マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Rural town " ( ミネソタのひなびた町 )

2011-08-31 15:21:42 | 日記

 

 奥の部屋で奥さんは、あちこちに電話をかけているようだった。
 トシの友人たちが行っていそうなところを尋ねているのだろう。
 やがて、突然顔を覗かせ、「分かりましたよ!」と明るい顔で言った。
 「やはり、パークラピッドに行っているようです。電話番号を控えていますので、ここにかければ、繋がるはずです」と言いながら、パークラピッドのほうに電話した。
 繋がったようで、「ミスター・ヤマダ!どうぞ」と言いながら、受話器を渡してくれた。
 受話器の向こうから聞こえてくる声は、まさしく友人の奥さんだった。すっかりなじみの、あの懐かしい声が聞こえてきたのである。
 突然トシから電話で、驚いた様子が見えるようだった。
 2週間の予定で、別荘に来ていると言うことで、後一週間滞在するようになっているとのことだった。
 「折角の機会だから、トシも、その車で、こちらまで来ない?」ということで、急きょ予定になかったパークラピッド行が決まってしまったのである。

 こちらの奥さんには、またきっと参ります、と言って、そさくさと出発の準備を始めた。
 大体、パークラピッドがどの辺りにあるのかは、奥さんから説明してもらった。
 街を西に走り抜け、71号線に出たら、一路北に進めばいいとわかっていたので、暗闇を走っても、どうということはないだろう。
 結局、教育長宅を出発したのは、もう夕方に近い5時を過ぎていたのである。
 街を出るまでは、ちょっとわかりにくい道だったが、なんとか71号線に入った。これからは、一本道だから迷うことはない。  パークラピッドまでは、何百マイルあるだろうか。
 今夜は、何処か適当なところで泊まって、明日には何とかたどり着けるだろう。
 5時を過ぎていても、夏のこと、まだ外は真昼のように明るかった。

 夜までの数時間にできるだけ距離を稼いで、行きついたところで宿を探そう。
 車窓から見える風景は、見渡すかぎり草原で、トウモロコシやジャガイモの畑が地平線まで続いていた。
 30分ぐらい走ると、ようやく人家の群れが見えて来て、小さな街にたどり着く。
 教会、ショップ、学校、役場、モーテルなどの主だった建物が並んでいる。
 いずれにしても小さな町である。それをやり過ごすと、今度はまた何もない草原に入って行く。
 マウンテンレイクの街を過ぎた辺りでは、まだ昼の明かりが残っていた。
 
 その明るさも、徐々に灰色から暗闇に変わっていった。
 暗闇の中を走っていると、街灯はなく、自動車の明かりだけが頼りだ。時折対向車が、明かりをつけて横を走り過ぎる。のどかといえばのどかだが、ずいぶん淋しい風景である。
 遠くの空に映し出された町の明かりが見えてきた。スプリングフィールドの街のようだ。
 町中に入ると、沿道に明かりのついた家々が並んでいた。
 モーテルも、数えると、一つ・・・二つ・・・三つ・・・3軒あった。
 夜の9時近くだったが、いずれも空き部屋ありのサインが出ていた。
 モーテルは、予約なしで、来た人順で空き部屋がふさがる仕組みなので、空き部屋がなくなると、満室のサインが出る。
 もう一つ先の町まで行ってしまおうかと欲が出たのである。
 スプリングフィールドの町を、やり過ごし、さらに車を走らせる。
 再び、暗闇の中に入って行ったのである。

 次の町はウイルマーである。
 あと30分くらい、なんとか距離を稼ごうとしたのが良くなかった。
 ウイルマーに着いたのが、9時半ぐらいだったろうか。
 街に入る手前でモーテルの看板が見えた。既に満室のサインが出ていた。
 スピードを落しながら、次のモーテルを探す。「あった!」、しかし又もや満室である。
 3軒目は、街を通り越して出たあたりにあったが、満室であった。
 恐らく、これから先には、泊まるべきところはなさそうだ。
 民家の明かりもそこで途絶えていたのである。
 すっかり不安になってきた。もう一つ、次の町まで、頑張るかと言っても、深夜では、宿を見つようにも、不可能に見えてきたのである。

