ジェイは、彼の話の内容から想像するところ、60歳ぐらいにもなるだろうか。大男で、いたって頑健に見える。
オレゴン州のポートランドの街から、遡って、かなり山の中の村に住んでいる。
その土地の製材所で働いていて、大きな電動鋸で角材や板を製材しているとのことで、高校を出てから、ずっとこの仕事をしている。
肉体労働のせいか、腕などゴツゴツしていて、歳の割には元気で、若い人のように脊筋もちゃんと伸びて、外見からは60歳には見えない。いまだバリバリの現役なのである。
ポートランドやスポーケンという街には行ったことがあるらしいが、街を出て遠くに行く機会などはないようだ。お金もないし、そんな時間の余裕もないとのことだった。
本人に言わせると、自分は世の中のことに疎い「田舎者だから」ということらしい。
彼は、いわば過疎地に生きて来た訳で、日本の場合と同様問題があった。
土地の若い女性は、地元で結婚しようとしない。都会に憧れて、学校を出たら、サンフランシスコやシアトルのような街に出て行くようなのだ。
適齢期になっても、村に残った男性には、彼女たちは目もくれないのである。
土地で農業や林業に携わる男性たちは、取り残されて、30代に入っても、あるいは40代になっても、結婚相手が見つからないのが悩みである。ジェイも、その一人だった
土地に残り、別の製材所で働いていた親友が、フィリピン人の女性と結婚した。
もともとこんな田舎にフィリピン人がいるはずがない。
アメリカには、養子縁組や結婚を斡旋する営利の、また非営利の団体がたくさんある。
中には、まやかしものもあって、高額な会費をとったり、手数料を要求したりする団体もあるようだ。騙されたと言う人も沢山いる。
アジアや中南米から、若い女性たちが、よりよい生活を求めてアメリカに移住したいと願う人は多いのである。
この人たちは、普通には移住できないので、アメリカ人男性と結婚することによって、アメリカで生活できるための市民権を得るのが手っ取り早い手段だということだ。
グリーンカードや市民権を得るのが目的だから、結婚するのは、あくまで手段である。相手の男性はどうでもいい場合がある。
親友は、斡旋業者が発行するフィリピン人女性を紹介する小冊子を取り寄せた。
その小冊子には、フィリピン人女性が、写真入りでアルバムになっていて、簡単な経歴などが記されていた。
それをを見ながら、親友は、幾人かの女性を選んだのである。
今度は、お見合いである。
これと思う人を選び、その女性が、アメリカに渡航できるように、航空券、ホテル、滞在費用などを払って、出会いの準備をする。
初めて出会った二人は、ホテルのクラブか何かで、酒を飲みかわしながらお話をして、お互いが好ましいと思えば、「ステディ」な関係になる。彼女が帰国した後も、手紙などで、交流を深め結婚にこぎつけるのである。
大体は、アメリカ人男性が、「OK」であれば、話がまとまることが多いと言うことだった。なぜかと言うと、フィリピン人女性は、一時的にも結婚の事実があれば、アメリカでのグリーンカードや市民権が得られ、その後は、アメリカの中で自由に生活ができるのである。
結婚は、アメリカに住むための手段であって、目的ではない場合が多いということだ。
このケースの場合、離婚率が非常に高い。現に、親友の方は、すぐに離婚をしている。
ずいぶん前に、そんな話をジェイはしてくれた。
妻が心を割って話をしてくれないと悩んでいた。もちろん言葉の問題もあるだろう。
しかし、フィリピン人は、独特なアクセントはあっても、英語を話す。
ジェイの家に、親友のフィリピン妻がやって来て、「タロ語」で楽しそうに話しこんでいて、自分はといえば、何かと蚊帳の外といった感じで、お互いに馴染めない雰囲気が続いていると悔やんでいた。
彼として、親友の場合と同じように、「離婚」が頭をよぎるようになっていた。
そんな話を聞いていて、どうなるのだろうとトシは思っていた。
彼の生活は、慎ましやかで、贅沢とはほど遠い。
数十年を経て、彼はハワイにやってきた。
乏しい貯金を引出し、出来るだけお金を使わないように工夫しながら、でも楽しそうにハワイを満喫していた。
高級レストランに行ったりはしない、3流ホテルに泊まり、マクドナルドで食事をした。
スーツケースをバスに持ち込むことはできないと思うのだが、ドライバーとどんな交渉をしたのか、空港からバスでやってきて、帰りもバスに乗った。
彼とフィリピン妻の結婚生活は、ちゃんと続いていた。
男の子と女の子が出来いて、長男は、なんとアメリカでも超一流のスタンフォード大学を出て、今は、サンフランシスコのIT企業で、キャリアとしてバリバリ働いているそうである。
女の子の方も、優秀で、カリフォーニア大学に在学中だとのことである。
なんかホッとする話である。