モーティマ教授は86歳である。
動作はさすがに機敏と言うわけには行かない。歩くときもゆっくり、声をかけても、しばらくしてこちらを振り向く感じで、いたってのんびりして見える。
彼は、終身教授の資格を持っていて、大学には毎日通ってくるが、給料はもらっていない。もう講義をしたり、大学院生たちを指導したりはしていない。それでも研究室の机に向かって研究書を読んだり論文を書いたりしている。彼の傍らには、いつも車椅子に乗った奥さんがいる。
彼はもともとアメリカ人ではない。生まれはイギリスで、オックスフォード大学で博士号をとり、イギリスの大学で教えていた。
いつの日かアメリカの大学から招請を受けて、この地にやってきた。おそらく東部のどこかの大学だろう。
ハワイに来てからもうずいぶん経つようだ。奥さんが病気なので、それが理由かどうかは聞いていないが、「ハワイは気候がいいので!」と言っていた。
奥さんは、イギリス人なのかアメリカ人なのかは知らない。問題はその奥さんで、長い間病気である。
全身がマヒしていて、自分では全く動くことができない。言葉も発することが出来なくて、顔は無表情である。彼女の面倒はすべて教授が看ているのである。
大学のキャンパスにはいくつかの市バスのルートがある。
そのバスで、毎朝教授は、奥さんを車いすに乗せてやってくる。
ハワイの市バス( The Bus )は、便利がいい。ホノルルのどこにでも行きたいところに行ける。それに年寄りや障碍者が利用しやすいようにできている。年寄りが乗りやすいように kneeling down (跪く)と言って車体を下げてくれる。どのバスにも lift (リフト)が付いていて、車いすを持ち上げてくれる。全米で最も利用しやすいバスと言うことで高い評価を受けているのである。
モーティマ教授は毎日奥さんの車椅子とともに市バスでやってくる。
大学の配慮で、バス停から研究室まで、ほぼバリアフリーの道になっていて、弱々しい彼の力でも、車いすを押して歩くことができる。時に、近くを歩いている学生が、教授と一緒に車椅子を押しながら手伝いをする光景を見かける。
日曜日には、決まって教授はダウンタウンにあるパンケーキ屋にやってくる。
このパンケーキ屋は、ハワイに来た当初から奥さんのお気に入りのレストランだということだ。
近くのバス停を降りて、車いすを押しながらパンケーキ屋に向かう教授を見かけることがある。あるいは、店頭の列に並んだ彼らに会うこともある。
日曜日は、このパンケーキ屋にはいつも列が出来ている。人気の店でトシも気に入っていて、よく通っていた。教授、奥さんと相席したこともある。
パンケーキにシロップや蜂蜜をかけ細切れにして、教授がスプーンに掬い、奥さんの口元に運んでいる。
本当に少しづつ小さな口でかみしめるように食べている。まどろっかしいが、教授は、辛抱強く奥さんが食べるのを手伝っている。教授が紙ナプキンを取りに席を離れると、不安そうに眼で彼の姿を追いかけている。
教授自身がかなり高齢で、はた目にもよぼよぼした感じなのに、奥さんのためにひたすら尽くしているのを見ると痛々しい感じがするのである。もし教授が倒れるようなことがあったらどうするのだろうと心配してしまう。