マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Sushi or Zushi ? " ( スシですか、それともズシですか? )

2013-03-30 17:08:48 | ハワイのB級グルメ

 

 

 ( B級グルメだが、野菜たっぷりで、いかにも健康食である)

 ヴァーシティ通りを降りてきてべレタニア通りと交わるあたりには、チャイニーズ、イタリアン、インド、日本レストランなどが立ち並んでいる。昼休み時になると学生、勤め人など多くの人たちが集まってくる。
 夕方日本料理店に行くことが多かったが、メニューを見ると天婦羅定食、寿司の盛り合わせなどがあった。
 今はもうないが、ちょっと裏道に入ると「さつまラーメン」があった。ここには時々立ち寄っていたが、ラーメンというよりカレーライスを注文することが多かった。5日、15日、25日には、サービスで小豆の入って赤飯が出た。
 そして、さらに少し歩くと、「小僧寿し」があった。帰りに立ち寄り、寿司のコンビネーションやイナリすしなどを夕飯のために買った。

 最近では、ハワイに多くの寿司レストランができた。
 「元気寿司」は、あちこちにある。「小僧寿し」も、街を歩いていてよく出会う。
 現地の人が経営しているのか、「アロハ寿し」と言うのもある。安いし、手軽く食べられるので人気である。
 ダウンタウンにあるアロハ寿しには、昼休み時にオフィスで仕事をしている女性たちが並んでいる。
 
 "  Catch of the Day Sushi " と言う寿司やがある。 「その日に取れた魚の寿司」と言う意味だから新鮮な魚をネタにしているのだろう。
  " Sansei Seafood Restaurant & Sushi Bar (三世シーフッドレストラン&すしバー)というのもある。"  Nisei " (二世)と言うレストランもあり、日系の二世や三世が経営してるのかも知れない。
 ハワイには、Zippy's と言う日系の人が経営するレストランが、あちこちに点在していて、どこもローカルの人たちであふれている。メニューが多様で、アメリカン、ハワイアン、日本食もあり、入店待ちを覚悟で友人たちとよく行っていた。
 カハラにあるジッピーズには、中にすしバーがあって、ねじり鉢巻きのおじさんが寿司を握っていた。

 日本人は「小僧寿し」をコゾウスシでなく、コゾウシと読むが、アメリカ人にとっては、ズシとスシは違うものに感じるようで、あくまでコゾウスシでなくてはならないようだ。これはアロハ寿し、元気寿司も同じである。
 回転すしができ始めたころは、アメリカ人にとっても、呼び方が様々で、Moving Sushi Bar であったり、   Turning Table Sushi だったりしたが、最近では、 Rotating Sushi Bar、 Revolving Sushi Bar、 Conveyor Belt Sushi などのように呼んでいるようである。

 

 

 

 

 

( ハワイに行くと、本場のメキシコ料理が食べれるのでうれしい )


" Conveyor belt Sushi " ( コンベヤーに乗って出てくる寿司 )

2013-03-22 00:02:03 | グルメ

 

 

 

 ハワイには、Kuru Kuru Sushi (クルクル寿司)という、その名も日本語をそのままにした回転すし店がある。
 しかし、クルクルは、もともと日本語であるから、それが、くるくる回る回転すしであることをアメリカ人は知らないはずだ。
 英語で回転すしのことをなんというのだろうか。

  "  The word " Kaiten " in Japanese means to rotate or spin around.
     Kaiten Sushi is popular in Japan as the food is prepared in batches then distributed to diners who select their dish as it is brought to them via the conveyor belt.  "
   ( 《回転》と言う言葉は、日本語で「回る」とか「回転する」とかの意味である。 回転すしが日本では人気がある。 一度に食べる分だけの皿が用意されてお客さんに届けられる。お客さんは、コンベヤーベルトに乗って運ばれてくる皿を選べばいいのである。)

 ずい分前のことだが、ブライアンと話をしていた時、『回転すし』は、英語で、
  " Rotating Sushi Bar " might be right ? " ( 《ロテイティングスシバー》が正しいかなあ?)と言ったら、ブライアンは、
   " I'm not sure , but what you said should be right , perhaps. "(自分もよくわからないけど、センセイが言うのが正しい気がするよ )と言った。
 
