マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Nanny goats come near ! " ( ヤギがやってきた! )

2014-01-31 17:45:31 | アパラチアン山脈

 

 (9)

 

 

 岩山をよじ登ったり、ぬかるみを歩いたり、ごつごつした石の上を歩いたりすると、当然足が痛む。
 それも毎日、毎日歩き続けるのである。厚底の登山用の靴を履いていても、いかにも慣れていないので、小指が擦り切れ、踵が靴の内側とこすりあって耐えられないくらい痛むようになる。
 薬を取り出し手当をしたり、絆創膏を貼ったりしても効果がない。挙句には、靴を脱いでしまって靴下だけで歩くことになった。足が直接地面にあたる感じで、石ころを避けながら歩いていたが、それでも靴を履いて歩いていた時より痛みを感じない。そのうち慣れてきたのか、靴下も脱いで、それこそ裸足で何日も歩く羽目になった。おかげで、小指の痛み、踵のすり切れは、小康を得た。一時は、どうしようもなく、家に帰ってしまうほうがいいのではと考えたこともあった。

 夕方野営する場所を決めてから、近くの水場に行って、足の痛い部分を洗い、薬で消毒したりしていた。
 時々「Hot Spring」と書かれたロードサインに出くわすことがある。これは温泉があるしるしで、このときは、裸で、温かい温泉につかって体も心も癒すことができた。
 大体は、川岸の岩場を誰かが丸く掘ったもので、天蓋、囲いなどなく、野趣あふれる、ちょうど日本の露店風呂みたいになっていて、裸で入っていると、周りの山や川の景色が一望できた。
 のんびり小鳥たちの声を聞きながらしばらく温まると、また頑張ろうかなあという浩然の気を養うことができたのである。
 ついでに下着など衣類を洗濯したこともある。誰かに教わったことであるが、スイムウエアのような繊維で出来ていて体に密着する下着が、温かく、洗っても速乾性になっているようで、これは重宝ですよ、ということだったので、今度サプライ・タウンに行ったときに、探してみようかと思っている。

 ゴールをまじかにして、もう必要ないからとあるハイカーから、ナイロン製の軽いロープをもらった。
 ロープが必需品だと知ったのは、ずいぶん経ってからだった。
 キャンプサイトで、宿泊するとき、ハイカーの皆さんは、リュックを地面に置かず、高い木の枝などにロープを渡し、吊り上げている。
 これは、クマなど食べ物を狙ってやってくる動物は、リュックサックを食いちぎり、中の食べ物を食べつくして去っていく。
 ボランティア団体などが、野営地の高い木などにロープを吊り下げてくれているので、それを利用することもできるが、ロープなどないところもあって、そのようなときは、自分で適当な木の枝を見つけ、ロープを渡し、リュックなどを釣り上げる必要があるのだ。

 別の人からは、水を浄水する装置をもらった。
 ビニールの袋に水を入れて、プラスティックのボトルを装着し、木にぶら下げておくと、水滴がボトルのほうに流れ落ちて、ろ過され、浄水化されて飲み水になる。
 ちょっとレモンエッセンスを加えると、これが、本当においしい水になるのである。このようなものがあるとは知らなかった。

 各州のボランティア団体が、トレイルの維持管理をしている。
 ロード標識の設置、道やキャンプサイトの清掃、防護壁、吊り橋の設置、案内板を作ったりと、これらは、ハイカーたちにとってはありがたい限りである。
 矢印に従っていけば先ず道を間違えることはない。

 だんだん歩くにつれて、野生動物にどう対処したらいいかもわかってきて慣れてくる。
 クマが出てきても慌てない、毒ヘビに出くわしても対処の仕方がある。むしろ愛すべく動物たちのほうが多いのである。
 休憩していたら、藪がごそごそ動いて2頭のヤギが出てきた。恐れる風もなく近づいてきて、鼻をクンクン鳴らしながら、ジムの周りを嗅ぎまわっていた。
 むき出しの足の脛を舐め始めたのである。何ともかわいい仕草で、ヤギたちをじっと見つめていた。
 後日、この話をハイカーの人たちにすると、ヤギはおそらくあなたの足の汗に含まれる塩分を舐めていたのでしょうということだった。
 トカゲは、ちょっとグロテスクだが、リスは可愛い。それに人懐こいのである。色とりどりの小鳥たちも、身近にやってきて愛嬌を振りまいてくれる。本当に自然の中にいる実感を楽しむことができるのである。

 


" A pony walks with him ! " ( 仔馬がついてきた )

2014-01-28 09:00:37 | アパラチアン山脈

 

(6)

 

 

