マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

シイタケマッシュルームスープ

2010-09-17 18:09:19 | 日記

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 まず、バケットに入ったパンが、テーブルに置かれた。
 パンをちぎって食べながら、シャンパンを飲んだが、パンのおいしさは格別で、いくらでも食べたくなったが、後の食事にさし障ると思い控えてしまった。

 次に、スープが出てきた。
 「シイタケマッシュルームのスープ」ということだった。
 白いクリーム状のスープだったが、シイタケの匂いがして、上品な味だった。ちょっと青い粉末が散らばっていて、京都で、いつか食べた精進料理の香りだった。
 思わず日本のお寺を頭に描いてしまうほど、日本的な味だった。 後で訊いてみると、「ジャパニーズパセリ」が入っているということだったが、一体、ジャパニーズパセリとは、何のことか、わからないままだった。紫蘇かなあ、という感じでもあるし、山椒かなあ、という気もした。

 アぺタイザーは、生ハムとほうれん草のキーシュ、これもおいしかった。
 アントレーは、「オナガとホタテのバター焼」のようだった。
 オナガというのは、ハワイ近海で取れるタイのことで、両面を、こんがりソテーしたもので、バターの程よい風味と、タレは、日本の蒲焼き風の味だった。
 さらには、大振りのホタテのバター焼きが添えられていて、上品な盛り付けである。ホタテは、ずいぶん大きく、ふんわりとソテーされていて、口触りは、心地よい感じだった。
 サラダは、ハワイの新鮮な野菜に、チーズや果物のシードが添えられたもので、ドレッシングは、何かわからないまま、これも美味しかった。
 デザートは、いろいろなハワイ産の果物とシャーベットのアイスクリームだったが、これも絶品だった。

 気がつかないうちに、時間も経過していて、話も弾み、楽しいひとときだったのである。
 あまり、このような高級な食事をしてなかったので、久しぶりに堪能した気持ちになってしまった。
 
 食事の途中、シェフが挨拶に出てきた。
 料理について尋ねられると、一つ一つ丁寧に答えていた。
  トシには、片言の日本語を交えながら、話しかけてきた。
 「どこで、日本語を覚えたのですか?」と聞くと、ハワイのホテルにいた時、日本人のお客さんに、厨房から出て行って、挨拶をしたり、料理の内容を説明していたということで、なんとなしに、日本語を覚えてしまった、というようなことを言っていた。

 気になっていたことを尋ねてみた。
 「パシフィックリムクイジンというのは、どんな料理なんですか?」に対して、
 「アジアの国々の伝統的な料理、料理法、香辛料、スパイスなどを使って、フレンチ風な料理を作ることです」
 「さらには、この料理法を、ハワイのオリジナリティとして、作りあげる、というのが、私たちの目指すところです」というような答えが、返ってきたのである。
 今まで、漠然としか理解していなかったが、なんとなく、わかってきた感じだった。

 帰りに、会計をを済ませようとしたら、結局、請求額の、ほぼ半額を返してくれた。
 我々を将来の顧客として確保したいのだろうと思ったが、トシに関しては、残念ながら、その後、一度も訪れる機会がないのである。

 場所的には、ブライスデールに近いところにある。
 いい音楽を聴いた後、仲間と連れ立って、ここに来て、ワインでも飲みながら、音楽の興奮を語り合う、正に「アフター・ショー・ディナー」に相応しいところである。

 

 


ブライスデール近くのレストラン

2010-09-15 15:50:00 | 日記

                      (16)

 新しく開店したレストランから仰々しいい案内状がきた。
 と言っても、トシところに来たわけでなく、友だちのところに来たのである。
 「知り合いの人たちを誘ってご来店ください!」というものだった。
 という訳で、その友だちから、
 「一緒に行きませんか?」と誘いを受けたという次第なのだ。
 トシは、そのレストランのシェフと面識はない。
 案内状をもらった友だちが、このレストランのシェフの母親と友達だということである 
 というようなことで、その友だちは、あちこちに声をかけ、このレストランの宣伝に一役買っていたのだろう。
 
 案内状を見せてもらったが、ハワイの若いシェフ仲間と「パシフィックリム料理プロジェクト」に参加して、かねてより腕を磨いてきたこと、この新しい料理を、このたび自分のレストランでお客さんに提供できるのは、うれしい、みたいなことが書かれていた。

