マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Yellow Ribbon " ( 黄色いリボン )

2014-11-19 10:51:47 | グレッグとレベッカ

 

 

 高倉健さんが亡くなった。83歳ということだった。
 普通の人なら80歳にもなると、完全にお爺さんだが、彼には、年寄りの雰囲気がなかった。
 年齢を重ねていても、若いとか年寄りとかに関係なく、一人の人間として大きな存在感があったので、これからも5年、10年と同じように映画に出てくると思っていた。
 彼が出た映画を、かなり前に何本か見た程度で、特にファンであるとかはないのだが、彼の存在の大きさはいつも感じていた。飾らない、自己表現下手で、照れ屋でと言うのはかつての九州男児そのままである。そこからにじみ出るような人の好さがたまらなかった。
 若い人たちから古い世代の人たちまで、彼の好ましい人柄が、われわれ日本人の心に定着していたように思うのだ。
 彼の死去を報じる号外が出たほどだ。

 彼が育ったところは私の町のすぐ近くで、私にとっても日常的に見慣れた風景なのである。
 戦後は、炭鉱で栄えたところで、人々がせわしく動き回っていた。今は見る影もなく活気がなくなっているが、汽車の線路は今もあって、彼が高校に通っていた時と同じように走っている。
 当時は、煙をもうもうと吐きながら走る蒸気機関車で、彼は筑豊線の中間(なかま)から八幡の折尾にある高校まで通っていた。
 もとより現在は、蒸気で走る汽車でなく、電車が走っている。街の様相はかなり変わっているが、彼の母親は、ずっとここに住み続けていた。
 この中間市に、新しい公会堂がオープンした時、同じく中間の出身で、日本シリーズを勝ち取った仰木監督とともにやってきて笑顔で話をしていたのがついこの前のように思い出される。
 母親には、頭が上がらないようで、「母に褒められたくて頑張りました」と言っていた。

 彼を偲ぶテレビのニュースで同窓生などが出てきていたが、皆さん80歳を超えていて、いわば老人である。言い方は悪いが、皆さん如何にも老人らしく見えた。健さんは、同じ世代だとどうしても思えないのである。年齢を超えてというか、彼が持つ不滅のイメージを、我々は持ってしまっているのだろうか。
 彼はいつも若々しく、背筋もちゃんと張っていて、老いを感じさせるものがない。80歳を過ぎて、背伸びするわけでもなく、地のままで役を演じられるというのは素晴らしいことだ。

 アメリカにいた時、「リーダースダイジェスト」( Readers Digest ) を読んでいた時、おそらく原題は、「 Going Home 」だったと思うが、それを偶々読んだ。
 実は、この「ゴーイングホーム」が、「幸せの黄色いハンカチ」になって山田洋二監督が映画化したものである。
 アメリカの実話で、任期を終えて刑務所を出ることになった男が、妻のいる実家に手紙を書いた。返事はいらない、もし自分を受け入れたくないようなら、家に帰らなつもりだ。もし受け入れてもらえるなら、家に帰って更生して、家族のために一生懸命は働きたい。
 一度故郷に帰るから、許してもらえるようなら、家の郵便ボックスに黄色いリボンをつけておいてくれないだろうか。リボンがなければ、自分は家の前を通り過ぎてどこかに行くつもりだ、と書いた。
 いよいよ出所になり、その日実家に向けてバスに乗った。バスの中は、休暇を過ごしにフロリダに向かう若者たちでにぎわっていた。彼はひとりぽつねんと浮かぬ顔で窓の外を眺めていた。
 若者たちは、その彼に元気を出してはしゃぐように仕向けてきたが、依然浮かぬ顔をして黙りこくしていた。
 隣に座っていた若者が話しかけてきた。彼はようやく自分の事情をぽつりぽつりと話し始めていた。
 その話が若者たち全員に伝わり、運転手も知ってしまった。みんなで応援をしようと彼らは、もはや真剣な表情に変わっていた。
 家の前をバスが通過するとき、運転手は、速度を落とした。乗客全員が息を飲むように静かになった。見えた!郵便ポストに紛れもなく黄色いリボンが飾られたいたのである。みんながわがことのように喜びの歓声を上げた・・・・と言うのが筋だったと思う。

