マスイさんとは、大学の中では、学内の電話でよく連絡することはあっても、彼からトシの自宅に電話をしてくることはあまりない。
ある時、夜、マスイさんから電話がかかってきた。ベルが鳴るので受話器を取り上げ、
" Hello, this is 000-7851, Toshi Yamada speaking! " と言うと、
「 ああ、トシ!」と日本語が返ってきた。 マスイさんだった。
「最近会ってないけど、どうしている?」
「別に、元気だし、いつも通りだよ!」
「明日ランチを一緒にどうかなあ?」
急な用事でもあるのかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。
「そうしたいね。明日11時半にマスイさんのオフィスに行ってみようか?」
「そうしてくれる?」
「ところでトシ、シャーロット・サマーフィールドと言う女性を知っているのかね?」
「知っているよ、近所に住んでいるから」
シャーロット・サマーフィールドと言うのは、マディのママのことである。
マスイさんの話によると、数日前ハワイの図書館学会の総会があったらしいのだ。
出席者は、200人ぐらい。
過年度の事業報告、決算発表、新しい年の事業計画、予算審議などがあり、最後に、例年のことながら著名人を招いての講演会があり、それらがすべて終わると立食パーティがあるようなのだ。
いつもだと講演者は、アメリカの大手の出版社の社長、ノーベル賞学者、シェイクスピア学者、大学教授などの著名人が選ばれ招かれる。
ところが今年は、マスイさんが選ばれて講演をしたということである。
マスイさんも有名人である。
彼の著作は、ほとんどが英文で書かれていて日本ではあまり馴染みがないのだが、それでも10冊くらい日本語で、しかも日本の出版社から発刊されている。
難しい研究書がほとんどだが、軽い読み物もある。
終戦後、奨学金を得てアメリカに渡り、苦学しながらの波瀾万丈の冒険談が日本の新聞で連載になった。それをまとめて一冊の本にして出版したりしている。
アメリカの滞在歴が数十年にもおよび、本人に言わせると、日本語を忘れてしまったとかで,日本語で何かを書くことには自信無げだった。
よくトシを呼び出して、「これをちょっと読んでくれないか」とか言って、二人で読み合わせをしながら文章を訂正したりしていた。
大学の東洋図書館長、しかも評議委員もしていて、いわば大学のトップにいる人だった。
奥さんとは、ハーバード大学で知り合って、恋仲になり結婚した。
奥さんの方が先に博士号を取ってしまい、彼は、奥さんにも言ってないそうだが、そのことにずっと負い目を感じていて、5年間は、寝食を忘れて研究に励み、ようやく彼自身も博士号を得ることができたようだ。
奥さんは、著名なお医者さんで、どこにいてもキャリアを積むことができたと思うのだが、彼が転勤するとその都度彼について移動した。
彼と一緒のときは、出しゃばるでもなく控えめで、彼を立てている姿はいじらしいほどだった。
トシと知り合った時は、すでに州立病院の副院長をしていて、人の上に立つ管理職だった。病院では、威厳をもって部下にてきぱき指示を出していたと思うのだが、トシと話すときなど、そんな人には見えず、いつも穏やかで人懐こい人だった。
彼女はアメリカ人だが、マスイさんにはもったいないくらいの美人だった。
マスイさんと初めて出会ったのは、勿論ハワイ大学だったが、後で思い出しても、その出会いは一風変わったものだった。
ジャクソン教授が、トシが資料集めで困っていた時、それでは、「ドクター・マスイに相談したら?私が電話をしてあげるよ!」と言ってくれて、紹介してくれたのが最初だった。
マスイさんのオフィスを探しながら、ようやく見つけて中に入っていった。
「ジャクソン教授の紹介でやって来ました」と言いながら、訪れた目的を話すと、その紳士は快く応対してくれた。
秘書を呼び、トシに手助けするようにと指示してくれたのである。
後でオフィスに帰って、ジャクソン教授に、「ありがとう、おかげで助かった!」と言った時、ハタッと思い当たったのである。
「彼は日本人なのに一度も日本語を話さなかった!」
ジャクソン教授にそのことを言うと、「間違った人のところに行ったのでは?もう一度電話をしてみようか?」ということになったが、果たして、「私のところに彼はまだ来てないよ!」とのことで、トシは別人のところに行っていたのである。
改めてマスイさんのオフィスを訪ねて行き、あいさつをした。今度は、はじめから日本語で話したのである。
別人に会ってしまったいきさつを話すと、彼は声を出して笑った。
図書館学会の立食パーティで、女性が近寄ってきて、
「私はシャーロット・サマーフィールドです。ミスター・ヤマダのことはよく知っています」と言ったようなのだ。
ただマスイさんとトシが近しい友だちだということをどこで知ったのだろう。