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グレッグは、ポルシェを持ってはいるが、特別に車好きというわけでもない。学生のころは、中古のフォルクスワーゲンに乗っていたが、それも処分して、長い間車を持っていなかった。
ニューヨークにいると、特に車を必要としない。地下鉄やバスに乗れば、どこにでも行けるし、車がないほうが便利だった。
故郷のジョージアに帰った時、母親とアトランタに買い物に行った。
偶々ポルシェの販売店の前を通りかかり、ウインドウ越しに展示された車に魅かれて中に入っていった。その日は、母親の買い物についていっただけで、車を買う気などなかったのである。
もともとグレッグの実家は金持ちで、何かと当たり前のように高いものを買ってしまう傾向があるようだった。
急に母親から車を買うように勧められて戸惑ってしまったのである。買うにしても、普通のセダンでいいと思っていたが、
" This one is a very good match for you! " ( この車がお似合いよ! )と言った母親の口車に乗って、月割り払いで買ってしまった。所謂衝動買いである。こんな高いものを、と思ってもみたが、乗ってみて気に入らないようなら、いつでも売れるという気持があった。
ポルシェに乗ってニューヨークに帰ってきたが、道が渋滞したり、駐車場の問題もあって、あまり車を利用できない。車を所有すること自体、ちょっと重荷に感じる時があった。
休日にニューヨーク郊外のショッピングセンターに行ったり、ちょっとしたデートで車に乗ったり、気晴らしに高速道路を飛ばしたりすることはあっても、メカに詳しいわけでもなく、愛着を持って車を大事にしているわけでもないもである。
通勤は、ほとんど地下鉄で通っていて、車を利用することはまれである。
故郷のジョージアに里帰りするときなど、一気に風を切りながら走るのは爽快だが、もう売ってしまおうかなどとも考えたことがる。
とは言いながら、この度の休暇旅行で乗ってみて、この車の爽快な走りがすっかり気に入ってしまった。
素人でも、その運転性能がいいのは実感できた。曲がりくねった道も、坂道も、乗っている人の気持ちを考えてくれているように自由に走る。車を走らせながら、周りの風景がまるで映画館の大型スクリーンを見ているように体感できて、心地がいいのだ。
ニューヨークを出て、ひたすら北に向かっていたと思っていたが、どの道をどのように走ったのか覚えていなかった。全く無計画だったのである。
高速道だけは走りたくないと思っていた。目的地にどんなに早くついても無意味だった。
それも目的地があればの話だが、どこに行くのかあてはなかったのである。この行き当たりばったりの旅行が気に入っていたのである。
小さな町に寄って、ツーリストインフォメーションでイラスト入りの地図などもらって、ちょっとした観光地に立ち寄るのもいいものだ。
ただ海岸沿い道路を北上したいと思った当初の思いもあったが、道に迷って山道に入り込み、アパラチアン山脈のすそ野の小さな町に立ち寄ったりもした。
ジムと話ができたのは、得難い体験だった。
湖のほとりの「ツーリスト・ホーム」にも泊まった。言ってみれば民宿で、いかにも田舎を感じさせる木造の家だった。
その日はどうゆうわけか泊り客が少なくて、宿の女主人が話し相手になってくれた。
ボートに乗ったり、薪ストーブの前で食事をしたりと楽しいことばかりだ。ニューヨークでは考えられないほどの静寂、落ち着きを楽しんだ。
次の日には、ようやく海岸に出た。海のうねり、点在する島々が目の前に展開していた。突然家々が集中する港町に出たのである。広場の向こうには、海産物の店が並んでた。
どこに行くのか、フェリーボートがまさに出港するところだった。引き綱を外そうとしていた作業員に、
" Go on board, can I ? " ( 乗れますか?)と訊くと、
" Sure, you're the last man. " ( いいですとも、あなたが最後のお客ですよ! )と言った。