 健さんの死に際も、彼らしいというか周りの人たちをやきもくさせる間もなく、ァッと言う間に消えていった。
 私ごとになるが、自分も以前から周りに迷惑をかけないで、消えていきたいと願っている。
 自分の墓はすでに本家の墓所にあって、いつでも入れるようになっているが、前からハワイに骨を埋めたいと思っているのだ。
 カネオヘの平等院( byodoin-Temple )の官長さんと話をしていて、冗談ともなく、死んだらここに埋めてもらえますかと訊いたら、いいですよと答えが返ってきたのである。本気にしてしまいそうだ。

 

 


" Wedding " ( 結婚式 )

2014-11-12 10:06:27 | グレッグとレベッカ

 

(11)

 

 

  結婚式は、グレッグが小さい時から通っていたメイコンの教会で行なわれた。
 グレッグは、数か月前には全く予想だにしなかったこのような結婚式を目の前にして感慨無量だった。
 レベッカとの出会いは唐突で思いがけないもので、それが結婚まで至るとは青天の霹靂で、あれよあれよいう間に事が進んでいったのである。
 結婚式はごく内内のものだったが、披露宴にはたくさんの人たちがやって来た。
 地元メイコンやアトランタからからもやってきた。野外の立食パーティだったが、人であふれ、だれが誰だかわからないほどだった。ヨーロッパに留学中の妹もこのために帰ってきた。みんなが笑顔で会話をしていた。
 人々は、グレッグとレベッカの出会いに興味を持っていたようで、そのことをパーティのあちこちで話題にしていた。
 あからさまにそのことを当人たちに聞いてくる人もいて、しかしグレッグにしても、どうしてこのようになったのだろうといまだに信じられない気でいた。
 レベッカに出会ったのも、神の思し召しとしか言い様がなかったのである。

 区長からは、祝電が来た。
 グレッグは、将来の生活をもう決めていた。レバッカと結婚して島に行くこと、島の診療所で働くことはすでに決めていて、区長にそのことを伝えていた。
 長い間、過疎の地で、無医村だった島にお医者さんがやってくるというので、いち早くそのニュースが飛び交い人々は沸いていた。
 区長の尽力で医者を招請できたことで、区長自身鼻高々になったのはもちろん島の人たちも喜んでいて、このたびの区長の働きを、村の人たちは評価した。

 グレッグは、1週のうちの月曜日、木曜日、土曜日の3日島の診療所で働き、残りの火曜日、水曜日、金曜日は、近くの都市の総合病院で勤めることになった。
 住む家についても、区長が適当なところを見つけてくれると言うことだったが、レベッカと話し合って、自分たちで見つけることにした。
 すでに不動産屋を渡り歩いていて、めぼしい別荘の空き家を見つけていた。
 身分不相応な車ポルシェを売ることにした。別にそのような高級車が必要なわけがなかったのである。
  "  He sold Porsche and could buy a house ・・・・ " ( ポルシェを売れば、家を買うことができた・・・・)
 ポルシェがどれくらい高い車かはわからないが、家を買えるぐらいだから、かなりの値打ちであることは確かだ。
 その間も、区長からは絶え間なく連絡が来ていた。彼は、グレッグを島の医者として招請するのに命をかけているぐらい張り切っていたのである。
 もともと島の収入源は漁業だった。しかしかつてのようには漁業は盛んでなく、むしろ別荘地が開発されてからは、シーズンによって訪れる人々で賑わっていた。夏のシーズンなど、島の人口は何倍にも膨れ上がった。
 島の人口に占める高齢者の比率が高くなっていて、必然的にと言うか、高齢者が病に倒れることもあって、対応に困っていたのである。
 またシーズン中別荘に来ていた人たちで、海岸で事故にあう人たちも多く、医者を確保することが緊急の課題だったのである。
 以前診療所に勤めていた医者は、高齢で、引退して故郷に帰ってしまっていた。
 グレッグのような生きのいい若者の、しかも願ってもない優秀なキャリアを持つ医者が来てくれることは、区長もそうだが、島の人たちにとってもありがたいことだったのである。

 

 


" I wanna sell my 'Porsche' "

2014-10-26 09:52:28 | グレッグとレベッカ

 

(10)

( ポルシェの販売店 ) 

