マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Unexpected weather conditions " ( 予測し得ない気象状況 )

2013-05-23 02:24:25 | 懐かしい人たち

 

 

 



( 一歩外に出るとマイナス8度、右の人は、ウイスコンシン大学教授の奥さん、日本に来た時食べた焼き肉が気に入ったようだ )

(1)

  A monstrous tornado at least a half-mile wide roared through Oklahoma City suburbs Monday, flattening entire neighborhoods and destroying an elementary school with huddled against winds up to 200 mph.
   At least 51 people were killed, including at least 20 children and the officials said the dead toll was expected to rise.

 ( 少なくとも半マイルもの幅の巨大なトルネードが月曜日オクラホマシティ周辺で荒れ狂った。
 辺り一面をなぎ倒し、時速200マイルに達する風が子供たちが身を潜めていた小学校を破壊した。
  少なくとも51人の人たちが死亡、その中には少なくとも子供が20人含まれている。当局は、死者はもっと増えるだろうと言っている)
 のようなニュースをアメリカのテレビや新聞が連日伝えてきている。
 
 ニュースの中でしばしばFujita Scale (フジタ・スケール)という言葉が出てくる。
 これは、当時、シカゴ大学にいた藤田哲也さんが作った、予想されるトルネード被害の強弱を F-0, F-6 のように分類した尺度のことである。
 彼は、過去にさかのぼって、トルネードの被害調査をし、膨大な資料を集め、それらを細かく分析して、メカニズムを解明したのである。また実際に、彼は、危険を冒してトルネードの中に入り、風の吹き方、動きなどを確かめた。
 藤田さんのことを人々は、「ドクター・トルネード」と尊敬の念を込めて呼んでいる。彼は、非常に有名な人で、もし気象学の分野にノーベル賞があれば、間違いなくもらえる人だと、アメリカの学者が言っていた。
 
 藤田さんの姿を初めて見たのは、テレビだった。
 ミネソタにいた時、偶然見た番組に、藤田さん、つまり「Ted ・Fujita」が出ていたのである。
 「ダウンバースト」のメカニズムについて一般の人たちもわかるように説明していた。
 ダウンバーストというのは、急激な下降気流のことで、着陸態勢に入った飛行機が、この気流の中で操作不能に陥り、失速し、墜落するというものだった。
 飛行機が着陸する間際に、ダウンバースト(下降噴流)に巻き込まれて、墜落してしまうことが、以前にはたびたびあったが、藤田さんが、ダウンバーストについて科学的に理論づけるまで、この分野の研究は未熟だったのである。

 1975年、ルイジアナ州のニューオリンズ発イースタン航空66便が、ニューヨークのケネディ空港に着陸しようとして墜落したことがあった。
 大方の見方が、機長の操作ミスだということでだったが、航空会社が、異を唱えて、藤田博士に調査を依頼してきたのである。
 その日は、空港周辺では雷雲垂れこめ強い風が吹いていて、視界も効かない状況だった。
 先に着地した飛行機が、やはりウインドシェアに巻き込まれていて、墜落しそうになるほど危険な状態だったのである。
 管制官も、まさか墜落事故に至るほどの天候だとは予測ができず、航空機の発着を規制するなどの処置をとらなかった。
 
 66便は、着陸態勢に入り、高度を下げていた。
 視界不良の中での着陸だった。そこで機体が急激なウインドシェアに巻き込まれて、いったん上空に持ち上げられて、その後で、下降気流に押され、着地点手前700メートルで地面にたたきつけられたのである。
 乗員乗客124人中、生存者は12人で、その後病院で3人が死亡してしまった。
 藤田博士は、その時の空港上空の気象状況を分析して、ダウンバーストによる事故であると、その原因を突き止めたのである。 
 その後「ドップラーレーダー」を使って、局地的な気象状況の事前予測が可能であることも証明して、各地の飛行場で、この装置が使われるようになったのである。
 

 

( マディソン市立美術館 )


" Singing in the night sky " ( 野外音楽会 )

2013-05-15 17:21:02 | マディソン

 

 

 ( ステート通りから見た議事堂 )

 マディソンの街も、5月になると春が訪れる、と言うよりいきなり夏の気候である。
 人々は、軽装で外出するようになる。木々はすっかり緑で覆われ、草花が咲き乱れ、湖は氷結から溶けて、穏やかな水面を見せる。ヨットやボートが走り回る。
 リス、アナグマ、小鳥たちなどの小動物も生き生きして走り回っている。
 マディソンにあるプロ野球2A:Black Wolves ( 黒オオカミ )もシーズン開始である。150キロのスピードで、どんどん放ってくるピッチャーもいるし、外野のさく越えを連発する選手もたくさんいる。これらの選手の中から、おそらく、いつかメジャーに昇格する人たちも出てくるだろう。
 ステート通りのコーヒーショップは相変わらず学生たちで賑わっている。大学のカフェテリアでは、寒い間、使われてなかった外のテラスに、今では、多くの学生たちがやってきて、書物を広げてコーヒーを飲んでいる人もいるし、友達とにぎやかに語り合っている人たちもいる。
 議事堂の芝生も、すっかり緑である。

