ユル・ブリンナーについては、いつもミステリーであった。
雑誌などに出ている彼の生年月日、出生地、白人なのか、東洋系なのか、など自らが語らない以上、彼のことを知ることが出来なかったようだ。
一時、母親が日本人だと言う記事も見たことがある。
どうも真相は、1920年生まれで、生まれたところは、ロシアのウラジオストックだということが分かってきたのである。
父は、モンゴル人で、母親が、ロシアで生まれたユダヤ人であるというのが、定説になってきた。
父親の仕事の関係か、中国に住んだり、フランスに住んだり、一時は、日本の京都に住んでいたことは、間違いなさそうである。
戦後になって、彼はアメリカに移住する。
演劇を志していたようで、紆余曲折はあったと思うが、我々が、彼を知ったのは、[王様と私]や「荒野の7人」などで、強烈な個性を見せた映画であった。
映画の中では、あの独特なテリー・サバラスのようにスキンヘッドを押し通した。
ヘビースモカーだったようで、結局は肺がんで亡くなっている。
娘さんが、禁煙運動をやっていることを聞いたことがある。
タバコを飲みまくる父親を見て育ったからかもしれない。
日本の黒沢明監督の映画に触発され、影響され、一本の黒沢映画を何度も何度も飽きずに見続けたというスチーブン・スピルバーグも、ユダヤ人である。
自らが属する民族の受難に鎮魂を込めて「シンドラーのリスト」を作り上げた。
この映画をつくる過程で、自らが、ユダヤ人であることのアイデンティティを、さらに認識していったようである。
「シンドラーのリスト」といえば、杉原千畝を思い出す。
彼が、リトアニアの領事館で領事代理を務めていた時、ナチの迫害から逃れて、押し寄せるユダヤ人を目の当たりにする。
国外に出るためのビザを要請するが、ドイツと日本の関係もあり、日本政府は発給を拒否した。
しかし、杉原は、日本政府の意向に逆らって、6,000人に及ぶ人たちのために出国のビザを発給したのである。
その時は、戦時下であり、恐らくは自らの職を辞する覚悟であっただろう。
戦後になって、彼のその時の行動が、事実として知れ渡った。
救われたユダヤ人の多くはアメリカに渡ったが、彼は、まさに命の恩人だったのである。
ユダヤ人たちから、彼のことを「日本のシンドラー」として敬われているのである。
世界の各地から、迫害を逃れ、また革命からのがれてアメリカにやってきたユダヤ人は多い。
ほとんどが、第2次世界大戦中か、その後である。
アメリカでは、この時期、ユダヤの人口が急激に増えている。
しかし、アメリカの総人口に比べて、ユダヤ人の人口は微々たるものである。3%に満たないほどであるが、アメリカの中で、彼らの影響力は計り知れない。
頭がよくて、高学歴である。
ある本を読んでんでいたら、
「キミ!医者になるのだったら、西部にある大学を選んだほうがいいよ!」
「東部の大学は、ユダヤ人が占めてしまうからね」というセリフがあった。
事実、ニューヨークの医者のほとんどがユダヤ人だと言われている。
大学教授や学者が多い。
経済界を牛耳る金持ちが多い。
高名な作家、芸術家なども多いのである。
昔、知り合いに、
「ユダヤ人を見たら、外見から見分けることができるの?」と聞いたことがある。
「さあ!それはどうかなあ!」「顎髭を生やして、頭にscullcapを載せた人は、間違いなくそうだよ」
「キッシンジャー、ウッディ・アレン、バーバラ・ストライザンドなどは、見ただけで、そうかなあという気はするけど!」
ということだった。