 シェフの略歴が付け加えられていた。
 コミュニティカレッジで料理を学んだ後、ハワイのホテルのレストランに就職した。そこで、フレンチの料理法を学んだ。
 数年後、同級生で、サンフランシスコのフレンチレストランに就職した友達に誘われて、彼の地に渡る。
 そこでは、料理だけでなく、接客法など、いろいろなことを学んだようである。
 再度、ハワイに帰り、高名なレストランで働く機会を得た。
 いずれは、自分の店を持つことが念願だった。このたび、このことが実現の運びになり、満足している、というようなことが書かれていた。

 こちらは、誘われるままに、
 「では、参ります」と返事をしてしまった。
 日時が決まり、場所の案内がファックスで送られてきた。
 場所は、トシのアパートからそんなに遠いところではなかった。
 ブライスデールの音楽堂の近くで、地図を見て、すぐその位置を確認できた。歩いて行くことができる距離で、このあたりの様子など、以前から馴染みのところだったのである。
  開店したレストランは、個人のお医者さんが集まって病院を開いているところで、「ドクタ-・スミス」とか「ドクター・ノートン」とかの表札が並んでいる、所謂「メディカル・コンプレックス」の一角のようだった。
 地図を見たとき、ハテ?ここは、確か病院のはずだがと思ってしまった。

 当日、指定された時間に、一人で、歩いてレストランに行った。
 公園に向かう角地で、一段高いところにあり、外の道に面しては、木々が茂る庭が広がっていた。
 入り口のドアーは、何の変哲もなく、普通の民家のようであった。庭には、丸いテーブルが、並んでいるのが外から見えた。
 いくつかのテーブルには、すでにお客さんたちが座っていて、ウエイトレスのような人が、サービスをしているのも見えた。
 今まで何度も、このあたりを歩いたはずだが、以前は病院だったところである。
 売りに出された跡地を改装して、レストランにしたのだろうか。

 友だちがかき集めたのだろう人たちが、一人、あるいは、連れ立ってやってきた。結局10人ぐらいにもなったのである。
 お互い、
 「やあ!」
 「どうも!」とか挨拶を交わしていたが、トシが知っている人は、半分くらいで、新しく知り合った人たちには、紹介してもらって、初対面の挨拶を交わした。

 着席したところで、シェフのお母さんが挨拶に来て、大袈裟なゼスチャーで、
 「来てくださって、ありがとうございます!」と言っていた。
 直ぐに、店からの「treat」ということで、シャンパングラスが配られた。
 みんなで乾杯をして食事が始まった。

 今日は、予め、「シェフにお任せ」ということで、注文を済ませていたのである。
 最初に、かごに入ったパン、バターが出た。
 スープから、サラダ、前菜、アントレ、ハワイの果物とシャーベットのデザート、コーヒーに至るまで、かなり本格的だった。
 この「パシフィックリム」は、どう見ても、フランス料理の感じだが、どう違うのだろう?
 周りの人たちを見ると、皆さん正装のようで、トシも、幾分、「Formal Attire」でやって来て、よかったと思ったのである。

 

 

 


「ハワイカイ」(Hawaiikai)

2010-09-13 16:57:34 | 日記

                    (15)

 「パシフィックリムクイジン」 (Pacific Rim Cuisine) という言葉を初めて聞いたのは、あるテレビの番組を、偶々見ている時だった。
 対談の番組で、出演していたのは、サム・チョイ (Sam・Choy) という人だった。
 近年、ハワイに台頭した、ハワイらしい、新手の創作料理について彼は熱っぽく語っていたのである。
 それは、いわゆる旧来の伝統的なハワイ料理ではなく、ベースは飽くまで、フレンチであったりイタリアンであるとのことだった。
 ハワイは、周りは海で、新鮮な魚介類の宝庫であるし、野菜も契約農家から毎朝新鮮なものを届けてもらえる、それらを使って、ありきたりのものでなく、全く新しい手法で、何か料理法を生み出すことができないかというの発端であったようだ。
 
