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グレッグにとって、島での日一日が貴重で人生で最も充実した瞬間だったが、ニューヨークに帰る日が近づくにつれて不安な気持ちになっていた。
心の中がせわしなく揺れ動くのを感じていた。このままレベッカと別れて去ってしまえば、これきりになって、もう会えなくなるのではないだろうかと心配だった。
ニューヨークに帰りお互いが離れてしまえば、レベッカに自分の真摯な気持ちをどのようにして伝えたらいいのかなど不安だった。
今では毎日でも会いたいという気持ちではやるが、ニューヨークとメインの間は、かなりの距離である。
週末になんとか時間を作って、ポルシェを飛ばせば、中間の途中の町まで来ることができるかもしれない。その場合レベッカにも車で待ち合わせ場所まで来てもらえるだろうかなどと思いを巡らせていた。
エミリー・ディキンソンが言うように、この恋愛に、" Shoud the play prove piercing earnest " ( 心が痛むほどの熱意が必要だとわかれば )喜んで、その熱意を差し出す気持ちだった。
何度かの夕食を共にし後で、おそらく食前酒のせいかもしれないが、別れ際で咄嗟に口づけをした。レベッカは、驚いた様子だったが、むしろこのことを待っていたように、グレッグにしがみついてきた。
そうこうしている間も、レベッカには、毎日の仕事があるため、勤務後の夕方がデートの時間だった。
グレッグは、この島から出ていく予定が、もはやない以上時間を持て余し、ついレベッカのいる図書館に足が向いた。利用者がいないときには、短い時間だが、コーヒーを沸かして飲むこともあったのである。
区役所の前に派手なポルシェが止まっているのを、何処でかぎつけるのか、グレッグが来ていることを察知して、区長が顔を出してきた。
彼には、「大きな仕事があり」、つまりグレッグを何としてでも島の診療所の医者として雇いたいという任務にまい進する覚悟だった。
まさかだが、新しい診療所の図面ができていて、区長は、それをデスクに広げて、グレッグに町の医療体制について熱心に説明していた。
グレッグも、この島でレベッカと所帯を持ち、診療所で、患者を迎え入れ、往診している自分の姿を想像していたのである。
我々日本人は、生まれた故郷にしがみつき、そこから出ようとしない、一度就職すれば、定年になるまでそこにいようとする、家庭よりも何よりも仕事優先で働きづめで、暇な時間がなく奥さんを連れて旅行に出ることもないというのが国民性のようだった。
アメリカ人は、ある本に " mobile people "(動き回るのが好き)な国民だと書かれているように、動くことを好む国民である。
一つには、休暇をとってよく旅をする、もう一つには、家を変わる、つまり引越しをよくするのだ。さらには、仕事を簡単に変わる。上昇志向が強くて、賃金のいいところ、地位が高いところに流れていく傾向がある。
グレッグも例外ではない筈だ。ニューヨークの仕事を辞めてもいいという必然性があれば、やめるだろう。