マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

マーカスの戦死

2010-05-02 20:04:07 | 日記

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 サンフランシスコ国際空港で、飛行機を乗り換えたが、いきなりではなく、一度、地上に降りて、空港内バスに乗った。
 バスは、駐機している大きな飛行機の尾翼をかすめるように空港の敷地内を走った。
 3キロぐらいも走っただろうか、空港ターミナルから遠く離れたところに、古ぼけたローカル線の待合所があった。
 そこで、タラップを上り、小さなプロペラ機に乗り込んだ。
 
 飛び立った飛行機は、サンフランシスコから、セコイア国立公園の方向に南に下がり、内陸部に入ったところにあるフレズノに向かった。
 1時間も飛んだだろうか、着陸態勢に入ったが、そのまま、すんなりとはいかなかった。
 着地前には、風にあおられて、大きく傾いたり、エアーポケットに入るのか、時々、ドン!ドン!という衝撃音を出して揺れた。
 そのたびに、女性の乗客が、キャア!キャア!と大声を出していた。それに合わせるように、たった一人のスチュアーデスもキャア!と叫んでいた。
 何かが起こるはずもなく、無事に着地した。

 飛行機の窓から見えるフレズノは、平らに広がった農地であった。おそらく、果樹園なのだろう。整然と、規則正しい区画に整備されていた。
 トシの心に、サローヤンの作品のイメージが広がった。
 ホーマーが、自転車を走らせたのはどこだろう、と一瞬考えた。 まさに、サローヤンが描く世界が、眼下に広がっていたのである。 彼の作品を読みながら、トシの心の中には、フレズノのイメージが出来上がっていた。
 どこに川があって、学校があって、ユニオンパシフィック鉄道の停車場があって、町のメインストリート、郵便局はどこにあって、などと、そのイメージは、トシの記憶のなかに大切に蓄えられていたのである。

 「ヒューマンコメディ」が描かれている場所は、フレズノそのものではなく、イサカという小さな町である。
 主人公は、14歳のホーマーという少年で、母、姉と弟の4人で生活している。兄のマーカスがいるが、今は、家にいない。戦場の第一線で戦っているのである。
 彼は、学校の放課後に、家計を助けるために、土地の電報局で電報を配達するアルバイトをしている。

 丁度、第2次世界大戦のさなかで、時として、「戦死の報告」をする陸軍省からの電報を持って、戦死者の家庭を訪れるのが、何より、心が痛むことだった。
 「陸軍省として、ご子息の戦死を、心からお悔やみ申し上げます!」といった内容であって、これらの電報を配達するのは、残酷で、これ以上の悲劇はなかったのである。

 彼は、14歳で、働く年齢には達していなかったが、そこは、戦時下で、雇い主のスパングラーさんも、どうせ、時間が経てば、16歳になるのだしと物わかりがよい。
 周りの温かい心を持った人たちに囲まれ、仕事そのものは、苦にはならなくて、精を出し、頑張っていた。

 ところが、あるとき、最も恐れていたことが起こった。
 前線で戦っていた兄のマーカスが戦死したのである。
 こともあろうに、弟のホーマーが、その知らせを家に届ける役目を負ってしまうとは何たる悲劇だろう。
 しかし、このあまりにもひどい仕打ちに、局長のスパングラーも、電報をホーマーには見せないようにした。いつかは、この現実をホーマーが受け入れらるようになるまではと、彼は心に祈ったのである。

 兄のマーカスには、戦場での親友、トービィーがいた。
 彼は、生き延びてイサカに「戻って」くるが、もとより、ここは、彼の故郷ではないのである。
 彼は、もともと、この街には何の関わりもない。
 しかし、戦場で、毎日のように、マーカスから、親のこと、兄弟のこと、イサカのことなどを聞かされていて、彼の心には、すでに、イサカが自分の故郷として定着していた。
 もう、一つ彼が、イサカに来た理由があった。
 彼は、身寄りがない天涯孤独であった。
 戦場より帰還した彼は、どこよりも、何よりも、イサカが、故郷に思えたのである。
 彼は、マーカスから話を聞かされて、心に沁みついた風景の中を歩いて回る。
 停車場、役場、郵便局、学校、すべてに、馴染んできた記憶があった。
 マーカスのために、あたかも、一つ一つを思い出して語りかけるように!