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阪神の名遊撃手吉田義男選手は、京都の出身である。
京都と言えば、思い当たるのは、南海で鳴らした野村克也選手である。
彼の出身地は、京都市ではなく、丹後というところである。
南海では、プレーイングマネジャーとして活躍した後、ヤクルト、阪神、楽天などの監督として活躍した。
子供のころから、働いて母親を助けながら、苦労して這い上がるように人生を切り開いてきた。
同年代の、華やかな王、長嶋とは違って、必ずしも日の当るところを歩いたわけではない。
テスト生として、南海に拾ってもらった。
努力して、正捕手の座を射止めた。
いつも脚光を浴びる王や長嶋を「ひまわり」に例え、自らを、「ひっそり咲く月見草」だと呼んでいた。
京都と言えば、広島の衣笠祥雄選手もそうだった。
外野を守ったり、一塁、サードなど守ったが、入団した時は捕手だった。
ぶんぶん振り回すだけで、まるでバットがボールに当たらないのに、業を煮やしたコーチが、衣笠選手に向かって、
「お前、目をつむって、バットを振れ!」とか言ったのは、ちょっとしたエピソードである。
大リーグで活躍している岡島秀樹、広島の倉義和捕手などを思い浮かべるが、もちろん他にたくさん京都出身の選手はいるだろう。
吉田義男選手も苦労をしたようだ。
学生時代、大きな米袋を肩に担いで運ぶアルバイトをしていた、と何かで読んだことがある。
この時のことを、彼は、足腰を鍛えるのに役立った、と述懐していた。
立命館大学を中退して、19歳で阪神球団に入ったが、いかんせん身長が165センチで、当時の野球選手にしても、小さかったのである。
その年、阪神が、あてにしていた選手が、身内の反対とかで入団を拒否してきて、急きょ吉田が入団を果たしたようなのである。
果たして、吉田が、プロとして活躍できるだろうかという杞憂は、その後の彼の活躍を見れば、吹っ飛んでしまうのである。
彼のプレーは軽やかである。
まるで、蝶が舞うように、右に左に飛びながら、難しいゴロを軽々さばいていた。
おそらく、他の選手だと、コケたり、転倒してもとれないだろう様な球を、いとも簡単に処理していたのである。
野球を見るというより、何かショウを見ている気持ちだった。
トシ自身、彼のプレーに魅せられた一人である。
彼のプレーを見たいために、阪神の試合を見に行った。
さすがに、試合中は、そんなに度々、ショートゴロはやってこないのである。
彼のプレーを見たかったら、試合前の練習の時間がある。
シートノックが、はじまると、観客は固唾をのむ。
彼の華麗なプレーに、「ウオー!」とか、観客のひと際大きな声がわく。
人々は、彼のことを、「今牛若丸」と言った。
船から船へと、軽やかに飛び渡る牛若丸にたとえたものだ。
「チョウが舞い、蜂が刺す!」と言った人がいるが、まさにその通りだった。
昨年、梅田の地下街から、ヒルトンホテルに上がる階段で、ウサギのように、ぴょんぴょん跳ねるようにステップを踏みながら、降りてくる人がいた。
吉田義男さんだった。
ほんの一メートル横を彼は、通り過ぎたのである。
息が止まった。
観客席からしか見たことがない彼が、横を歩いていた。
通り過ぎた彼の後ろ姿を、それでも地下街の雑踏に消えていくまで見続けた。
ほんの一瞬の時間だったようにも思う。
しかし、あの時の瞬間、彼の後姿、梅田地下街の風景が、心に静止画像のように残ったままである。
ブラウン管(昔は!)でしか見たことのない有名人が 目の前にいる・・・
興奮しますよね((((o゜▽゜)o))) ドキドキ♪
読売球場に行った時 2軍落ちした有名選手が目の前にぞろぞろいて
当時 大ファンだった上原投手もその仲間で。
手を伸ばせば届くところに いるんですよ!
球場に入る時 入口できちんと帽子を脱いでお辞儀をして
その姿にまたメロメロで
ああ話は尽きません
野村監督は 初めての三冠王を獲得した方ですね。
ホームランも王監督に次ぐ記録でしたよね。
キャッチャーでの三冠王は素晴らしいです
今回は、ああ素晴らしいと感激しました。
あぶさんを、ずーっと読んでいたので、南海の事は、わりに詳しいんですよ。
選手から通訳に転向した市原さんだとか、ドラと、昔呼ばれていた上田さんだとか・・・。
蝶が舞い、蜂が刺す は知っていましたが、吉田さんの事だったんですね。
一つ覚えました。ありがとう。
上原選手は、今年も活躍が期待されますが、頑張ってほしいです。メジャーに行きたいと言い続けて、それが、実現したのですから。
巨人は、他所からいい選手を連れてくることが多かったのですが、最近は、原監督が、若い人たちをうまく使っていますね。
通訳に転向した市原さん、ドラの上田さんなど、よくご存知のようで。
プロ野球を辞めた後の経歴は、さまざまのようですね。
カープの選手で、後に、お好み焼き店を開いた人、パチンコ店を開いた人、会社員になった人などいます。
外人選手で、ホプキンズなどは、医学博士をとって、今では大学の先生になっています。
彼は、試合のない日に、広島大学医学部に行って勉強をしていました。
ひまわりに対して月見草と行ったことも知りませんでした。
色んな過去を背負って現在に至った事 良く分かりました。
見る目が変わったかも・・。
有り難うございました。
管理野球が徹底して無い頃で、酒を飲んでやってくる選手、遅刻して試合の途中から参加する選手、ヤジに腹をたて観客席に駆け上がり、殴り合いの喧嘩をする選手などエピソードはたくさんあります。
ノンプロの方が強いのでは、と思える時代で、八幡製鉄にいた大岡虎雄選手など、ノンプロを引退して、プロの大映スターズに37歳で入団して、いきなり26本もホームランを打ちました。
同じく、八幡製鉄にいた小鶴誠選手は、プロに入って51本もホームランを打ちました。