 天気のいい日など、山の尾根を歩くのは気持ちがいい。
 尾根の岩場に上ると、、360度の展望が開け、眼下には素晴らしい景色が展開している。
 はるか下のほうに町が見えることもある。牧草地では牛が草を食んでいる。
 山の裾に広がる広大な樹海、時に湖や川が流れているのが見える。何もかにもが壮大で、圧倒される風景である。じっと眺めていると、現実とは思えないほどで、心が洗われるというか、感動してしまうのである。

 もうどれくらい歩いただろうか。
 自分では、かなりの距離メインから遠ざかったように思う。だんだんと先に進むと、トレッキングをする人たちに出会うようになってきた。大学生のグループ、「ソロ」( solo )、つまり一人旅の人たちにも出会った。
 犬を連れた女性の一人にも会った。みなさん、それぞれの思いや目的をもってきているようで、歩くスタイルもさまざまである。
 スルーハイクを目指す人たちばかりではないようだ。
 いわゆる「セクションハイク」( section hike )( 一区切りだけ歩く )ひとたちがほとんどのようだ。
 途中の町まで車で来て、車を乗り捨て、そこからか歩き始めて、一週間ほど歩いて、また家に帰る人だっている。
 スルーハイクは、時間もかかるし過酷で、はじめからそれを目指すのでなく、一区切り一区切りを重ねていけば、長い年月掛かっても、それがスルーハイクになる。
 
  "  a continuous hike is not as tough as it sounds.  If you can manage a three-or four day section hike, you can manage a thru-hike.  After all it's just a section hike repeated over and over again.  " 
 ( ハイクを続けるのは、それほどタフではない。三日か四日のハイクをなんとかできれば、スルーハイクをやり通すことができる。つまりスルーハイクは、一区切り一区切りのハイクの積み重ねなのである )

 ジムも、ここに来てさまざまな人たちと出会った。話を聞いたりしながらいろんなことを学んだ。
 何かにつけネガティブであった自分を反省した。人生まだまだ長いのである。みじめな自分であることで、周りの家族まで不幸にすることは許されない。
 ようやく自己中心な自分を脱して、周りの人たちを思いやる気持ちがわいてきた。
 激流にロープを渡し、リュックを吊り下げ、自分は裸になって対岸まで渡るなど過酷な試練はあったが、今では、それが苦しいというより、立ち向かいチャレンジしたい気持ちがわいてきた。

 歩いていて、仔馬が追いてきた。あまり長く一緒に歩くと、お母さんと逸れるのではと思い、  
  "  You had better go back to your mom at once !  " ( もうママのところに帰ったほうがいいよ! )と言ってしまった。
 それでも帰ろうとしないので、腰を下ろし、リュックからリンゴを取り出し、ナイフで二つに割り、片方を自分用に、もう一つを仔馬に与え、分け合って食べた。
 そのようなことが、なんとも自然で、当たり前の風景に見えたのである。


" I've seen black bears ! "  ( クマを見たよ! )

2014-01-23 08:58:05 | 旅行

 

(6)

 

 

 ジムは、メイン州のバクスターからトレイルに入った。
 一日目は穏やかな天気だったが、2日目から3日間を通して雨が降り続いた。もちろんフッドのついた防水着、防水パンツ、登山靴のトレッキング用装束をしていたが、周りの景色も見えない、冷たい風雨が吹きつける、道は雨でぬかるんで、時に濡れて滑る岩山をよじ登りながら、ルートに沿って時々現れる「sign post」(標識)を手探りで見つけながら歩くのは、とにかく辛かった。
 勿論こんな天気では、道端で野宿は難しいが、時々小さなシェルターが沿道にあって、そのどれかに夕暮れ時辿り着いたときに泊まることにしていた。
 シェルターと言っても、あくまで避難用の小さな小屋で、「three-walled shelter」と言って三方が壁になっていて、表の一方は何もついてなく、壁もドアもない吹きさらしだった。
  一晩中蹲ったまま朝が明けるのを待っていた。夜の帳が降りると、どう過ごしていいのわからないほどだった。本をもってきていたが、明かりがない。ひたすら吹きつける雨に身をさらしながら耐えていたのである。早く朝が訪れればいいと願いながら、立膝を両手で抱きながらじっと座っていた。
  
 歩き始めたばかりだし、一度諦めて、再度別の日に挑戦したほうがいいのではないかと、すでに音をあげて帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。
 それでも岩場を見つけて、しゃがみ込み風雨に打たれながら休憩をしたりしながら、自分を励まし頑張ろうという気を起こすのに必死だった。
 帰ろうと思えば簡単だった。いつでも帰れる。しかしそうしたらどうなるのだろう。ますますみじめな自分がいるだけである。やはり頑張ろう。一週間もするとなんとかやれるのでは、と言う前向きな気持ちになってきたのである。
 
