マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Hello,Toshi! " ( アッ、トシ! )

2014-04-29 16:36:38 | ハワイの思い出

「グレッグの物語」の途中ですが、ハワイのことを先に書かせていただきます。

 「ハワイのことなど」

(1)

 (ミシガンの高校生たちのバンド:メンバーは100人)

 このたび訪れたハワイの天候は、鈍より曇っていて、それに寒かった。こんなに寒いハワイの天気は、かつて経験したことがない。
 ホノルル空港に着いて、いつもは大きな柱の陰で、ハワイ風の服装に着かえるのに、日本から着て行ったままの長袖の服装がちょうどいい感じで、結局着替えをしなかったのである。
 滞在中は、たびたび突然のシャワーが襲って来た。そんな時軒下に避難したりで、およそハワイらしくない天気が続いた。
 アメリカが全体が異常気象のようで、テレビの天気予報では、南米のエルニーニョの影響だと報じていた。
 アメリカ大陸の天気も大荒れで、ニューヨークは、季節外れの雪で交通渋滞などで困っている様子がテレビに映っていた。
 南部のケンタッキーでも雪が降ったということだ。ウイスコンシンに電話をしたら、「こちらも雪が降っているよ」ということだった。
 ミシガンからやってきた高校のブラスバンドのグループが、ミシガンを発つ日は、3インチ(約10センチ)の積雪があって震え上がっていたのに、それでもハワイは快適で、この暖かさで、今日は全員アロハシャツで、この心地良さが信じられないと言っていた。

 ハワイに着いてすぐ、いつものように市役所の「サテライト・シティホール」( Satellite City Hall )に行った。最初は、バスの定期が使えないので、2ドル50セントを払ってバスに乗った。
 市役所に行く目的は、バスの定期が使えるように有効のシールを貼ってもらうためで、そうするとバスは乗り放題で、シーライフパークでも、島を一周することも可能で、無料である。
 この「シニアバスカード」を取得するのが何を措いても肝心なのである。とにかくバスは便利がいい。時たまパーティの帰りなど友人たちに車で送ってもらうことはあっても、バスは、頻繁に利用するし、ずいぶんお世話になった。
 車のない生活も楽しい。一日中歩くかバスに乗っているのはいかにも健康的だ。
 一日が終わると、ふくらはぎが張って膨らんでくる。日本では、こんなに歩き回ることがないから、足もびっくりしているのだろう。
 バスタブの中で足をもみながら一日の疲れをほぐしたりしている。ハワイでは本当によく歩くのだ。体中が日焼けしてくるが、そんなことは気にしない。

 次にしなくてはならないことも決まっている。マスイさんの墓参りである。
 2番バスで、ホノルル市内まで行き、そこでナウナドーセット行の4番バスに乗り換える。日本領事館を過ぎたあたりで、バスを降りると、右手に妙法寺がある。
 境内に小川のせせらぎが聞こえる静かなところにマスイさんは眠っている。墓前に腰をおろし、久しぶりにマスイさんに話しかける。
 「安倍さんという人が総理なのを知っている?」、「4月から消費税が上がって、収入のない俺なんかきついよねえ」とか取り留めもなことである。「マスイさんも、そんなところにいないで、出てきたらどう?」
 ハワイの電話帳にマスイさんの名前で以前と同じように番号が乗っている。
 奥さんは、勿論携帯電話を持っているはずだが、電話帳に載っているマスイさんの番号に電話をしたら奥さんが出てくるだろうか。
 マスイさんが生きていたころには、よくこの番号に電話をしていた。
 マスイさん自身が出ることもあれば奥さんが出ることもあった。奥さんはもういくつくらいだろうか。ひょっとして年齢から医者の仕事を引退しているだろうか。
 奥さんに最後に会った時は、マスイさんがまだ生きていたころだから、その後だいぶ年月が経っている。
 マスイさんが、日米文化交流に功績があったとして表彰された時、東京の祝賀会には、数百人が集まった。
 控室に行くと、アメリカ人たちに囲まれ話し込んでいた。
 マスイさん自身はトシに気づかなかったが、奥さんが目ざとくトシを見つけて駆け寄ってきた。
 " Hello,Toshi ! I'm so glad to see you here in Japan! " ( アツ、トシ! 日本で会えるなんて嬉しいわ!)と言いながら抱き着いてきたのを今でも思い出すことがある。 
 


