マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

梅田の地下街で

2011-03-04 12:02:53 | 日記

                             (7)

 阪神の名遊撃手吉田義男選手は、京都の出身である。
 京都と言えば、思い当たるのは、南海で鳴らした野村克也選手である。
 彼の出身地は、京都市ではなく、丹後というところである。
 南海では、プレーイングマネジャーとして活躍した後、ヤクルト、阪神、楽天などの監督として活躍した。
 子供のころから、働いて母親を助けながら、苦労して這い上がるように人生を切り開いてきた。
 同年代の、華やかな王、長嶋とは違って、必ずしも日の当るところを歩いたわけではない。
 テスト生として、南海に拾ってもらった。
 努力して、正捕手の座を射止めた。
 いつも脚光を浴びる王や長嶋を「ひまわり」に例え、自らを、「ひっそり咲く月見草」だと呼んでいた。

 京都と言えば、広島の衣笠祥雄選手もそうだった。
 外野を守ったり、一塁、サードなど守ったが、入団した時は捕手だった。
 ぶんぶん振り回すだけで、まるでバットがボールに当たらないのに、業を煮やしたコーチが、衣笠選手に向かって、
 「お前、目をつむって、バットを振れ!」とか言ったのは、ちょっとしたエピソードである。
 大リーグで活躍している岡島秀樹、広島の倉義和捕手などを思い浮かべるが、もちろん他にたくさん京都出身の選手はいるだろう。

 吉田義男選手も苦労をしたようだ。
 学生時代、大きな米袋を肩に担いで運ぶアルバイトをしていた、と何かで読んだことがある。
 この時のことを、彼は、足腰を鍛えるのに役立った、と述懐していた。
 立命館大学を中退して、19歳で阪神球団に入ったが、いかんせん身長が165センチで、当時の野球選手にしても、小さかったのである。
 その年、阪神が、あてにしていた選手が、身内の反対とかで入団を拒否してきて、急きょ吉田が入団を果たしたようなのである。

 果たして、吉田が、プロとして活躍できるだろうかという杞憂は、その後の彼の活躍を見れば、吹っ飛んでしまうのである。
 彼のプレーは軽やかである。
 まるで、蝶が舞うように、右に左に飛びながら、難しいゴロを軽々さばいていた。
 おそらく、他の選手だと、コケたり、転倒してもとれないだろう様な球を、いとも簡単に処理していたのである。
 野球を見るというより、何かショウを見ている気持ちだった。

 トシ自身、彼のプレーに魅せられた一人である。
 彼のプレーを見たいために、阪神の試合を見に行った。
 さすがに、試合中は、そんなに度々、ショートゴロはやってこないのである。
 彼のプレーを見たかったら、試合前の練習の時間がある。
 シートノックが、はじまると、観客は固唾をのむ。
 彼の華麗なプレーに、「ウオー!」とか、観客のひと際大きな声がわく。
 人々は、彼のことを、「今牛若丸」と言った。
 船から船へと、軽やかに飛び渡る牛若丸にたとえたものだ。
 「チョウが舞い、蜂が刺す!」と言った人がいるが、まさにその通りだった。

 昨年、梅田の地下街から、ヒルトンホテルに上がる階段で、ウサギのように、ぴょんぴょん跳ねるようにステップを踏みながら、降りてくる人がいた。
 吉田義男さんだった。
 ほんの一メートル横を彼は、通り過ぎたのである。
 息が止まった。
 観客席からしか見たことがない彼が、横を歩いていた。
 通り過ぎた彼の後ろ姿を、それでも地下街の雑踏に消えていくまで見続けた。

 ほんの一瞬の時間だったようにも思う。
 しかし、あの時の瞬間、彼の後姿、梅田地下街の風景が、心に静止画像のように残ったままである。

 

 

 


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6 コメント

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トシさんは (guroriosa)
2011-03-04 23:22:11
有名人とよく遭遇されるんですね∑(*゜ェ゜*)
ブラウン管(昔は!)でしか見たことのない有名人が 目の前にいる・・・
興奮しますよね((((o゜▽゜)o))) ドキドキ♪
読売球場に行った時 2軍落ちした有名選手が目の前にぞろぞろいて
当時 大ファンだった上原投手もその仲間で。
手を伸ばせば届くところに いるんですよ!
球場に入る時 入口できちんと帽子を脱いでお辞儀をして 
その姿にまたメロメロで
ああ話は尽きません

野村監督は 初めての三冠王を獲得した方ですね。
ホームランも王監督に次ぐ記録でしたよね。
キャッチャーでの三冠王は素晴らしいです
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野球選手の (さくら)
2011-03-05 01:14:53
豊富な知識もさることながら、yamadaさんの文章力に脱帽です。
今回は、ああ素晴らしいと感激しました。

あぶさんを、ずーっと読んでいたので、南海の事は、わりに詳しいんですよ。
選手から通訳に転向した市原さんだとか、ドラと、昔呼ばれていた上田さんだとか・・・。

蝶が舞い、蜂が刺す は知っていましたが、吉田さんの事だったんですね。
一つ覚えました。ありがとう。
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guroriosaさんへ (yamada)
2011-03-05 17:34:47
 guroriosaさんは、以前から、巨人ファンだったのですか?いろいろ巨人のことをご存知ですね。

 上原選手は、今年も活躍が期待されますが、頑張ってほしいです。メジャーに行きたいと言い続けて、それが、実現したのですから。

 巨人は、他所からいい選手を連れてくることが多かったのですが、最近は、原監督が、若い人たちをうまく使っていますね。
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さくらさんへ (yamada)
2011-03-05 17:48:52
 どうもありがとうございます。

 通訳に転向した市原さん、ドラの上田さんなど、よくご存知のようで。
 プロ野球を辞めた後の経歴は、さまざまのようですね。
 カープの選手で、後に、お好み焼き店を開いた人、パチンコ店を開いた人、会社員になった人などいます。
 外人選手で、ホプキンズなどは、医学博士をとって、今では大学の先生になっています。
 彼は、試合のない日に、広島大学医学部に行って勉強をしていました。
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皆さん、よくご存じですね! (ほっとひと息)
2011-03-05 22:39:40
野村監督が苦労して這い上がるように人生を切り開いてきた事も
ひまわりに対して月見草と行ったことも知りませんでした。
色んな過去を背負って現在に至った事 良く分かりました。
見る目が変わったかも・・。
有り難うございました。
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ほっとひと息さんへ (yamada)
2011-03-06 09:23:21
 今では、大リーグで、堂々活躍する選手が出てきましたが、ずいぶんレベルが低い時代もありました。
 
 管理野球が徹底して無い頃で、酒を飲んでやってくる選手、遅刻して試合の途中から参加する選手、ヤジに腹をたて観客席に駆け上がり、殴り合いの喧嘩をする選手などエピソードはたくさんあります。

 ノンプロの方が強いのでは、と思える時代で、八幡製鉄にいた大岡虎雄選手など、ノンプロを引退して、プロの大映スターズに37歳で入団して、いきなり26本もホームランを打ちました。
 同じく、八幡製鉄にいた小鶴誠選手は、プロに入って51本もホームランを打ちました。
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