(2)
サンクスギビングデイには、モナはママと一緒にやってきた。
お昼過ぎだったろうか、家の前のアプローチに車が止まる音が聞こえたので、出てみると、二人は大きな声で、
" Hello! How are you, Papa San ? " と声をかけてきた。
いつものように元気いっぱいの声である。
" You know, we have a turkey with us."(七面鳥を持って来たよ!)と言った。
車のトランクを開けると、大きな発砲スチロールの箱が見えた。
重そうだったので、
" I can carry that into house ." と言って、手伝って台所まで運び上げた。
既に先客がいて、会話をしたりコーヒーを飲んでいたが、その人たちと、大きな身振りで挨拶したり、次々にハグしたりしていた。
早速、モナがターキーの準備に取り掛かった。
発泡スチロールのふたを開けると、みんなが覗き込んで、「ウオー!」とか、声を出した。
天盤にのせて、持ってきたタレをまんべんなく全体に塗り、それをオーブンにセットした。
まだ、パーティが始まるまで、かなり時間があったので、2,3時間前に加熱を始めるということだった。
昼過ぎであるにもかかわらず、既に数人の女性が来ていて、飲み物やクッキーなどを口にしながら、お話をしていたのである。
それぞれの人が、家からケーキとか自ら作った料理を携えてくるのが習わしのようで、テーブルには、すでに色とりどりの料理が並んでいた。
後からやってきた人たちは、並べられた料理の皿を見て、
「これ、おいしそう!誰が持ってきたの?」とか言いながら会話を始める。
「どんな風に作るの?」とか、尋ね合ったりして,ひとしきり、料理についての講釈が続く。
女性たちは、他の人が持ってきた料理に興味があるみたいで、味見したり、作り方を尋ねたり、それをメモする人もいる。
夕方近くに、やって来る人たちもいるので、更に料理の皿が増え、あらかじめ用意しているカウンターのスペースは、いっぱいになりそうだ。
「トシのチラシ寿司の置き場を確保しなくては、場所がなくなってしまうよ!」と言う人もいた。
「今日は、ママが運転するので、飲んでもいいことになっているの」とモナが言った。
「地下室にビールを取りに行くけど、パパさんも飲む?」
「何がいい?」
「ミケロブビールがあれば、お願い!なければ何でもいいよ」
「わかった!」と言って、地下の方に行った。
まだ、パーティは、はじまってもいないのに、飲んでもいいのかなあと思ったが、一本ぐらいいいだろう。
モナとママは、オーブンに点火するだけというところまで、あらかじめの準備が終わっていて、早速、ビールのボトルを片手にみんなとの会話に加わっていった。
それぞれの場所で、そこで交わされる話に、ごく自然に溶け込んでいくモナを見ていると、彼女に何か特異な才能があるのかなと思ってしまう。
ママは、自分のことを、”Kansaijin” (関西人)で、” talkative” (おしゃべり)で、”always speaking in a loud voice" (何時も大きな声で話す)と表現していたが、モナも、なんとなく、その雰囲気がある。
モナは、アメリカ人であるが、そして長い間日本で育っていたはずだが、日本的なことがまるでないのである。
モナは、アメリカ人の典型で、アメリカ人より、もっとアメリカ人らしいといつも思う。
この日、モナとママが来たときは、すでに数人のお客が来ていたし、中には、モナにとって初対面の人もいた。
その人たちに対しても、まるで以前からの馴染みの友達であるかのように、当たり前のように会話に溶け込むのを見ていて、到底真似ができないなあと思ってしまうのである。
一般的に言って、アメリカ人は、陽気で、開けっぴろげ、ユーモアがあり、拘りがなく打ち溶けやすいように思える。
トシの周りにいた人たちがそうであった。小さな子どもたちも、いかにもこだわりがなく、身近に感じるのである。
ハワイのシュガープランテーションで、初めてマディやクリスティに会ったとき、全く知らないトシに、
「おじさん、写真を撮ってもらえませんか?」と、話しかけてきたのを覚えている。
彼女らが小学一年生の時である。
マディ、クリスティ、それにアンがいた。
3人とも、青い目をくりくりさせて、人形のように可愛い顔立ちだった。
マディが、ほかの二人に代わって自己紹介した。
「わたしマディよ!こちらは、クリスティとアンと言うのよ!」
「ぼくは、ヤマダです!」と、どういうわけか名字の方を言ってしまったが、どちらかというと、トシの方が緊張していたと思う。
マディは、大人であるトシに対しても、怖がるふうでもなく、この上なく明るく、堂々としていたのを覚えている。
全体がそうであるとは言わないまでも、アメリカ人は、こちらが怖気づいていても、なんとか取りこんでくれる気安さ、庶民性と言うか、彼らには、そんな気質みたいなものがある。