 後に、アメリカで、特にハワイで回転すしの店ができ始めた。
 今では、ワイキキやアラモアナに回転すし店があるし、街のあちこちに回転すし店がある。
 いつもお客さんでいっぱいで、日本人の旅行者だけでなく、ローカルの人たちにも人気がある。
 カパフルにある" Genki Sushi " (元気寿司)には、夕方になると入店待ちのお客が並んでいる。

 アメリカの回転すしメニューは、日本のとは必ずしも同じではない。
 
 生のタコ、いくら、ウニなどは、どちらかと言うと、彼らは手をつけない。
 ウイスコンシン州マディソンの" Ginza "(銀座)で10人くらい集まってパーティをしたことがある。ウイスコンシン大学の博士課程をめでたく卒業した女性が大学の教師として就職した、そのお祝いである。
 寿司コンボを注文したら、まな板のようなものに載った、装いも鮮やかな寿司盛りが出てきた。
 寿司を初めて食べる人もいて、なんとなくイクラやウニはグロテスクに見えたのだろう。なかなか手をつけようとしない。
 ついには、"  Mr.Yamada, try this !  " ( ヤマダサン、これ食べて! ) とか言って、皆さんがトシの方に回してきたのである。
 最近では、アメリカ的と言うか、彼らが好むものもあって、《アメリカ風すし》 が流行っている。
 たとえば、カリフォーニアロール、ホットドッグロール、レインボーロール(カニ、マグロ、サーモン、アボカド、キュウリなどが入っている)、ドラゴンロール、サーモン・クリームチーズロール、ボルケーノロール(火山をイメージした色鮮やかなすし)、マグロのポキすし、スパムすしなど言うのもあり、日本ではお目にかかったことがないようなものでアメリカ人が好みそうな寿司バージョンがあり、意外においしいのである。
 チーズ、アボカド、中には、フルーツを載せたものもあり、いかにも子供たちが好きそうである。
 確かに、日本のすしとは一味違っているが、意外においしいと日本人にも人気なのである。

 アメリカの新聞やテレビでも、回転すしの話題が出るようになってきた。
 「回転すし」は、Rotating Sushi Bar (ローテイティングすしバー)と言ったり、 Revolving Sushi Bar (リボルビングすしバー)と言ったり、 Conveyor-Belt Sushi (コンベヤーベルトすしバー)と言ったりしている。

 

( トシの美術館 )


" We wanna see what Toshi's apartment looks like ! " ( トシの家 )

2013-03-16 18:39:22 | ブライアン

 

 

 友人のアパートを訪ねて行ったとき、エレベーターに乗ろうと自分の行く階のボタンを押そうとしたら、急に誰かが飛び込んできたので、思わず、
 "  What floor ?  " ( 何階ですか? )
 "  PH, please !  "  ( 《ペーハー》をお願いします ! )
 "  Pardon ?  "  ( すみませんが ? )
 "  P.H.  On the top floor.  Thank you !  "  ( 《 ピー・エイチ》です、最上階の。 ありがとう ! )

 《 ペー・ハー 》という言葉を聞いたのは、久しぶりだった。瞬間、化学の実験の時に教わったリトマス試験紙を思い出してしまった。一体なんのことか理解できずに、再び質問をしてしまったのである。
 P.H.は、つまり Pent House のことで、最上階にある豪邸である。
 おそらく、見晴らしのいいテラス、ジェットバスなどがデッキにあって、お金持ちが住んでいて、かわいい犬などを放し飼いにしている、そのような家のことである。
 アパートによっては、ペントハウス直通のエレベーターがあり、自分が持っているキーを差し入れると、ドアが開くようになっている。
 学校から帰ってきた小さな子供が、首にぶら下げたキーを取り出し、鍵穴に差し込んでいるのを見たことがある。

 時に、このビルのオーナー家族が住んでいたり、いわゆる、金持ちのVIP(ヴィー・アイ・ピー)が住んでいたりする。
 アメリカのどこかの銀行のオーナーで、引退した夫婦などが、ひっそり住んでいたりするのである。
 普通の階の家の2倍、3倍の広さがあって、バスルームが3つ、外のテラスは、広々していて、ジャグジー・バスがあったり、プールがあったり、ペットを放し飼いにしていたり、展望は、眼下に海が見えたり、マノアの連なる山々が見えたりするのである。
 デッキに寝そべって誰にも邪魔されずに眺望を楽しめる。マスイさんのところが、まさにそのような家だった。
 階下のインターフォンから電話をすると、ブザーが鳴って、
  "  Toshi, here !  " ( トシです !)と言うと、ドアをオープンにしてくれた。

