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グレッグは、ジョージア州のメイコンで生まれた。一家は、代々続く医者の家系で、南北戦争の折には、従軍医として参戦した人もいて、南部人であることの衿持を守り続けている。
南北戦争が終わって、もう何代にもなるのに、かつての誇り高き栄光が忘れられないようだ。 特に母親は、食卓を囲んだ夕食時に、子供たちにリー将軍の話など語って聞かせていた。
グレッグが、ニューヨークに就職して出ていくとき、「ヤンキー娘と結婚するのじゃないよ!」と本気で言っているのか、あるいは冗談で言っているのかわからないが、笑いながら言っていたのを覚えている。
グレッグの世代にもなると、南部人とか北部人とかの感覚はなく、アメリカに住んでいる人であれば、お互い同じアメリカ人として見ることに何の違和感もなかったのである。
父親は、今でもメイコンの町で、病院を開業している。
長男は、あのコカ・コーラファミリーで有名なアトランタの難関大学、エモリー大学医学部を出て、医者として活躍している。
次男のグレッグは、ジョージア大学医学部を出て、ヘッドハンティングされて、ニューヨークの総合病院に就職した。妹が一人いて、彼女は、現在ヨーロッパに留学中である。
母親は、グレッグが高校生だった時、「あなたは、医学以外の、例えば、法学か経済学の分野に進んだらどう?」とか言っていたが、周りが医者ばかりで、何となく医者の雰囲気に染まってしまい、高校では、トップ5%にいたこともあり、担任の先生が、当たり前のように医学専攻科を薦めて、推薦状を書いてくれた。
母親は、美人で、性格はおおらか、いつも明るく、話題の豊富な人で、人を飽きさせなかった。人望が厚く、メイコンの町で、慈善事業などの社会活動に精を出していて、市の評議委員にも選ばれている。
彼女は町の有名人で、評議会のメンバーとして、市の行政、監査、将来プランなどに助言をしている。市長に直接意見を言える立場にいるのである。
父親は、どちらかと言うと仕事一筋であるが、パーティなどで、ほかの人たちと大声で語り合ったり、笑いあったりで、決して退屈な人ではない。
長男は、勤勉で勉強一筋、その分ちょっと面白くない秀才タイプだった。そうであるからなのか、母親は、どちらかと言うと、少しおどけて危なっかしい弟のグレッグが気になるようで、今でも、1週間に1度は、メイコンからニューヨークに電話をかけてくる。もちろん大した用事があるわけでなく、他愛ない話がほとんどで、受話器に耳を傾けるグレッグはいつも退屈していた。
グレッグは、ニューヨークの病院の仕事に埋没していた。
朝7時には、もう病院に着いていて、まずコンピュータを開け、資料に目を通した。それから入院患者の見回りに出て、患者の一人一人に声をかけながら、症状の確認をした。
9時には、外来の診察室で患者の応対をした。2日に一回は、手術にも立ち会った。毎日がこのように忙しく過ぎていったのである。
時たま学会出張で病院を離れることがあった。そのようなときこそ、ほっとする瞬間で、外気を吸い、浩然の気を養うにはまたとない時間のように感じられたのである。1
学会出張で訪れた街で、時にヨーロッパに行くこともあったが、店屋に立ち寄り珍しい小物を買って、それを母親に送った。
「グレッグ、あなたなの!なんてすばらしい贈り物なの!嬉しいわ」と、すぐさまメイコンから電話がかかってきた。
1日の仕事を終え、ハドソン川を見下ろす、ちょっと豪華なアパートに帰り着く前に、行きつけのレストランで食事をするのが習わしだった。
彼のアパ-トからさほど遠くないところに、ロックフェラー、ニクソン、ケネディ家の人たちが住んでいる高級なアパートがあった。