(5)
ショートを守る選手には、華がある。
他のポジションの選手に比べて、ひと際華やいで見えるのである。 あの選手は、うまかったなあと今でも心に残っている選手はたくさんいる。
南海の木塚忠助さんは上手だった。
横っ飛びに走ってゴロを取るや、目にもとまらない速さで一塁に矢のような送球をしていた。
間一髪一塁で走者をアウトにした時など、それだけで試合を見に来た甲斐があったと思ったものである。
思い出に残っている選手は、広島の白石勝己さんである。
背丈は小さく、顔色はあくまで黒く、なんとも怖い人に見えたが、実は気持ちのいい、やさしい人で、巨人のコーチ時代は、「お父さん」と慕われていたそうである。
広島カープが弱い時代の監督で、ずいぶん苦労をしていた。
当時、本拠地は、江波町の県営球場だった。
球場の入場門前にビール樽が2つ置かれていて、やってくる観客が、百円、2百円と樽に投げ込んでいた。選手の給料が払えないのである。
試合中選手の交代を、コーチがやって来てアンパイヤに伝えた。
これは、ルール違反で、なぜ監督が来ないのかと訊いたら、実は、その時監督は、ダッグアウトを出て、銀行に選手の給料を引出しに行っていたという有名な話がある。
真夏の厳しい日光の下で、日曜日などダブルヘッダーで試合が行われていた。日中に2試合も試合をするのである。
汗をぬぐいながら選手たちは頑張っていた。
体力の消耗も激しいはずである。
白石さんは、選手に元気を出してもらうため、手作りのマムシの粉末をスプーンですくって、ダッグアウトの選手たちに飲ませていたのである。
今では、信じられないような話はいっぱいある。
広島は、野球好きが多いところである。
戦後、職業野球団が、あちこちででき始めたとき、広島にも球団ができたのである。
他の球団は、スポンサーがいて、電鉄会社、映画会社、国鉄、新聞社などが資金を出していたので、経済的に潤沢であった。
しかし、唯一広島は市民が作った球団で、のっけから資金に困っていたようなのである。
白石さんは、もともと巨人の選手だったが、広島に職業野球団ができるということで、広島に連れ戻された。彼は広島の出身であった。
「逆シングルの白石」というニックネームがついていたくらい、三塁側に飛んで来た球をさばくのに定評があった。
巨人黄金時代の名ショートで、川上哲治さんなどと同じ世代である。
ショートストップといえば、この人しかいない。
阪神の吉田義男さんである。
この方のプレーのあの場面、この場面が、いまだに心の中にある。
トシにとって、もう「心の伝説」なのである。
あれくらいうまくて、雰囲気のある選手は、思い当たらないのである。将に、遊撃手の中の遊撃手である。
もちろん、ロッテの小坂選手はうまいよとか、ヤクルトの宮本選手など、上手だという人もいるかもしれない。
しかし、トシにとっては、吉田選手は、全能の神みたいなもので、心に息づいていて、これ以上の選手は出てこないのである。
ショートを守る選手には、華がある。
他のポジションの選手に比べて、ひと際華やいで見えるのである。 あの選手は、うまかったなあと今でも心に残っている選手はたくさんいる。
南海の木塚忠助さんは上手だった。
横っ飛びに走ってゴロを取るや、目にもとまらない速さで一塁に矢のような送球をしていた。
間一髪一塁で走者をアウトにした時など、それだけで試合を見に来た甲斐があったと思ったものである。
思い出に残っている選手は、広島の白石勝己さんである。
背丈は小さく、顔色はあくまで黒く、なんとも怖い人に見えたが、実は気持ちのいい、やさしい人で、巨人のコーチ時代は、「お父さん」と慕われていたそうである。
広島カープが弱い時代の監督で、ずいぶん苦労をしていた。
当時、本拠地は、江波町の県営球場だった。
球場の入場門前にビール樽が2つ置かれていて、やってくる観客が、百円、2百円と樽に投げ込んでいた。選手の給料が払えないのである。
試合中選手の交代を、コーチがやって来てアンパイヤに伝えた。
これは、ルール違反で、なぜ監督が来ないのかと訊いたら、実は、その時監督は、ダッグアウトを出て、銀行に選手の給料を引出しに行っていたという有名な話がある。
真夏の厳しい日光の下で、日曜日などダブルヘッダーで試合が行われていた。日中に2試合も試合をするのである。
汗をぬぐいながら選手たちは頑張っていた。
体力の消耗も激しいはずである。
白石さんは、選手に元気を出してもらうため、手作りのマムシの粉末をスプーンですくって、ダッグアウトの選手たちに飲ませていたのである。
今では、信じられないような話はいっぱいある。
広島は、野球好きが多いところである。
戦後、職業野球団が、あちこちででき始めたとき、広島にも球団ができたのである。
他の球団は、スポンサーがいて、電鉄会社、映画会社、国鉄、新聞社などが資金を出していたので、経済的に潤沢であった。
しかし、唯一広島は市民が作った球団で、のっけから資金に困っていたようなのである。
白石さんは、もともと巨人の選手だったが、広島に職業野球団ができるということで、広島に連れ戻された。彼は広島の出身であった。
「逆シングルの白石」というニックネームがついていたくらい、三塁側に飛んで来た球をさばくのに定評があった。
巨人黄金時代の名ショートで、川上哲治さんなどと同じ世代である。
ショートストップといえば、この人しかいない。
阪神の吉田義男さんである。
この方のプレーのあの場面、この場面が、いまだに心の中にある。
トシにとって、もう「心の伝説」なのである。
あれくらいうまくて、雰囲気のある選手は、思い当たらないのである。将に、遊撃手の中の遊撃手である。
もちろん、ロッテの小坂選手はうまいよとか、ヤクルトの宮本選手など、上手だという人もいるかもしれない。
しかし、トシにとっては、吉田選手は、全能の神みたいなもので、心に息づいていて、これ以上の選手は出てこないのである。