 マスイさんは、3人家族だったが、広すぎる、そのようなペントハウスに住んでいた。
 25階建ての、日本では考えられないような豪華なアパートの最上階にあった。そこは、地上の家々とは異なり、すべてが別世界に感じられた。
 トシが訪ねていくことはあっても、逆にマスイさんがトシのアパートを訪ねてくれたことは、一度もない。
 なんとなく「うちに遊びに来ない!」とか、言い辛かったのである。

 いろいろ苦労したあげく見つけたアパートにティムとサラ夫妻は、早速訪ねて来てくれた。
 家探しの時、親身になって一緒に探してくれた人たちで、今のアパートに入居が決まったとき、
 "  We wanna see what Toshi's apartment looks like ! " ( トシの家がどんなかみて見たい! )と言うので、まだ家具など揃えていないアパートに、何はともあれ一番先に招待した。

  その後は、トシのアパートでも、人を招いてパーティをすることがあって、友人たちが訪れてくれるようになった。
 そのなかでも、ブライアン夫妻は、特別で、近所のエマーソン通りに越してきて、おたがいの距離が近いこともあって、よく訪ねて来たし、トシの方も彼らの家に重く通って、夕食をごちそうになるようになったのである。

 

 

 ( ハワイでは毎日のように見れる虹 )


" A fateful encounter ! " ( 運命の出会い! )

2013-03-10 09:34:43 | ハワイアンディナー

 

 

 ( 上の写真は、このレストランではありません )

 ある時、ブライアンが、思い出したように言った。
  "  I've found a good one, Sensei !  "( いいのを見つけたよ、センセイ!)
  "  What's that good one ?  "( いいものって何 ? )
  "  Japanese restaurant.  "( 日本レストランだよ )
  "  Then,  where ?  "( そして、どこにあるの ? )
  "  Kalakaua  "(カラカウアだよ)

 いつか行ってみようという話になった。
 ということで、ある日の夕方、仕事を終えた後、ブライアン夫妻とトシは、このレストランに行ったのである。
 近くの駐車場に車を預けて、そこから3人は、夕暮れ時のカラカウア通りを歩いて目指すレストランに行った。
 6時を過ぎていたと思うが、まだ明るく、斜めに日中の日差しが照りつけてきた。
 ぶらぶら歩きながら、道端に並ぶさまざまな店のウインドウを覗き楽しんだ。
 雑貨店、レストラン、フィットネスクラブ、ブティックなどの店が連なっていた。目指すレストランは、すぐに見つかったが、こじんまりした、いかにもローカルな目立たない構えの店だった。
 窓からそれとなく覗き込んで見ると、テーブルを囲む2組のカップルのお客さんがいるのがわかった。
 
 "  Hi !  " (ハーイ!)と、中に入っていくと、おそらく日本人らしき女性が、
 "  Hi !  Three of you ?  " (ハーイ!3人ですか?)と言って、にこやかに応対した。
 テーブルが10個もあるかと思える、小さな店だった。
 外から見て確認していた通り我々を入れて3組のお客さんがいた。

 隣のテーブルには、白人の男性と日本人の女性が座っていた。
 二人は、夫婦のようで、お互い日本語で会話していた。
 すでに注文を終えていて、料理が出てくる間の会話を楽しんでいるふうだった。
 女性の方が、つと起ちあがり、カウンター越しの壁面の棚に並べられた日本酒の銘柄を眺めていたのである。
 急に彼女が、大声で、「あるわよ!」と言ったので、皆が彼女に目を向けた。
 自分の夫に向かってと言うより皆に向かって、「これ!私の生家のお酒です!」と言ったのである。
 ブライアンは、何事かにわかに理解できず、トシに伺うように顔を向けた。
 棚に並んだ酒の一つが、どうも彼女の家で作られたもののようだと説明すると、" Unbelievable!  " ( 信じられない! )とか  "  How nice!  " ( すばらしい! ) とか言った。
 そうなると他のお客さんも立ち上がり、肝心の酒瓶をしげしげ眺めて、これがあなたの家でできたのですか?とか言って、感心していたのである。
 もう忘れたが、「みちのくの誉」か「岩手美人」とかの名前だったように記憶している。何はともあれ、素晴らしい出来事のように思えて、我々もうれしい気持ちになった。
 如才ないブライアンのこと、彼女に、
   "  Such a fateful encounter !  The sake of local brew in Iwate came away from Japan, and met with you in Hawaii again.  " ( 運命の出会いですね! 岩手でできたあなたの家の酒がはるばる海を渡って、ハワイでまた会えたのですね! )とか言って、彼女を祝福していたのである。
 ついには、キッチンにいたシェフも出てきて、しげしげとその酒瓶を眺めていた。