 そこで、一度通り過ぎた町に引き返して来たのである。
 3軒目のモーテルに車を止め、オフィスに入っていった。
 オフィスの中では、年配の男性が、手持無沙汰でテレビを見ていた。
 「泊まりたいのですが、部屋はありますか?」と一応尋ねてみた。
 「さっきも一人来たけど、満室なんですよね」「その人は、一晩中車を走らせると言って、出て行ったよ」

 

 


" Home-made lemonade and pumpkin pie " (手製のレモネードとパンプキンパイ)

2011-08-25 15:29:03 | 日記

 

 夏休み中、家族でヴァカンスに出る人たちは多いのだから、留守で会えないかもしれないと分かっていながら、前触れも無くやって来る方が悪い。
 それでも、会えないとなると、こんな遠くまで、どうしてやって来たのだろうと途方にくれてしまった。
 事前の連絡なしに、突然風のようにやって来て、今まで会えなかったということがなかったのである。
 日本に帰るしかないかと諦めかけていた時、ふと教育長の家族のことが頭に浮かんだ。
 トシの友人の家族の行き先を知っているかもしれないと思ったは、お互いの家族が、仲が良く、ディナーで一緒になることがしばしばあったからである。
 この家族のことが、ふと頭をよぎったのは、以前奥さんが、「夏休みに皆さんが休暇を楽しんでいるのに、私たちは、それができないのよ」と言っていたことを思い出した。
今頃、一生懸命働いていて休暇どころでないから 彼らは、きっと家にいるだろう。

 アメリカでは、ほとんどの地方が、新学年が始まるのが9月である。
 9月の最初の月曜日が「レイバーデイ」で、その次の日が、新学年最初の登校日である。
 7月から8月にかけて、教育行政のトップにいる人たちは、目が回るくらい忙しいのである。
 新しく採用する先生の面接や、年俸合意書作成、新年度に向けてのティーチングスタッフの整備、カリキュラムの作成、予算案の市議会への提出、教科書の選定など問題山積である。
 教育長は、この市の小学校、中学校、高校の教育行政のトップにいる人である。
 市議会に出席したり、市長と打ち合わせをしたり、連日、教育委員会や会合が開かれている。合間にテレビや新聞の取材を受ける。この時期、彼は、休む暇などないのでヴァカンスに行ったことがないという。
 奥さんは、そのことを悔やんでいたのである。

 ひょっとして奥さんは家にいて、会えるかもしれないと、彼らの家を探した。
 以前は、時々、ディナーによばれて来ていたので、道順など馴染みだったはずが、数年経ったあとで、どうも道を忘れたらしい。
 確かこの辺りだったと行ってみても、目指すところにたどり着けない。
 結局、通りをひとつ間違えていて、手前の通りを行ったり来たりしていたのだ。
 ようやく彼らの家にたどり着いたとき、向こうの方で手を振る人がいた。奥さんである。
 歩いている我々を彼女が先に見つけて、両手を万歳するようにさし上げながら、
 「ミスター・ヤマダ?」と大声で叫んだ。
 ハーフパンツにT-シャツ姿で、花畑の手入れをしていた。
 トシを見て、信じられないようで、「ミスター・ヤマダ?」とまた言った。
 「そうです」というと、「どこから来たの?」と、わけのわからない質問をした。
 驚いたふうから、思い出したように、両手から手袋を抜き、ハグしてきた。