 毎年気候が良くなると、議事堂の前庭で音楽会が催される。レキッとした格調高いプロのオーケストラである。
 無料で、誰でも聞きに行くことが出来る。唯、寄付金をドーネイトしている人たちは、ステージのすぐ傍に作られた特別席で、ワインや食事を楽しみながら優雅な時間を過ごすことができる。
 一般の人たちは、それぞれ組み立て椅子、シートなどを持ってきて、飲み物、食べ物持参で音楽に聞き入るのだ。
 この催しは、毎週金曜日に催される。

 何処からこんなに人が集まるのか、何千と言いう人たちがこのコンサートに集まって来る。
 問題は、トイレである。以前は、議事堂を開放してトイレを使わせていた。インターミッションにたくさんの人が押し寄せて、議事堂のトイレだけでは、間に合わなくなったのだろう。
 今は、議事堂はロックされていて、入ることができない。
 その代わり、市当局が大型トレイラーを用意した。周辺に何台ものトレラーが用意されていて、それぞれに簡易トイレが4つづつ乗っている。
 インターミッションには、多くの人たちが押し寄せ、これでも賄いきれない。
 男子は、回転が速く問題ないようだが、女子のトイレでは、長い行列ができている。
 困った人たちは、近くのコーヒーショップやマクドナルドなどのフーストフッド店に入って行列を作る。
 ここはアメリカ、店も、困った顔をせずトイレだけのお客にも親切である。並んでいる人たちは、ほとんどが女性である。
 インターミッションが終わり、再び人々は会場に戻り音楽を楽しむのだ。
 
 薄暮の時間に始まり、やがて満天の夜空の下で音楽は続く。
 ベートーベン、モーツアルト、ショパン、チャイコフスキーなどのクラシックだけでなくミュージカル、アメリカ民謡、アイルランド民謡、ジャズ、ポップなどさまざまである。
 ある時、プログラムを見ていたら、「 Sukiyaki Song 」  ( スキヤキソング )というのがあった。

 「スキヤキソング」は、坂本九ちゃんが歌って世界中でヒットした「上を向いて歩こう」である。
 女性歌手のソロだったが、オーケストラを背景に朗々と歌い上げた。
 こんなところで日本の歌を聞くとは思ってみなかった。
 感動してしまって立ち上がり、スタンディングオべーションをしてしまった。
 日本から遠く離れたアメリカの内陸の街で、九ちゃんの歌を聴くなど予期しなかったことで、聞き終わった後もしばらく余韻が残り胸の鼓動を感じていた。

  

( 食卓から見える庭の風景:ここにはいつもリスたちがやってくる )


" May her soul rest in peace ! " ( ご冥福を祈ります! )

2013-05-10 06:58:31 | マディソン

 ( 州議会議事堂 )

 「フミさん」のことを特に知っていたわけではない。
 しかし、彼女の知り合いに会ったときなど、「フミさんの調子はどうですか?」と尋ねると、「何とかやっているようですよ」とかの返事が返ってきた。
 彼女の存在が、なんとなく身近に感じられて、何かのときに「元気かなあ!」と思い出していた「フミさん」が亡くなった。
 そのことを知って、トシ自身ショックで、落ち込んでしまった。

 長い間、乳がんで苦しんでいたので、やがては、という気持ちはあったが、それでも、もっと生きて人生を楽しんでもらいたいと思っていたのである。
 自分の人生をどのように思っていたのか訊かずじまいだった。

 乳がんに気付いたのは、30代のころだったようだ。
 もっと早く、転移する前に治療をしていれば、という気がするが、本人は、アメリカでの生活に追いまくられ、それどころでなかったのかもしれない。
 
 「フミさん」は、夫と共に夢を抱きながらマディソンにやってきた。
 二人とも、日本の一流大学を出ていて、念願かなって夫がウイスコンシン大学の大学院に入ることができた。夫が、博士号を取り、日本に帰って大学の先生になるのが夢だったのである。
 アメリカに来ること自体が、初めての体験で、ましてマディソンは、どんなところか見当もつかないところだった。住んでいる日本人は少なく、友人知人は、もとよりいるわけでなく、さびしい限りだった。
 
 フミさんは、夫の学費、生活費を稼ぐために、日本料理店で働いた。フミさんの実家からの仕送りがあったらしいが、いずれにしろ、いっぱいいっぱいでの生活だった。
 そうこうするうち子供が生まれた。
 夫の勉学を助け、子供の養育と身を粉にして働いた。
 そのような時、自らの病気に気づいたのである。それでも初期治療を徹底しておけば、健康を維持できたかもしれない。生活を優先するあまり自らの体のケアを後回しにしてしまったのである。癌の転移が進んだ。

 夫は、博士課程にまで進み、悪戦苦闘しながら見事博士号を取得したのである。後は、日本の大学に就職すればよかった。
 フミさんは、家族そろって日本での生活を思い描いた。
 この頃になると、奥さんの収入で、アメリカでの生活の基盤が出来ていて、何とか経済的にもやっていけそうだった。子供も現地の小学校に通っていたし、夫だけが、とりあえず日本に帰って就職口を探すのが賢明だと思ったようだ。
 しかし夫の就職口は容易には見つからなかったのである。
 別離から離婚までの道は早かった。 フミさんは、二度と日本に帰ることがなかったのである。60歳を過ぎて、異国のアメリカで死んでしまった。自らの人生がこのようになるとは、本人も思ってなかったことだろう。