 天気も晴れてきた。ある時、靄でかすむ道を歩いていると、風の音でもない、動物が騒ぐ音でもない、確かに人間のカサカサという足音が近づいてきた。まさしく人間だった。
 お互いにすれ違う時に、「やあ!」と声をかけていた。
 「あとどれくらいですか?」とその人が言った。
 ジムと違っていかにも山歩きに慣れた人に見えたので、「あなたの足なら、3,4日もあれば」と答えた。彼は思わず万歳のボーズを取り、大仰にうれしさを表現した。
 「6か月かかって、ついにスルーハイクだ!」といかにも嬉しそうだった。
 「ジョージアから来たのですか?」「そうです!」 ジムも、自分のことのようにうれしい気持ちになった。
 彼と、尾根の岩場に座りながら、しばらく話をした。
 彼はリュックからソーセージを2本取り出し、ひとつをジムに与えた。プラスティックのボトルを取り出し中の水を飲みだした。そのボトルを差し出し、彼にも飲むようにと仕草をした。
 「自分は、まだ歩き始めたばかりで音を上げているのに、彼は、6か月も歩き通して、しかも終点に近づいているのだ!」と思うと、ジム自身頑張る意欲のようなものが生まれてきた。

 ネズミや蛇、クマなどは御免だが、時々愛すべき動物たちに出会うことがあった。
 一度などカメが黙々と道の真ん中を歩いていた。思わず立ち止まり、甲羅を指で突いてみると、顔を出しこちらを見た。
 「コンニチワ!ドコニイクンダイ?」
 「オジサンハ、ドコニイクノ?」
 「ジョージアマデイキタイケド、イケルカドウカワカラナイヨ」
 暫し立ち止まり、彼?との会話を心の中で楽しんだ。甲羅から顔をのぞかせた時の彼の愛くるしい顔は忘れられない。

 クマ( black bears )にも何度か出会ったが、ワイオミングやサウスダコタで見た、あのような大きいものではなく、「叱!叱!」と追い払えば、クマのほうから逃げていくから、そんなに恐れることはないようだ。


" I'm Jim, nice to meet you! " ( 僕はジムと言います、よろしく! )

2014-01-18 09:27:04 | 旅行

 

(6)

 

 食堂で隣り合わせに座った男は、"  I'm Jim, nice to meet you!  "  ( 僕はジムと言います、よろしく! )と言った。
 グレッグも、 "  I'm Greg, nice to meet you, too!  " ( 僕はグレッグです、僕の方こそよろしく! )と言って、手を差し出した。

 ジムは、以前テレビでアパラチアン・トレイルの番組を見たことがあって、そのことが頭の中にあったようで、どこかで自分を見つめ直したいと思ったとき、このトレイルのことが、真っ先に胸に浮かんだようだ。
 自分のことを、会社ではキャリアだと思っていた。ヨーロッパに出張で行く時など超音速旅客機コンコルドに乗っていた。いろんなプロジェクトを生みだし、会社の業績に貢献していた。
 仕事はやり甲斐があったし、自分には天職に思えた。何より仕事が気に入っていたし、毎日が楽しかったのである。
 会社の経営がうまくいっていないのは知っていた。
 それだからと言って、他の人がクビになっても、自分は最後まで残れると思っていたのである。
 
 クビになってみて、人格のすべてが否定されたような気がした。彼の能力からして、他の会社が声をかけることはあり得ることだった。ヨーロッパの会社でも、彼を招んでくれるはずだ。
 人生で初めてと思える挫折感を味わっていたのである。気が滅入って何もできなかった。当然家の中でも、荒れた気持ちでいた。このままでは、すべてが崩壊に向かう気がして、何もかにもがわからなくなる前の今だったら、自分を取り返せるかもしれないと、とにかく外に出て考えようと家を後にしたのである。

 妻と話しあって、しばらく何処かに行ってみたいと言ったとき、妻の方も、それがいいかもしれないと賛成してくれた。                                   目指す方向は、アパラチアン・トレイルだったのである。
 バックパックに、必要だと思えるものをコンパクトに詰め込んだ。テント、シート、寝袋、衣類、雨具、食品、救急医療品などを荷造りして家を出た。

  "  I knew the hardest, steepest part of the trail is up north, in Maine, so I wanted to get the hardest part out of the way first.  " ( トレイルの最も厳しい、そして険しいところは北のメインだということを知って、最も厳しいところから始めようと思ったのです ) と言った。
 一応のルートは妻にも知らせていて、一ヵ月後にはどこそこの街に立ち寄るとかの至ってあいまいな旅程 ( itinerary )を家に残してきた。
 家を出るときには、世間から区切りをしたい気持から携帯電話やカメラを持って出なかった。唯一妻と連絡をとる方法は、家から送られて来るかもしれない郵便局止めの手紙だけだったのである。何月何日ごろに、その街に着くだろうという極めて当てにならないような旅程だったのである。
 手紙が来なければ、それはそれで仕方がないと彼は思っていた。