 妻と二人を家に招じ入れ、手製の冷たいレモネードとパンプキンパイを出してきた。
 「ちょっと待っていてね!」と、どこかに消えたと思ったら、5分もすると、シャワーを浴びたのだろう、今度はワンピースに着替えて、さっぱりした感じである。
 この人、顔は、エリザベステイラーのようにきれいなのだが、体形が、ちょっとふくよか過ぎる。
 高齢出産というか、40歳ぐらいで男の子を産んだ。


 来ることを伝えないまま、突然来てしまったこと、友人の家が留守のようで、どこに行ったのかもわからないことなどを話すと、「パークラピッドの別荘に行っていると思うが、私も知らないのよ」「ゆっくりしていて、心当たりに当たってみるから」と言って電話機に向かった。
 「その前に主人に電話をするわ。ミスターヤマダと奥さんが見えているって!」
 「みんなでディナーを一緒に食べよう!いいでしょう!彼もきっと喜ぶと思うわ」「2,3日ここに泊まったらどう?」
 「それは、だめです!」「日にちがそんなに残っていないのですから!」と、行き先が分かれば、すぐにでも出発したい気持ちで、適当な言い訳をしてしまった。
 

 

 


" Tourist Home " (民宿)

2011-08-21 19:47:53 | 日記

 

 ペンシルバニアのアパラチアン山脈がある辺りの丘陵地帯には、小川があったり、湖があったり、森があったりで、いかにもニューイングランド風のどかなところだった。
 ちょっと田舎の方に出かけて、ドライブしていると、あちこちに草を食む牛たちが見えた。
 牧場の柵に、いかにも手作りといった看板があって、”Tourist Home” とか書いているのが見えた。
 「あれは何?」
 「民宿だよ」
 ずいぶん昔のことである。

 民宿というのは、Private home which provides meals and lodging for tourists" (旅行者に、食事と宿を提供する個人の家)と言うことである。
 最近では、ハワイのヒロ周辺にも民宿が点在していて、「B&B」と言っている。
 Bは、bedで、もう一つのBは、breakfast のことで、つまり、「ベッドと朝食」を提供するという意味である。
 その後、ヒロの民宿には、何度か泊まったことがある。
 いずれの家も、ちょっとクラシックで、大仰な造りだった。
 宿の主人夫妻、ときには、子供達も出てきて、お客さんとお話をしたり、おもちゃで遊んだりしていて、ホテルの無機質さに比べると、心和む雰囲気を楽しむことができたのである。
 朝など、広間には、宿の奥さん手作りのパンケーキやパン、サラダ、ハワイの新鮮な果物がテーブルに並んでいた。
 食事をしながら、アメリカ本土から来た他のお客さんたち、家族の人たちとおしゃべりするのは楽しくて、素晴らしい体験だった。

 イギリス人の小説を読んでいて、民宿のことをイギリスでは、"guest house" と言っていることを知った。
 ヨーロッパでは、「ペンション」と言うようだ。
 かつて " Summertime in Venice " と言う映画があった。
 確か日本名が「旅情」だったと思うが、アメリカの女性が休暇でイタリアを訪れ、そこで、とある男性と恋に陥る物語であった。
 甘美な恋だったが、実ることはなく、はかなくも散って行った物語を今でも思い出すが、ロッサーノ・ブラッチとキャサリン・ヘップバーンの共演が素晴らしく、映画のメロディーが何とも哀愁のあるもので、観客の涙を誘ったものだった。
 彼女がベニスで泊まっていたのが、ホテルでなく、ペンションだったのを覚えている。
 
 元々、ペンションは寄宿学校の意味のようだ。
 子供が成長し巣立って、家を出て行き、残った老夫婦などが、大きな家を持て余すことはよくある。
 マディソンなど、大学が近くにあり、余った部屋を学生たちに貸して収入を得ている人はたくさんいる。
 大きな家に二人だけで淋しく住むより、空き部屋を学生に貸すのは、収入にもなるし、そのまま朽ち果てるのを見るよりいいことかもしれない。

