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(ウイスコンシン州マディソンの冬景色:前方は州議会議事堂)
パーティには、小さな子供たちやお年寄りもやってくる。
子供たちやお年寄りが、こだわりなく若い人たちと交わりながら、お互い談論したり、笑いあっている風景はいいものである。
年寄りだからと言って、隅っこで遠慮しながら話もしないで佇んでいるいるなどということはない。
子供たちも、大人たちに混じって、フルーツポンチを片手に、自分の意見を披露している。
ウイスコンシン州マディソンに、いつも上品なスーツを着こなしてやって来る紳士とパーティで時々出会っていた。
物知りで話好きの彼の周りにはいつも人が取り囲んでいた。若い人たちも子供も彼の話に加わってワーワー言っていた。
彼は83歳だったが、ビュイックを自分で運転しながらどこにでも行っていた。
会社を経営していたが、今では息子に譲り、特に仕事をしていないようで、悠々自適な生活を楽しんでいたのである。
立ち寄ってきては、コーヒーがおいしいとか言って、1時間、2時間をお話をしながら楽しんで帰っていった。
見た感じ、80代などには見えなくて、せいぜい60代かなあという感じで、若々しかった。
時たま彼が運転する車に乗せてもらうことがあったが、いかにもスムースで余裕の運転だった。
対照的に、ハワイのシュミットさんは、78歳だったが、運転は覚束ない感じで、同乗させてもらっても、大丈夫かなと冷や冷やしていた。
機関銃のような早口で英語をしゃべった。電話がかかってきても、ほとんど彼女が話し続けて、滑舌で、饒舌な、そして元気な人だった。
よく車で迎えに来てくれたが、若い時から、もともと方向音痴だそうで、待ち合わせ場所を決めても、なかなかやってこないことが多かった。道を間違えたり、約束の場所を見つけられなかったりしたのである。
キャディラックでやってきていたが、彼女が運転すると高級車に乗って楽しむ感じがしなかったのである。
アラモアナショッピングセンターには、よく来ていたようなので、ついにはトシのほうがアラモアナまでバスで行くとにした。
会うときは、アラモアナのシロキヤの前ということに決めた。どちらかが先に来た場合、入口で立ちんぼをして待っていたのである。
トシが20分も前に着くことがあって、シロキヤの方向を歩きながら見ていると、彼女はすでに来ていて、一見して待ちくたびれたようにきょろきょろトシの姿を探している風だった。
トシの姿を見つけると、急に明るい顔になって、
" Oh ! Wonderful ! " と言ったりした。
カハラに住んでいた高齢の女性がいた。
最後に会ったのは、彼女が93歳の時だった。
ほんのこの前まで元気でかくしゃくとしていたが、さすがに歩く速度は遅いので、手を取リ体を支えるようにして、彼女のペースに合わせて、話しながら歩いた。
最後にあった時は、もう車椅子に乗っていた。
この人は、もともとは日本人で、生まれは神戸、お嬢さん学校を出て、東京日本橋に代々続く医者の家の次男に嫁いで来た。
医学を学ぶ夫についてアメリカに渡った。
留学後に日本に帰る予定だったが、アメリカの大学に就職口ができて、結局留まってしまった。夫が亡くなってもう20年になります、と言っていた。
アメリカで生まれた子供たちは、当然アメリカ人である。
時々家に招かれて、彼女とは日本語で話をした。前庭のプールは、もうずいぶん前から使われていないようで、水が抜かれ枯草が積もっていた。
ハワイを訪れた時、「あの方は元気だろうか?」と尋ねると、息子さんが引き取ってアメリカの本土のほうに行ってしまったよ、ということだった。
「もう日本語を忘れてしまったわ」と言いながらも、美しい日本語で話していた。