 その時は、そんなに関心をもったわけではない。
 後日、「ホノルル・スター・ブリテン」 ( Honolulu Star・Bulletin) に特集記事が載った。
 それを読んで、「パシフィックリムクイジン」が、何なのかを、初めて、分かってきた気がしたのである。
 「パイフィック」は、太平洋のことで、「リム」というのは、それを取り巻く「縁」で、「クイジン」は、料理のことだから、意味としては、「環太平洋料理」とでもなるだろうか。
 太平洋を取り巻く国々の料理から、何かを取り入れ、学びながら、それらとは、まったく違った、個性的で新しい料理を生み出すのが、これらの人たちが目指す目的のようだった。
 話を聞いた限りでは、「無国籍料理」あるいは、「多国籍料理」とか、「エスニック料理」とも聞こえるが、ハワイの若いシェフには、飽くまでも「ハワイの新しい料理法」のようだった。
 これらのグループの中には、後に有名になったロイ・ヤマグチ、アラン・ウオン、サム・チョイやその他の新進気鋭な人たちがいたのである。

 「パシフィックリムクイジン」が、アメリカの雑誌などで記事になったり、特集で紹介されてきたのは、1990年代に入ってからである。 アメリカの料理研究家なども、驚きの目を持って見たのだろうか。
 たんに紹介されるだけでなく、立て続けに賞を与えられていて、その中には、アメリカでも最も権威のある賞なども含まれているのである。
 パシフィックリムは、ハワイで生まれたと一般に言われているが、どうも、その起源は、ロスアンジェルスではないかと言うことである。
 1980年代に、ロスのフレンチレストランで働いていた若いシェフ達が、旧来の伝統的で、画一的な料理法には、何かしら違和感を感じていた。
 当時丁度、健康指向の料理が叫ばれていたのに呼応して、ロスでしか味わえないないかを追い求めていた。
 セレブな人たちは、低カロリーで、しかもおいしく健康にいい食べ物を求めていたのである。
 ロスは、太平洋に近接していて、魚介類が豊富である。その日に獲れた新鮮な「キャッチ・オブ・ザ・デイ」 (Catch of the Day)に拘ったのである。
 何が獲れるかわからない以上、当日にならないとメニューが決まらない、従って、値段も「時価」ということだ。
 メニューは毎日違ってきて、お客さんも、来てみなければ、その日のおすすめ料理が、何なのかわからなかったのである。
 料理法が、斬新であるばかりでなく、おいしくて、なお料金も、りーゾナブルであったために、多くの顧客を惹きつけたのである。

 ハワイでも、1990年代に入って「パシフィックリムクイジン」が生まれた。
 この料理は、ハワイでしか味わうことが出来ない、独創的な料理であることを標榜したのである。
 このプロジェクト、あるいはムーブメントに、志を同じくする人たち、特に若いシェフたちが参加した。
 共通するコンセプトは、ハワイ近海で採れる新鮮な魚介類を使う、契約農家から、その日に野菜を仕入れ、しかも、有機野菜に拘る、旧来のフレンチやイタリアンにない独創性を目指す、アジアの国々の伝統ある料理法を取り入れる、オリジナリティを大切にする、などであった。

 最初に旗を振ったのが、どうも、ロイ・ヤマグチのようである。
 ロイ・ヤマグチは、日本で生まれている。父親は、マウイ生まれのアメリカ人で、母親は、沖縄の出身である。
 若くして、彼は、ニューヨークの料理学校に入る。
 ここで、高度のフレンチの手法を学んだようである。
 後に、LAやサンタモニカの高名なフレンチレストランで働き、修行をする。
 1988年に、ハワイに戻り、ハワイカイに自分の店を出す。
 ハワイカイというのは、ワイキキから、ちょっと離れたところにある。
 東の方に向かって、車で2,30分くらいのところにあるが、朝夕は、道路が混雑するので、もっと掛かるかもしれない。
 途中、山が海に向かってせり出したところがあって、一本道しかないため、この辺りが渋滞するのである。
 ハワイカイは海辺の住宅地で、大きなショッピングセンターなどもある。
 入り江にヨットを持った人たちが、自宅まで入って来れるヨットなどを係留している。

 

 


「タロイモ」

2010-09-10 16:29:16 | 日記

                     (14)