 初めて、アメリカで民宿に泊まったのは偶然だった。
 古くからの友人がミネソタにいて、アメリカに行った時は、できるだけ彼らに会うようにしている。
 ロスアンジェルスでも、サンフランシスコでも、ニューヨークでも、アメリカに行った時は、時間が許せば、ミネソタまで足をのばすことにしてきた。
 車で行く時もあるし、飛行機で、ミネアポリスに降り立つこともある。
 飛行場までは、家族の誰かが迎えに来てくれる。
 今は、セントポールの家に老夫婦だけで住んでいるが、かつては、長男、長女、次女もいて家の中は賑やかだった。

 相手に何時ミネソタに行くとは言わないのだ。
 一度約束して、相手を待たせたまま、行けなかったことがあってから、事前の予告なしに、訪れるようになってしまった。
 ミネアポリス空港に着いて、それこそ突然に電話をする。
 留守の時もあるし、そのようなとき、ミネアポリスに住んでいる長女の家族、次女の家族に連絡すると、誰かに会える。お互い連絡しあって、いつの間にか、大人数が集まって来て、とっさのパーティが催されるのである。時には、レストランに繰り出すこともある。
 
 一度だけ、まだ携帯電話がなかった頃、妻と二人、ミネソタまで行ってしまったことがあった。
 今は、この家の人たちは首都(ミネアポリス・セントポール)に住んでいるが、当時は、田舎の小さい町に住んでいた。
 まだ子供たちが高校生の頃で、家族が一緒に住んでいたころである。
 あの「大草原の小さな家」に出て来るマンケートと言う近くの街まで、ようやくたどり着き、ホテルで一泊して、そこからレンタカーで、目指す彼らの街まで行った。
 ところが、家はロックされていて、新聞や郵便物がドアのところにあふれていた。裏に回ると、芝生を一週間ほど刈ってないのは明らかで、様子からみて、かなり前から留守であるようだった。
 とりあえず、ドアの周りの郵便物などを裏の倉庫に入れて、片づけた。
 夏だったので、カナダの国境にある別荘に行っているだろうことは想像できたが、今まで一度も行ったことがないし、住所なども知らなかったのである。

 親しくしていた隣のお医者さんは、ニュージャージーに引っ越していて、どうしようかと、流石に途方にくれてしまった。折角来たのに会えないかなあなどと絶望しながら、もう日本に帰ろうかと思ったのである。
 しかし近所の人で、時々遊びに行っていた当時教育長をしていた家族のことを思い出した。
 

 

 


" Prohibited by law " ( 禁じられていること )

2011-08-17 17:05:26 | 日記

 

 ハワイ州当局、警察、消防署は勿論、火事に敏感である。
 かつて、祭りの花火、放火、子供の火遊び、キャンプファイヤーなどで火事が多く発生したことから、屋外で火を焚くことが禁止された。
 どこかで煙が出ていると、何台もの消防車が慌ただしく駆けつける。
 今では、決められた場所で、BBQ用のコンロを使うこと以外は、山間やビーチで火を焚くことは禁止である。
 日本人観光客が、オプショナルツアーとして、よく行く「ルアウ」( Luau )も例外ではない。
 豚の蒸し焼きで、有名なこのセレモニーも、今では、ワイキキから遠く離れた、認められた場所でしかできない。
 公園などに行くと、「焚き火禁止」(OPEN FIRE PROHIBITED BY LAW)と警告板が出ている。
 花火も禁止になっていて、おそらく花火を売っている店はないと思う。
 ヒルトンホテルでは、毎週金曜日、夜8時に大々的に花火を打ち上げているので、見に行くといいと思う。
 「独立記念日」には、大がかりの花火大会がある。
 許可を受けた人、場所、時間だけに花火の打ち上げが認められているのである。
 