 この前マディソンに行ったとき、トシは、フミさんに会いたいと思った。
 トシ自身、何かと出回ることが多くて、その機会が訪れなかったが、帰国する前日、どうしてもということで、彼女の夫が経営する店に出向いた。
 「体調が悪くて、今日は来ていません」とアメリカ人の夫は言った。
 だいぶ前だが、夫の健康保険が使えるということで、アメリカ人と再婚していたのである。


 以前言づけて手渡した北九州の銘菓「ぎおん太鼓」をおいしいと言って食べたということを聞いていた。その後、 娘が、日本の大学から集中講義の依頼があり、訪れた際、「このお菓子をフミさんにあげて!」と、ふたたび「ぎおん太鼓」を渡した。
 「おいしい!日本の香りがする!」と食べていたということだった。
 「ヤマダさんに会って直にお礼を言いたいわ!」と言ったということを聞いた。それから間もなく彼女は死んだ。
 「かわいそうな人だね!」と娘に言ったことがある。
 「それでも彼女なりにいつも前向きだよ!」と言っていた。

 今から数十年前マディソンにはじめて行ったとき、偶然彼女に会った気がするのである。
 妻とマディソンの街を車で走っていた時、日本語のレストランの看板を見つけて思わず入ってしまった。何を注文したか思い出せないが、白人ばかりの従業員に混じって、明らかに日本人と思える人がいた。
 日本人が訪ねてきたと彼女もうれしかったのだろう。日本語での会話を楽しんだ。食後に、サービスです、と言って抹茶のアイスクリームを2つ持ってきた。
 我々が訪れた日時、場所、働いていたその日本人の様子などから、おそらくこの人がフミさんだっと今でも思い出すのである。

 「 心からご冥福をお祈りします 」

 

 

( マディソンでのディナーパーティ )


" Town in the Mid-West "  ( 中西部のある町 )

2013-05-04 05:04:27 | マディソン

 

 

( ステート通りの先には州議会議事堂がある )

 ウイスコンシンの州都マディソンには、ワシントンで見るのと同じドーム型の議事堂がそびえている。
 車でマディソンに近づくにつれて、遠くから議事堂の建物が見えてくるので、やがてマディソンに着くのだということが分かる。
 隣の州ミネソタと同様、山がなく平原が広がっているので見通しはいい。
 ミネソタが、The Land of 10,000 Lakes (一万の湖がある州)の愛称で呼ばれているが、ウイスコンシンも湖が多い。
 金持ちは、湖岸に家を建て、自宅の landing (ヨットの係留場)からヨットに乗り湖に出て、クルージングや魚釣を楽しんでいる。
 州の愛称は、Dairy Country (酪農の州)、または  The Badger State (アナグマの州)と言われている。
 マディソンは、州都であるから政治の中心である。それとマディソンが誇るノーベル賞を18人も輩出した中西部の雄ウイスコンシン大学がある。
 日本人は、ほとんどいないところだが、それでも大学で、研究などのため日本からやってきた研究者や学者たちによく出会う。

 マディソンの街全体が大学といった感じで、各学部が街中に点在していて、何処から何処までが大学だか分からなくて、住人たちと大学が渾然一体になっている感じである。
 図書館とブックストアの間辺りからマディソンの街で最も賑やかなステート通りが州議会議事堂まで繋がっている。
 専門店、雑貨店、ドラッグストア、レストラン、コーヒーショップ、美術館、映画館、ホテルなどさまざまな店が連なっている。
 週末には、ファーマーズマーケットが開かれ農産物など、珍しいものが売られているので、見て回るだけでも楽しい。

 シカゴから80号線を北に車を飛ばして行くと3時間近くでようやくマディソンに達する。
 キャンパスの中から高速バスが出ていてシカゴのオヘア空港まで直行している。マディソンからシカゴまでジェット機で45分ほどかけてローカルの飛行機が飛んでいる。
 町の人口は、15万人くらいで、日本の都市に比べるといかにも小さめだが、マディソンの飛行場からは、間断なく飛行機が離着陸している。
 大陸性の気候か、夏は暑くて冬は寒い。トシなど、冬の寒さには閉口するが、町の人たちは慣れきっているのか、年間を通じて、暑さ寒さを意に介せず活動的である。
 冬は、寒い時は、-5度から7度といった感じだが、-20度にもなることがある。そんなときでも、いつも通りの生活を楽しんでいて、ショッピングモールに行くと人であふれている。

 

 ( 大学にある湖:夏はヨットやボート遊びをする人が多いが、冬になると氷結する。それでもリスが走っていたり、沖には、小さなテントを持ち出しワカサギ釣りを楽しんでいる人たちがいる )

 

( 零下7度だが、人々はいつもと変わらない生活している )

( 前方の建物が大学のブックストアで、ここがステート通りの起点である )