 「タロイモ」は、ハワイの人たちには、昔からの主食であった。
 元々は、暖かい地方の農作物のようで、ハワイを含めて、ポリネシア、サモア、それから東南アジアでも栽培されてきた。
 ハワイでは、1500年ぐらい前にタロイモの栽培が始まったと言われている。その後、主要な食べ物として定着したようである。
 聞くところによると、タロイモの種類は、80種類くらいもあると言う。

 今では、ハワイ人は、タロイモを主食にしているわけではないが、山間部に行くと、丁度、日本の水田のような棚田があって、タロイモが、昔のように栽培されているのである。
 スーパーに行けば、タロイモ、そのものも売られているし、タロイモを使った加工食品もたくさん売られている。
 日本のサトイモに似ていて、茎とか葉っぱをみると、まさに「サトイモ」かなあと思えるほどに同じような形をしている。
 食べ方としては、そのものを蒸かして、味付けすればいいし、伝統的な、よく知られた食べ方は、「ポイ」である。
 タロイモを蒸して、すりつぶし、2-3日かけて発酵させると、柔らかく、粘り気のある、ペースト状になる。
 これを昔は、手ですくって食べたようだ。
 味は、淡白で、余分な栄養がない分、健康にもいいようだし、胃腸にやさしいといわれている。
 近年認められたのは、赤ちゃんの離乳食として最適だ、として広く知れ渡ってきた。

 タロイモが、どんなところで栽培されているのか、生育の過程、加工の仕方、食べ方などは、言ってみれば、ハワイの伝統文化、そのものである。
 これを正しく、後世に残そうとする運動があり、小学校などでは、実際に、タロイモの畑を所有して児童に、種蒔きから、育て方、収穫に至る過程を体験させ教えたりしている。

 観光客は、あまり気付かないと思うが、スーパーに行くと、タロイモを使った食品がいろいろ売られている。
 パン、ケーキ、チップス、あるいは、アイスクリームまで多様に活用されているのである。
 ハワイの伝統料理を、どこで食べることができるかというと、「ポリネシア・カルチュラル・センター」でも、たしか、ツアーの食事に組み込まれていたように覚えている。
 大きなホテルのレストランに行けば、「ハワイの伝統料理」がメニューの中にあったりする。

 お勧めしたいのは、やはり、「オノ・ハワイアン・フッド」( Ono Hawaiian Food)である。
 この「オノ」というのは、「小野さん」のオノでなく、ハワイ語で「おいしい」という意味のようである。
 歩きなれたカパフル通りを、ワイキキから北に向かい、トーマスジェファーソン小学校、アラワイゴルコースを過ぎた辺りから、小さなレストランが連なってくる。
 この辺りは、もっぱらローカルの人たちの「御用達」といった感じで、観光客が訪れるところではない。きらびやかなレストランはないのである。
 
 「オノ」は、他のこじんまりしたレストランと同じように、特に目立つふうでもなく、地味な佇まいなのである。
 店は、小さく、すぐに来客で一杯になるし、夕食時になると、外の歩道に順番を待つ行列ができる。
 地元の人というより、おそらく、観光客だろうと思われる人たちが、どこからともなくやって来るのである。何かの情報誌で調べてくるのだろうか。

 うまく席を確保できたにしても、ハワイ料理に馴染みがない人がほとんどだろうから、最初は、定食がいいかもしれない。
 昔から伝わるハワイの伝統料理と思われるものが、一皿に、大まかに盛られて出てくる。
 
 「ポイ」 (タロイモをすりつぶし、発酵させたもの)、
 「カルアピッグ」 (豚肉を蒸してほぐしたもの)、
 「ロミロミサーモン」 (サーモンにトマト、玉ねぎなどをまぶしたもの)、  
 「ラウラウ」 (豚や鶏肉をタロイモの葉で包み、さらにティノの葉で包んで縛り、蒸し焼きしたもの)、
 「アヒポキ」 (マグロの細切りに玉ねぎ、にんにくなどをまぶしたもの)、
 「クロロ」 (タロイモとココナッツミルクの羊羹みたいなもの)  
 「コーヒー」で終わりである。

 

 

 


Flavorful Broth

2010-09-07 15:45:45 | 日記

                     (13)

