(4)
ハンバーガーを食べている途中、何を思ったか、腰を浮かして、右手についたケチャップを拭いながら、その手を差し出して、
「マイクです、よろしく!」と言った。
トシもつられるように、中腰になった。
手を差し出し、握手しながら、
「トシです!日本から来ました」
「エッ!日本人ですか?」
「沖縄は、日本ですか?」
「その通りです」と言うと、
「3週間ほど、沖縄に駐留したことがあります」
「友達と、すし屋に行きました。初めてのことだったので、食べ方がわからなくて!」
彼には、その後、2度会った。
一度は、偶然、街で出会ったものだった。
もう一度は、
「妹の子供、姪の写真を見せたいのだが、会ってくれませんか?」
と言われて、時間と場所を決めて会ったことがある。
本当に、かわいい女の子の写真を持ってきた。
写真は、名刺サイズくらいの大きさで、斜め上を向いた、何とも愛くるしい顔をしていた。
会う度に、一緒に食事したが、一度は、トシが気に入っている「フジ・レストラン」に連れて行った。
「富士ホテル」の一階の道路に面したところにあった。
ローカル色漂う、いい雰囲気のレストランである。
隣に座っている人とも、すぐ友達になれそうな、そんな感じのところだった。
所有者は、おそらく、日系人だろう。
日本風か、日本風にアレンジしたメニューが多くて、トシは、魚の天婦羅セットなど好きだった。
マイクと行った時も、確か、この天婦羅セットを注文したような記憶がある。
彼が、生まれたのは、カンザス州の田舎町プラットだという。
近くで一番大きな都市としては、ウイチタがあり、何か大きな買い物をする時などの、一家総出でこの町まで出かけたという。
彼は、高校を卒業するまで、プラットで過した。
全くの田舎者で、ニューヨークやシカゴなど、もちろん見たこともなく、一度も、飛行機に乗ったこともなかった。
高校を終えると、幾人かの男子生徒は、徴用されて軍隊に入る。 彼もその中の一人で、入隊することになったのである。
いよいよ、町を出ることになった時、学校の時の友達などが壮行会を開いてくれた。
たくさんの町の人たちも、激励会などを開いてくれて、入隊直前は、華やいだ気持ちだったそうである。
初めの2年間は、訓練期間として、いきなり、ドイツに派遣された。
初めて見るヨーロッパだったが、アメリカでも見たことのないようなビルが林立する大都市を目の当たりにして、驚くばかりであった。
軍務は、厳しいものだったが、アメリカのあちこちから徴用されてきた同僚と友達になり、ある意味、楽しい時期であった。
高校を卒業するまで、他の人に手紙を書くことといったら、クリスマスの挨拶とか、結婚する人に送る祝福のカードぐらいだったのが、やたらに手紙を書くようになったようだ。
夕方の自由な時間を持て余して、友だちが、毎晩のように、故郷の人たちに手紙を書くのを見て、それに倣うように、両親、弟、今では、嫁いでいる妹の家族などに、手紙を書くようになった。
休日に、同僚たちと繰りだし騒ぐことも楽しかったが、手紙を書く楽しみを覚えてしまった。
2年間のドイツでの軍務を終え、一度アメリカに帰って来る。 滞在したのは、カリフォーニア州の基地だった。
休暇の時など、グレイハンドの長距離バスで故郷の家に帰ったこともあるし、故郷の家族が、カリフォーニアの基地まで会いに来てくれたこともある。
実戦に配属される時が、やがて訪れる。
軍用機で、ベトナムまで飛んだ。
途中、沖縄で3週間を過ごし、最後の訓練を受けた。
彼の場合、前線配置ではなく、言ってみれば、「後方支援」の部隊であったが、連日、爆撃音が響き、銃弾が飛び交い、こだまする、その最中にいたのである。
事実、負傷した兵士たちが搬送されてきて、その処置などに追われていた。
夥しいし戦死者、負傷者を目の前にし、一瞬の気も抜けない緊張する日々であったようである。