 メインで山に入ってから、約一か月、ようやく最初に休養を取ることになっていた町にたどり着いた。それがこの町だったのである。
 妻から分厚い手紙が局留めで着いていた。彼の体を気遣う内容で、家のことは心配ないこと、何か困ったことがあったら知らせてほしいことなどが書かれていた。それにお守りが入っていた。それをバッグの中から取り出しグレッグに見せたとき、初めて笑った。

   "  I wanna stay overnight here.  " ( この町で今夜は泊るつもりです )と言った。
 食事を終えたらホテルかホステルか民宿を探してみますと言っていた。この町は、ハイカーたちが、一時立ち寄ることで有名な町のようで、ガイドブックにも載っているとのことである。
 何より風呂に入りたい、伸びきったひげを剃り落とし、下着を変え、カサカサ音を立て潜りこんでくるネズミたち、それを狙ってやってくるヘビの恐怖に脅えないで、ぐっすり眠りたいと言った。
 町ですることはたくさんあった。
 


" Thru-Hiking " ( スルーハイキング )

2014-01-11 00:04:20 | 旅行

 

 (5)

 

  バイテル教授の家に遊びに行ったとき、奥さんに、
  "  I'm just walking around in the trees.  " ( 森を歩いてきます )
  "  Are you walking alone?  " ( ひとりで? )
  "  Yes!  " ( はい )
  "  No, you don't !  "  "  Quite a few coming into the woods and never coming out !  " ( ダメよ!森に入ったきり帰ってこない人が多いのよ! )

 訊いてみると、アパラチアンの樹海に入ったきり帰らない人がいるようで、素人がひとりで入って行くのは危険だと言うことだった。
 私も一緒に行ってみたいから、希望者を募って後日みんなで樹海の中をピクニックしましょうよ、ということになった。 いったん樹海に入ると、方向感覚がなくなり、けもの道に迷い込んだりして、いよいよ帰ってこれなくなるようだ。
 バイテル夫人と話していて、その時初めて「アパラチアン・トレイル」のことを知った。

 ニューヨークからロスアンジェルスまで飛行機に乗って窓から下をみていると、アメリカ大陸を3つの山脈が南北に縦断しているのが分かる。
 最初は、アパラチアン山脈、次がロッキー山脈、それから西海岸に沿ってシェラネバタ山脈である。
 ロッキーは、3,000メートル以上の山が連なっていて、ごつごつ切り立った、いかにも男性的で尾根には白い雪を頂いている。
 シェラネバタも、マッキンレーの4,400メートルに達する高い山がある。
 これらに比べると、アパラチアンは、女性的で穏やかな山脈である。ミッチェル山の2,037メートルが一番高い山で、山脈というようには見えない。

 「アパラチアン・トレイル」( Appalachian Trail )は、大自然歩道である。
 14州に跨り、北はメイン州のバクスターから、南はジョージア州のスプリンガーまで全長3,500キロにも及ぶ。マイルにすると2,000マイルになるので、踏破した人のことを、「2000-miler」と呼ぶようだ。
 一シーズンでこの自然歩道を踏破することを「スルーハイキング」(thru-hiking)と言っている。スルーハイキングに挑む人たちは、毎年2,000人ぐらいいるようだが、そのうち1割ぐらい、200人が成功している。
 どちらかと言うと、「山に登る」と言うより「山を歩く」という感じで、登山の専門技術はなくてもいいが、ある意味過酷ではある。
 山の尾根を歩くかと思えば、岩の上を歩く、谷を歩くかといえば、森林の中を歩くといった難コースが延々と続く。
 やって来る人たちの目的は、さまざまである。
 カメラを持って歩きながら草花、動物、景色などをもっぱら撮っている人、スポーツ感覚で歩くことを楽しむ人もいる。過酷なノルマを自らに課し、鍛錬に励む人もいる。
 ここにやってくる人たちはそのような人たちばかりではない。
 人生に挫折を味わった人、困難にぶち当たった人、心に迷いを持った人、対人関係がうまくいかない人、何らかの理由で心を閉ざし思い悩んでいるような人などが、山歩きをしながら自分を取り戻そうとしている。
 犯罪を犯して刑務所を出てきたばかりで、新しい自らの人生に向き合う心構えを養う努力をしている人、交通事故で家族を亡くした人、失職した人などが、アパラチアンを歩きながら立ち直ろうとしている。

 勿論スルーハイキングを志す人たちはごく一部で、最初から最後まで歩く必要はない。
 途中から登ってきてまた途中で降りる人が大部分である。週末だけ、自宅に近い所からごく短い距離を歩く人たちも多いのである。