 ビーチで泳いだ後、水着やタオルをホテルのベランダに干していた日本人がいた。
 早速ホテルのセキュリティが来て、「外から見えるところに干さないように!」と注意された。むやみに、洗濯物も干せないのだ。これも違法である。
 酔っ払った日本人男性が、道路わきの木陰で「立ちション」をして捕まったことがある。

 ワイキキの海岸に、時々サメの群れが現れることがある。
 ヘリコプターで監視していて、そのような場合、警告が出る。
 スピーカーを通じて、大声で警告が発せられるが、もちろん英語であるために、日本人は、その事態を把握できないことがある。
 同時に、ビーチの各所にある見張り台に、「Red Flag」(赤い旗)が掲げられる。そのようなときは、速やかに陸地に避難するようになっている。
 以前は、小鳥たち、魚たちに餌を与えることは認められていたが、最近は、場所によっては、「餌づけ」が出来ないようになってしまった。
 これは、人間がエサを与えることで、自然の生態系を壊してしまうというのが理由である。特に、ハトに餌を与えることは、くれぐれも気をつけてもらいたい。人間の餌付けにより異常繁殖してしまい、ハワイ州当局も、取扱いに困りはて果て法で規制することになってしまったのである。

 日本で、パチンコ屋の駐車場に車を止め、幼い子供を一人車内に残し、パチンコに興じる母親がいた。
 高温の中での脱水症状で、子供を死なせてしまい、新聞やテレビのニュースになったことがある。
 もしアメリカでこのようなことがあれば、まさに終身刑になるほどの重い刑である。「児童虐待」の最たるものである。
 12歳以下の子供は、13歳以上の人が、いつも付き添うことが義務になっている。違反すると、「児童虐待」である。
 子供にオモチャを持たせ道端で遊ばせて、母親だけが、ストアで買い物をしても違反である。「児童放置」になるのである。
 子供をトイレに一人で行かせるのも違反である。
 ホテルの部屋、車の中に子供を一人残すのも違反で、見つけられると拘束されるので、くれぐれも注意である。

 日本人は、若く見られるのは、本当である。
 20代の女性が、ワイキキの海辺で警察に拘束されたことがある。
 有無を言わせず、護送車に乗せられ本署まで連れて行かれた。
 本人は、全く身に覚えがないのは当たり前で、英語が通じないので、相手が言っていることがわからないし、言いたいことも言えないのである。
 後になって分かったことだが、地元の高校生が授業をさぼって、海岸で遊んでいたと勘違いされたようである。
 本署で、車から降ろされて、「名前は?」、「どこの高校?」、「身分証明書を出しなさい!」とか言われて、日本国発行の旅券を出すと、初めて警察官が、自らの間違いに気づいたようだ。
 平謝りに謝れて、パトロールカーに乗せられ、ワイキキの拘束された元の場所まで送ってきたということであった。

 公園の入り口に、
    The following are prohibited:
              Alcoholic Beverages
              Animals
              Camping
              Vehicles on Grass
              Golfing
              Littering
             Open Fires
             Motorized Vehicles
             Feeding of Animals

     次のことは禁じられています:
       酒類の持ち込み、
       動物の連れ込み、
       野宿
       芝生に車を乗り入れること、
       ゴルフをすること、
       ゴミのポイ捨て、
              焚き火をすること、
       エンジン付きの車の乗り入れ、
       動物に餌をやること、
 
 


" Don'ts in Hawaii " (ハワイでしてはいけないこと)

2011-08-13 08:04:18 | 日記

 

 カラカウア通りをバスに乗って走行中、窓の外を見ていた。
 歩道を歩いている人たちの間をを縫うように走行する自転車の群れがあった。
 おそらく日本人の若者で、乗っていたのは、レンタサイクルだろう。
 追い越された通行人たちは、唖然とした表情で、去っていった自転車の方向を見ていた。
 ハワイでは、歩道を自転車で走るのは禁止されているが、そのことを知らないのだろう。案の定、いくつかのバス停を過ぎたあたりで、警官に留められた彼らの姿が見えた。女性も2人いた。

