリカでもっとも住みやすい町100選 )

2017-01-29 20:20:23 | マディソン

 

 

 

  レストランでランチを食べていたら隣の席から会話が聞こえてきた。新たに開店したデパートに先遣隊として東京から派遣されてやってきた人たちで、予定の任期が終わって東京に帰ることになっているようだ。
 
 「はじめ福岡に行くように言われた時はいやだなあと思ったけど、こちらに来て自分が福岡の街に馴染んでしまって、今は東京に帰るのが嫌な気持ちなの」
 「そうなのよ!友達もできたし、周りの人たちに溶け込んでしまって、『どげんしたと?』『なんばしよっと?』とか面白がって博多弁を使ったりしているのよ」
 「もうラーメンを食べれなくなるよね」
  「何言ってんのよ。ラーメンは東京でもいくらでも食べに行けるわよ」
 「私が言っているのは、付け焼刃の博多弁で隣のオジサンたちを揶揄い騒ぎながら食べるラーメンのことよ。東京では絶対に味わうことができないよ」

 羽田から福岡に帰ってくるとき飛行機の座席が隣り合わせになった20代の男性と何となく会話をすることになった。
 「東京の方ですか?」と訊くから、
 「いえ、福岡に住んでいます」
 「僕は会社の出張で福岡に行くところです。ここのところ福岡に行くことが多くて、昨年は3度出張で行きました。ほかのところも行くのですが、博多が気に入ってしまって!」「仕事が終わって夕方街に彷徨い出て、焼鳥屋に寄ったり、寿司を食べたり、屋台でわいわい地元の人たちと駄弁ったりするのがすっかり気に入っています」「それに女の子が可愛くてきれいですね。出来れば博多っ子を嫁にして九州に親戚を作りたいです」

 テレビを見ていたら、「国内で移住したいとしたらどこがいいですか?」というのがあった。
 広大な自然がある北海道か年中温かい沖縄かなあなどと考えていたら、1位はなんと「福岡」だった。これにはさすがに驚いてしまった。いったい福岡の何がいいのだろうと思ってしまったのである。
 強いて言えば、東京のような大都市の機能をコンパクトに持っていて、交通機関が整っている、東京で流行っているものがすぐに福岡にやって来る、野菜、魚、肉などおいしいものがある、世界の一流のオーケストラ、芸能人が頻繁にやって来る、何より空港が近いのだ。博多駅から地下鉄で2駅で空港に達する。ほんの10分ぐらいだ。

 アメリカでは、毎年「住みやすい街100選」が発表される。
 歴史的には、アングロサクソンが移住して故郷のイギリスに似せて作った、いかにもイギリスといったニューイングランド地方の静かで落ち着いた街並みの都市が選ばれてきた。しかし段々もっとも住みやすい町が中西部の街にあるのがわかってきた。
 ミネソタ州のロチェスターというアメリカ人でもなじみのない街が一位に選ばれた。ここは言ってみれば「医学の街」で、世界的にも最先端の医学の研究が行われていて、優れた病院、教育機関、医学者たちが集まっているところである。
 世界の石油王などの大金持ち、中東の王族、中米の独裁者、国王、有名な映画俳優などが自家用機で飛んできて治療を受けている。皆さん、気づいていないかもしれないが、世界の有名人が亡くなった時など、そのニュースが「ミネソタ州ロチェスター発-共同」となっていることが多い。