 メインにいるレベッカとニューヨークにいるグレッが自由に会える機会はそんなに多くなかった。
 お互い仕事があり、特にグレッグは、職業柄やたらに忙しく、週末でも休めない日が多いのである。
 それでも週末を利用して、メインとニューヨークの中間点のマンチェスターの町でデートをするようになってからもう2か月が過ぎていた。
 心からの愛をお互い確かめながら、日時は過ぎていった。
 夜電話で話すこともあったが、レベッカの場合、わざわざタイプでなく手書きの手紙を書いてよこした。かつてのアメリカの良き時代に、人々が書いていたような格調高い筆の使い方だった。児童文学者だけあって、手紙は、詩のように韻を含んで心に響いてきた。

 逐一レベッカのことは故郷の母には伝えていた。「一度一緒にジョージアに帰って来なさいよ!」と母から言われて、仕事の都合をつけ、思い切って休暇をとりレベッカを連れて行った。
 レベッカは、メインから飛行機で直接アトランタまで、グレッグは、ニューヨークのラガーディア空港から飛行機に乗った。
 アトランタ空港で待ち合わせの約束で、二人は空港のロビーで会うことができた。空港まで母親が車で迎えに来てくれた。何か月ぶりだろう母親に会った。いつもの笑顔で、体いっぱいのしぐさでハグしてきたのである。
 
 父母は、アトランタの病院で医者をしている兄も呼び寄せ、家族でささやかな夕食会をしてくれた。
 もちろん冗談だが、あれほど「ヤンキー娘と結婚するのではないよ!」と言っていた母だが、レベッカを見るなり大喜びで、すっかり気に入ったようなのだ。
 いかにも知的で、上品で、その上美人ときていた。
 母は、お喋りだが、レベッカも話し上手聞き上手で、母の話に耳を傾ける様子は以前からの知り合いのようだった。
 母とレバッカは、話が合うようで、家のどこかに場所を変えながら二人は話し込んでいた。
 母は、自分の家の家系は、医者ばかりで、およそ文学を解したり、絵画を愛でたりする人がいないと、しみじみ言ったものだ。
 その点、レバッカは、別世界から来た人のようだった。文学に造詣が深く、すでに文学作品も世に著わしていて、自ら詩を書いたりもする、そのような彼女と話ができる母は、いかにも幸せだという顔をしていたのである。

 「あの娘は気立てのいい子だわね!」と母は言った。
 以前、グレッグは、同じ医者を志す女性と付き合っていた。
 母も、この子が我が家に嫁に来てくれる人だと信じていたようだったのである。しかし、お互いが就職した場所が離れすぎていて、遠距離恋愛になり、そうこうするうちに少しづつだが、心が離れ、遠ざかっていった。
 そのことについては、その後、母も話題にすることがなくなっていた。

 

 


" Date with Rebecca " ( レベッカとデート )

2014-10-07 10:29:08 | グレッグとレベッカ

 

(9)

 

 

                                           

 

 グレッグはニューヨークに帰って来た。
 あの島で過ごしたことがまるで夢のように思い出された。映画を見るようで、その主人公が自分だと思えなかったのである。
 ニューヨークでは、毎日が忙しかった。
 以前と同じように毎日がせわしなく過ぎていったのである。急に現実に連れ戻された感じで、グレッグは戸惑っていた。
 レベッカのことを想った。彼女のちょっとした仕草やさり気なく交わした言葉などが、懐かしさをもって脳裏に浮かんできた。
 一日の仕事を終えて家路につくときなど、いつものようにデリカテッセンで夕食の材料を買ったり、コーヒーショップや「イーツ」( Eats )と言う食堂で食事をしていても、いかにも味気なった。レベッカとレストランでワインを飲み、港の風景を見ながら食事をし、楽しく会話を楽しむ自分を想像した。
 
 それでも、毎日の仕事は切りがないほどやってきた。
 朝の9時になると、予約の患者が次々に訪れた。毎日のこととはいえ、いつもスムースに仕事が捗るというわけではなかったのである。
 患者は、いつもわがままで、得手勝手である。不必要に自分の病状を細々解説するひと、訳のわからない要求をしてくる人、この薬を処方してくださいと薬だけを要求する人など、それらの人たちに対応するのはいつものことながら辟易した。

 それでもレベッカとの交信は何らかの形で続いていた。会えないだけ、むしろお互いの気持ちは深まっていくようだった。
 おそらく彼女は、エミリー・ディキンソンの詩を読んだことはなかったと思うが、自分の気持ちをディキンソンの詩に託して送ってきた。

