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予備校で教えていた経験がある。
「武運つたなく」現役で志望校に入れなかった人、学力不足で、やはり目的を達成できなかった人などが、予備校に入って来る。
予備校の玄関前には、「君たちの努力は報われる!」など、標語の垂れ幕を掲げているが、生徒たちは、自らそのことを自覚していて、予備校を最後の拠り所にして、必至である。
自習室を覗いても、私語をする生徒はいなくて、粛々と努力している。
教室でも、緊張した雰囲気が張りつめていて、その様子がひしひしと教える側にも伝わって来る。
そんな生徒を相手にする先生の方も、手が抜けないと言うか、頑張らざるを得ない気持になってくるのである。
始業前に事務官が、すでに教室に入っていて、出席を取ったり、連絡事項を伝えていて、ベルが鳴った瞬間、廊下で待っている先生に、
「お願いします!」と言って、引き継ぎをするのである。
クラスの生徒数は、25人ぐらいの「小人数制」で、出来るだけ、全体に目が行き届くようになっている。
授業が終わると、廊下には、事務官が待っていて、先生に対して、「ありがとうございました!」と一礼する。
短い休み時間だが、生徒たちは、先生を追っかけてきて質問を始める。先生も大変であるが、一人一人に細かく丁寧に答えている。
時間が十分取れなくて、放課後2,3人の生徒を連れて、近くの喫茶店で、指導したりすることもしばしばだった。
生徒たちは、どちらかというと、地元の出身者というより、遠く他県からやってきた人たちが多い。
出身校の名前を聞いても、知らない場合が多いようなところである。
所謂地元の進学校では、この地方で最難関の国立大学に、100人単位で合格させていて、過去に多く進学希望者を教育してきた実績がある。
長年の実績、経験に基づいた、さまざまなデータを持っていて、指導上の対策も万全である。
どうすれば、どの大学に入れるかなど、個々の生徒に応じた指導法が確立しているのである。
しかし、いわゆる「田舎」の高校では、このような有名国立大学に、ようやく、毎年数名しか送り込めないでいるのである。 本来なら、能力が充分ありながら、自身の可能性を見極めることができないまま、高校を巣立って行かざるを得ない生徒もいるだろう。
この人たちが、予備校で、見違えるように変身していくのを見てきた。
もちろん、全体を同じように指導しても、生徒によって、学習の習熟度が、早い人、遅い人が出てくるものだ。
田舎の、いわば磨かれてない生徒たちの学力が、短期間に高まるのを見るのは、楽しいし、教え甲斐もあるというものである。
予備校に通う人のことを、高校4年生だと皮肉る人たちもいるが、生徒によっては、最後の4年次が、生涯を決める充実したものになるのである。
高校の時の先生も、おそらく予想していなかった難関の大学に、「高校4年生」を経て合格した受験生が、故郷の高校に報告の挨拶に行くと、かつて指導した先生も、「驚いたなあ!」「しかし、よく頑張ったね!」とか、言ってくれて、そのことをまた予備校に伝えに来てくれる。
本人がうれしいのは、もちろんだが、指導した我々も、損得なしに、うれしいものだ。
難関と言われた医学部にも、4人合格した。
今頃、彼らは、立派な医者になってどこかで働いているのだろうか。
たとえば、「長文読解」で、がむしゃらに頑張る気持ちだけで問題を解こうとしてきたのが、ちょっとした解き方、ヒントを与えると、見事に、わだかまりが解けるように読めるようになる生徒がいるのである。
今まで高校で、できる人、できない人を同じように指導されてきて、個々の生徒に合う指導がなされてこなかったのだろう。
このような生徒は、どんどん伸びていく。
教えた側の自分を振り返ってみても、長年教育の場で頑張ってきたが、この「予備校」にいた時期が、最も充実した瞬間で、「自分を生きていた瞬間」だったように思うのである。