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第二次世界大戦が終わると、世界が平和になったかというと、まったく、そうでなかった。
ソビエットを中心とする社会主義国とアメリカを中心とする自由主義国が、世界を真っ二つにして、お互いの勢力地図を拡大すべく鎬を削った。
ソビエットは、アジア、中南米、アフリカで勢力の拡大を図った。
アメリカは、威信に掛けても、共産圏の拡大を阻止しようとしたのである。
「キューバ危機」のときは、あたかも、第三次世界大戦が、いまにも勃発するかという瀬戸際であった。
アメリカのケネディ大統領とソビエットのフルシチョフ書記長が、面と向かって、お互いを脅し、今にも戦争を仕掛ける態勢であったのである。
フルシチョフの脅しに屈しなかったケネディは、勇気ある人としてアメリカの英雄だった。
何とか、危機を回避できたものの、世界各地で小競り合いは続いた。
ベトナムでは、北の共産軍と戦っていたのは、初めはフランスだった。
フランスが、早々に撤退した後で、南ベトナムが、共産化されることを恐れたアメリカが介入することになったのである。
もともと、アメリカが介入を決めた時、アメリカ国民も、かなりの人たちが賛成しなかった。
利害関係があるとも思えない、アメリカからはるかに遠い国に出兵することには抵抗があったのである。
ベトナムが、共産化するのを黙って見過ごすのは、いずれは、アメリカが脅かされる、という「大義」と自国に対する「脅威論」が勝って、つい手を出してしまった。
最初は、大国アメリカは優勢であったが、ベトナムは屈しなかった。
強かなゲリラ戦法で、執拗に抵抗したのである。
圧倒的な武器、戦力をもってしても、アメリカは勝つことはなかった。
何時まで経っても、終結しない戦争にアメリカ国民が、イライラし始めた。
そんなはずでないと思っていただけに、政府に対しての不信感は募るばかりである。
このことが、社会のいろいろな面で影響が出てきたのである。経済が、うまくいかない。企業は人員整理を始める。
教育予算が削られる。州立大学など、学部がなくなったりして、スタッフの首切りが起こる。
ハイウエーが放置され、補修されなくて、凸凹道になる、などあちこち、国民の身近なところで歪みが出てきた。
誇らしげであったアメリカのかつての栄光はどこに行ってしまったのだろう。
先日、クリストファー・ムーアという人が書いた「カットアウト」を読んでいて、たまたま、この時期のアメリカ人のイライラ感に出くわした。
「ぼくは、スーツという物が好きでない。スーツを来た奴らが戦争をおっぱじめたんだ。
自分らが始めた戦争を、どうしていいのか分からなくなってしまって、奴らは逃げて行った。
他の奴らがぶち壊しにした、と言って。
スーツを着たアメリカの奴らは、具合が悪いと、必ず逃げて行くんだ!」
このセリフは、まさに、当時のアメリカ人が抱いていた政府に対する不信感を如実に物語っていると言える。
ベトナム戦争の終盤に、マイクは戦場に駆り出された。
マイクの家は、「ばーちゃん」と父、母、一つ年下の妹、それに弟の6人家族だった。
家は、小さな農場を経営していて、父は、農閑期には、農機具のセールス、アフターセールスサービスと修理などを行っていた。
長男であるマイクも、父の後を継ぎ、農場の仕事をするつもりでいた。
高校の時、選択科目で、機械のクラスをとっていたのは、将来、メカニックになるためであった。
しかし、卒業した時は、両親とも、まだ元気で、すぐに家業を継ぐ必要がなかった。
友達と、ウイチタにあるセスナ航空機製造会社の関連企業に就職した。
もともと、機械が好きで、関心があったのである。