 "  I held a jewel in my fingers
      And went to sleep.
      The day was warm and winds were prosy.
      I said: '''T will keep''
  ( 私は宝石を手に持ち、眠りについた。
    その日は温かく風は穏やかだった。
    ’これを手放さないわ’と私は言った。 )

 週末、以前だと自分から病院に出かけて、雑務を処理したり、研究したり、別の医者に代わって自ら勤務をすることもあったが、今では、できるだけレベッカのことを優先して考えたい気持ちだった。
 メインとニューヨークの中間あたりにあるマンチェスターで彼女と会うことができた。
 レベッカも、車を運転してグレッグに会うため、マンチェスターまだやってきた。
 ふたりは週末のデートを楽しんだ。手をつないで街をぶらぶら歩くだけでも、グレッグにとって、この上ない喜びだったのである。
 
 レベッカがグレッグに会いに行くことを知ると、区長は、グレッグ宛ての手紙と書類をレベッカに託した。
 まるでもうグレッグが、島の住人になるのを予定しているかのように、区長は将来の計画を進めているようだった。 

 

 

 


" Should the play prove piercing earnest " (心が痛むほどの熱意が必要だとわかれば)

2014-09-20 07:52:09 | グレッグとレベッカ

 

(8)

 

 

 グレッグにとって、島での日一日が貴重で人生で最も充実した瞬間だったが、ニューヨークに帰る日が近づくにつれて不安な気持ちになっていた。
 心の中がせわしなく揺れ動くのを感じていた。このままレベッカと別れて去ってしまえば、これきりになって、もう会えなくなるのではないだろうかと心配だった。
 ニューヨークに帰りお互いが離れてしまえば、レベッカに自分の真摯な気持ちをどのようにして伝えたらいいのかなど不安だった。
 今では毎日でも会いたいという気持ちではやるが、ニューヨークとメインの間は、かなりの距離である。
 週末になんとか時間を作って、ポルシェを飛ばせば、中間の途中の町まで来ることができるかもしれない。その場合レベッカにも車で待ち合わせ場所まで来てもらえるだろうかなどと思いを巡らせていた。
 エミリー・ディキンソンが言うように、この恋愛に、"  Shoud the play prove piercing earnest  " ( 心が痛むほどの熱意が必要だとわかれば )喜んで、その熱意を差し出す気持ちだった。
 何度かの夕食を共にし後で、おそらく食前酒のせいかもしれないが、別れ際で咄嗟に口づけをした。レベッカは、驚いた様子だったが、むしろこのことを待っていたように、グレッグにしがみついてきた。

  そうこうしている間も、レベッカには、毎日の仕事があるため、勤務後の夕方がデートの時間だった。
 グレッグは、この島から出ていく予定が、もはやない以上時間を持て余し、ついレベッカのいる図書館に足が向いた。利用者がいないときには、短い時間だが、コーヒーを沸かして飲むこともあったのである。
 区役所の前に派手なポルシェが止まっているのを、何処でかぎつけるのか、グレッグが来ていることを察知して、区長が顔を出してきた。
 彼には、「大きな仕事があり」、つまりグレッグを何としてでも島の診療所の医者として雇いたいという任務にまい進する覚悟だった。
 まさかだが、新しい診療所の図面ができていて、区長は、それをデスクに広げて、グレッグに町の医療体制について熱心に説明していた。
 グレッグも、この島でレベッカと所帯を持ち、診療所で、患者を迎え入れ、往診している自分の姿を想像していたのである。

 我々日本人は、生まれた故郷にしがみつき、そこから出ようとしない、一度就職すれば、定年になるまでそこにいようとする、家庭よりも何よりも仕事優先で働きづめで、暇な時間がなく奥さんを連れて旅行に出ることもないというのが国民性のようだった。
 アメリカ人は、ある本に " mobile people "(動き回るのが好き)な国民だと書かれているように、動くことを好む国民である。
 一つには、休暇をとってよく旅をする、もう一つには、家を変わる、つまり引越しをよくするのだ。さらには、仕事を簡単に変わる。上昇志向が強くて、賃金のいいところ、地位が高いところに流れていく傾向がある。
 グレッグも例外ではない筈だ。ニューヨークの仕事を辞めてもいいという必然性があれば、やめるだろう。