 旦那さんのアメリカ人とは、岩手で出会ったようで、その時、TA ( Teaching Assistant ) として中学校で英語を教えていたということである。
 彼女の生家は、代々続く造り酒屋のようで、規模は大きくないものの、手作りの独特の酒造りを受け継いでいるということだった。

 

( トシの美術館 )


" Make it warm ! " ( 熱燗にして! )

2013-03-04 08:54:37 | パーティ

 

 

 クラブに合計8人が集まって、食事が始まったときは、まだ外は明るく、窓越しに、ビーチに押し寄せる波、泳ぐ人たちが見えていた。
 頭を垂れ、胸の前で手を組み、誰かが音頭を取り、食前のお祈り( prayer before meals )をした。
 "  Thank God, feed thy hungry children everywhere・・・"( 神よ!世界の貧しい人たちに糧を与えたまえ・・・ )のようなことを言った。

 女性が3人いたが、必ずしも旦那さんの横に座っているわけでないので、結局最後まで、これらの女性がどの人の奥さんか分からないままだった。
 自分の旦那さんに対しても、「マイク」とか「ジョン」とか呼んでいたし、「ダーリン」とか呼べば、わかるかもしれないが、そのように呼び合っている気配がなかった。
 最初、ウエイターが、ピッチャーみたいな大きなジョッキーに入ったビールを運んできた。
 各々小さなグラスに注ぎ合い、乾杯をしてどうやらパーティは始まったのである。
 そのうち、アルコールがまわってきたのか、声も大きくなるし、談論風発で、話題が絶えず変わっていて、政治の話をしているかと思えば、飼い犬の話になったり、裁判の話になったりで、トシにとっては、目新しい話題ばかりで、面白い話が続いたのである。

 アメリカ人は、"  mobile  " ( よく移動する )である、という言葉を、ある本で読んだことがある。
 (旅行が好きで動き回る)、(住所を変える)、(職業を変える)という3つの点で特徴があるようだ。
 "  What part of Japan are you from ?  "  ( 日本のどのあたりに住んでいるのですか? )と言うから、九州がどのあたりにあって、どんなところかを説明していたら、話題がいつの間にか、自分たちの生まれ故郷のことになり、聞いていると、ハワイで生まれた人は、一人もいなかった。つまり、どこからか移り住んできたわけである。
 マサチューセッツ、ニューヨーク、ボストン、ワシントン州のシアトル、カリフォーニア州カ―ルズバッド、ロスアンジェルス、アイオワ州デモインなど、次々に自分の生まれた故郷の自慢になった。
 彼ら一人一人が、今ハワイで仕事をしていたり、結婚して夫と一緒に来ていたり、とりあえずはハワイで生活しているが、この調子では、ここにずっと住み続けることはなさそうだ。
 仕事に関係で、いつでもどこかに移り住んでいくのがアメリカ人なのだ。

 "  I drank ' Shochu ' for the first time at hotel-bar in Tokyo.  "  ( 東京でホテルのバーで初めて焼酎を飲んだことがあるのだけど )
  "  Do you drink Shochu a lot, don't you ?  " ( あなたはよく飲みますか? )と訊いてきた人がいた。
 この人は、日本の酒は、時々飲む機会があるようだが、焼酎は初めてのようで、ちょっと癖のあるウオッカを飲んでいる感じがしたと言っていた。
 
 最近では、日本のSake (酒)は、アメリカでは珍しくない。唯初めて飲む人は、勿論ロックなどにして冷やして飲むこともできるが、「温めて」飲むことは、びっくりするようだ。
 ウイスコンシン州マディソンには、和風のバーがあった。高いので、しょっちゅうと言うわけにはいかなかったが、それでも行っていた。
 カウンターの向こう側では、ハッピを着た白人の男性たちで元気よく働いていた。
 日本製の陶器に盛られた前菜、煮物、あえ物、刺身のカルパチョなどが、美味しくて心地よく腹に吸い込まれて行く感じだった。
 通い続ける、いわゆるマニアみたいな人たちがいて、" Make it warm !  " (熱燗にして!)とか、叫んでいた。