 アパートの近くにコーヒーショップがあった。
 よくその店の前を通っていて、窓越しに中を覗いたりしていたが、早朝は、いつも満席の賑わいだった。
 気になっていたのに、思い切って入ってみる機会がなかった。
 いつか、昼ごろに、通りかかって、混んでないのを見て、中に入った。
 女性が出迎えてくれたが、驚いたことに、いきなりの日本語で、
 「イラッシャイ!」と言った。
 トシは、びっくりしたが、周りで食事をしていた人たちの関心を引いたようで、ぽかんとした顔で、女性の方を見ていた。
 「日本人でしょ?」
 「そうですけど、どうしてわかるんですか?」
 「なんとなくよ!」

 メニューを差し出してくれたが、何を注文しようかと思案していたら、
 「お勧めは、オックステールスープよ」と言った。
 「エツ!オックステールというのは、牛のしっぽのことですか?」
 「牛の尻尾をぶつ切りにして、骨付きのまま何時間も煮込んだものです、おいしいですよ!」
 「いやあ!それはだめです!」
 「嫌いですか?」
 「嫌いと言うより、想像したら、食欲が出ません!」「なんか、牛がかわいそうで」と言ったら、大声で笑われてしまった。
 おそらく、厨房で、ほかの従業員に話したのだろう、後日訪れた時など、
 「おいしいオックステールスープがありますよ!」と言ってからかわれた。

 ハワイのB級グルメで、オックステールスープは誰でも知っている。
 元々、ハワイの食べ物なのか、あるいは、アジアの国から渡って来たものかもしれない。
 インドネシア、タイ、ベトナムなどに、このような食べ物があるそうだ。
 そういえば、ベトナム料理店で食べた「フォー」(pho)がよく似ている気がする。
 フォーは、確か、中には、豚かトリの肉が入っていたように思う。 いろいろな野菜が入っていた。モヤシがドサッと被さっていて、さらに、あの独特なにおいの香菜と青ネギが載っていた。
 オックステールスープは、おそらく、このフォーに似た食べ物と思うが、オックステールの方を食べたことがないので何とも言えないのだ。

 立ち寄ったコーヒーショップは、場末にある小さな食堂といった感じである。
 テーブルが6つと、窓際に道路に向いたカウンターがあり、6人ぐらい座れるようになっていた。
 トシは、大体カウンターに座り、外を眺めながら食事をしていた。ある時、入っていったら、カウンター席はふさがっていたので、テーブルの知らない人との相席になったことがある。
 その人が食べていたのが、オックステールスープであった。
 ここは、かしこまるようなところではなく、空いてなければ、相席も当たり前といったくだけたところなのである。
 すぐに、お互い話しかけたりするのだが、話のついでに、
 「オックステールスープはおいしいですか?」と聞いてしまったことがある。
 彼は、相好を崩して、
 「当たり前だよ、君は、食べたことがないのかい?」と逆に訊かれてしまった。

 スープと言っても、これは立派な食事のようである。
 大きなどんぶりに、長い時間掛けて煮込んだスープが溢れんばかりに入っていて、その中に、とろとろになった骨付きの牛肉が入っている。
 その上に、臭みを取るために、香味野菜がたっぷりかけらている。
 別皿に、ライスが2スクープ出てくるのである。
 小皿には、生姜醤油が出てくる。
 ほぐした肉をつけて食べるようである。
 たっぷりのスープと牛肉とライスで十分な食事である。
 残念ながらトシは、いまだに、一度も食したことがないので、どのようなものか感想を述べることはできない。
 これを食べないではハワイ人になれない、と言われたが、あるいは、そうかもしれない。

 オックステールで有名な「カピオラニ・コーヒーショップ」(Kapiolani Coffee Shop)でこれを食べた人の感想は、

 「この時、初めてオックステールスープを食べてみたが、期待を裏切らなかった。
 香りのあるだし汁の中に、5つ骨肉が入っていて、コリアンダー、セリ、レモンの皮、ピーナッツやもろもろのものが入っていた」

 (This is the first oxtail soup I had ever consumed, and it did not disappoint. 
  There were 5 bones, lots of cilantro, anise, lemon peel, peanuts and other goodies in the flavorful broth.)