マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" My close friend who has passed away " ( 今は亡き友だち )

2014-12-12 17:15:26 | 懐かしい人たち

 

 

 かつての友達が亡くなったなどのニュースを聞くとこの上なく悲しいものである。親友のスティール教授が亡くなったのである。その事実をアメリカの新聞を読んでいて知った。
 スティール教授とは、ここ10年ほど音信がなかった。彼とは若い時からの親友だった。
 はじめは、彼というより彼の奥さんに出会ったのが、彼を知るきっかけで、ペンシルバニア州立大学時代のことである。
 講義が終わって、いつものように教室に残り、ノートの整理をしていた時、教室にいるのは自分一人だと思っていたのに、後ろの方でゴソゴソと音がして、振り向くとそこに一人の女性がいた。
「ハーイ!」と声をかけると、彼女も「ハーイ!」と応えてきた。その時は、この人の旦那と生涯の友達になるなど、全く思ってもみなかったのである。

 何度か会ううちに、彼女が、
 "  How about going to Ice Creamery together ?  " ( アイスクリーマリーに行きませんか? )
   "  Have you got enough time to spare for that ?  " ( 時間はありますか? )
   "  Sure !  " ( もちろん )

 大学内にある円形の建物に連れて行ってくれた。そこはアイスクリームの専門店だった。ベンチに腰を下ろして、二人でアイスクリームを食べたのを覚えている。
 あなたのことを旦那に話したら、会いたいと言っていたとのことで機会を見つけて会う約束をした。
 彼女の方は、小学校の先生をしながら大学院で勉強していた。旦那さんは、博士課程のコースを終えて、今は博士論文に集中しているということで、ほとんど家にこもりきりで研究に没頭しているようだったのである。そのようなことで、旦那に会えるまでかなりの時間が経ったのを覚えている。

 このことも後で知ったのだが、トシが個人的に親しくしていただいていたバイテル博士は、彼の恩師だったのである。
 バイテル博士は、「禅と陶芸」( Zen and The Art of Pottery )などの著書で全米的に有名な人だった。
  "  Kenneth Beittel is an eminent educator, who taught at Pennsylvania State     University for 31 years ・・・・"  ( ケネス・バイテルは、著名な教育者で、31年にわたりペンシルバニア州立大学で教鞭をとった… )
 
 よく夕食に誘われて彼の家に行っていたし、彼の研究室やワークショップに出入りして、研究員や大学院生などと親しくなっていたのである。
 ある時、彼の研究室で、勝手に書棚から本を取り出してめくっていると、彼が著した本だと気付いた。
 「これ先生の本?」
 「そうだよ、よかったらあげるよ」と言うことで、その本の裏表紙にサインをしてもらって、頂いてしまった。
 
  "  To my dear Japanese friend: Toshi Yamada
                 From Kenneth Beittel  " 
  ( 私の親しい日本の友達:トシ・ヤマダさんへ
              ケネス・バイテルより )と書かれていた。

 彼は親日家で、河井寛次郎、浜田庄司、中里太郎衛門などと親交があり、日本の大学にもしばしば講義に来ていた。
 ニューヨークで棟方志功が個展を開いた時、バイテル博士が、学生たちを連れて会場設定などすべて段取りをしたほどだ。
 彼の家の書斎の壁に額が飾られている。
 それには、「 佐賀県の名誉県民であることを認めます 佐賀県知事 池田直 」 のように書かれていたのを覚えている。 

 

 


" Fumi-San " ( フミさんのこと )

2014-12-03 09:34:45 | マディソン

 

 

 

 

 モナは、日本のテレビでよく見るハーフタレントのような顔をしている。
 顔を見る限り白人で、おそらくお父さんに似ているのだろう。顔は小さく首が長い、手は細っそり足が長い。小さい時から、踊るバレーをやってきたようで、彼女が踊るところは見たことがないが、身のこなしが如何にもしなやかである。
 お母さん同様お喋りで人懐こい。トシのことを、いつの間にか、「パパさん」と呼ぶようになって、パーティなどで英語で会話をしていても、" What do you think of it, Papa-San ? " ( パパさんだったらどう思う? )とかアメリカ人たちの前でも「パパさん!」と呼んでいる。
 人の輪のなかで、ひと際大きな声で会話をしていて、彼女の声がどこからか聞こえてくる。
 遠くにいるトシに気づいたのか、「はい、パパさん!」と言いながらグラスを手渡してきた。「なんだい?」と言うと、「カクテルを作ってきたよ」

 モナがイタリアに行ってしまって、マディソンの郊外の家に母親が一人取り残された。
 もともと神戸の出身だから、財産を処分して日本に帰るのかなとも思ったが、アメリカ市民権を持っているし、こちらの生活に慣れてしまったのか、それに旦那さんと過ごした「故郷」を離れられないのか、マディソンに住んでいる。

 マディソンは、住むにはいいところである。全米で最も住みやすいところに選ばれたことがある。
 住んでいる人たちの収入が他の何処より多く、犯罪が少ない。教育水準が高い、湖に取り囲まれて自然環境に恵まれている。農産物が豊富で物価が安い、医療施設に恵まれている、全米的に有名なウイスコンシン大学がある、「メトロ」と言うバスシステムが発達していて、年寄りや学生たちに重宝されている。2ドル出して「ワンデイ・パス」を買うと、1日中何度でもバスの利用が可能である。
 強いて悪いところと言えば、冬の時期が寒いことである。普通の日で、零下5度から7度ぐらいで、家のドライブウエーの雪かきが大変だ。
 そのような中人々は、寒いからと言って「炬燵」のなかで丸くなるなどしない。いたって元気で、夏の時期と同じように活動的である。
 早朝学生たちは、白い息を吐きながら大学に群れを成して急いでる。
 ウイスコンシン大学のキャンパスを取り巻くように湖がある。夏場は、学生たちは湖岸の道を遠まわしに自転車でやってくるが、冬になると湖が凍ってしまうので、スケート靴に履きかえて、直線的に湖を渡って大学に来るので、近道だ。
 このような寒さの中でも、リスたちがあちこちで走り回っている。凍った湖に一人用のテントを張ってワカサギ釣りを楽しむ人たちも多いのだ。

 マディソンで住み続けて、結局この地で生涯を終えた、あの「フミさん」のことは忘れられない。
 思い出すと今でも心が痛むのである。
 夫と同様日本の有名大学を出て、夢を膨らませながらウイスコンシン大学にやってきた。博士号をとって、日本に帰り大学で教えるのが夢だったのである。夫の勉学を支えるために、奥さんは身を粉にして働いた。
 長い年月を経て、ようやく夫が博士号を得た。当初の計画では、夫が先に日本に帰って、就職することだった。職を得た後で、奥さんや子供たちを呼ぶ筈だった。
 ところが簡単に就職口が見つからず、それやこれやで、家族の間にひずみができたのである。
 結局奥さんと子供たちは捨てられるようにマディソンに残ったのである。子供2人を学校に行かせ、生活と戦った。そのような時に自らが乳癌に罹っていることを知った。
 60歳を過ぎたころ彼女は亡くなった。
 
 いつか人を通じて北九州の銘菓「ぎおん太鼓」を渡したことがある。美味しいと言って食べていたよ、と聞いた。ヤマダサンに直にお礼を言いたいと言っていたよとのことであった。
 このたびマディソンを訪れて、どうしても彼女に会いたいと思っていたが、何かと用事があり、その機会がないままだった。帰国する前日彼女の店に行ったが、今日は体調が悪くて来ていませんと言うことだったのである。それから間もなく、彼女が亡くなったという知らせを聞いた。