" If I can ease one life the aching... " ( もし一つの命の痛みを癒すことができれば… )

2014-04-04 16:51:36 | アパラチアン山脈

 

(20)

 

 

 二人はテーブルを挟んで食事をしながら、当然相手の顔を正面から見つめ会うようになった。
 眼鏡をかけていない彼女の顔は、整っていて、いかにも魅力的だ。ブルーの目が、時折グレッグをのぞき込むように見つめる。
 取ってつけたものでなく、生まれつきなのだろう、漂うような上品さが、グレグ心を癒してくれる。
 周りにたくさんの男たちもいるだろうのに、どうして彼女に言い寄るものがいないのだろうか。
 もとより会ったばかりで、彼女のことをどれほど理解しているかと言えば、何から何までわからないことばかりだ。
 しかしそんなことより、自分こそが、唯一の彼女の理解者で、彼女のすべてを知り尽くしているような錯覚をしてしまうのである。
 グレッグの母コリーンが、「家(うち)は医者ばかりで、文学を理解するものが一人もいない」と悔やんだ。
 休暇で家に帰って、大学に戻ろうとしていた時、「これを読みなさい!」と言って、古びた詩集を彼に手渡した。それが、エミリー・ディッキンソンの詩集だった。

 目の前のレベッカを見ながら、詩の行(くだり)を思い出していた。

  "  If I can ease one life the aching,
  Or cool one pain,
  Or help one fainting robin
  Unto his nest again,
      I shall not live in vain.  "

  ( 一つの命の苦痛をいやす、
    一つの痛みを和らげる、
    一羽の気を失いそうなコマドリを
    再び巣に帰るのを助ける、ことができるなら、
    私は無駄に生きていることにはならない )

 小鳥の命を救えるなら、自分の人生をかけてもいい、というエミリー・ディッキンソンの姿が、まさにレベッカの人となりに重なる。
 控えめな女性でありながら、心の中には一本芯が通っていて、使命感がみなぎる、そのような彼女がたまらなく魅力的なのだ。

 もともとグレッグは、女性に対しては奥手である。自分のほうからのめり込んだという記憶がない。
 ジョージア大学時代に、女性の友人がいた。同じ医学部の学生で、気心も合い、友達として申し分なく、何かにつけグレッグを支えてくれていた。家にも、パーティやディナーに何度か招んだ。
 明るく、笑顔がステキな人だった。勉強もよくできて、社交的で、申し分ない人だった。
 母も、あの人はいい人だわねと言って、おそらく将来のグレッグの配偶者としてみていたのかもしれない。グレッグ自身も、この女性と結婚するかもしれないと思っていた。
 学位を得て、女性のほうは、アトランタの病院に就職した。一方グレッグは、ニューヨークに行ってしまった。
 お互い離れたところに住んでいて、時に電話をしたり、手紙を書いたりしていたが、それでも疎遠になっていった。

 しかしある時、彼女に恋人がいるようだとジョージアの友達が知らせてくれた。
 心当たりはあった。お互い離れたところにいて、デートもままならず、顔を合わせることも次第に減っていたからだ。
 普通の恋人同士なら、休日に待ち合わせて映画に行くことも、コンサートに行くこともできただろう。その頃には何かお互いの間の不自然さを感じていた。
 彼女から送られてくる手紙にも、かつての心がこもった、というか彼を思いやる熱意みたいなものがなくなっていたのである。

 思い返してみても、彼女に対する「愛」は、友達の延長線上で、はじめから心がときめくといったものがなかったように思う。
 今レベッカを目の前にして、初めて気づいたことである。ジョージアの女友達と違って、レベッカには、自ら引き込まれる何かを感じていたのである。

( いつも読んでくださってありがとうございます。ちょっとの間留守にします。またよろしくお願いします )