 日本で問題ないことでも、ハワイでは、法律に触れることが多々ある。
 領事館の人によると、日本人観光客が、ビーチでアルコール類を飲んでいて捕まることが多いようである。
 別に、ハワイまで来て法を犯すつもりは無いのだが、日本では海水浴に行って、寛いだ気分でビールなど飲む風景は容易に見ることがある。
 しかし、ハワイでは、公的な場所での飲酒は禁止である。
 見つけた警官は、「知りませんでした」と言っても、必ず拘束する。外国人だからと言って、許す訳に行かないのである。
 「今度だけは許してあげるから、以後は、気をつけて下さい」のように日本的なセリフは言わない。
 不正現場を見た警官は、法に副っての手続きが必要である。それを、何らかの形で見逃すと、警官本人の責任になる。それを看過すると、警官自身が、職務上の義務を放棄したことになり、処罰の対象になってくるのである。

 初めてアメリカのペンシルバニアに行ったとき、バーなどに友だちと繰り出すと、入り口にちょっと怖いおじさんが必ずいた。 学生たちにIDの提示を求めるのである。
 飲酒は、21歳以下の人は禁止されている。「ボトルショップ」で購入する場合も、21歳以上の人でないと買うことはできない。怪しいとみたら、必ず「写真付きのID」( photo ID )の提示を求める。店の方も神経質なのは、違反すると営業停止になってしまうからである。
 一度など、アメリカ人学生から身分証明を貸してくれ、と言われたことがある。
 写真の顔は、日本人と白人では明らかに違うと思うのだが、それでもいいと彼は言う。
 バーの入り口の薄暗ヤミでは、写真の顔は見分けがつかなくて、おじさんの関心は、年齢であって写真など見ないというのである。これには、びっくりしてしまった。
 最近は、アメリカでも、飲酒運転の取り締まりが厳しくて、車の中に、フタが空いたビール缶があるだけで、飲酒運転違反の対象とになり拘束されるのである。
 運転者が飲んでいなくても、同乗している人が、飲んでいれば、飲酒運転違反になる。もし、21歳以下の若者が乗っていれば、さらに大変なことになる。

 近年、タバコを吸う場所がなくなってきた。
 以前は、ツアーリーダーが、日本人団体のために、レストランの一角に喫煙場所を確保したりしていたが、この風景を見たアメリカ人の間で問題になった。
 公の場所では、まず吸えないと覚悟をした方がいい。
 道路上、駐車場、ショッピングセンターなど何処に行ってもまず吸うことが出来ないようになっている。
 辛うじて、ホテルのバーやクラブでは、吸うことができるようである。
 大観衆が集まる、フットボール場や野球場なども禁止になった。
 以前、JALの国際便で、喫煙が許されていた時期があって、アメリカ国内に飛行機が入ると、「禁煙サイン」が出て、タバコを吸うことができなるといった、ちょっと歪な決まりがあった。
 やはりというか、外国人のクレームなどから、全面禁煙になってしまった。
 ハワイのワイキキに免税店がある。
 免税店と言っても、訪れる人たちは、ほとんど日本人であるが、この店の中庭に面したところに「スターバックス」がある。
 おそらく日本人のためだろうが、ここではタバコを吸うことができるということで、わざわざやってきて吸っているそうである。
 世界的に、タバコひと箱が10ドルの時代だそうである。
 日本では、それに比べるとかなり安い。元の値段がそうであるのでなく、ほとんどが税金である。
 税金を高くすることで、結果的に「禁煙運動」を広げようとしているのである。
 アメリカのたばこ会社は、「受動喫煙」などで、訴えられていて、もはや、たばこ生産のインセンティヴは下がるばかりである。タバコだけを生産しても、会社を存続できないのである。
 タバコを自国ではなく、途上国に輸出したり、多面的な経営に切り替えたりしているようだ。